橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

子規と鴬谷と信濃路と 新刊「鴬谷 東京最後の異界」を買う

2014-03-20 04:32:42 | Weblog

仕事で正岡子規のことをちょっと採り上げて、その仕事が終わった途端に、肝心なことを忘れていたと落ち込んでいた。その仕事はそれなりに形にはなっているが、進行中ずっと何かが足りないと漠然と思っていて、最後の方、気付いたのだけれど、時間切れでそれを盛り込めなかった。そして、一夜明けた今になって、それが決定的な部分であったことに気付いた。すごく落胆した。テレビの仕事だから共同作業なのだけれど、勝手に一人で落胆した。子規が最も言いたかったことはそれだ…と思うと子規にも申し訳なかった。

自分はなにも分っていないことをあらためて突きつけられたような気になりながら、近隣の上野駅まで戻って来た。駅構内の本屋に入ると、話題の本の棚に「鴬谷」というタイトルの本がある。惹句には「東京最後の異界」とある。そうなの?と思い、そうだろうとも思いながら表紙をめくると、タイトルの次に出てきたのが正岡子規の俳句だった。

「鴬や 垣をへだてて 君と我」。

ああ、また正岡子規か…と思って目次を見れば、「正岡子規と鴬谷」。そのページを開くと、私が盛り込めなかったと気にしていたその俳句がドンと目に入って来た。ああ…やっぱり。落ち込んでいたところに追い討ちをかけられ、その本をレジに運んだ。

財布の中にはお札が一枚も無くて、カードで買った。もう遅い。タクシーで家まで帰ろうかと思っていたが、財布の中には多分500円くらいしかない。そこで130円で切符を買って、一駅先の鴬谷に行くことにした。今買った本に書かれている駅から帰ろうと思った。そこから徒歩でとぼとぼ帰ればいい。

そして子規にすまなかったと念じよう。

北口を出て、目の前に「信濃路」という店がある。この「鴬谷」という本にも7、8ページが割かれている、この界隈の人なら誰でも知っている店だ。スタンド席とテーブル席が調理場を真ん中に両側にある不思議な居酒屋。もちろん激安である。友人との会話の中では「場末食堂」と読んでいる。

今日もここに立ち寄った。居酒屋ではあるが、そばやおにぎり、定食メニューもあって、簡単な夕ご飯を済ますのに丁度いい。カウンター席は一人でも気兼ねが無いし、頭の上にはテレビが2台あって、そこで見る遅い時間のニュース番組は、まるで別世界の話をしているように感じられる。

頭の上のテレビでしゃべっているキャスターがやっていた番組の仕事を辞めたのはもう4年前だ。もうこのへんでディレクターという仕事は辞めにしようと思って、次の仕事のあてもなく辞めた。一時は海外支援チャリティを兼ねた商品開発をやろうと動き回った。しかし、それも東日本大震災後のドメスティックな空気の中、頓挫し、さらに、チャリティが目的なのに商品を売るということに疑問を感じ始め、頓挫したそのまま、その仕事は再開しなかった。町にはどうでもいいものが溢れすぎて、どれが商品だかゴミだかわからないような有様だ。これだけの商品のどれだけがちゃんと買われて行くんだろう…。そう思ったら、さらに自分まで物を作らなくてもいいだろうと思えて来た。それまでお世話になった人にはとても申し訳ないことをしたと思う。けれど、どうしてもその仕事を再開する気になれなかった。

もとい、信濃路に通い始めたのはそのディレクターの仕事を辞めた4年前からだ。会社に通わない生活になってから、家の近辺の店に通うようになった。仕事を辞めてお金もなかったから、信濃路の安さはありがたかった。

今夜も信濃路のカウンターに座る私の目の前には120円の梅干しのおにぎりと200円の豚汁が並んでいる。合計320円。この組み合わせは私の中では鉄板。これにうるめが付いたり、白菜の漬け物が付いたりする。さっきスタバで飲んだトールラテは380円だった。自分にとっては、スタバの喧噪の中で飲むラテよりも、いつもの信濃路でテレビ見ながらのろのろ食べるおにぎりと豚汁のほうが、くつろぎとやすらぎを感じられる。

誰の目も気にしなくていい。お茶も飲み放題。長居しても咎められない。そして時々耳に入る客の会話の本音の割合が心地いい。駅のスタバでは本音を語っている人等いない。その分、自分もよそゆき顔をしなくてはならない。そして決定的なのは、店員がチェーン店みたいにロボットじゃないことだ。中には無愛想な店員もいる。けれど仮面じゃない分、作り笑顔よりはましだ。今日も頼んだ梅おにぎりの真ん中には種だけが入っていた。まわりの梅肉をこそげとった後の種だけ。ひどいといえばひどいけど、この店ではこれも怒る気がしない。それがすごい。ああ、新入りの店員は知らないんだな…と思う。感じのいい女の子の店員に、「今日のおにぎりこれしか入ってなかったよ」と言ったら、すごく頭を下げられた。調理場の方で新入りの若い男の子を怒ってる声が聞こえた。日本のチェーン店ではこんな声が聞こえることは無い。日本のチェーン店はどうしてこうも無表情になってしまったのだろう。

 

日本社会がこれまで追い求めて来た「快適」とか「便利」とか「ホスピタリティ」とか「スタイル」とかって何だったのだろうと思う。町に溢れるものは、「どうでもいいような便利」。それだけのような気がする。

今日の信濃路は比較的空いていて、カウンター側の席にはサラリーマンの4人組とおじさん1人、そして若作りの年増女性だけ。サラリーマンたちは飲んで大声で盛り上がっていたが、私の前にいたおじさんはご飯が済んだらすぐに出て行った。入れ替わりに70代くらいの比較的みなりのいい白髪のおじいさんが、ピンク色の椿の枝を2本手にして店に入って来た。そして簡単に食事を済ませるとすぐに出て行った。お勘定が重なった若作り女性が、その椿を見て「あら綺麗ね」と言ったりしていた。時計の針が0時に近づいて、20代くらいの若い男性が一人でやってきてもつ煮とホッピーを頼んでいる。この店では「ナカ追加」という声がよく聞こえる。ホッピーをおいてある店独特の注文だ。ナカとはホッピーで割る焼酎のこと。

私はそんな様子をどことなく気にしながら、テレビのニュースを時々見つつ、本屋の袋から「鴬谷」を取り出して、パラパラとめくっていた。とっくにおにぎりと豚汁は食べ終わっている。ここの豚汁やそばの出汁は、煮詰まっていて、いつ来ても塩っぱい。全部飲み干したら、そのあとはお茶を何杯か飲まないと喉が渇いてしょうがない。セルフサービスのほうじ茶を飲むあいだ、本をめくっていた。

お勘定をする時に、「鴬谷」を袋から出して、店員の女の子に「この本にここ出てるね」と言ってみた。彼女はよく分かっていなかったみたいで、横から昔からいるおじさん(店長なのか?)が、「ああ、この人良く来てるよ」と言った。

そして、「この本に書いてあることほとんど嘘だから」と笑っていた。

でも、芥川賞作家の西村賢太氏は本当にたまに来るそうだ(この本にそう書いてあるのです)。「今日もさっきまでそこにいたんだよ」とボックス席を指差していた。

 

正岡子規から始まった話。なんだか脈絡無く長くなってしまった。

食通だったという正岡子規の終焉の地「子規庵」はここから歩いて2、3分のところにある。江戸時代が終わったばかりの鴬谷にはまだ田んぼがあって、今のようなラブホテル街ができたのも終戦後だそうだ。「場末食堂」なんて呼んでいるが、ここはもちろん山手線の駅のある都心で、近くには上野公園、寛永寺、谷中墓地、そしてちょっと行けば浅草がある東京の中心地だ。本の中にも聖と俗が混在する場所と言っているが、たしかに山手線の駅のそばにこんなエアポケットのような場所があるところは他に無い気がする。「東京最後の異界 鴬谷」のタイトル、納得。

仕事を辞めて、お金もなく、さまよった数年間。そばにこの異界があることで救われたのかもしれない。かつて駅前にあるすき家で深夜に聞いたパフュームの曲。これがAKBだとここは異界ではなく苦界になると感じた。今日も駅の周りには、携帯片手のホテトル嬢を待つ男たち。路地裏には客引き立ちんぼ。駅前のオリジン弁当には会社帰りの単身者。深夜のマクドナルドの老人たち。様々な人たちが交錯する真ん中に交番があって、このエアポケットを見張っている。

信濃路はそんな鴬谷に集まる様々な人が一同に会する場所だ。みな自分の素性を明かしはしない。無名の状態でそこにいる。界隈にはいろんな種類の店があるけれど、この店ほど誰でも彼でも来てる店は多分ない。

考えてみれば、社会とは常に自分の肩書きや社会的位置を意識させられる場所だ。現代の社会では、ブランドものの店でびびったり、虚勢をはったり、おしゃれなカフェに似合う自分になろうとすましてみたり。誰もそのままの君でいいよとは言ってはくれない。ワンランク上を目指せだの、違いが分る男だの言われ、実のところ大量消費社会が求める消費者像に仕立て上げられ、そういう振る舞いをすることを強いられている。そういう社会ではもちろん生きやすい肩書きや社会的ポジションがあって、そこからこぼれる人は居心地の悪さを感じながら、消費社会が用意した「おしゃれで」「いい感じの」店にいる。

意地悪い見方をすれば、私が信濃路に行くことも、そんな現代社会へのアンチとしてのポジショントークみたいなものになっているのかもしれない。

しかし、そうであったとしても、お育ちの悪い私にとって、プラスチックの湯のみで飲むほうじ茶や真ん中に種だけが入っている梅干しのおにぎりを出してしまう信濃路はホッとする場所なのである。

この「鴬谷」という本にはあるソープ嬢が言ったというこんな言葉が書かれている。

「こんな仕事でも、男の人たちが変なほうに走らないことに役立ってると思ってる。」

多分、みんないろんなことを考えながら、信濃路のカウンターに座っている。

私は今、再びテレビの世界に戻り、いるのかいらないのかわからない構成作家という仕事をしている。冒頭で肝心なことを言えなかったと落ち込んでいたのもその仕事の中でのことだ。報道番組のディレクターを辞め、ものづくりに関わろうと思ったけれど、やはり形無いものの世界に戻って来た。自分は形なきものの世界で生きて行きたいのだと感じたからだ。形の無いものでお金をもらう時、考えることは、もしかしたらこのソープ嬢の言葉のようなことなのかもしれない。けれど、自分のやっていることはそうなっているのか…。社会の表層からこぼれ落ちそうな人を救えるのか…。いや救えるなんておこがましい。

 

いつも駅の方から入る信濃路には、もうひとつの入り口がある。

そちら側から入ると、その先に元三島神社が見えるはずなのだが、これだけ信濃路に通っていて、私はまだそこに行ったことが無い。ごみごみと建物の建ち並んだ、なぜこんなところに…というような場所に、地図を見る限り、この神社はある。ちょっと調べてみれば、ここに祀られている大山祇命は伊予水軍と関係があり、伊予出身の正岡子規も足しげく通ったのだとか。

 

これは子規に呼ばれたに違いない。

明日はこの元三島神社に行って、子規にごめんねと謝ろう。

そういえば、今回の番組、小林一茶の故郷「信濃路」も登場するのである。

 

深夜。信濃路より帰宅して書ける。


誰か「走れ!」と言ってくれ~中二生が指摘した「走れよメロス」

2014-03-02 14:20:39 | Weblog

ちょっと前に、ネット上で話題になっていた中学生による「メロスの全力を検証」って知ってますか?

(例えばハム速 http://hamusoku.com/archives/8245475.html

太宰治の「走れメロス」の記述からメロスの平均移動速度を算出し、「メロスはまったく全力で走っていない」、最後の死力で走ったとされる部分も「ただの早歩きだった」という結果に至った数学の自由研究です。太宰が書いた「メロスは疾風のごとく」などという記述も今回調べたこととあまり合っていないと指摘。タイトルは「走れよメロス」の方が合っているという気の効いた締めのコメントもあり、「算数・数学の自由研究」作品コンクールで見事入賞しました。

その研究はこちら http://www.rimse.or.jp/project/research/pdf/work03.pdf

 私も最初に見た時はおお!と思いました。で、あらためて「走れメロス」を読んでみたのですが、すると太宰治もそういい加減に書いているわけでもない。太宰の書いた移動速度は、メロスの心の中と照らし合わせるに、だいたいにおいて妥当な感じがしました。最後の疾風のごとく走ったという部分も、その前のメロスの行動を考えれば、そのくらい速く走らないと間に合わなかったと思われます。

考えてみたらメロスが走ったのは片道10里、往復80km。2日目に結婚式があったとしても、3日あれば歩いたって間に合う距離です。むしろ私たち読者が勝手に、ずっと走らなければ間に合わない距離だという先入観を抱いている気がします。

それが結局、ギリギリの到着になるのは、途中で濁流に巻き込まれたり、山賊にあったりしたせいもありますが、その前にメロスが、安心して呑気に小唄を歌いながらダラダラ歩いたからであり、山賊を倒した後、疲労に耐えられず、まどろんでしまったからにほかならないでしょう。

この小説を書く前、太宰は友人の檀一雄をなじみの宿の宿泊代のかたに置き去りにし、自分は井伏鱒二に借金を申し込みに行ったまま、なかなか戻って来なかったということがありました。しびれをきらしてやってきた檀一雄は、のんきに将棋を指している太宰を見て飽きれたそうです。そのときの太宰こそがメロス。檀一雄はセリヌンティウス。

太宰治がこの小説で書こうとしたのは、こちらの“ダラダラするメロス”のほうでしょう。そう考えると中学生の彼が今回の自由研究で気付いたことは、実はあまり驚くべきことでもありません。まさに小説の主題そのもの。正しくこの小説を読みとった結果です。

しかし、「全力じゃなかった」ことが驚きを持って受け止められたのは、「走れメロス」という小説が学校教育の中で、「信じる心の大切さ」という部分を強調され、ラストシーンばかりが印象に残るからでしょう。この小説を最後まで読むと、途中のダラダラしたメロス像は掻き消され、血を吐きながら全速力で走ったメロスの姿ばかりが頭に焼き付きます。そして、最後まで互いを信じたからこそ、2人とも命拾いし、王も改心した…そんな印象が残ります。メロスが途中怠けず、スタスタ歩いていれば、最後これほど頑張らなくてもよかったかもしれないということはほとんど言及されません。

途中怠けない。実はこの方が最後に血反吐を吐くことより難しいのかもしれません。普段からちゃんとやっていれば、途中で諦めそうになって友に懺悔することも、血反吐をはくまで頑張ることもないかもしれない。なのに、メロス=太宰にはそれができないのです。太宰は上記の借金の問題だけでなく、原稿を書くことについても、同様の悩みを抱えていたに違いありません。

実は私も今、急ぎでやらなければならない仕事があります。なのに、その手を留めて、こんなものを書いています。そちらを先にせねばならないのは分っているのに、なぜか、心はそちらに向かわない。そちらの仕事を始めても、キーを打つ指が一向に動かない・・・。そんな私にとって、メロスの一瞬のまどろみや、もうダメだ…というへたれな態度や、すぐに安心して小唄を歌いながらタラタラ歩く気持ちが手に取るようにわかります。

メロスが走らないのなんて当然なんです。メロスは尻に火がつかないと走らない。そのくせ感動屋で、理想家で、言うことだけは言う。それに似た太宰も理想家であるが故に、頭の中の理想が高くて筆が進まない、現実的にものごとを進められない…。夢見がちな人間に計画的に物事を行えるわけがないのです。人間失格です。

でも、そんなダメ人間だからこそ、最後の最後、間に合わなくなったのは“自分のせいだ”と自覚でき、その懺悔の心によって、あれだけ力を振り絞れたのかもしれませんね。それまでの自分にもし落ち度がなかったら、この手の人は、山賊や天候のせいにして、諦めてしまっていたかもしれませんから。もちろん、それまでの自分に落ち度がなかったら、あわてなくても到着していたのかもしれませんけどね。普段からきちんとしているに越したことはありません。

最後になりましたが、そんなダメ人間のメロスに対して、「走れよ」とだるく指摘する中学生の村田君の自由研究は、やはり核心を突いたいい研究なのだと思います。

そば屋の出前じゃないけれど、お腹が痛くなったり、電車が遅れたり、親が突然訪ねて来たりして、仕事はずるずる遅れます。一旦、始めれば、なんとか進み始めるのは経験で分っているのだけれど、その進み始めた先に、山賊が出て来ることも、濁流があることもまた分っている。だから一歩が踏み出せない。そんなとき、自分の背中を押してくれるのは、誰かに迷惑がかかるという思いと、天から聞こえる「走れよ」の声なんでしょう。

でも、たまには誰かに「走れ!」と言ってもらいたい時もあります。「君ならできる」といった感じですかね。

この年になっても、まだ甘えています。 仕事に戻ります。