橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

10月25日(木)のつぶやき

2012-10-26 03:27:54 | ツイッターつぶやき

マックのカウンターのレジ横のメニューがなくなってる。頭の上のボードメニューだけになったと店の人が言ってた。アメリカはそうだよね。なんかどんどんアメリカ51州になってる感じがする。昔はマックって結構綺麗だったのに、最近は場末感ただよう感じがするし。。

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都知事会見どっかで見られるのかな?


猪瀬直樹都知事ってこと???

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地方行政の長が決起することに明治維新みたいなカタルシス感じて陶酔してんじゃねえの?特に、橋本、石原の名前にぶら下がってついてってるようなマイナー知事とか議員にその匂いが強い感じも。明治維新って開国しちゃうってことですから。さらに食われんじゃないの?外国に

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都知事選、もうドクター中松にいれちゃおうかな・・・とほほほほ



10月18日(木)のつぶやき

2012-10-19 03:27:19 | ツイッターつぶやき

私は暖房はガス派。換気をちゃんとすれば火鉢も。冬は電気不足するわけない。RT @masaru_kaneko 北海道電力は冬場の電力不足キャンペーンで泊原発再稼動を主張。しかし北本連系線という本州との融通経路から60万KW融通可能。最大不足21万KWを上回り、泊の再稼動は必要ない。


夏、空気を冷やすのは難しいが、冬、空気を暖めるのは火があればいいだけ。冬の暖房の方が簡単なのに、電気使ってわざわざ暖房を非効率なものにしてる。薪やペレットのストーブ、火鉢などを見直すべき。そしてそれが使える住環境にしてゆくべき。とりあえずはガス暖房。そしたら泊原発再稼働は必要ない

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@lycheelychee デパートなんかに入る時、捨ててある方の傘袋をとって使ったりします。たしかに一度じゃもったいないですよね。使い捨てってなんか貧乏臭い感じするし。


@koie 効率のことだけいってるのではないです。木の利用森の利用も含めた地球環境の再生も含めてエネルギー問題を考えると、そのほうがいいかなあと。エアコンは空気が乾くし、そのためにまた加湿器いれたり電気を使う。ストーブでお湯沸かせば湯気も出て一石二鳥なのに。換気いいではないですか



10月17日(水)のつぶやき

2012-10-18 03:27:42 | ツイッターつぶやき

あー、今回の朝ドラは朝から見るのは疲れるなあ。「プロフェッショナル」の遊川和彦の回見たときは期待したけど、あれ見たせいで逆に過剰感を感じるのかも。全てが過剰で現実のデフォルメ。黒い橋田壽賀子って感じか。家政婦のミタも女王の教室も見てないが・・・。



10月15日(月)のつぶやき

2012-10-16 03:26:08 | ツイッターつぶやき

これはすごく楽しみ!RT @hashimoto_tokyo 『芸術新潮』縄文特集(10月25日発売)には東日本/西日本それぞれの動向を分けた年表を載せる予定です。


今日は特用林産振興会というところの決めたきのこの日だそうで、特用林産って?と思っていたら、木以外の森でとれるきのこや山菜や木の実などや炭などの森由来の生産物を特用林産物というのだそうな。森の恵みを見直すべき今、特用林産物注目です!nittokusin.jp/wp/


@ayuasano うわー、懐かしい。私はこのアルバムもってないのですが、YOUTUBEとかiTuneで聞けるんでしょか?


あー、もうすぐ新月だ。といっても、もはや月は地平線の下。21:03が新月の瞬間です。にしてもお腹減った・・・。


維新の会と握手する各政党のトップとか、キモいな。今、政治家が最もありえねー人々になりさがっちょる。政治部記者とかも橋下徹になめられまくりな気が・・。維新の動き分析して何になる?政局報道して何になる。誰が総理になるかは大切だと言うけど、そいつが総理になって何をやるのかのほうが大事。

中村有里 YURI NAKAMURAさんがリツイート | 2 RT

@daicha05 珠洲で里山保全されてるんですね。さか本へたまに行きます。大野製炭所の炭たまに買います(しばらく買ってませんが)。能登はいいとこですよねー。また行きたいです!


@daicha05 そっか、すいません。大野さんといらしてたかたですね(汗)。アルファベットだと??となってしまって。最近睡眠不足でネジが切れかけております。早いうちに珠洲に行きたいです。


@ayuasano みました!懐かしい感じ。まさに1978年頃な感じですね。サンキューです☆


@minamimitsuhiro それは記者がありえねーというより、世の中が、批評や批判はいらんと言ってるってことなんですかね?


[放送開始] iPS細胞の臨床研究をしたと発表した森口尚史氏の記者会見 緊急生中継を開始しました。bit.ly/V0U8Xu #nicohou #iPS

中村有里 YURI NAKAMURAさんがリツイート | 78 RT


10月13日(土)のつぶやき

2012-10-14 03:23:41 | ツイッターつぶやき

いつのまにか、gooブログとツイッターの連携が回復している。でもずっとつぶやいてなかったから、ブログへのリンクも飛んでないし。つぶやく余裕が無い。今は仕事からの逃避でつぶやき。ああ、もう日が暮れた・・・


あー、今日気づいたと思ったこと、もう忘れてる。メモらないと忘れる。



音読みの漢語も外来語。コンプライアンスを大和言葉で

2012-10-08 22:57:12 | Weblog

このところ、テレビ番組のナレーションを書く仕事を本格的にやりだして

あらためて感じていることがある。

音読みの漢字の熟語は音で聞くと伝わりにくいということだ。

当然といえば当然なのだが、あらためてナレーションという

音だけで伝える(もちろんテロップを入れることも可能だが)文章書きを

報酬を得る専門職としてやってみると、実感する。


例えば、「貴族の時代、庭は遊興のためのものでした。」の「遊興」という言葉。

こうして字で見れば、当然よく分かるのだが、

ナレーションとして音で聞いた時、まあ前後の文脈から遊びのための庭だと分かるが、

やはり0コンマ1秒くらい引っかかる。


もちろん、漢字の熟語はもはや現代日本語に浸透していて、

ほとんどのものは音だけで聞いても理解できるものが多い。

政治、政府、社会、環境、防衛などなど・・・。

 ニュースなどで登場する上記のコトバはかなり一般化しているし、

状況や状態を表す名詞は音で聞いただけで比較的意味を理解できるものが多い。

これらが分かりやすいのは明治以降、西洋の概念に漢字を当てた

和製の漢語だからなのかもしれない。


 しかし、さっきの「遊興」のような、動作や行動を表す

音読みの漢語などは、音だけで聞くと、

一瞬(ほんとに一瞬)「?」が点灯したり、

どうもこなれていない感じになることが多い気がする。


なんというのか、

漢字という箱の中に入った言葉の意味を

まだ取り出して紐解けていないというか、

自分が、その文章で表現しようとしていることを

ちゃんと理解しきっていない感じがするのだ。


「遊興(ゆうきょう)」と言うよりも、

「遊び、興じる」と言った方が、音で聞いても分かりやすいし、

意味も明確になりますよね。


漢語で表現された意味の塊を、ちゃんと大和言葉で表せて初めて、

言いたいことが自分でも理解できている状態といえるのではないか。

外国語を外国語として理解しようとする外国語の習得と違って、

外来語の理解ってそういうもんではないだろうか。


そんなこんなで、

ナレーションを書きながら、いかにこれまでの普段の会話の中で、

意味の曖昧なまま、安易に音読みの漢語を使ってきたかを実感している。

それは近代に生まれた和製漢語とて同じこと。

例えば「概念」って、「おおよその意味」って感じの理解でいいんだっけ?

辞書を開かず説明しろと言われると心もとない。


さすがに、もはや日本語となった漢字の熟語を使って、

「意味分かってんのか!」と突っ込まれはしないだろうが、

よくよく考えれば、その漢語さえ、私たちはいまだ使いこなせていないのだ。

 

その上、自分の言いたいことがいまひとつ曖昧な時に、

 ものごとをそれらしく見せるために漢語を使っているような気さえする。


漢字が日本に入ってきて2000年。とはいえ、もともと外来語なのだ。

いまだ、音で聞いただけでは、一瞬ピンとこない漢語が多いのも当然かもしれない。

それがゆえ、使い方がちょっとくらい曖昧であっても

突っ込まれないと踏んで、私たちは漢語を使って来たのかもしれない。


そんで結局、何が言いたいかというと、

これって、「コンプライアンス」とか「リテラシー」とか

横文字の外来語を使う時も一緒なんだろうなあ・・・ということ。


2000年の付き合いのある漢字の熟語でさえこれなのに、

毎度、横文字連発している政治家や評論家の方などは

もっと付き合いの歴史の浅い外来語の意味をどれほど深く理解して

使っておいでなのだろうと思う。


一度、すべて日本語で説明して欲しい。

テレビ出演の折など、音で聞くことしかできないときは

なんなら、音読みの漢語も使わないで

大和言葉で説明していただけるとありがたい。


そのときに、彼らが日常主張している内容が

どのように違って聞こえるのか、それとも違いなどしないのか

それをとても知りたいと思う今日この頃なのである。










 

 

 

 


終の住処

2012-10-07 20:38:26 | Weblog

今朝、野良猫の終の住処と書いたけど、

自分の終の住処はどこになるのだろう。

40代も半ばとなり、ふと頭をよぎる。

生まれた土地から遠く離れた場所で糊口を凌ぎ、

いまだ賃貸住宅。

家を持ちたいとは思わないけれど、

鴨居にくぎを打ったり、柱にペンキを塗ったり、

自由に家をいじれたらと思う。

この世は仮の宿りというし、

どんなところに住んだってそれは仮の宿りなのだろう。

豪華な家を持ってもかりそめ、

方丈記のごとくに方丈の庵でこと足りるのが、

震災後の日本の目指すべき姿・・・なんて思うけど、

やはり洋服は好きだし、本も捨てられない。

中華料理屋ばりの火力で炒め物をしたいと思うし、

本当は縁側か坪庭が欲しいのだ。

それを欲望というか文化と呼ぶか・・・。

 

それを文化と呼ぶ家には住みたくない。

 

家は欲望の塊。

子供の頃住みたかった家は、

たくさんの部屋が万国旗のように各国仕様になっている家。

中国の部屋、インドの部屋、中東の部屋、アジアンリゾート、

ヨーロッパアールデコ、アメリカンコミック、ロシアの客船、

そして桂離宮・・・・。

もうわけが分からない。

 

住めば都な人になりたい。

いや、どんな古い家にも住める私は

十分、住めば都な人間なのかもしれないが、

最近、自分なりの条件に合う賃貸物件が少なくなっている。

 

ここならいいという基準は

日当り良く、窓が部屋の2面以上にある、

窓が開く(窓の開かない高層マンションとかもってのほか)、

畳の部屋がある、そんで障子が入ってて欲しい、

大きな押し入れが欲しい、近くに緑がある。

洗濯物がたくさん干せる。

ほんとうはひろーいベランダとか屋上とか庭に

青空の下、洗ったシーツをはためかせるのが幸せの象徴と思っている。

そんくらい。

ようするに風通しのいい家。

そのくらいのことがなぜ実現できないのだろう、今の日本。

 

 

 

 

 

 


野良猫の終の住処

2012-10-07 08:03:45 | Weblog

玄関先に、菊炭が数片残ったみかん箱ほどの段ボールを置いていたら、

数日前からそこに野良猫が住みついている。

出かける時にも、帰って来た時にも猫は箱の中におさまっていた。

少し毛が抜けて、かなり人を警戒した目つき。

なんとなくくぐもった息の音がするのは、

どこか身体の具合が悪いんじゃないかと思わせる。

だから、炭の上に横たわっているのだろうか…。

動物の方が炭の癒しの力を分かっているのではないか…。

 

多分身体も弱って、餌も探せないのではないかと思い、

3日目の朝、煮干しをやった。

食べはしたけれど、その猫に煮干しはちょっと固かったようだ。

箱の中に水の入ったプラコップを置こうとしたら、

シャーっと威嚇してきて、そのあと箱の中からいなくなっていた。

しかし、1時間もしたら、また戻って来ていた。

 

この辺の野良猫はたいてい道端で寝ている。

なのに、こんな人家の前に置かれた段ボール箱に入っているというのは

何か事情が有るに違いない。

やはり、怪我をしたか、病気で弱っているか。

 

出かける時、帰宅した時、その猫は私のことをジロッと見上げる。

このままこうして、奴はこの箱の中で息を引き取るのだろうか・・・。

 

そしたら、お墓はどこにしよう…。

東京みたいな平地ばかりの場所には、動物を葬る山も無い。

土はアスファルトで固められ、掘り返されることを拒否している。

 

いや、奴は別に病気などではないのかもしれない。

ただ単に、快適な場所を見つけただけにすぎないのかもしれない。

 

昨夜、家に帰って来たら、箱の中に奴の姿はなかった。

箱の中には、残された菊炭が数片。

煮干しはきれいに消えていた。

明日の朝には戻って来ているだろうか。

猫の行く末を案じながら眠った。

夜が明けても、猫の姿はなかった。

もう戻ってこないのだろうか。

箱の中の菊炭はしばらくそのままにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


乳がん治療から8年。癌について、やはり書こうと思う

2012-10-01 00:44:08 | ガン

(以下のブログを書いてから2年後、2014年夏、乳がん再発がわかりました。けれど、三大治療はやらずに、生活習慣を変えることで、がんと共存をめざしています。2015年秋現在、今のところ、大きな問題は無く、仕事しながら普通に生活しています。)

先日、がんを患っていた知人が亡くなった。寝たきりなどではなく、抗がん剤治療を行いながら、普通に働けていた。このところちょっと体調が悪いとは聞いていたが、つい、1ヶ月ほど前に仕事関係の相談の電話を受け、まだまだ大丈夫だと思っていた。死の知らせは寝耳に水で、しばらく呆然とした。

私もがんを体験しているため(8年前に乳がん治療)、治療法を変えた方がいいのではないかとか、抗がん剤治療についても見直す時期ではないのかとか、会った時には治療についての話をした。けれど、その知人のがんは転移していたし、その不安の大きさや、実際の体調についてなど、私の乳がん治療体験など思いも及ばない領域で、彼にとって有効な話が出来たとも思えない。逆に自らもがんを体験したことで、転移したという事実の持つ意味の重さを感じ、彼とのがんについての会話は、核心に近づかず、中島を遠くから眺めながら池の周りを歩いているような感じでもあった。

彼の話によれば、抗がん剤治療をやることで、肺に転移したがんが急激に大きくなるのはなんとか抑えられていたようだ。ただ、小さながんがたくさん散らばっていた。抗がん剤を投与することで、体調を崩す様々な副作用も出ていた。抗がん剤ががん細胞を殺す効果の大きさと、副作用とどちらをとるべきなのか・・・。最後の1年の彼の状態を見ると、ちょっと判断が難しかったと思う。

抗がん剤治療を続ける患者は常に死を意識せざるを得ず、その治療をやめることは死に近づくことを意識させる。抗がん剤をやめて体調が一時的に良好になったとしても、がんが再び大きくなり始めるのではないかという恐怖もつきまとう。

亡くなる前の数ヶ月は身体の不調を訴えることが多かったようだ。普通に働いてはいたが、職場で無理をして(徹夜に近い激務で本当に大変な仕事だったようだ)倒れたとも聞いた。あまりに体調が悪いので、家の方が心配して一時入院したこともあった。

がん自体は突然大きくなったりしていたわけではないらしい。担当医も、この体調の悪さが何に起因するものなのか原因がわからないと語っていたそうだ。「がんが大きくなってないんだとしたら、この体調の悪さの原因が何なのか、それを突き止めて、その治療をしてほしい。」彼は入院中のベッドでそう言っていた。そして、その後、1ヶ月あまりで逝ってしまった。

手術で、腎臓もひとつとっていた彼の身体で抗がん剤を解毒することはかなり身体に負担であったと思う。その上、大腸を切り、直腸を切りしている身体だ。糖尿の気が出ていたのも、内蔵の働きが通常ではなかったからだと思う。医者に体調不全の原因が分からないのだとしたら、抗がん剤の内蔵への影響は、体調不全の原因にカウントされていないからだとしか思えない。もちろん、私の言っていることは状況から見た想像でしか無く、彼に関する検査データなどに基づくものではない。しかし、データを持っている医者でさえ、原因はわからないという判断しかできないのだ。

彼の死因は何になるのか・・・。

それを専門としている人の世界は別としても、一般的には「がん」という病は死の病として恐れられている。がんを宣告されるのはこの世の終わりと言わんばかりの認識が世の中に広まっている。世の中の、特にメディアから流れてくるがんに関する情報は、がんは死の病と思わざるを得ない煽りに満ちている。

亡くなった知人は最後まで働き、寝込むことも無く果敢にがんと戦いながら日々生きていたと思う。そして、そんながんばっている人も、時にそうした煽りに満ちた情報を目にしてしまう。リテラシーもあって、そんなものは煽りだと分かっていても、患者の立場になるとどうしても不安がもたげてしまう。これは私が治療を始めたときもそうだった。そんなに脅かさなくてもいいではないかと思う。

なにごとも周到な準備と防御の姿勢は重要ではあるが、やり過ぎはかえって、その防御の対象に対する恐れや怯えを生む。実際、「がん」という言葉に怯え、過剰に防御的になり必要の無い治療まで行っている人も多い。がん患者を取り巻く状況は煽りに満ちている。

恐怖心に煽られること無く、もっと冷静に自分の病状を見つめられる余裕の持てるような状況が作れないものか・・・。

「がん」に関しては考えるべきことが多すぎる。

私自身はといえば、乳がんの治療を終えてもう8年が経とうとしている。ある医師によれば、私の乳がんなど、がんとも言えない「がんもどき」程度、恐れることは無いと言う。実際にそうかもしれない。ほとんど後遺症も無く、乳房も切ってはいない。そんな私に偉そうにがんを語ることなどできるのかとも思う。しかし、私と同タイプの乳がんを体験したタレントが、雑誌で「私のがんは珍しいタイプで・・・」と語るのを目にし、その「珍しい」という言葉を「難しい」とか「面倒な」と誤読し、不安になる患者がいるのではないかなどと考えると、やはり自分の体験も語る価値はあるのではないかとも思うのだ。

治療が終わってから8年。結局、がんについての話をまとまった形では書いてこなかった。書くということは、自分の中で曖昧になっていることを明確にする意味もある。つまり、まだ私は自分の中のがん体験も曖昧なままで放置しているということだ。亡くなってしまった知人と今後話そうと思っていたこと、言い残してしまったこともある。再びがんについて書き始めることで、今一度、がんとは何かを自分の中で整理していきたいと思う。

それに思うのだ。がんを取り巻く状況は、原発事故以来の放射能という言葉への人々の反応に似ている。自分にとって未知の領域への恐怖が冷静に考えることを拒否させる・・・。

自分が放射線治療を選んでいることも、何かそのへんを考えるとっかかりになる気もする。この放射線治療が最善であったかは分からないが、私の乳がんが放射線治療で消えたことは事実だし、そんな私は原子力でエネルギーを作る原発には反対だ。

やはりもう少し、がんのことを考えることにしようと思う。

2年前にも一度、がんのことを書き始めようとして、一度書いたきり挫折している。その時読んでくださっていた方は、またか・・・と思われるかもしれない。考えてみれば、あれから紆余曲折、いろいろなことをやっては挫折したり、考えが変わったり…。しかし今、やはり自分の本分は「伝える」ことであると感じている。それも言葉を使って伝えたい。下手だけどそう思う。

これから時々、自らの体験を交え、がんのことを書いていこうと思います。