橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

ニコニコ動画生激論「ベーシックインカム(キリッ」を見て考えたこと ~長いので気をつけて!!

2010-02-25 17:11:20 | メディア批評
ニコニコ動画で20日土曜深夜にやった東浩紀氏司会のニコ生激論
「ベーシックインカム (キリッ」。視聴者は最終的にのべ5万人弱。
ベーシックインカムという言葉が少しずつ知られ始めているとは思っていたが、
5万人近い人がこんな夜中に視聴するとは驚いた。
見ていた年代層はどういう分布なのかなあ・・・。

「ベーシックインカム」というテーマについては、
今後、議論されるべき重要なテーマであることは疑いもないが
自分自身、これまでテレビの仕事をやってきたというのもあるし
(もちろん偉そうなこという立場にはないし、
この3月いっぱいで辞める予定だが)、とりあえず今回は、
「ベーシックインカム」の是非はおいといて、
単純にこのニコ生激論が「番組」としてどうだったのかを
なんとなく考えてみた。

現在、ニコニコ動画にアップされるオリジナルコンテンツの中で、
報道系の公共性を帯びたものというと、大臣会見など、
編集や構成を必要としない(会見の場合編集あえてしないでしょ)ものが
ほとんどではないかと思う。
しかし、今回の「ニコ生激論」は、明らかに「朝まで生テレビ」を意識していて、
出演者も朝生に出演したことのある方が多数。
当然、途中でVTRが入ったり、生アンケートをとったり、
段取りもあれば、演出もあった。

この実験は、今後、ネット上での映像コンテンツ、特に報道系のそれが、
どういう形になっていくのかを考える上でも参考になったはずだ。
そこで、今回の番組が、実験的な試みということは分かりつつ、
あえて、見ながら感じた「違和感」など、批判的な意見を述べさして下さい。

当然のことかもしれないが、第一印象はよくも悪くも「素人くさい」。
いろんな仕切りにおいて、全体的にかなりグダグダな感じだった。
「そもそもテレビの素人がやってんだし、機材もないんだし、
 そんなことはどうでもいいんだよ。わかってないなあー」という
ニコ生視聴者の声が聞こえてきそうだ。
それに、私も「ニコ生」が地上波テレビ同様の段取りと演出を
きちっとやったところで、そりゃ違うんじゃないかと思う。
もともと予算的にも無理だし。

この50年間、テレビは「分かりやすく伝える」を追究し、
「見せ方」にこだわるあまり、その技に溺れ、
最も重要であるはずの「何を伝えるべきか」ということを
置き去りにしてしまった。
今回のニコ生激論のような番組は、テレビが置き去りにした
「何を伝えるべきか」を取り戻そうとする動きだろう。
だからこそ、あえて、「見せ方」なんかにこだわっちゃいけない。
私はそう思う。でも、でもだ、
なるべく多くの人に「ベーシックインカム」という聞き慣れない概念を伝え、
それについて議論する時、
「こういう不親切な感じってありなんだろうか?」とも思った。

まず、山森氏のベーシックインカムについてのVTRでの解説が
立て板に水で、入ってこなかった。
あまりにも教科書的な構成の解説で、生激論で語られる内容に有機的に
絡んでこない。今までテレビをやっていた経験からすると、
これは、スタッフの打ち合わせ不足のような気がする。

基本的な解説の他に、現在日本国内ではどういう問題点が指摘されてて、
どういった議論があるのかなど、論点となりつつあるポイントを
最初の方に一度整理してもらえると、その後の激論も分かりやすかった。
個人的には、財政的な部分でどういう議論があるんだろうとか思ってたので
そういう辺りの現時点での日本の論調をもっと整理して知りたかった
(ずっとつけてはいましたが、長くて深夜だったので、意識が飛んでて
頭に入ってなかっただけだったらすいません。もしくはつぶやきの方を
見てたとか・・・)

激論本体についていえば、悪く言うと、
「選民たちのサロン雑談」を感じる部分が結構あった。
難しい事を日々勉強する余裕もあるし、IQも高い人たちが、
突発的によくわからないことを言い出す。そして議論を支配する。
今回の視聴者には、それを一生懸命理解しようとする人も多かったとは思うが、
これには、拒否反応を示す人もいるのではないかと思った。

具体的にいうと、これは長々と展開された
ホリエモン&小飼弾氏のぶっとびトークのことを指しているのだが、
それに対し、ぶち切れるコメンテーターもいたほどだもの、
そうした状況も含めて、モニターで見せられている側は、
ちょっと心の距離を遠くしたのではないだろうかと、
老婆心ながら心配になった。

これまで、ネットの世界で自らの意見を述べる人のツールは
テキストが主流で、そこで活躍する人も活字メディアの人が多い。
活字メディアは、ある程度思考を巡らせた上で、
満を持して自分の意見を開陳できるある程度思慮深い世界だ。
それに対し、生放送の映像の世界は、時間の流れに支配され、
「しゃべりの上手さ」がモノを言う瞬発力の世界だ。
出演している人の中には、あまりそうした場で揉まれていない人もいて、
その得手不得手があからさまに画面に表出。
容赦ない弱肉強食の世界が繰り広げられてしまった。
これって、皮肉にも最もテレビ的な、それもテレビの悪い部分が
強調される展開になったってことだ。

もちろん、4時間近くにわたる議論では、
興味深い議論もいくつもあって、得る部分はあったし、
ここでは、あえて気になったことを挙げているので、
今回の番組を否定しているのではないことをお断りしておきます。
むしろ良かったと思ってます。
 
ところで、23日に行われた「アルファブロガーアワード2009」では
テレビとツイッターというテーマでトークが展開され、
USTやニコ生などのウェブの映像メディアのコンテンツは、
今のテレビコンテンツ的なるものを目指すべきではないし、
違う進化をするだろうというような意見が出されていた。
私もそういう気がする。

しかし、こうしたプレゼン(人にものごとを伝えること)を行う上での
「基本的な」スキルや考え方は、ネットであろうが、テレビであろうが、
予算があろうがなかろうが、そう違わないのではないかと思う。

今のテレビの報道のあり方に幻滅し、より公共性の高い話題を選び、
人々に訴えかけ、世の中での議論を喚起しようというのなら、
ウェブメディアにも、もっと分かりやすい解説と、
話の展開の工夫は必要になると思う。

ネット上では、時に、分からない人は分からなくてもいいんだよ的な
投げ出しが容認される(ような気がする)。
もちろん、それで良い場合もあると思う。
しかし、ネットが今後さらに普及し、放送と通信が融合し再編されていく中で、
利用者の裾野がさらに広がった時、
そうした意識はどのように変化していくのだろうか?

例えば、ベーシックインカムみたいな、マスメディアは採り上げないけど、
全国民が当事者となるような重要なテーマを採り上げようという場合。
まさに今回のニコ生のような場合。
それをムーブメントにしようという目論見があるなら、
より一般的な人にも伝える努力が必要なのではないかと思った。
また、東さんが主張されるように、将来的に、
SNSによる直接民主制をやってみない?って話になった時に、
全ての人々に基礎情報を届けるメディアとして
ネットの映像メディアが使われるようになった場合、
やはりそこには、もう少し伝えるためにスキルが必要なのではないかと思う。

テレビの世界にいて思うのは、
活字の世界の方がたくさんの情報を載せられる分、
また、映像コンテンツを作るという作業がいらない分、
考える事にかける時間も多く、より物事を深くとらえているなということだ。
テレビは、物事を深く考える以前に、やる作業が多過ぎるの。

だからこそ、テレビの世界以外の人から発せられる問題提起は重要だし、
現に、そういう活字メディアの人たちにコメンテーターという形で
頼っている部分も多い(そのコメンテーターの善し悪しは別にしてね)。

だから、今回のように、東さんのようなテレビの人ではない人が、
ものすごくテレビ的な田原総一朗の役割を試みる事は、
今後のメディアのあり方を考える上で、すごく試金石になると思った。

でも、それが、「テレビはダメだから・・・」というような
今のネット上の言論で主流になっている風潮にモロに乗っかって、
さらにその姿勢を尖鋭化させてしまったとしたら、
そこには、置き去りにされた人たちの憎悪が生まれるかもしれないと
危惧してしまう。

テレビの現場にいながら、どちらかというとネットや活字の情報に親しみ、
ネット上の有象無象の情報を、時には信じ、時には疑い、
常に話の種としてきた私は、
なかなか周囲の人間の共感を得る事ができなかった。
そして、職場で、なんだかひとりぼっちになった気がして、
この不況の時代リストラされるわけでもないのに、
今の職場を去ることにした。
それだけ、既得権を持つ層というのは、新し物好きを怪訝な目でみるし、
既にあるものに素朴な疑問を呈するものを受け入れない。
受け入れてもらうには、何らかの権威の冠が必要なのだ。
そして、そういう保守的な人々は、既得権を持つ層だけでなく、
何も持たない一般の人々の中にもまだまだ多く存在していると思う。
政治と金の問題以降の民主党の現在を見て、なんだか萎える私である。

そういう状況の今の日本で、
新しい考え方にはついていけねーよと諦め、
さらにはニヒリズムに走った人々が、ダークサイドに陥らないことを願う。
新しい考え方を伝える時には、
より熟考を重ねた伝え方を模索せねばならないと強く思う。

最後になってテレビの肩をもつようだが、
やはりテレビが50年かけて積み上げて来た「伝える」というノウハウは
バカにできないのだ。テレビの現場では、
上記のように萎えるような事もあるが、本当に多くの人が寝る時間も惜しんで、
どうしたらより「伝わるか」を一生懸命考えているし、
そのスキルは尊敬に値する。
そういう事実を差し置いて、「テレビはダメだ」と簡単に切り捨てる事はできない。
私なんて、考えるばかりで(ってそれほど考えてないけど)、
テレビという媒体に本気でのめり込めなかったから、
20年も続けてきたこの仕事を辞めることができるのかもしれない。
ある意味脱落者なのだ。

テレビが、もう少し、視聴率というものを柔軟に解釈していたら、
現在、違う状況があったかもしれない。
NHKの好調は、受信料が安定しているという制作費の問題だけでもないのだろう。
現に民放にもいい番組あるし。

テレビの側が、もうちょっとだけ、
「何を伝えるべきか」「何を伝えたいのか」ということに意識的になれば、
通信と放送メディアは仲良くできるのにと、
そんな大きなことなどどうする事もできない私は、
一人力なく、思う。

放送の中立性とかなんとかが、「伝える」の主語を消し、
テレビ報道は、判断を見ている側に任せるメディアになった。
もちろんプロパガンダメディアになってはいかんのだが・・・。
本当に難しい問題だ。

ニコ生を語りつつ、とめどなく語ってたらテレビの話になってしまいました。
すごい長くなってしまいすいません。

なんだかんだ言っても、これまでテレビをやってきたんで、
ネットのことはよく分かってません。
なんでもマニュアルを見ないでできる範囲しかやってません。
それで、偉そうなことは言えないかもしれませんが、
感じたままを書いてみました。
もはや論理的整合性もないんじゃないかと心配ですが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。

我はいかにしてツイッターで仕事を辞めしか~その2~

2010-02-23 15:20:55 | ツイッターで仕事辞めました~その後
2月20日アップ その1から続き>>>

 《ツイッター再開への道》

正月休みは、掃除だけで過ぎていった。
今の仕事を辞めるために、具体的な計画を練らなければと思っていたが、
考えはまとまらないまま、鬱っぽい気分で、
身体もだるくなんとなく10日間が過ぎた。
仕事を辞めることは去年の夏頃から考えていたにもかかわらず、
なかなかいろんなことを実行に移せず、
袋小路に入ったような気分になっていたのかもしれない。
これまで、日々の忙しさに追われて意識に上らなかった不安が、
正月休みに入って一気に吹き出したのだろう。

そして、何の進展もないまま、
次に、ツイッターという言葉を聞いたのは、1月4日。
鳩山総理が始めたというニュースが報じられ、
谷垣さんが「私はつぶやかない」と言った記念すべき日だ。
政治家がツイッターをやることの是非が語られ、がぜん興味が湧いて来た。

そういえば、オバマ陣営も選挙でこのツイッターを活用したはずだ。
報道の現場にいて、オバマ就任式には、冬休みを投じ自費で駆けつけた私が
(もちろんチケットは取れず、遠―くで見てましたが)
ツイッターにこんなに疎くて大丈夫か、と突っ込みながら、
そして、去年の年末に聞いた、
『ツイッター面白いらしいよ』の言葉を思い出し、
ツイッターを再開してみようかと思った。

とにもかくにも、鳩山由紀夫ツイッター開始の翌日1月5日、
私の第二のツイッター人生が始まった。

メモっておいたIDとパスワードを確認し、ログイン!
使い方はまだ勉強していない。
とりあえず、昼だったので『昼休み』とつぶやく。

手元には、新書「ツイッター社会論」「ツイッター140文字が世界を変える」
とりあえず、字が少ない後者をマニュアル代わりに読み始める。

「フォロー」という事を知るが、誰がツイッターをやっていて、
どうやったらフォローできるのかわからない。


 《『フォロー』と『返信』の発見》

とりあえず、「友だちを検索」をクリックしてみる。
そして、その中の「おすすめを見る」を開いてみたが、
既に莫大なフォロワーを擁するツイッターセレブの顔ぶれにはあまり惹かれない。
そこで、ふと思いついた近所のショップの店名を友だち検索の窓に入れてみたら、
なんとツイッターをやってた!早速フォロー。
近くのラーメン屋のラーメンが好きだとつぶやいてたので、
「今度行ってみます」と返信しようとして、返信方法を探る。
カーソルを適当に動かしてたら、
つぶやきの右下に『返信』という文字が現れた。

おー、早速クリック。

つぶやき窓には、相手の@アカウントに返信しますと出てくる。

おー、簡単だあ!

で「今度行ってみます」と返信。

すると、しばらくして「海の家みたいな味で、また行きたくなる」旨の
返信が帰ってきたんですねえ。
知ってる人からとはいえ、なんだか繋がってる感を感じて、
ちょっとほっこり。

一人暮らしというのはご近所づきあいが希薄で、
私のようにテレビの仕事なんてしてて帰りの時間が遅いと、
地域社会を感じる事はほとんどない。
このところ、近所に若い人が始めた小さなお店が増えてきて、
そういう店に顔を出して、ちょっとだけお話しなどするようにしているが、
まだまだご近所さんの域には達しない。
せっかく、谷中根津千駄木いわゆる谷根千に近い地域に住んでいるのに
もったいないよねえ・・・なんて、小さな幸せを感じつつ、
ツイッター再開翌日にして小さな喜びを感じることができたのであった。

しかし、私はまだまだ、このツイッターとは何かを理解してはいなかった。

その3へ続く>>>


ちょっと一休み 小売店礼賛 地域社会復活に向けて

2010-02-22 16:20:22 | Weblog
「我はいかにしてツイッターで仕事を辞めしか」の続きを下書きしてたら、
どんどん長くなっていって、なかなかアップできないので、
口休めにちょっと別のことを載っけます。

それは、近所の商店街の小売店について。

私の実家は、地方の商店街の中にある小売店で、
ここもご多分に漏れず、シャッター商店街です。
こうした商店街は、コンビニや巨大スーパー、ユニクロなどにおされ
東京の一部の商店街を除いては、
風前のともしびのところがほとんどでしょう。

私の住んでいる地域は、今時流行の谷根千(谷中根津千駄木)の隣接地域で
今をときめく谷中銀座商店街など、こうした小売店が比較的元気な地域。
活気があると、さらなる企業努力も行われるというもので、
私は、そうした小売店の恩恵に浴しながら日々生活しています。

そして、そうした日々の生活の中で、
小売店の良さを実感し、これからの世の中の変化の中で
小売店の復権を願ってやみません。
というのも、小売店のある生活の復権は、
地域社会が生き返るためには必須だと思えるからです。
それに、小売店って凄いんです。

ひとつ、小売店で「これは凄い!」と思った事例を挙げます。

駅の近くの商店街にある肉屋さん。
有名俳優がそこのメンチカツを絶賛している評判の店ではあるのですが
そのメンチのお味以外にも、私がその店に通う理由があります。

それは、そこのじいちゃんです。

その店は、そのじいちゃんとその息子さん(かな?)夫婦とその娘さんらしき人が
交代で店番をしているのですが(多分)。私が行った時にはほとんど
じいちゃんがいて、「今日は何にしますか?」と応対してくれます。
まあ、それは普通のことなんですが、私が驚愕したのは、
そのじいちゃんが持っている「技」です。

もしかしたら、これはたいていのお肉屋さんなら
みなさんできることなのかもしれません。
でも、他の肉屋では気にしたことがなく、
この店で初めて気付いて、それ以降この店に通っているので、
他の店のデータは今のところありませんのであしからず。

前置きが長くなりました。
で、そのじいちゃんがもっている技とは何かというと・・。

ステーキを切る技です。

ある時、徹夜明けの仕事を終えて帰路についた私は、
地元の駅に降り立ち、急にステーキを食べたくなりました。
とはいえ、高級店に行くほどお金もないので、
駅前のスーパーで700円のワインを購入、
その足で、その肉屋へ向かいました。

その日も店番はじいちゃんで、「今日は、何にしますか?」といわれ、
自分としてはちょっと奮発の100g840円のプレートを指して
「これを150g下さい」と言いました。
じいちゃんが「どのへんがいい?」と聞くので、
「脂は少なめで、赤身のところがいい」と答えました。
肉の部位も好みで切ってもらえるのも、小売店の良いところです。

そして、冷蔵庫から大きな肉の塊を出してきたじいちゃんは
使い込まれた肉切り包丁で、おもむろに肉を切りだしました。

切り取られた一枚のステーキは、まさに赤身の部分で
旨そうな色をしています。そして、じいちゃんはそれを、
どこの肉屋にもあるあの電子計りに乗っけました。

緑色のデジタル表示は「154g」。

って、さらっと書いちゃいましたが、これ凄いと思いません?
目分量で切って、形も良い感じのステーキの形で、
厚さも1,5cmくらい。それで、たった4gの誤差!!!

なんか、感動の瞬間でした。
そのじいちゃんがずっと肉屋をやってきたプライドみたいなもんを感じました。

そして、その肉を、あの発泡スチロールプレートではなく、
蝋引きの紙にのせ、包装紙で包み、輪ゴムで留める。
昔ながらの肉屋の仕様です。これの良いのは、しみ出た肉汁が溜まらないと。

そして、じいちゃんは、
「この肉はあんまり焼きすぎないでね。生でも食べられるから。」と
私に助言して、肉を渡してくれました。
肉の包みは、薄い透明のビニール袋に入れられただけで、
私の既に持っていた買い物袋の中に収まりました。
エコですよねー。

もちろん、この店のお肉がおいしいことは言うまでもありません。

ここに書いたことは、全然普通のことですが、
こんな些細なことに、人間って喜びを感じてしまうんですよね。

このじいちゃんとの間では
「今日のおかずは決まりましたか?」「今日はなんにする?」と
会話するところから買い物が始まります。
一人暮らしが長いと、こうした人の生活にちょっと立ち入る感じとは
無縁でしたが、このちょっと立ち入る感じがあった方が
日々の生活は楽しくなるなという気がしています。

そして、「匠」とは全く無縁と思えるような
町の小売店にも「匠」を感じさせる事例は転がっているのだなと
今更ながら、働く人に敬意を表さずにはいられなくなるのでした。

もちろん、大型店の裏方でも、いろんなこだわりをもって
働いている人はいっぱいいると思います。
大型店が全くダメというのではなく、今後、大型店も
こうした地域との関わりを重視した販売姿勢を表に出せるようになるといいなということです。本社のマニュアルに縛られず、臨機応変に地域のニーズに対応していける
大規模店の新しいあり方を臨みます。

でも、小売店っていいよ。みんな小売店に行こう!
もちろん小売店の側のさらなる努力が必要ですが・・。

私の実家のような田舎の商店街の再生については、
また別の問題があるように思います。
それについてはまた改めて考えようと思います。

わー、ちょっと一休みと思ったのが、十分長くなってしまったー





我はいかにしてツイッターで仕事を辞めしか ~その1~

2010-02-20 19:58:26 | ツイッターで仕事辞めました~その後
深夜帰宅して、このブログを開いて驚いた。
なんと、19日の訪問者数が1580IP 閲覧数が2629PV!!!
アクセスランキングは、136万ブログ中なんと160位!!!
これまで多い日で訪問者は100IP行けば良い方
アクセスランキングなんて、いつもランク外だったのがこれである。
理由は当然ツイッターだ。

昨日のブログを読んでいただければ分かるが、
昨日、私は、ツイッター上で、
浅草キッドの水道橋博士宛に、このブログのアドレスを添付して
あるつぶやきを返信した。

  @shakase ちなみにブログにこんなの書いてます。
 『ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?』
  http://mjk.ac/q3J2vm 
  仕事辞める時、後先考えずバカかと言われました。
  誰か、私にバカじゃないと言ってー。
   約1時間前 webで

これを博士がRT=リツイートしてくれてフォローが激増。
150ほど増えたから、ブログのアクセス数も増えるだろうとは思っていたが、
ここまでとは思わなかった。すごい、ツイッター!

先日の記事「私ツイッターで仕事辞めました」には、
実のところ、なぜツイッターで仕事を辞めようと思うに至ったかは
書かれていない。
現在のテレビ業界の居づらさや、将来への不安を、
辞める理由として挙げているだけだ。

そこで、今回は、ツイッターを本格再開した年初から今まで1ヶ月半の
私のツイッター体験中心にを紹介したいと思う。
ツイッターの告知からこのブログにやってこられた方は
もう、分かりきった事も書くかもしれないが、
まだ、ツイッターをやっていない方も読者にはおられると思うので、
ご容赦ください。ただ、いちいち丁寧に語句説明などはしてないので
分からない方は、ググったりして調べてみてね。
というわけで、私のツイッター体験→→→

私がツイッターに登録したのは、実は去年の6月だ。
イランの大統領選挙が行われ、デモの状況を国民が
「ツイッター」というメディアで国外に情報を発していると知って、
早速登録した。そして検索窓に、
適当に iran electionなどのキーワードを入れてつぶやきを検索した。

自らのつぶやきは、最初にひとつぶやき。
「いまなにしてる?」に答えて
「I am working in our office」とかなんとかつぶやいたきり。
それから半年、まったく私はツイッターのことを忘れていた。
最初の時の印象は、いろんなひとのランダムなつぶやきがただ並んでいるだけ。
最初から情報検索目的で、使い方もろくすっぽ学ばず、
他人のつぶやきを読んでただけ。基本の「フォロー」さえ知らなくて、
自分のTL=タイムラインには自分の初つぶやきだけがぽつんとあった。
その時の私は、ツイッターでコミュニケーションができることさえ
把握していなかった。

ツイッターについての新書が書店に並び、
それを購入するほうが先だったか後だったか、
去年の年末、ツイッターは再び私の前に現れた。
知人と3人で忘年会と称してお好み焼きを焼いてた時のこと、
うち一人が、『○○がツイッターおもしろいって言ってたよ』とぽつりと言った。
半年前から塩漬けにしてた私は、
『うーん、そうかなあ。あんまりそうとも思えないけどなあ・・。』
そう言ったきり、ツイッター話は終わった。
ただ、○○が言ってたという事にはちょっと引っかかっていた。
○○さんとはMac信者で、IT関係の話には20年前から詳しかったからだ。

(長くなったので、分けて掲載します。
 その②は少々お待ちください。  その②に続く)

今日もツイッターの話題ですが・・やっぱ凄いかも

2010-02-19 03:33:42 | ツイッターで仕事辞めました~その後
水道橋博士の「博士の異常な鼎談」のツイッターの回
前編(ゲスト津田大介氏)をyoutubeで見たのだが、
博士がツイッターにハマっていく過程が、自分の体験と似ていたので、
勝手にシンパシーを感じて、博士宛に以下のような返信してしまった。

その時の2つのつぶやきがこちら>>

@shakase ちなみにブログにこんなの書いてます。
『ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?』
http://mjk.ac/q3J2vm 
仕事辞める時、後先考えずバカかと言われました。
誰か、私にバカじゃないと言ってー。
約1時間前 webで

@shakase 「鼎談」見ました。私も半年放置後twitter再開。
『「新世紀メディア論」ありがとうございます』と
小林弘人さんにつぶやいたら、即『こちらこそ!』と返信!
記者クラブ問題つぶやいたらフォロワー増、
勇気出て今の仕事辞める決心してしまった報道系のテレビ屋です。
twi心中

この2つをつぶやいて、10分か15分経った頃からだろうか
突然、フォロワーが増え始めた。
もしやこれは博士がRT(リツイート)してくれたのかと思い
確認したら、まさにそうだった。

RT=リツイートをご存じない方のために説明すると。

私が送った上記のつぶやきを、博士が引用して、
自分のつぶやきとして発信してくれたという事だ。
博士のつぶやきをフォローしている人、もしくは
博士のつぶやきを見に訪れた人のところには、
この引用された私のつぶやきが届くというわけ。

それで、興味を持った方が、このブログの
『私ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?』
のページを訪れてくださったようで、
私のツイッターアカウントの方に、ブログを読んでの励ましの言葉が
たくさん届き始めたのだ。
つぶやいてから2時間でなんと60人近くがフォロー!
同業者(テレビ関係)の方も何人もいて、
同じようなことを考えてる人いるんだなあと、なんだか心強くなった。

仕事を辞めると決めて、残り少ない現在の職場での日々を過ごす現在
ちょっと将来について不安になったり、
テレビに対する未練を感じたりすることもある今日この頃。
またまたツイッターに救われてるなあと思った次第。
本当はツイッターを使って、私の言葉に反応して下さったみなさんに
救われたというのが正しいのだが、
それにしても、こんな仕組みを作ったツイッター創業者、すごい!
匿名だからいくらでも言葉をかけられるんだと
おっしゃる向きもありましょうが、
それでも、心強いことに変わりはない。
あとは、調子に乗らないで冷静になるだけだ。

このツイッターのいいところは、
ツイッターにハマる事で、
バーチャル空間に現実逃避してしまうというのではなく、
この空間で共感を得たり、意見を交わしたりする事で、
現実世界でも挑戦する勇気が湧いたり、やる気が出たりする事だ。
また、実際にツイッターからつながって、現実に知り合いとなり、
共にプロジェクトを立ち上げたりということもあるらしい。

自分のことを、別な角度で振り返れば、
現実の厳しさがまるで見えなくなっているという見方もできる。
今の仕事を辞めて、新しい事始めてみたら、
現実世界はさすがに甘くなくて
食い詰めてしまうということだって十分ある。
しかし、仮にそうなったとしてもだ、
現在、私のタイムライン上で繰り広げられるつぶやきの多くに
世の中を少しでも良くしたいという思いが感じられる
という点だけでも、このツイッターに背中を押されて、
新しい一歩を踏み出す価値があると思えるのだ。

なんだか、夜中に書いてるせいか、
ちょっと酔った文章になってるかもしれません。
何割か割り引いて読んで下さい。



ツイッターは下克上のツールか?

2010-02-16 02:32:14 | ツイッターで仕事辞めました~その後
今日、ルーマニアはブカレストの方からフォローされた。
これまでにも外国人からのフォローはあったが、
ネットワークビジネスっぽいものだったりして、
適当にほかしていた。
それが、今回はなんと日本のことを
世界に発信するブログをやってる人で、
かなりな日本通。
実は、私もウェブで日本を世界に発信したいと
思とったところで、
そんな時なぜこの方が私をフォローしてくれたのかと、
勝手に運命を感じたりした。

それにしても、彼女はどうやって私のつぶやきに遭遇し、
フォローしようと思ったのだろう。
彼女のブログは英語で書かれている。
私はこれまでほぼ日本語でつぶやいてる。

世界で2500万人とか3000万人とか
やってると言われる中、こうして出会うなんてねえ。
ツイッターすげえわ。

ツイッターをマーケティングツールと考えている人は
他にもいろんなフォロワーの付け方発見してんだろうなあ。
たしか、周辺地域でつぶやいてる人をチェックするのもあったし。

とはいえ、ツイッターをやってて強く感じるのは、
まずマーケティングありきでは、
この世界では生き残れないということだ。
主張や考えがまずあって、
もしくは絶対的なおもしろさという
核があってこそのツイッターなのだ。

そして、つぶやいてる人の顔が見えてこなければならない。
もちろん、ハンドルネームでやっている人は多いが、
自分の素性を必要以上に隠した発言しかしないものには
あまりフォローが集まらないし、
自分の意見が明確でないモノはスルーされる。
ツイッター上では、中立性というのは必ずしも重視されない
(もちろん物の見方の公正さというのは必要だが)。

そして、この個性が前提となる点が、
匿名組織であるマスメディアと違うところだ。
マスメディアのつぶやきはニュースフィードでない場合
かなり思い切った発言をしない限り、
共感を得づらいと思われる。
TBSラジオのKiraKiraやLifeは
組織なんかぶっとばせの勢いで
ぶっちゃけてるからツイッター上で評価を得ている。

ツイッター上ではマスメディアと個人の力関係が
逆転している。
マスメディアでも今、
ツイッターの活用法をいろいろ模索しているようだ。
しかし、今のまま、誰が物事を決めているのか全く分からない
個人の意見が見えてこないシステムのままでは、
マスメディアがツイッター上で勝利することは望めない。
もちろん、ツイッター上でなど勝利しなくてもいいのかもしれないし、
ツイッターなど、まだまだ一部の人々の関心事なのかもしれない。

ただ、ツイッターを日々やっていて感じるのは、
個人の言葉を武器にした人々が、今ツイッターというツールを得て
マスメディアに勝負を挑んでいるということだ。
日々のツイッター上でのつぶやきの連鎖は、
あたかも薩長同盟前夜の密談のようにさえ感じられる。
ただ、そうした改革の空気にあおられて、
言説が暴走していると感じられることもあるし
それが、変な方向に行かなければいいが
という危惧を感じることもある。

ツイッターに看過されて、
仕事まで辞める決意をした私が言うことではないかもしれないが、
やはりいつでもどこでも冷静さは必要とされるということも
ツイッターのタイムラインを見ていると感じるのだ。
もちろん、それは熱い思いがあった上での冷静さであるが。

ツイッターは下克上のメディアか?

坂本龍馬ブームの昨今。
あのときの失敗、あのときの真実を
今一度しっかりと見つめ直し
今の新たな時代の到来を冷静に見つめたいと思う
今日この頃なのだ。

この文章、具体例が書かれてなくて、
何のことを言ってるか分からなかった方、
是非とも、一度ツイッターでどういう議論が行われているか
見てみてください。




私ツイッターで仕事辞めました。ツイッターは罪作りなツールか?

2010-02-13 02:00:21 | ツイッターで仕事辞めました~その後
鳩山総理がツイッターを始めたあたりから、
急激に世の中のツイッターブームに火がつきだした。
もちろんもっと前から流行る所では流行っていたのだが、
おじさん週刊誌もツイッター攻略法を載せるまでに流行り始めたという事だ。
私の職場である、テレビの世界でも、ツイッターツイッター言い始めた。
テレビは世の中で最もネットを無視している世界と言ってもいいが、
それが、ツイッターに注目し始めたのだ。

何を隠そう、このツイッターブームに影響されているのは
まさに私自身である。
そして、タイトルにも書いたが、ツイッターによって妄想を抱き
大変な決断をしてしまったのも私である。

私は、ツイッターでのコミュニケーションの面白さに背中を押され、
なんと、今のテレビの仕事を辞める決心をしてしまった。
ツイッターの面白さと仕事を辞める事がどう関係すんの?と
疑問にお思いだろうが、自分の中でそういうことになっているのでそうなんだと思う。
あえて、かなりおおざっぱに言えば、ウェブの可能性に賭けてみたいと
安易にも思ってしまったわけだ。

今の閉塞感いっぱいのテレビの現場で、自分の立場の弱さと
意見を言えば言うほど、居づらくなる空気を感じながら
社外スタッフである自分がここで働く事の限界を感じていた。
時まさに大不況、これからはメディア受難の時代である。
ずっと、いつ辞めよういつ辞めようと考えてはいたのだが、
新しい食い扶持も明確でなく、なかなか踏ん切れないでいた。
それが、このツイッターでのやり取りを通して、
どうしたことか、辞める!と思えたわけだ。
毎月の決まった収入もなくなるし、
私は、自分の賃貸住宅の家賃の他に、毎月実家の住宅ローンも払っている。
それでこの不況の折に今の仕事をを辞めるなど、
そんな常識はずれなこと、本当に大バカものである。
実際に今の番組のプロデューサーからは、「バカか」と言われた。

でもそれもすべてツイッターのせいである(笑)。
ここは、すべてツイッターが悪いんだー、ということにして
とりあえずは先般法律が通過した、「住宅ローンモラトリアム」を
銀行に申し込みにいかねばなるまい。収入なくなるんだからさ、当面は。
せっかく報道局で働いていたのだ、自分たちがニュースで報じた政策を
実際に、身をもって利用させていただこう。

もちろん、「あんたは派遣切りとかじゃないんだから」とか言われるかもしれないが、
今自分から辞めなかったら、テレビ局がもっと業績が傾いた時、
突然、辞めてと言われる可能性だってなくはないのだ。
私なんてアラフォーだから、ギャラも結構高い方みたいだし、
それに、国際情勢とか一生懸命専門家の話聞いたりして勉強しても
結局、支局と違う見方を提示したら、ぜんぜん採用されなくて、
かえって、そのへんで意見を言うとめんどくさがられるくらいなもんで、
今、雇用が確保されてるからって、いつどうなるかは分からない。
だから、状況がもっと悪くならないうちに先手を打つまでの事。
テレビ業界が縮小する事くらい、政府も分かってるでしょうに。
で、新しく起業するために一時的に家計が苦しくなるから、
1年間くらい住宅ローン猶予して下さいって言う話で、
それを断る理由は政府にも銀行にもないだろうと思う。
社員じゃないんだからというところを強調したい。保証されてないんだよオレは!
今、辞めないで、テレビ業界全体の状況がもっと悪くなってからあわてて
住宅ローン猶予してくださいなんて話になったら、その時の猶予はもっと
長引く可能性だってあるんだから。ね!そうでしょ亀井さん!そして銀行の皆さん。

と、勢いでここまで書いて来たが、
そんな事言ってたら、先週の大河ドラマ「龍馬伝」の、
吉田松陰が、無謀にも黒船に乗り込もうと企てて、
結局失敗して捕まってしまうシーンを思い出しちゃったじゃないか。
冷静な方の自分が、バカの方の自分に
「おまえ何一人でテンション高くなってんだよ、どうかしてんじゃね?」と
今、ささやいている。

ああ、私もこんな無謀な企てをして、生きて帰って来れるのか?
無謀な企てっつっても、ここまでの文章の中で、その企てについては
まったくといっていいほど触れていない。
お前はどんな壮大な事を企てて、そんなに熱くなっておるのだと突っ込みを入れられそうだ。
はい、まだその企てについては、言えませぬお代官様許して下せえ。
黒船にのるくらい壮大なことだということだけ吐きますぜ。

こんな深夜に、おかしい頭で分け分かんない事を吹かしてすいません。

とにかく、私、ツイッターで仕事辞めました。

とにかく、新しい仕事を立ち上げなくてはなりません。
住宅ローンモラトリアム申請については、先々身を以てリポートできればと思います。
また、事業計画を書いて、国の融資にも挑戦しようと思います。
旧・国民金融公庫、現・政策金融公庫の創業融資を受けられるのか、
もうこうなりゃ自分自身がネタです。
この大不況の時代、裸一貫でどこまでやれるか、ツイッターとブログでつぶやきます。
乞うご期待。とりあえず、明日は勉強会です。

あーあ、ツイッターはやはり罪作りなツールか?
私の頭がおかしいのか。後者の様な気もするが、
もう決めたんですから、そんな事言ってる暇はない。
こうして、皆さんに訴えることを心の支えに、
少しの人でも幸せな気分にできる仕事を始められたらと思います。

そーだ、貯蓄も少ないので、起業までの間にライター仕事とかありましたら是非!
報道情報系放送作家もやれます。
乳がん体験も語れます。切らずに6年です。体験談書こうと思てます。
って、そんな都合のいい仕事なんてあるわきゃないとわかってはいますが
一応お願いいたしますという事で

ツイッター心中!!