橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

8月25日(日)のつぶやき

2013-08-26 04:05:39 | ツイッターつぶやき

半沢直樹って、現代の時代劇だね。テレビの視聴者が年取ってるって話では。若くても年寄りということもあるし。最後にすかっとするし

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8月24日(土)のつぶやき

2013-08-25 04:07:28 | ツイッターつぶやき

2k540 AKI-OKAにて鯖江のめがね職人の技を体験! goo.gl/7zIoIJ

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伊東四朗「僕は最初は東京のオリンピック招致に賛成してたけど、福島原発がこんな状態だと分かった今は、オリンピックなんか招致してる場合じゃないだろ!って思ってる。誰が見たって、まずは汚染水を何とかするのが最優先だろ?」(文化放送「親父熱愛」8月24日)

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2k540 AKI-OKAにて鯖江のめがね職人の技を体験!

2013-08-24 22:22:00 | Weblog
眼鏡をかけている皆様へ!
今日、JR秋葉原と御徒町駅の間のガード下にある2k540 AKI-OKA ARTISANに行ったら、たまたま福井県の鯖江市フェアやってました。以下の写真。自分の好きな色のセルを選んで眼鏡の形の小さなキーホルダー作りができるのです。電動のヤスリで削って、セルを磨くんですね。職人さんが指導してくれます。

 

実は私、2年前鯖江市に行ったおり、「めがねミュージアム」にて、このチビ眼鏡作りを体験しました(下のチビ眼鏡のほうの写真はそのときのもの。おじさんの写真は今日撮ったものです)。で、その時思ったのは、手持ちの古いセル眼鏡の曇りもこれで削れば綺麗になるジャン!でも、鯖江に行ったときは古い眼鏡は持ち合わせず…。で、今日、このイベントを見て膝を打ったのです。ちょうどかけていた眼鏡のセルが曇っている。形は気に入っているだけに捨てたくはない。そんでダメ元で、これを磨いてもらえませんか?とたずねたところ。職人のおじさんは喜んでやってくれました。ここではレンズを外せないので、隅から隅まで完璧とはいきませんが、相当キレイになりました。感激!

 

 

以前、某舶来有名メーカーのお高いフレームをメンテに出して、タダで修理してくれることに、さすがお高い眼鏡は違うと感動したのですが、壊れた部分は直ったものの、セルの磨きについてはいまひとつ。曇りはとれていませんでした。これが限界とのことだったのですが、今日磨いてもらった眼鏡はピカピカ。おじさん曰く、綺麗になるはずだよ、とのこと。小売店の効用とは、きちんとメンテをしてくれること。最近、お客と直でやり取りできる小売店が減って来て残念な限りとも言ってました。


鯖江のめがねミュージアムにいけば、1万6千円で、自分の好きなセルを選んで、好きな形にデザインした眼鏡を作ってくれるそうです(レンズは別料金)。もちろん、その後も送ればメンテしてくれます。東京の表参道にも支店がありますが、そこではやはり地代が高いのか、この価格ではオーダーはやれないよう。
でも、たまに特別企画で、東京でも1万6千円のオーダー受注をやるそうです。
自分の顔に合う形の眼鏡って、そうそう見つからない。気に入った形の古い眼鏡を持って行って、同じ形でお好きなセルで作ってもらうのもいい

8月23日(金)のつぶやき

2013-08-24 04:02:48 | ツイッターつぶやき

NHKで今やってる短歌講座の添削が納得いかない・・・


夢で逢いましょう 思ったより面白いけど、45分番組にこれだけの豪華キャストでこれだけのシチュエーション作ってコントやって、歌って踊って、そんな番組作れるのってもうNHKだけじゃないだろうか。制作費いくらなんだろう。でも、ぬるいようでちょっと笑ってしまうこのコント誰が書いてんだろう

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8月21日(水)のつぶやき

2013-08-22 04:03:12 | ツイッターつぶやき

ちょっとこの雷、怖過ぎ。さっきすごかった


世界の終わりのような雷鳴が鳴り響いている。テレビでは美輪明宏と宮沢りえがしゃべっている。そして、仕事がはかどらない…

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ほんとに世界終りそう

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8月18日(日)のつぶやき

2013-08-19 04:07:35 | ツイッターつぶやき

?【エジプト】日本のメディアが報道しない映像 / 治安部隊が無抵抗の人たちに発砲 | ロケットニュース24 rocketnews24.com/2013/08/17/360…

中村有里 YURI NAKAMURAさんがリツイート | 641 RT

サンデーモーニングでエジプトのニュースやってる。エジプト人のフィフィ@FIFI_Egyptがツイッターでエジプト情勢をつぶやいてます。

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8月17日(土)のつぶやき

2013-08-18 04:06:07 | ツイッターつぶやき

済美の試合っていつも点の取り合いになるよな。

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この回、3ランホームラン、フライ落っことして2塁へ、送りバント失敗で1アウト1塁。1点差。延長戦。ぎゃー、神は済美に微笑まなかった!今、ダブルプレー

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でも、ちょっと鳥肌たった。済美vs花巻東の延長戦

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暑かった…ワールドハピネス2013

2013-08-17 22:17:12 | Weblog

暑い…、暑すぎる。

「自然の猛威に逆らって、ここまでして音楽を聴かねばならないものだろうか…。」正直、そんな疑問が頭をもたげた12時半。開始時点で「命あっての物種」という言葉がよぎる。そう思ってしまう程、今年の暑さは尋常ではなかった。

つまらなかったわけじゃない。というのも、楽しさは空が曇り始めた夕刻とともにやって来たからだ。それまでの炎天下の演奏は、どうしても「暑い」が先に立って判断不能。

まわりには長袖、腕袋、頭にタオル、大きな麦わらという完全防備の女性多数。見てるこっちが暑い。向こうからは異様にたるんだ日焼け肌を晒した短パン一丁のおじさん。汗といっしょに腹が垂れてる…。普段はおしゃれであろう人も、もう暑さに対してはなりふり構わずだった.

演者も還暦周辺の方多数。真っ昼間に登場した高橋幸宏の表情は主催者なのにげんなり。シンバルの上で目玉焼き焼けるよねという掴みのトーク。演者から「暑いからもう止めない?」とは言えないだろうけど、ちょっと言って欲しかった。刻苦勉励、隠忍自重とか、部活中水飲むな!的なものとは最も縁遠そうなワールドハピネスのメンバーには、あまり「がんばって」ほしくない。もちろん、本当に止められるのは嫌なんだけどね。

高橋幸宏の演奏の頃は最も暑かった時間帯だった。本当なら涼しさを届けてくれるはずの軽やかなドラムスが熱い空気の壁に阻まれて、音が風に乗り切らない。涼しげな音は、フライパンに落ちた水滴のようにすぐジュッとなって熱気に変わってた…。

 

音楽は自然の猛威に勝てるのか!

これがのっけから今回のテーマとなってしまった。

強烈な太陽に照らされて、数万人の人間が集まって、舞台には照明、PA機材、巨大なマルチビジョン。頭の中には、エレクトロニクス文明が太陽に負けた…とか、近代が生んだ文化と産業は自然を凌駕することはできはしない…とか、都会って結局何?とか、もうありとあらゆる近代批判の言葉が怒濤のように浮かんで、曲に集中してる暇がない。頭の中は周りの人には見えないからいいが、いい感じの音楽に揺れながら、実はこんなこと考えてるなんてどうかしてる。

誰のせい?それはあれだ…猛暑のせい!

今回はスチャダラパーも登場。とうぜんながらサマージャムも歌った。しかし「それはあれだ夏のせい」とか言ってられるのは、夏の暑さが尋常だった古き良き時代の話。いっしょに、それはあれだ夏のせい!と指振り上げる気力無し。

そして、今あらためて聞く「今夜はブギーバック」のバブル感。いや、そんな俺をクールに見つめるもう一人の俺的な90年代。まだ失われた実感が薄かった時代の歌。これが今の40代の懐メロなのだ。あれから失われっぱなしの日本。

おっさんになったようなならないようなスチャダラとまわりのスタンディングの群衆。久々に見たスチャダラ。ああこれが現代の懐メロ。

懐メロといえば、最後のおそ松くんバンドwithゲストの演奏はスチャダラのとはまた違った今の40代50代サブカル世代の“究極の”懐メロだった。歌は世に連れ…ってわけじゃないけど、心に残る名曲ぞろい。

矢野顕子と奥田民生がやった「ラーメン食べたい」。民生が歌詞を忘れたのはご愛嬌。矢野顕子のフォローが見られて、観客はかえって得した気分。小原礼をバックに従えて、奥田民生が歌ったミカバンドの「ダンス・ハ・スンダ」は、私にとっては今回のワーハピのベストプレイ。ボーカル奥田民生がはまりまくり。鈴木慶一、高橋幸宏と共に歌った大貫妙子の「LABYRINTH」も暮れ切った空の下で現代の幽玄。

日本の音楽もここまできたか(と、偉そうに言ってみる)。子供の頃に見たNHKの懐かしのメロディーで聞いた親の世代の懐メロとは隔世の感がある。昔も名曲はあった。でも、アレンジとか演奏とかノリとか…ここまで緻密でありながらしなやかに。その職人芸は日本の手仕事百選に入れたい。西洋の音階と楽器を使いこなして、思えば遠くに来たもんだ。この先俺たちゃどこに行く…そんな感じの現代の懐メロ。先日終戦の日、戦後68年。ホントに日本ってここまで来ちゃったんだなあ…。

現代のカリスマたちが揃った凄すぎる演奏は、天岩戸をこじ開けたどんちゃん騒ぎのお神楽で、そんな人の心を揺さぶる人気者を大昔、神と呼んだのだろうなあ…などと熱狂する群衆の中で揺れる。

 

で、結局、音楽は自然の猛威に勝てたのか…?

上記のカリスマたちの共演は夜風も吹き始め、夕闇降りた頃。もう自然の猛威に悩まされることもない時刻。じゃあ、暑い時間帯はどうだったのか…。

希望はきどらないおばさんにありました。

頭の中を埋め尽くした「暑い」という文字を一瞬忘れさせてくれたもの。それは、14時、一日で最も暑い時刻に登場した清水ミチコの笑いと毒。

今年のワーハピには、なんとユーミンも美輪明宏もドリカムも山達も参加してたのですよ!ユーミンが歌ったのは映画「風立ちぬ」で話題の「ひこうき雲」。似過ぎです。ああ、我々はベタには勝てない、思い出には勝てない…。もちろんそう思えるのは清水ミチコの芸と愛嬌があってこそ、ものまねする対象への愛あってこそ。

暑さを忘れさせるもの。暑さもここまでくると、それはクールで涼しげな音でも、暑さを凌駕するような爆裂音でもなくて、はじける愛嬌と生命力なのであると感じた瞬間でありました。

清水ミチコは続いて登場した矢野顕子と共演。矢野顕子もいつものアッコちゃんスマイル。たのしげに2人で歌う「丘を越えて」(清水ミチコは矢野顕子との共演でめっちゃ緊張してたけど、でも嬉しそうでした)。笑顔とともに風が吹きはじめました。

矢野顕子はこの暑さを、この先しばらく何があっても大丈夫と思える為の我慢大会と言ってましたが、本人は太陽にも負けてないんですよね。原始女は太陽だったを地でいく感じ。軽やかなピアノソロは、熱くてぎゅっと凝縮した高気圧のすき間を、音符たちが通り抜けて耳まで届く。そんな感じでした。

「海のものでも、山のものでも」、忌野清志郎のカバー「セラピー」、そして「いい日旅立ち」。どれも風景が見えて来る歌です。

初めて聞いた「セラピー」。人の心の中に分け入るような歌詞の歌は聞いてると自分が繭の中に閉じ込められたような気がするものですが、この歌は、その壁が透明になって、次第に融けて流れて、その先に街の風景がみえてくるような歌でした。そんな日本の風景を感じていたら、暑いけど、暑いなりに、いつのまにやらちゃんと音楽を聴いていました。

矢野顕子、はじめて外で聞いたけど、自然に溶け込む音というのがあるのだなあとしみじみしました。

自然に溶け込む音とそうでない音がある。今回のワーハピで印象に残ったことのひとつです。

あと、大貫妙子の「ファムファタル」があんなに良い曲だったと今頃気付きました。大貫さんは「細野さんの書いた」と前置きしてたけど、細野さんってホントにスゴイ。

そうそう、話題の小林克也(咲坂守)&伊武雅刀(畠山桃内)の登場に、スネークマンショーを知る人は沸いたわけですが、小林さんは、やたら「ジャパニーズジェントルマン、スタンダップ プリーズ」をくり返してました。「レディース、スタンダップ プリーズ」とも言っていた。

それはただの歌詞の一節ではなくて、現実に向けて本気でシャウトしているように見えました。もちろん他の人の歌だって、ただの歌詞ではないとは思いますが、このときの小林さんには何か切羽詰まったものを感じました。それは私が世の中に「スタンダッププリーズ」と言いたいからでしょうか。いや、自分に対して言いたいからなのかもしれない。

そんなわけで、自分でも説明し難い今回のワーハピ。

レキシも面白かったです。縄文土器、弥生土器どっちが好き? 学校時代を思い出すという意味ではこれも懐メロ?

結局、懐メロなフェスだったってこと?自分が年取ったってこと?

これだけたくさんのミュージシャンが登場すると、人によって随分見方は違うと思いますが、音楽にあんまり詳しくないけど、音楽は大好きで、いつも鼻歌歌ってる(このところ薬師丸ひろ子の歌にはまってます)私の感じた今年のワーハピです。

去年の、久々に見た岡村靖幸ほどの衝撃は無かったものの、やっぱり音楽ってすごいと思わせてくれるなんだかジワジワくるフェスでした。10月には岡村ちゃんライブ行きます!


8月15日(木)のつぶやき

2013-08-16 04:03:09 | ツイッターつぶやき

なぜ、全国戦没者追悼式を最後まで中継しないのだろう。衆参両院議長、最高裁長官、遺族代表者の言葉がこのあと続くそうだけど。

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野口整体的、汗の内攻には気をつけろ、のブログ記事がここにきていくつかRTされている。この暑さで、逆に冷房病の人も増えてるんだろうな…。夏に汗かいといたほうが、秋冬の身体も快適らしいですよ~。でも水分補給は十分に!私もよく飲み忘れて、いかんいかんと思うのだすが・・・


全国戦没者追悼式での総理のスピーチ。平和を願うのは良いけど、平和に「貢献」って言葉は、いろいろな憂慮を生むから使わない方がいいのに…。どうやって平和な世界にするかという方法についてはいろんな考えの人がいるから、それ次第で「貢献」の内容も違ってきてしまうから。

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平和は何か行動によって作り上げるものというよりは、みんなが願うことによって、そうなっていくものな気もするし。

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8月15日終戦の日の覚え書き

2013-08-16 02:30:41 | Weblog

8月15日終戦の日の覚え書き。

お盆で実家にかえるでもなく、仕事で外に出かけるでもなく、家でテレビを付けて、夏のジリジリした暑さの中で行われる戦没者追悼式を見た。仕事用の背もたれの大きな椅子にもたれて、黙祷。近くのお寺の鐘も鳴っていた。

戦争体験のない自分の頭の中に、ドラマで見たのであろう戦争のシーンが浮かび、そんなもので涙が出そうになる自分のチープさに一瞬ひるみながら、気付いたら1分経っていた。

総理大臣の言葉はいろんな思惑に気付いて欲しいといわんばかりの思わせぶりな文言がちりばめられ、そのスピーチの軽さと、天皇陛下が深々と頭を下げられる姿の重さのギャップに、立場の違いもそうだが、両者の生きた時代の違いも感じた。

新聞も今日は8月15日終戦の日特集で、いろんなところでいろんなイベントも行われている。なのに私は、今朝、あ、今日は終戦の日だ…と気付いた。8月6日の原爆の日から続く、真夏の戦争を考える週間。これまでならばもっと意識に上って来ていた。それが、今日が15日だということをテレビのニュースに言われて気付いている。ちょっとショックだった。

ドミューンでは、大友良英のあまちゃんバンドや詩人の和合亮一が福島でライブと盆踊りをやっていた。やぐらの上で自作の詩を叫ぶ和合亮一が古代の酋長に見えて来て、それをパソコンで見ている自分が嫌になった。やっぱ祭りと民謡だと思った。月がデタデタ歌いたい。

あれからもう2年が経つけれど、直接的な被害を何も受けていない自分が、ここにきて道に迷っている。自分には何がやれるのか、やりたいのか、やるべきなのか…。

つい2、3年前まで感じられていた、時代の空気とか、これから求められるだろうものへの予感とか、そういうものが霧の向こうに見えなくなった。自分の嗅覚が鈍ったのか、それとももはやそれさえ見えない時代となったのかがわからない。もしかしたらそれを希望がない状態というのだろうか。

夜、ラジオデイズの内田樹、平川克美のはなし半分夏休み特別号村上春樹を読むを聞く。村上春樹の小説の中の壁抜けやパラレルワールド的な描写について語る。文学の可能性とは、ありえたかもしれないもうひとつの世界を想像し、行ったり来たりできること。村上春樹こそ、このありえたかもしれない世界を描ける作家であり、それを描くことが文学が現実にコミットできる可能性である…などなど。

今よりマシなありえるかもしれない未来を想像し、そんな未来を目指す。ちょっと前までは自分の中でそれが想像可能だった。しかし、その未来はどっかで何かを掛け違って、来るべき未来ではなくなってしまった気がしている。自分の想像が甘かっただけで、それはマシな未来に繋がらないことが見えて来たのかもしれない。世の中ではいろんな人が、それぞれの自分なりのマシな未来を想像して右往左往しているけれど、私の新たな未来はまだ見えて来ない。

それがなぜなのかはわからない。これまで言って来たことも、今後言い続けるべきなのかもわからない。でも多分、自分自身は何も変わっていない。自分の中深くに眠る考えを、これまでは借り物の言葉で表現していたのかもしれない。言葉に関わる仕事で生きて行こうとしているのに、そこまで本気で言葉に向き合っていなかったことを、いまさらながら感じている。

結局は批判されない言葉を選んでいたのだと思う。いい人と思われようとしていたのだと思う。自分はいい人ではなく、単に臆病なだけだ。世界が殺伐とすることに自分が耐えられないだけだ。

そして、自分はこの先、何をやって食ってくのか。基本的なことを考える。これまでの自分を捨てられるわけではない。これまでやって来たことを元にして何かやるしかない。虻蜂取らずでこれが私の仕事だと誇れるものは無いが、全くなにもやってこなかったわけでもない。やはり「リセット」ではなく、「有効利用」するしかないのだと思う。

こんなことを考えて8月15日は終わった。


8月11日(日)のつぶやき

2013-08-12 04:07:00 | ツイッターつぶやき

そっかー、あまちゃんこそ、ツイッターで共有すればよかったんだよなあ。毎日見てるんだし、世代の共通体験がこのドラマのひとつのテーマなんだし。

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8月10日(土)のつぶやき

2013-08-11 04:07:47 | ツイッターつぶやき

ありゃ、今日、朝生やってんだ。


山際さんとか出さなきゃいいのになあ。これって両論併記というのとはちょっと違うよね…。


8月6日がすぎ、9日がすぎ、15日がやってくる。


岡田斗司夫の「風立ちぬ」評が凄すぎて・・・ goo.gl/7yXkuk


結局、やりたいことは何かと考えると、学生時代ちゃんとやらなかった勉強だという、なんか高度成長金の卵世代のリタイア後の夢みたいなことになっちゃってます。ブログもそういう勉強の過程を書いた方がいいんじゃないかと思ったりします。日本人が日本の歴史を知らないというならそこから始めようか


高校までの学校の授業では、歴史の意味を教えてくれません。その出来事が、今の世の中のどういう部分に繋がってるかということです。もちろん繋がってないものもあるでしょうが、どう比較していいかも分らない。時間は繋がってるのではなく、まるでパラレルワールドの出来事のように語られます


教科書の歴史は、パラレルワールドの出来事というより、遊園地のアトラクションのようと言った方がいいかもしれません。それぞれはドキドキワクワク面白いけど、他のアトラクションとは何の関係もねー。同じ日本という場所で起こったというだけ…に見えるのです。情けないけど気付いたのは大学卒業後


あ、夕焼けですね。今日は三日月と良いの明星が西の空に並ぶよう。もう少ししたら西の方見てみよう。


お、遠くから花火の音が聞こえる。これは東京湾花火の音だろうか?台東区まで聞こえるって凄いなあ。遠く聞こえる花火の音って、残暑感あるなあ…。


このところ薬師丸ひろ子のヒット曲ばかり口ずさんでしまっている。♪笑っちゃう涙の止め方も知らない~。名曲ぞろいだに。


自分がこうあって欲しいと思っている世の中は、自分にとっての快適な世の中であって、別の人にとっての快適な世の中ではないかもしれない。自分の得意なことが受け入れられる世の中なのかもしれない。それはそれが不得意な人にとっては不快な世界。みんなにとってよりましな世界とは。


日本は近代史を教えないっていうけど、近代史以前にそれより昔の歴史もちゃんと教えてないのかもなあ。


上野の山から東京湾花火が見えた。隅田川の花火より大きく見えるのは、海の方が大きい花火をあげてるってことかな?


@yoniumuhibi @jessasao そうですね。今日40℃を超えた西土佐村あたりはとてもいい感じです。はっぴいえんどの「夏なんです」を聞きながらぶらぶらするといい感じ。

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岡田斗司夫の「風立ちぬ」評が凄すぎて・・・

2013-08-10 16:21:39 | メディア批評

岡田斗司夫の「風立ちぬ」評が凄すぎる(以下リンク)。

http://blog.freeex.jp/archives/51393680.html

(おおいにネタバレですので、映画を見てない方はご覧にならない方が良いかと思います。かなり引きずられます。)

私は自分のブログの「風立ちぬ」の感想http://blog.goo.ne.jp/ebisu67/e/9dba6e6894b96462de2c9f7f5ce76ffbで、おもにその風景の美しさについて書きました。映画を見てそこにしか反応できず、どう言っていいか分らないまま、ほかの部分は保留にした上で、最後にこう書きました。

「『風立ちぬいざ生きめやも』の方に私がそれほど反応できなかったのは、人間社会を怖がっているからなのかもしれません。そんなことを考えて打ちのめされてもいたりします。」

理想を語り、悪い人にはなれず、自分を汚す者には近づかない自分は、本当には人間というものが何もわかってはいないのではないだろうか…という引っかかりとかわだかまりです。なぜかこの映画を見て、こんなことを考えました。
 岡田斗司夫の感想を見てわかりました。「風立ちぬ」はまさに、私がわだかまっていたような部分を考えさせられる、そういう自分を顧みざるをえなくなる映画でした。下手するとこれまでの自分をひっくり返して、いま一度そのあり方を考え直さねばと思うきっかけとなるような映画でした。手放しで良い映画とは言えなかったわだかまりは、そういうところにあったのか…と納得しました。ただ、宮崎駿がメッセージとしてそういうことを打ち出しているわけでは全然ありません。むしろその逆。
いろいろ考えさせられるとか思ってるのは私の個人的問題であり、自意識過剰です。

岡田斗司夫は「風立ちぬ」を100点で98点、宮崎の最高傑作と言っています。その論に従えば、私もそう思います。でも、先にも述べたように、良い映画だった!と素直には言えない感じもあります。これって、自分に自信のある人じゃないと素直に良いと言えない感じがします…。人生の半分以上を終えてしまった自分の現状のダメさとか、人と上手く関われない自分が今後どうしたらいいのかを突きつけられる気がして、頭を真っ白にしたくなりました。あまりの暑さに、何もする気がしないのが、そういう考えにさらに追い討ちをかけます。鬱になりそうです。
自分のダメさを突きつけられるからというだけではありません。じゃあ、バリバリとなにかをやれたとして、その先にあるものは何かをこの文脈で考えると…。やっぱり鬱になりそうです。
そう、「風立ちぬ」をちゃんと語ると鬱になりそうだから、立ち止まっちゃうんです。やはり手放しで良い映画!とは言えない。でも完成度は高いのです…。

でも、多分、今の私はこの岡田論に影響されすぎてもいます。
自分にとっての「希望」とは何なのか…。まだまだ考えることはたくさんありそうです。自分は単純すぎる。でも、複雑であることがいいことなのか…。じゃあどう生きる?ああ、また頭ぐちゃぐちゃです。

自分でもアニメを作っていた岡田斗司夫は、ひとつひとつのシーン、登場人物の視線の方向などから様々なことを読み解いてます。宮崎駿がそう描いたのには理由があるとすべて分析しています。そういう細かいところから分析しながら、人間の深い業とか、美と残酷とか、大きなテーマに言及しています。確認の為に映画もう一度見たくなります。