橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

東電の配当ゼロで都バス赤字転落か~戦後終了と千年女王

2011-05-26 11:24:29 | 東日本大震災

報道によれば、都バスって、東電株の配当がないと20億の赤字なんだって。

都交通局のルーツ東京市電気局がやっていた電気供給事業は

戦時中の国家総動員法による配電統制令で国の管理下に入り、

その後それが東電になった。それで大株主ってことらしい。

つまり、東電は戦争の産物なんだ。不覚にもいままで知らなかった。

 

ほんと、あの日戦後は完全に終わったんだなあ。

象徴的な事象がこんなところにもあったなんて・・・。

 

国家総動員法でまとめられた電力事業ならば、

その前は、もっといろんなところで発電事業をやってたということだ。

ならば、戦前のように、電力事業を誰でも参入出来る形に戻せばいい。

いつまでも国家総動員のなごりを引きずっていることはない。

 

あの日終わったのは戦後だけではないかもしれない。

 

東電の5大大株主、信託銀行2社、大手生保2社、東京都の順。

都は東電株3.15%保有で26億円の配当。

仲間で既得権を分け合って美味しい思いをしている風情。

都交通局はこれまで7億円の黒字だったというが、

この配当が無かったら大赤字ということだ。

そもそも事業が成り立っていなかったということじゃないか。

東電がみんなの電気料金を集金したお金は、

原発の下請け、孫請けの作業員のところになんか十分に行ってなくて、

配当となり、仲良しこよしの既得権者の赤字の補填にまわってたんだ。

電気代、高い高いと思ってたけど、

都バスを存続させるためのお金も払ってたようなものだったんだなあ。

そんなことも知らないで、バスはどこまで行っても200円で、

安くて良いねなんてのんきなことを言っていた。バカだったわ。

 

そう。戦後以外にもうひとつ終わってると思ったのは、

株式会社の仕組みである。つまり資本主義。

いや、もちろんすぐにどうこういうことはないんだろうけど、

ここは終わりの始まりなんだろうな。

ああ、まさに資本主義500年の歴史がガラガラと崩れて行く。

 

今この2011年という時点は、

新自由主義が台頭し始め、イランで革命が起こった1980年頃から

30年間の動きの変革期であるようにも見える。

関東大震災や世界恐慌など80年前と同じようなことが起こっているようにも見える。

さらに、資本主義まで行き詰まって、500年周期の変革期のような気さえする。

そのちょっと前、ルネサンスの三大発明、印刷技術、羅針盤、火薬が

新しいものに取って代わられようとしている。

 

人間の知恵を記録する印刷技術は電子書籍に、

エネルギーを司る火薬は石炭、石油を経て、原子力の失敗により、

太陽光など自然エネルギーにシフトしようとしている。

さて、羅針盤は何に対応するんだろうか。

宇宙に行くならロケット技術だろうけど、ちょっと違う気がする。

GPS携帯電話かな。もうどこにいたってつかまっちゃうw

いや、もっと他のものの気もするが、思いつかない。

 

さらにいえば、中沢新一氏が指摘するように、資本主義を生んだ一神教は・・・。

 

2000年の周期の変化も起ころうとしているのだろうか。

なんだか千年女王が出てきそうである。

なんだなんだ。東電が転べば、都バスが止まる・・・

風が吹けば桶屋が儲かるだと思ってたが、

なんと都バスの話が千年女王の話になってしまった。

 

というわけで、

最後に、また身近な話に戻すけど、

車に乗らない身としては都バスは便利だ。

町並みを見ながら町名を聞きながら行く道のりは町を身近なものにする。

町並みの見えない地下鉄は、

自宅と会社をつなぐタイムトンネルのようなものだ。

間の過程を見せないことで同一化させ、地域社会から切り離し、

自宅も会社もそれを囲む社会というものの中にあることを

忘れさせてはいないかと思う。

地上の電車でも、満員電車にもみくちゃでは外を見る余裕も無い。

バスという存在は、そういう意味で、ちょうどいい程度に

世の中を感じさせてくれる乗り物だ。

 

自転車で行く距離も、雨の日等はバスを利用するが、

近隣のお年寄りや通園通学の足になっているのがよくわかる。

都バスが赤字になろうと、こういうものは合理化してはいけない。

いろんなことに税金が使われているけど、

そもそも税金は、こういう人々の生活の基本をなす事業が

赤字になっても存続させるためにあるのだ。

合理化と言う前に、財政の優先順位を見直して欲しい。

税金はまずは、町の人々に届かなくてはいけない。