橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

風をあつめて

2015-10-18 09:57:24 | ガン

生きながらえるために大切なのは

自分の周りに深刻な空気を纏わない

ということのような気がしています。

 

それは風の流れの中にあるということ。

常に自分の身体もよどみなく流れる状態にしておくということ。

 

そんな私が今最もやらねばならないのは…

「部屋の掃除」です。

私、片付けられない女なのです。

 

ものを減らして、部屋の風通しを良くする。

部屋がすっきりすれば、私のがんも消えると

ちょっと本気で思っています。

 

なら、早く掃除しろよ!

心の声はそう叫んでいますが、

ああ、何が私の身体が動こうとするのを邪魔するのか…。

 

怠惰の虫はなかなか駆除するのが難しい。

これもガンと同様、うまいこと飼いならさねばなりません。

 

木枯らしや ダスキンサービスマスター雇う 金も無し

                               バカボンのオバ


最近、世の中にがんの話題が多いので、ついつい自分のことも語りたくなってしまう

2015-10-18 00:38:03 | ガン

乳がん再発と言われて、一時はかなり深刻な気持ちになったものの、はや慣れてしまい、ガンだか何だかよくわからなくなっている私。多くの人はガンになったことをきっかけに新しい人生をみつけるのに、どうも私はそれさえもぐずぐず。がんを特別視しすぎる世の中に疑問を感じているから、自分のことも特別視したくなくて、ぼーっとしているのかもしれない。「闘病」という言葉を使いたくないのもそんな気持ちの表れ。でも、もう少し真剣にならないと、いつか痛い目を見そうで、自分の怠惰な性格もときどき嫌になるけど、もうちょっとだけ真剣になった程度でいいかなとも思っている。

今日、本屋で「ひとりぐらしも何年目?」というコミックエッセイが置いてあって、そうか、ひとりぐらしというだけでもネタになるもんなんだなと思ったのだが、このくらいのノリで「がんとのくらしも何年目?」みたいなものを書いてみないなあと思った。

「闘病記」というほどのことはしてないし、これが効きますみたいな治療法案内は意味が無いと思っているし、書けるとしたら、「がんという状況」に翻弄される私の右往左往くらい。そして、その右往左往はハタから見たら多分、バカボンのパパみたいなんじゃないかと思う。

「あの女医さんは怖いのだ。マンモやらないと診ませんと脅すのだ。マンモなんて嫌だったんだが、一瞬ひるんで思わず乳挟まれたらものすごく痛かったのだ。おかげで、皮膚がポツポツと赤くなって、多分、がん細胞が広がったのだ。でも、我が輩、お菓子をやめて、毎朝神様に祈っていたら、赤いのがどんどん消えてきたのだ。これでいいのだ。」

まあ、41歳の春もとっくに過ぎて、バカボンのパパよりもっとバカになってもいいはず。もう頭おかしいひとになっちゃおっかなーなどと思う40代も終わりに近い晩秋なのであります。

携帯大喜利見たら、サウナ入って寝よー。
明日はカラオケ後、ゴスペルワークショップ参加。
声出してミトコンドリア活性化してきます!

目下の目標は楽して稼いで、がっつり休む。
でも道は遠そうやなあ~、というのがフリーランスのがん患者の現実なのでありますわ。

最後に一応一言。私がこれだけのほほんとしているのも、自分の身体についていろいろ真面目に考えた末のことではあります。

 


乳がん検診について思うこと~今日からピンクリボン月間だが…

2015-10-01 01:19:53 | ガン

今日から乳がんのピンクリボン月間。正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進する啓発キャンペーン期間だ。それに先立ち、ライブドアニュースでこんな記事を見つけた。

「北斗晶の影響力に医療関係者が驚き。公表後、乳がん検診5倍の病院も」http://news.livedoor.com/article/detail/10638582/

自らも乳がん保持者である私はちょっとこの記事に違和感がある。そんなに検査ってすればいいもんでもないだろってこと。あくまで、私の体験からの実感、経験値とリサーチなどからの知識による判断だが、そのへん書くことにした。万人にあてはまるものではないとも思うので、あくまで参考までですが。

乳がんの予防は、まずは自らによる触診が基本だ。触診をやって何にも感じない人は、特にマンモグラフィーとかはやらないほうがいいと思う。国際標準で40歳未満の人にはマンモは意味が無いというデータも出ている。どうしてもという人は専門の先生による触診と超音波検査までにしといたほうがいいんじゃないだろうか?自らの体験からもそう思うし、その体験から言えば、40歳以上だって、まずは触診と超音波と思っている。

以下は私のマンモグラフィー体験。

去年、乳がん再発の気配があった時、急に痛みが出た日があって、いつもの担当医がすぐに見れない状況にあったため、近くの大学病院に行ってみた。マンモは嫌だなあと言ったが、やらないと見ませんと強い口調で言われ、その時は私も心が弱っていたので、我を失ってマンモをやった。しかし、これが失敗だったと今は後悔している(その時点でもマンモは意味ないと思っていたのに、本当心が弱ってると、人は思いもかけない行動に出るとつくづく思った)。というのも、やはりマンモはすごく痛くて、さらに放射線も当たるので、がん細胞に刺激を与えてしまったのではないかと思うのだ。この後、急に、私の乳がんは、再発しているだろうというのが外からもはっきり分かる程、皮膚が赤くなり、ちょっとポツポツと蚊に刺されたようなぶつぶつができてしまった。このぷつぷつは多分がん細胞じゃないかと、その後訪れた、現在の担当医も言っていた。

にしても、この大学病院の女医さん、40代以上はマンモは意味ないというのが最近の国際的定説であるにもかかわらず、再発疑いの45歳越えの私にマンモやらないと診ないなどと脅すのは、今考えるとヒドい。結局、彼女、そのマンモの画像からは判断出来ず、そのあと撮った超音波の画像で判断していたのだから、噴飯ものだ。マンモって被爆する割りにはその程度なのだ。

その後、必死の糖質制限(糖はがんの栄養分だから)と温熱療法などで、蚊に刺されたようなプツプツと皮膚の赤味は随分治まってきたが、この経験で、検査もそんなに頻繁にやるのはどうかな…と思うようになった。ちなみに、現在の担当医のもと、ホルモン剤も一ヶ月だけ飲んだが、やはりがん細胞に耐性がついては嫌だと思い、自分の判断でやめた。とある大学病院の乳がん細胞のホルモン剤耐性発現についての論文をネットで見つけたせいもある。まあ、それだけでは判断出来ないことも分かってはいるが、やはり直感も含め、やめることにした。

私は10年前の初発のときに放射線治療で腫瘍を消していて、その後、何度かpet検査もやっているので、放射線を結構浴びている。その上、4年前の原発事故で東京にも一時放射性物質がやってきていた。検査の被爆は大丈夫とはいうけれど、何度もやってるとやっぱり良くないんじゃないかと思う。

最後に一言。誤解を恐れずに言えば、私の再発は原発事故と遠い所で関係しているのではないか…。その思いが払拭出来ない。

ちょっと話は飛ぶが、私の再発がわかる半年前、上野公園の大木が雪でバキバキに折れていた。例年にない大雪だったとはいえ、そのまっぷたつになった折れ方は尋常ではない感じだった。もちろん、公園の木の老朽化もあると思う。しかし、その姿を見た時、なんとなく、これは原発事故のせいじゃないのか…という思いがよぎった。事故の翌年の春は東京中、とても植物の成長が旺盛だったのを記憶している。しかし、3年目、4年目となんだか公園の草木は元気がなくなっている気がしていた。そして、なんとなく自分の身体にも同じようなことが起こっているのではないかと、無意識と意識の半々の所で感じていた。

陽子線治療を行ったなかにし礼さんのガンが再発したり、北斗晶さんのがんの進行がここ1、2年と急速だったりするのを見るにつけ、その思いはどんどん拭えなくなっている。

検査とはいえ、被爆は被爆。放射線を使う検査は、むやみやたらにやらずに、最後の手段にすべきではないかと思っている。