橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

「映像は合成か」とか言ってる間に72時間経って…

2015-01-25 03:20:52 | メディア批評

後藤さんと湯川さんの映った写真(最初のもの)の信憑性について取材を受けた映像編集者の方が、その取材について抗議されている。このブログは記名ブログではないので、本当に取材を受けられ方(新聞には名前出てます)のものかは確認してはおりませんが、ここに書かれていることが本当だとしたら、由々しきことだと思い、リンクしました。

http://metasan.blogspot.jp/2015/01/blog-post_23.html?spref=tw

このブログの記事が正確だとすれば、取材電話をかけて来た記者さんは、「政府関係者から、合成の疑いがというコメントが出たので、それに沿わない部分は書く必要がなくなっちゃいまして…」と言って、この映像編集者が語った中の「合成ではない可能性をほのめかす部分」は”ほぼ”カットしてしまったようだ。この言葉遣いのどこまでが正確なのか確認はとれないが、これを信じれば、この記者さんは政府の発表は常に正しいという前提で記事を書いているようだ。

この映像編集者さんは「太陽光で撮った可能性は否定出来ない」旨話したが、「太陽光では原則こういう影はできない」という記事になっていることを非難しておられる。一方、記者は「原則」という言葉をつけたことで問題ないと考えているようだ。しかし、それは記者の側の論理で、読む人からすれば、太陽光下の写真じゃないんだなと判断するだろう。

そして問題なのは、もし政府がこの写真が合成ではないと発表していたら、この記者さんは、映像編集者さんの言葉を「太陽光下で撮った可能性もある」という方向で使用しただろうと思われることだ。記者自身が、政府の発表次第で言葉の使いどころも変わるという大変なことを、さらっと言っちゃってるのが恐い。あくまで、このブログの記述が正確ならの話ではありますが。

ほんと、読む側には、その文章の中に込められた「逃げ」のニュアンスや「含み」は分かりづらい。こうした記事を書いたことのある人間ならば、なんとなくその背景にある事情は分かるが、読者にとってそんな事情は関係ないのだ。「原則」とか「基本的に」などという言葉が挟まった文章をよく見かけるが、そんなものはほぼ機能しないことを肝に命じて、記事を書いて欲しいなと思うのである。

と、ここまで来ていうのもあれだが、そもそも、この映像の信憑性に関するニュースにどこまでバリューがあるのかがずっと疑問だった。偽物だったらどうだというのだ…。そう思いながら報道を見ていた。もしこの画像が偽物だった場合、どういう状況が考えられるのだ…そういう疑問がないまま、これは偽物か否かの変な分析だけが続く…。

誰か、安倍ちゃんとか菅ちゃんに聞いてみなよ「これが合成だったら、どうなんですか?合成したってことにどういう意味があるんですか?」。

本物の2S画像を使って脅迫するのと、偽物を使って脅迫するのって、どう違うんだ??違うとすれば、人質がもう亡くなっているのに身代金を支払ってしまう可能性があるということだけではないのか?政府が「合成の疑い」と言ってるってことは、もう人質は亡くなっているかもしれないと考えてるってことなの?と私は一瞬思ってしまった。他の場所にいる2人の1S写真を合成したとしたら、それを一つにすることに意味ある?

ああ、わからない…。私はアホなんでしょうか?
「合成の可能性」を一生懸命取材していたメディアの方に教えていただきたい。なぜ「合成の可能性」がそんなにたくさんニュースの時間を割く程、重要な問題なのか…。

今、湯川さんが殺害されたと思われる新たな映像がアップされたとの報道。まだ真偽は確認されていないが、もはや「合成の可能性」とか言ってる場合ではない。5日前の段階でもそんな場合ではなかったはずだ。だって、去年のうちに拘束した旨のメールがイスラム国から届いていたわけだし。

イスラム国とのルートが有るという中田さんと常岡さんにも連絡来ないようだし、やっぱ、政府、やる気あるのかよ…としか思えない。

こんなとき強い味方であるはずの”有志連合”の方々は協力してくれているのあろうか…と思う。いや、こと中東においては、有志連合は役に立つどころか害悪。集団的自衛権とかもっと害悪。テロリスト虫を寄せつける夜の外灯みたいなもんだ。


「新春シャンソンショウ2015」に行って来た

2015-01-21 12:44:17 | Weblog

昨夜、「新春シャンソンショウ2015」という音楽ライブに参戦。
ご招待を受け、ダイヤモンド・ユカイや大槻ケンジがシャンソンを歌うというので足を運んでみたのだけど、これが良かった!

シャンソンというのが私たち世代(40代後半世代)にとっての懐メロであり、心に深くしみついていることをあらためて確認した。愛の賛歌、シェルブールの雨傘、シバの女王、夢見るシャンソン人形など、詩は憶えていなくとも、子供の頃、テレビや有線から無意識に耳に入っていたメロディーたち。音楽といえば歌謡曲であり、まだロックが日本中にあまねく浸透してはいなかったあの頃、最も耳にしていた洋楽というのは、実はシャンソンではなかっただろうか…。70年代初頭の日本というのはヨーロッパの匂いのする時代だったなあと、遠い記憶が甦って来た。

オーケンが歌ったのはアダモの「雪が降る」に「エマニエル夫人」の主題歌。あの頃のフランスは、子供にとって大人の愛憎渦巻くエロの国。妄想の中ででき上がった大人の世界はちょっと笑えて、ちょっと憧れた。そして、70年代の昭和歌謡は多分にシャンソンの影響を受けていたと思う。

血しぶきを受けた白いスーツで登場したオーケン。シャンソンじゃないけど、沢田研二の「危険な二人」をシャンソン風に歌ったダイヤモンド・ユカイ。二人とも、私たち世代にとって等身大のシャンソンを表現してくれた。やっぱ流石だわ。

他の出演者にも目を見張った。これについてはまた別の投稿に譲るが、「黒色すみれ」と「チャラン・ポ・ランタン」の2つの女性ユニットは新たな発見。「黒色すみれ」はもう10年目らしく、そういえば名前を聞いたことはあったが、ちゃんと音楽を聴いたのはこれが初めて。公式サイトを見れば、なんとあのティム・バートンのお気に入り。ビデオメッセージまでアップされている。不覚だった…。

今年初めての音楽ライブ。なにかきっかけを与えてくれそうなショウだった。音楽はいつも何か発見をくれるなあ。


アフロで火鉢カフェの日に教授のYear Book発売なんだあ…への個人的思い

2015-01-08 04:15:00 | がんにかまけて

次の火鉢カフェを開催する日(1月17日)に坂本龍一のYear Bookが発売される。そして、私が企画構成した番組が放送された今夜(1月7日深夜)、この発売を知った(知るの遅過ぎ)。この3つの出来事の繋がりは今の私にとってちょっとエポックな事である。どう繋がっているのか私以外の人には皆目分からないだろうし、そんなこと冒頭から言われてもな…だろうが、なぜエポックなのか、以下にそれを書こうと思う。風が吹けば桶屋が儲かる的にちょっと長くなるが、がまんしてお付き合いいただけると、意外に「そうだったのか」と思っていただけるのではないか。いや、いただけないか…。

YMO時代からずっと自分の心の中に鳴り響く音楽を提供してくれた教授が、がんであることを公表した頃、治療から10年目となった私の乳がんも再発の疑いがもたれていた。10年経って、完全に油断していた頃だ。半年に一度はエコー検査していたし、教授同様、野口整体にも通っていて、私のがんはもう消えたとばかり思っていた。だから、ファン向けのニュースレター「JOURNALSAKAMOTO」で送られて来た教授の言葉の中に「野口整体にも大きく影響を受けて、整体を受けながら身体のメンテナンスも続けてきました。そうであったからこそ自分を過信していたのでしょう…」の文字を見つけた時、やはり私のがんは再発しているのかもしれないと思った。そしてその2ヶ月後、再検査をして、やはり再発しているとの診断を得る。以来、定期的に送られて来る「JOURNALSAKAMOTO」の教授の言葉を自分の状況に重ね、いろんなことを考えた。がんというのは、自分の存在とは何なのかを否応無く考えさせる病で、なぜそれが自分の中で生まれたか、そして再発したかを、教授は初めて、私は10年を経て再び考える事になった。このYear Bookは丁度私が最初のがんの治療を終え、その存在を忘れていた10年間に書かれた音楽が集められている。

再発の検査結果を確認した頃、自分の出していた番組企画が実現する事になったとの知らせをもらった。それが今夜放送した番組である。急に何か企画は無いかと制作会社のプロデューサーから金曜深夜に電話がかかってきて、ぱぱっと書いて月曜朝に送ったものだ。ぱぱっと書けたということは、前からなんとなく温めていたことの裏返しで、急いで書いたから練れた企画書ではなかったが、思い入れの有るものではあった。本当ならば企画・構成・ディレクションすべてやりたいところだったが、がん再発の言葉にちょっと日和って、企画構成にとどめた(が、実際にはキャスティングなどもやった)。

この番組、忙しい年末時期の収録だったため、キャスティングは難航を極め、キャスティング次第で内容も変わるため、構成もぎりぎりまで決まらなかった。けれど、なぜかギリギリのところですっと状況が動き、最終的な内容は、私ががんとは何かを再び考え始め、人の身体とはどういうものかを考えた末にたどりついた内容と見事にリンクする事となった。

その内容とはミトコンドリアが代謝を司るという話と災害大国日本でのサバイバルの術を書いた古典「方丈記」の話。それが最後にリンクする。方丈記冒頭の有名なフレーズ「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」はまさに人間の身体も同じ。福岡伸一さんの言う「動的平衡」状態で、身体は常に代謝によって変化している。そんなことを話す番組だ。

ここで勘違いして欲しくないのは、番組では決して、代謝を良くすること=がん治療と言ってるわけではないということ。ミトコンドリアを活性化して代謝を良くする事はダイエットやメタボ解消などには役立つだろうが、がんにどう作用するかはまだ解明されてない部分も多い。あくまで、私ががんの再発をきっかけに、人の身体とは何かを考えた中で、ミトコンドリアによる代謝の話を発見し、それを番組に使ったというだけのことだ。

ここまで読んで来て、おまえは再発してるのに治療はしてないのか…との疑問を持つ人もいると思う。もちろん自分なりの治療はやっている。再発の場合、三大治療をやることは命を縮める事にも繋がりかねないとの判断もあり、今は一般的には代替治療と言われるものを中心に様子を見ている。様子を見ているなどと言うと消極的な感じだが、気分としてはそんなことはない。まずは代謝を良くするミトコンドリアを育てる。それが、”私が選んだ”治療法でもあるのだ。どう育ててるかはおいおい。副作用もないから、はた目にはがんとはわからないだろう。なるべく歩くようにしているし、前よりお通じも良くなったくらいだ。だからといって、これを他のがん患者さんに勧めるつもりも毛頭ない。がんというのはその人の生き方が表れる病だと思うし(これにも賛否有ろうが)、それゆえに人によって性質も千差万別。これいいよ!と簡単に治療法を勧める事のできるものでないことは、この10年間に考えて得た結論だ。

そして今、無事、その番組の放送も終えて、来週末には火鉢カフェを開催しようとしている。

火鉢カフェを主宰する火鉢クラブとは、そもそも火を使う事の大切さや楽しさを伝えるだけでなく、森林再生に炭焼きが寄与する事、脱原発、コンビニエントな暮らしからの脱却などを思い描いて始めた活動だ。なるべく楽しくそういうことも考えられたらと思い、やってきた。お客さんに出す割り箸に教授も関わるmore treesの国産間伐材割り箸を使ったりした事もある。

実家が原発誘致自治体の側で、震災以前ずっと昔から原発反対であった私。学生の頃多大なる影響を受け、今も心の中にあるYMO。そしてがんという存在。そうしたものがすべて絡み合って、今夜放送した番組となり、火鉢カフェとなっている。

教授の誕生日である1月17日に発売される「YearBook2005−2014」。この10年間に考えたことを振り返りながら、これから先に広がる未来の日本を思いながら、自由の象徴(?)アフロのカツラをかぶって、この日、火鉢カフェを開催したいと思います。

そういえば、今年の私の年賀状のテーマはLOTUS LOVE。もちろんYMOの曲の名前から。不忍池の蓮の写真を使ったけれど、撮影時、頭の中にはLOTUS LOVEが脳内再生されていました。最後にそのハガキを紹介します。

この蓮の生命力にあやかりたい!

とかなんとか言いながら、こんなに遅くまでブログ書いてるなんて、言語道断ですね。身体のためにも早く寝なければ…。

というわけで、このブログにこれから「がんにかまけて」というカテゴリーを作り、日々考えた事を書いていこうと思います。これは決して闘病記などではありません。闘病などしてませんから。がんも自分の一部。がんと共存し、がんに語りかけ、お互い楽しく生きていけたらなという心持ち。仕事もやって、いたって普通に過ごしております。いや、添加物の食べ物やめたり、玄米にしたり、乳製品やめたり、”現代においては”やっぱ普通ではないわな。

今の世の中で「がん」といって、普通の目で見て下さいというのも難しい話なのかもしれないし、そしたら人にがんだと言わなきゃいいんだろうけど、日々色んな事を考えて、黙っているのも出来ない性分なので、こうして書く事にしました。

<坂本龍一Year Book2005-2014>

http://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201411251111.html

 

<火鉢カフェのお知らせ>

http://hibachiclub.blogspot.jp


【予約受付中】「アフロで火鉢&七輪カフェ」in千駄木ケープルヴィル 1月17日(土)開催

2015-01-06 03:11:19 | Weblog

今回はカフェとのコラボなので、予約制で行います。

一度に入れる人数が限られていますので、1回15名で2回開催予定です。詳細は以下を。

 

開催日時:1月17日(土)

     第一部 12時30分〜 第二部 17時00分〜

     予約制:各回15名ずつ

     一部、二部どちらかを選んでご予約下さい。

     1回2時間程度を考えています。


場所:写真館&カフェ「ケープルヴィル」(1階がカフェ、2階が写真館)

      東京都文京区千駄木3-42-7    

 

料金:炭チャージ500円

          +焙りもの&軽食代1500円

   *焙じ茶は炭チャージ代に含まれております。

      アルコール類はお店のメニューより別途ご注文下さい。

   *アフロヘアにて参加の方は炭チャージ500円のみサービス

    ただしご自宅からアフロでおいで下さい(笑)

 

内容:【カフェにて】

    <能登珪藻土のプチ七輪を使って>

    *焙烙(ほうろく)でほうじ茶作り(お茶飲み放題)

    *焙りもの各種

     原木椎茸(愛媛県内子町産)、梅干し、海苔、

     干物もしくはジャコ天(愛媛県八幡浜産)←どちらにするか検討中

    <その他軽食>

    *炊き込みご飯と原木椎茸汁

 

 

【写真館にて】

「アフロで火鉢」撮影会:

2階の写真館に上記写真の火鉢のある和室セットと写真で私たちがかぶっているアフロウイッグ(色ものも追加)を用意しておきます。アフロで火鉢写真を撮りたい方はご自分のカメラで自由に撮影して下さい。写真館のプロのカメラマンに撮影してもらいたい方は有料で承ります(料金は当日お知らせします)。


予約:

1部2部どちらが希望かを添えてケープルヴィルまで、電話かメールでお願いします(以下ウェブサイト参照)。

*予約人数が各回15名に達した場合はそこで締め切らせていただきます。

*私(中村有里)とFACEBOOKの友達もしくはTwitterの相互フォロー状態の方は私の方までメッセージやDMでご連絡下さっても結構です。

 

 ケープルヴィル・ウェブサイト http://capleville.com

 

【ご注意】

カフェ当日、ウェブメディアの「Shimicom」さん(http://www.shimicom.net)が火鉢カフェの取材に入る予定です。会の途中、時々、写真や動画を撮影されると思いますので、映り込みたくない方は事前にお知らせ下さい。会の雰囲気は損なわない範囲での取材をお願いしますので、何卒ご容赦くださいませ。火鉢クラブの設立趣旨である、火の扱いを知る大切さ、炭焼きによる森林再生や環境保全、炭火の温かさと火を囲む楽しさなどを広く伝えるために、取材オファーを受ける事にしました。何卒ご理解をお願い致します。

 


1月2日(金)のつぶやき

2015-01-03 04:50:21 | ツイッターつぶやき

お正月からこんなネタなんだけど、原油価格が随分下がって来ている。これで円高だったら最強なんじゃないか。日本が輸出産業ばかりにこだわらず、国内需要で経済を回して行く決意をすればいいだけだとおもうんだけど。にしても、漁業者や農業、畜産業者の燃料費などは少しは落ち着くか…


あけましておめでとうございます!1月17日(土)火鉢カフェ開催 goo.gl/NiOL3c

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あけましておめでとうございます!1月17日(土)火鉢カフェ開催

2015-01-02 12:36:26 | Weblog

あけましておめでとうございます
今年はもっと活動するぞ~。
まずは「アフロで火鉢カフェ」を1月17日(土)に開催!
千駄木の写真館カフェ「Caplevilleケープルヴィル」にて。
詳細、近日中に告知します(今回は予約制になります)。
アフロじゃなくてももちろん参加出来ます。アフロのかつらを置いておきますので、希望の方はアフロで火鉢にあたる姿を撮影することも可能。ご自分の写メはもちろん、記念にプロに撮ってもらうこともできます(有料)。ケープルヴィルは2階が写真スタジオになっており、以下の写真はそこで撮影しました。



なぜ今回の火鉢カフェがアフロなのかは、またあらためて。
でも、撮影でアフロヅラをかぶったら、かなり気分が上がりました!
やはり、アフロ楽しい!
というわけで、今年もよろしくお願いします。

ケープルヴィルHP
http://capleville.com/