橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

みんなのうた「さとうきび畑」ちあきなおみバージョン 

2009-10-28 06:11:02 | Weblog
「さとうきび畑」という歌は、今や森山良子の歌唱で有名だけれど、
これをあの ちあきなおみ が歌っていたのを知っていますか?

このまえの日曜日、「けーし風」という沖縄がテーマの雑誌の読者会
というのがあって、知人に誘われはじめて参加したのですが、
そこの参加者でも知らない人がいたくらいなので、
あまり覚えている人はいないのかもしれません。

このちあきなおみ版「さとうきび畑」は、もう35年くらい前でしょうか
NHKの「みんなのうた」で放送されていました。
その時私は小学校のまだ低学年で、沖縄戦のことなど知りませんでした。
それが沖縄のことを歌っていると分かっていなかったと思います。
映像についての記憶は曖昧なのですが、米軍基地らしき鉄柵の向こうに
さとうきび畑が見えていたような気がします。
なにぶん昔のことなので、記憶はねつ造されているかもしれません
(鉄柵はなかったかも???)。

さとうきび畑の上に広がる夏の空は、青すぎて、かえって重く、
日差しとともに銃弾が降り注いだあの夏を、
さとうきび畑は憶えているんだということを、
ちあきなおみの歌は、子どもの私にも確実に伝えました。

ちあきなおみは決して重々しくは歌っていません。
とてもフラットです。
音源だけはいまでも聴くことができるので、是非聴いてみてほしいのですが
出だしから~風がとおりぬけるだけ~までは、
遠くを見るような感じで昔を懐かしんでいるようです。
それが、~夏の日差しの中で~というフレーズで急に、
銃弾が降ったあの夏の日差しがオーバーラップします(あくまで私の想像ですが)。

急に歌に感情を込めるわけではありません。
この部分の歌い方も、他の歌手の方よりフラットです。

あの夏、まっすぐに降り注いだ夏の日差しの残酷さを
ちあきなおみの声は、残酷だとも、悲しいとも言わず歌っています。
ちあきなおみの歌の中では、
さとうきび畑に立って、あの日を思い出す『私』は
終始後ろ姿で表情は見えません。

戦争という歴史の中で翻弄され、
埋もれていった名もなき人々の悲しみが
歌に感情を込め過ぎないことで、かえって強く感じられます。

結局戦争で傷つくのはいつも名もなき市井の人々である。
そういうことを、このちあきなおみの歌は
小学生の私に教えてくれた気がします。

さらに言えば、
~風が通り抜けるだけ~という歌詞に込められた思い。
時が過ぎ、世の中から戦争の記憶が薄れてゆく一方で
戦争体験者の悲しみは消えないという、体験者の孤独。
それを表現できているのは、
このちあきなおみバージョンだけではないかとさえ思います。

ほかの歌手の歌からは、戦争の悲惨さと、
悲嘆にくれる人々の姿が見えてくるのですが、
ちあきなおみの歌からは、
戦争というものの本質的なむなしさが感じられます。


この音源をYOUTUBEに張っている人がいました。
http://www.youtube.com/watch?v=laOhvV4Db3w&feature=related

これは、たんぽぽ児童合唱団の歌と合体させてあります。
画像は数枚のさとうきび畑の写真が当てられていますが、
これは「みんなのうた」のものではないと思います。

ちなみに販売されているCDでは、
「ちあきなおみこれくしょん~ねえあんた~」のDISC2に収録されています

しかし、やはり「みんなのうた」で放送された映像付きのものが
もういちど見たいですね。
NHKのアーカイブで検索したら、みんなのうたそのものでは出てこないのですが、
2006年12月31日にBS2で放送した番組の記録に
「BSきょうは一日“みんなのうた”三昧(ざんまい)」というのがあって
その第2部に、「さとうきび畑」寺島尚彦:作詞,寺島尚彦:作曲,ちあきなおみ
という記述が見られます。しかし、これは視聴できる公開アーカイブの検索には
引っかかりませんでした。もし、ちあきなおみ版の映像も流れたのなら
再放送を強く望みます。

みんなのうた/ちあきなおみ版「さとうきび畑」
アーカイブ公開を求める会でも作ります??
でも、もしかしたらもう映像は保存されてないんでしょうか?
その辺ご存知の方がいたら、コメントして下さい。

オリオン座流星群観測記

2009-10-27 13:27:29 | Weblog
ちょっと遅ればせながら、オリオン座流星群のことを振り返ります。
みなさん、見ました?
私は、23日未明に住んでるアパートの屋上に上がって寝転んでみました。
流星群を見ようと思っただけでしたが、結果思いのほか、いろんなものが
見られた一人観測会でした。

<発見その1>
この日の明け方は冷え込みが結構厳しくて、
午前4時前、ジャージの上に、薄手の丹前を着て、
さらにアクリルの毛布を羽織っていたのですが、もう寒くて、
そのうちに毛布を身体にぐるりと巻き付け、
冷たい空気が襟元に入らないようギュッと巻き付けて、寒さをしのぎました。
自宅のすぐ上なんだから、なにかもう一枚はおるものをもってくればいいようなものですが、
星を見てると面倒になるんですねえ。
それで、寒さの中、ホームレスってこんなに寒い思いをするのかと、
ホームレスの実情を分かったような気になったり、
雪山で遭難して、「眠ったら死ぬぞ!眠るな!」というのはこういう感じなのかと
おぼろげながら考えたりしたわけです。
寒いなと思いながらも、どっかで、こんな経験を手軽にできるなんてと、
罰当たりなことを考えました。

<発見その2>
しかし、流星はなかなか見えないんですねこれが。
20分以上待ったでしょうか(時計を持ってなかったので正確ではありませんが)、
その間、この星座だけは誰でもわかるというようなオリオン座をみつめ、
どっちの明るい星が、リゲルでベテルギウスだったっけなどと考えているうちに、
流星にだけ目を凝らしていてももったいない気がして来て、
冬の星座全般の観測会にしようと思い、
目に見える範囲の空で、視界に入ってくるいろんな星々に意識を注いでみました。

そしたら見えて来たのが、オリオン座の斜め上でもやもやしているような、
ちらちらさんざめいているような星の集まりです。
多分、これは「昴」だなあと思いながら、必死で目を凝らし見つめました。
後で星図を調べると、それはまぎれもなく、「昴」、牡牛座のプレアデス星団でした。
東京のど真ん中でも見えるのよねえ。


<発見その3>
などと思っていたら、オリオン座の左下にひゅっと雫のように光が流れました。
今度こそ流星です。
おもわず、「うわっ」と言いそうに。ちょっとドキッとしました。
それから40分ほどの間にあと、3個ほど見えたでしょうか。
目の錯覚か本物か判然としないものもいれたらあと数個ありましたね。


<発見その4>
流れ星見えたと、ほっとしていたら左の目に光る動く星が目に入りました。
おっ!と思って急いで目で追うと、
その星は一直線にしかも等速に動いていくではありませんか。
UFO?という期待はすぐに吹き飛び、すぐに人工衛星だと理解しました。
時は4時30分頃 
こいぬ座の西を北西方向から南東方向に移動。そして消えました。
あまたある人工衛星のうちあれはどの衛星だったのか?
翌朝、人工衛星を探すサイトをネットで探し、
やっと見つけ出したのがこのサイト。
http://star.gs/~sat/sat/jin_i.cgi  「人工衛星観測ナビゲータ」。

これによれば、私がみた衛星は「ハッブル望遠鏡」くさいのですが、
これで合ってるのでしょうか?判断の仕方が今ひとつ理解できていない私です。

あと、地球をめぐる人工衛星の軌跡を知るサイトでは、こんなのもありました。
これちょっと感動ものです。
http://homepage2.nifty.com/m_kamada/javascript/satellite/index.htm
「JavaScriptで人工衛星の位置を表示する」というページです。


<発見その5>
発見といえるのか、何なのか、結局いまだ解明できていないのですが、
一番気になったのは、消えた星!があることです。
本当に消えたのかどうかわからない。普通に考えればそんなことあるわきゃないですよね。
一瞬明るくなって消えた。2瞬明るくなったかなあ・・。
短時間のことではっきりしないけれど、確かに一つの星が一瞬明るくなって、
そのあと見えなくなった。これは何? 
その星の位置は、ぎょしゃ座の下あたり。
牡牛座の角の先っちょの2つの星をむすぶ線の間くらい。あれは何だったんだ?
その時は、もしや恒星が爆発した瞬間を見てしまったのでは!
とさえ考えました。超新星の誕生です。
恥ずかしながら、もしかしたら今私は、
ものすごく大昔の爆発を目撃しているのだろうか、などと
ロマンティシズムに浸ったりもしました。
後で冷静に考えれば、流れ星が放射点上でこっちに向かって流れて来たという
可能性もありますよね(オリオン座流星群以外の)。
こういう現象を見たことある方正体を教えて下さい。
国立天文台に質問すればいいのかなあ?


<最後の発見>
これは発見というより、ああ、明け方にはこんな星も見えたんだよなと、
再認識しました。東の曙に明けの明星です。
すこーしピンク色になりかけた東の空に
いつのまにかオレンジ色のヴィーナスがいらっしゃいました。
ずっと天頂近くばかり見ていたので、いつから見えていたのか気づかず。
ふと東を見たら上ってました。
それにしても、明けの明星なんて見るの何年ぶりでしょう。
嬉しいもんですね。

ひとつずつ発見を並べていくと、なんだか事務的で感慨が薄れてしまうのですが、
東京でこれだけの天体観測ができるということが一番の発見だったかもしれません。
でも、やっぱり、もっとたくさん星の見える所にいけば、
もっといろんな発見もあるんだろうなと素朴に思いもします。

空を見上げると、容赦なく自分が宇宙の一員であることを感じます。
空を見上げると幸せを感じると言っても言い過ぎではないかもしれません。

川原湯温泉日帰り旅~八ッ場ダムを行く その1

2009-10-20 05:52:26 | Weblog
19日の1都5県の知事の八ッ場ダム視察に先駆けて、
昨日の日曜日、川原湯温泉に行って来た。
新聞やテレビの報道と実際はちょっと違うなと思って、
ブログにアップすることにしたが、
今日の「報道ステーション」が、
私が見て来たものに近い内容を報じていた。
ごらんになった方には分かると思うが、簡単に言えば
「中止に反対」と一言で言うが、
同じ「中止に反対」派にもいろいろ違った考えがあって、
一様ではないということだ。
報道ステーションでは、この一ヶ月で、住民の中にも変化が出てきて、
全員が中止反対一辺倒というわけではないと伝えていた。
しかし、せっかくなので、私自身が昨日見て来たことと、
今日のいろんな報道から考えたことをまとめてみたいと思う。


<素朴な疑問>

そもそも八ッ場に行く前から、私にはある疑問があった。
「中止」と「中止に反対」という2項対立で語られているが、
「中止に反対」=「ダム建設推進」なのかということだ。
地元にとっても、もともとは欲しくなかったダムだ。
なのに、生活再建の補償をしてもらっても、やはりダムも必要なのか?
ダム建設は中止でいいから、生活再建のための補償と再開発は継続してもらう
というのではだめなのだろうか?

温泉客として川原湯温泉の町を歩きながら、
数人ではあるが、出会った人と交わした言葉から、その謎が少し解けた。

「中止に反対」は「ダム建設推進」と全くのイコールではなかった。



<温泉街の人々の思い>

私が出会った人の中には、「中止に賛成」している人もいるにはいたが、
ほとんどが「中止に反対」していた。
しかし、「じゃあ、コンクリートのダムを作りたいのか?」と尋ねると、
みな、言い方は微妙に違えど、それはどっちでもいいと言う意味のことを語るのだ。

そして言葉は、
「もう、ダムありきで今後の生活に向けての準備が始まっている」
「代替地に引っ越すつもりでいた。それをいまさら中止と言われても」と続く。

ダム建設受け入れに回った人々は、
その時からより良い自分たちの未来のみを考えるようになったのだろう。
ダムというよりは、『ダム湖という観光資源』ができることを前提に、
若い世代が中心となって、様々な観光政策を考えてきたらしい。
例えば、ダム湖を一周するマラソン大会を毎年一回開催し、
観光客を誘致する等の計画だ。
多分、新たな温泉宿の立地も、ダム湖の景観ありきで考えられているのだろう。

彼らにとって、ダム建設と生活補償、生活再建は一体なのだ。
だから、ダム湖ができなかった場合、また新たな観光政策を考えねばならず、
再スタートの時期はずれ込むと、地元住民は心配している。

前原大臣が、生活補償はすると言っているのに、
なぜダム中止に反対するのか分からなかったが、これでちょっと理解できた。
前原大臣は、地元住民にまだ、
“ダム湖ができなかった場合”の具体的な補償政策を示していない。
逆を言えば、その具体的な補償政策を(もちろん効果的で町の活性化にもつながる
ものである必要があるが)早急に示すことができれば、住民たちは
ダム中止に理解を示し始めるのではないだろうか。

川原湯温泉は、宿や店の数も激減して、温泉街の体をなさなくなりつつある。
この状態がいつまでも続けば、さらに廃業に追い込まれるところも出てくるかもしれない。
彼らは、できるだけ早く新しい温泉街でちゃんと商売をしたいと思っているだけなのだ。

ただ、川原湯温泉再生プランと一口に言っても、
そんなにたやすいものでもないだろう。
私も、そうした地元の人が考えた再建計画が
いったいどの程度具体的に進んでいるのかは調べていない。
ダム中止でもそのまま生かせる計画もあるのか等々
政府が確認すべきことは山ほどある。
さらに、ダム無しの再建案のために、
政府は、いろんなアイディアのある人から早急に意見を聞くべきだ。
ただ、そこが新たな利権の巣窟になってはいけない。
地元が食い物にならないプランが必要だ。

一方で、その時間さえ待てないほど、
八ッ場の人々に今後の暮らしへの不安があるのも事実だ。猶予はない。
だからこそ、地元の人々も、そうした自分たちの思いを前原大臣に
伝えるためにも、大臣との会合をボイコットせず、参加するべきだと思う。
それは決して国に屈したということではない。
正当な意見を大臣に突きつけにいくだけなのだから。

今日のニュースで見た、地元住民と1都5県の知事の会合での、
地元住民の声は、「ダムを建設して下さい」というものだった。
「私たちの頼りは、ここに集まった知事さんだけです」と言っていた。

しかし、冷静に考えると、地元住民の言葉の力点は
「ダムを建設して下さい」にあるのではなくて、それに続く、
「ダムを前提に考えた新たな生活再建に少しでも早く踏み出したい」
の方にあるのではないのだろうか。
今や、「ダム無しの地元再建計画」と「ダム有りの地元再建計画」のどちらが
自分たちに取ってより良いかということになり始めているのかもしれない。
ただ、現時点では「ダム無しの再建計画」が見えてこないから、
住民は戸惑っている。


<誰が、本当に、コンクリートのダムを造りたがっているのか?>

では、一体誰が、第一義的に「ダムを造りたい」と思っているのだろうか。
石原都知事はそう思っているようだ。
下流域の(もちろん東京も含まれる)治水対策にダムは不可欠と語っている。
そして、「政府は、コンクリートを使わない山紫水明の国を作ると言っているが、
それは言うには美しい、やさしいけど、使うものは使わなくちゃいけない、
コンクリートもね」とも言っている。
これは、ダムの必要性が第一義ということだろう。

朝になってしまったので、今日はここで置いといて、この項目は次回続けたいと思います。

ドンキホーテが690円ジーンズ発売~価格破壊の末路は?

2009-10-16 05:32:06 | Weblog
あのドンキホーテがなんと690円のジーンズを発売した。
流行のPB=プライベートブランドだそうだ。
イオンとダイエーが880円、西友が850円。
今や、990円のユニクロが高く感じられるというわけのわからない状態だ。
そしたら、ユニクロはこんどフリースの長袖Tシャツを490円で出すという。
昨日立ち食いそば屋で食べたそばは、温泉卵と茄子天、
いんげん天入りで510円だった。これにエビ天を一匹足すと、
ドンキのジーンズが買える。
むなしいなあ。

以前から安い数百円の服というのはあった。
けれどそれは、倒産品の投げ売りであったり、訳あり商品であったり、
正規の店に並ぶ商品ではなかった。
それが故に、そうした掘り出し物を見つけた時には、
その商品に出会った自分の運のよさとか、
それを見つけ出した自分の目の確かさとか、
なにかしらちょっとした喜びが伴ったものだ。
しかし今、雨後の竹の子のごとく生まれている激安服は、
誰でもお店に行けば買うことができる。
簡単に手に入るものに愛着は湧かない。

もちろんこの経済危機の中で、
こうした激安商品に助けられる人もいるだろう。
しかし、この激安競争は、いろいろな危機を生む。

ひとつは、ニュース等でもよく言われているが、
この激安競争がデフレに繋がるのではないかということだ。

商品が安くなれば、消費者としてはありがたいが、
それを生産している会社の利幅も小さくなり、
労働者の賃金も安くなる可能性がある。
商品を安くした分たくさん売れて、収支はトントンなのかもしれない。
しかし、その会社がたくさん売れた分、
ほかの会社のものが売れなくなってしまい、そっちの従業員の給料が減る。

日銀の白川総裁も、14日の会見で、
「物価下落が原因となる景気悪化の可能性を注意していく」と語っている。
なのに、マスメディアはなぜに、こうした激安商品発売のニュースを報じる時、
それを、「企業努力による低価格の実現」という切り口でしか報じないのだろうか。
まあ、これらの企業はすべてテレビの大スポンサーであるから、
否定的にも扱えないのだろう。しかし、それならもっと扱いを小さくするべきだ。

もう一つのデメリットは、
日本人のモノに対する価値観が崩壊するということだ。
こんなに安くて簡単に手に入るものを誰が大切にするだろうか。
服さえも使い捨てになってしまいかねない。
さらに言えば、労働力というものに対する尊敬の念が
まったく湧かなくなってしまうだろう。
いくら大量生産の流れ作業で作られたものであったにしても、
どこかの国の誰かが、ミシンでカタカタ縫っているわけだ。

あなたは自分が縫ったジーンズを690円で売れますか?

一本のジーンズにどれだけの人が関わっているか考えたことがあるだろうか。
もともとの綿花の栽培から始まって、最後トラックで運ぶ人まで、
布代はいくら、縫製の人件費はいくら、デザイン料は、運送料はと考えると、
よくこんなに安くできるもんだと首をひねってしまう。
大量生産によるコスト削減というのはあるが、
大きくは、商品を作ってくれている途上国の賃金の安さ、
為替格差のおかげというだけのカラクリだ。
たまたま日本が先に経済発展しただけのことなのに、
それを「企業努力」と人はいう。

途上国との賃金格差を利用するという経営は、
労働というものの本当の価値を見失わせる。
そして、労働に対する感謝の念は欠如する。
他人の労働に対する感謝の念の欠如は、いずれ、
自分の労働が他者から感謝されないという事態に廻り廻ってくる。
やがて人々は、あなたの労働賃金が高すぎると値切り始めるだろう。
そして、みんなが貧しい世の中になる。

価値観という部分でさらに言えば、
衣食住という人間の基本3要素の一つである衣服という文化が
衰退することになりかねない。
本来多様であるべき人々の美意識は均質化し、
突出した面白みのない凡庸なものになっていくだろう。
‘ダサイ’ほうがまだいい。
そこそこにかっこ良く誰からも突っ込まれない、
そんなものだらけの世の中が面白いか???

年収1500万円も2000万も貰っている人が、
ユニクロばかり着てるとか聞くと、アホかと思う。
それは私が洋服好きだからなのかもしれない。
ユニクロ着てる金持ちは、服に興味がないだけで、
家とか車とか子どもの教育とか、他のことにお金を使っているのかもしれない。

でも、金持ちなら見た目もそれなりにすべきだというのが私の自論である。
ユニクロだって見た目はそれなりにいいじゃないかと言う向きには、
それじゃあ「目利き」にはなれませんよと言いたい。
別にみんなが目利きになんてならなくていいのだけれど、
金持ちにはちゃんとした「目利き」であって欲しいのだ。

言いたかったことがやっと出て来た。

そう、私は、この激安競争問題の一番の弊害は、
「モノを見る目がなくなる」ということだと言いたかったのだ。
失敗しても、痛くも痒くもない金額しか失わないということは
反省を促さない。
洋服選びに緊張感は失われる。
人によっては、面倒で、試着などしなくなるかもしれない。
ちょっとくらい大きくても、ちょっとくらい肩が落ちても、
安いんだからいいや、そしてセンスが悪くなる。
良いもの、自分に似合うものを見分ける目が無くなる。
もしくは、安いんだからいいやと、ゴミになってしまえば、
エコにも反することになる。
せっかくユニクロやその他の激安メーカーが努力していい商品を
作っていたとしても、「値段が安い」ということが、
人にその商品をぞんざいに扱わせる。

「見る目が無い人」だらけの世界は悲惨である。
いくらがんばっていくら良いものを作っても、それが評価されない世界。
いかに安いかばかりが基準になってしまって、
美しいものや、職人の努力の結晶のような良品は、
「値段が高い」という理由で駆逐されてしまう。
それは、人間が人間の積み上げて来た文化を否定しているに等しい。
 
今、日本人は、「激安」だけでなく、
その対極にある「ブランド」というものにも群がって、
「見る目」を衰えさせている。

それはブランドものの品質が良くないということではない。
なぜそのバッグがかっこいいと思うのか、
どの服とあわせるとそのバッグが引き立つか、
ちゃんと考えてブランドバッグを買っているだろうかということだ。
みんなも持っているから、ブランドだからという理由だけで買うのでは、
そのバッグも報われない。
ちぐはぐな洋服に合わせて10万も20万もするバッグをぶら下げていることを
本当にかっこいいと思っているのか。
いま一度考えてみる必要がある。

ブランドバッグを買えるくせに、ユニクロ着てていいのは、
ユニ隠しなどせずとも、
ユニクロのままでかっこよく着こなせる自信がある人だけである。

服選びだって、買い物だって、人生すべて勉強なのだ。
まあ、そこまで肩に力を入れることはないかもしれないけれど、
ゆるゆるの世界は、多分あんまり面白くなさそうだ。

もちろん、この経済危機の中、
低価格だからこそ本当に助かっているという人も多いと思う。
でも、洋服なんてそんなに頻繁に買わなくても、
なんとかやっていけるものである。
月に300円ずつ半年貯めれば、1800円。
ちょっと足せば2000円のジーンズが買える。
せめて、一本それくらいの値段は取るべきだ。
ちょっと前までは、その値段でさえ激安と言われていたのだ。

デフレスパイラルに入り込まないためにも、
ここはちょっと踏ん張って、お金のある人は適正価格のものを買いませんか。

ものの値段については、今後も考えていきたいと思う。
あと「企業努力」については、もちょっと言いたいことがあるので次回。






エコポイント3月で終わったほうがいいじゃん

2009-10-15 03:06:25 | Weblog
直嶋経産相がエコポインントの4月以降継続を見送る考えを示した一方で、
小沢環境相は継続を求め、予算の概算要求にエコポイント予算を計上する
ことが報じられた。
いつものごとく、メディアは、『閣内不一致がまたまた露呈』的な報道をしている。

そんなこと突っ込んで何の役に立つんだ。
政局的にこのニュースを報じるメディアは、
政策的には、どっちが正しいと思っているのだろう???

私の考えは、ブログのサブタイトルの通りだ。
3月で止めてもいいじゃん。

そもそも、デジタルテレビまでポイント対象に入っているこの制度は
エコというより、景気対策的な意味合いが強い
(もちろんデジタルテレビだって、昔のテレビに比べたら消費電力は少なくて
 エコなのだろうけど)。

それならば、3月で止めると言った方が、
駆け込み需要が望めるのではないか。
現に職場で、「3月までなら、早く洗濯機買い替えようかな」
という声を聞いた。

今後の景気は、年越しが山と言われている。
その危険な時期に家電需要を集中させるのも、
危機を乗り切る一つの手だと思うのだが。

それで、4月以降もやはり必要となれば、
補正予算でも組めば良いではないか。
だめ?そんなに簡単なことじゃない?

このニュースで誰もそのことを言わないのは、
やっぱ、私が間違ってんの???



オバマの「道義的責任」発言 誰も注目してなかったくせに

2009-10-10 11:15:29 | Weblog
オバマノーベル平和賞にもう一言。愚痴です。いや愚痴ではない批判です。

4月、オバマがプラハで演説を行った直後。
日本のテレビで、アメリカが核使用国としての道義的責任に言及したことを
ピックアップして報じたメディアはあっただろうか。
見落としているニュース番組もあるので、注目した番組はあったかもしれないが、
今、言われているほど、あれがすごい演説だと特集をしてるものはなかったような気がする。

私が働いているところでも、当初プラハ演説の第一報は、
数十万人の人が集まったということと、
核廃絶に向けた演説というのは伝えられたが
それは、現在進行形の北朝鮮やイランの核問題に力点が置かれた
ピックアップのされ方であった。

被爆国である日本が今後行動する上で重要であると思われる
「唯一核兵器を使用した国として、アメリカには行動する道義的責任がある」
という部分は当初スルーされたのだ。

確か、新聞記事にはこの発言も採り上げられていたと思うが、
今、振り返って検索すると、共同通信は、演説要旨の項目として
この「道義的責任発言」は入れてないのだな。

私は当時、この発言は
被爆国である日本にとってはとても大きい発言だと思ったんだが、
このニュースはテレビではそんなに大々的にはとりあげられなかった。

それには、このプラハ演説が日本時間で日曜日の夕方に行われた
というのもあるだろう。日本時間の5時半から6時ごろだ。
日曜の夜というのは各局ニュース番組が手薄で、
よっぽど大きいニュースだったら翌月曜日採り上げられるが、
結構スルーされるものも多い(国内ニュースは休日ニュースばかりだが、
外信ニュースは、時に大きなものもあったりするのに)。
だからなのか、本来ならば大きくとりあげるべき
「アメリカ大統領 核使用国としての道義的責任に言及」という
日本にとって大きいニュースが、その当日はスルーされた。

翌、月曜日、私はこのことを大きく取り上げるべきだと職場で主張したのだが、
デイリーニュースであるがゆえ、昨日起こった出来事は古いとされ
大きな扱いはしてもらえなかった記憶がある。

この発言が大きく扱われ始めたのは、
演説から何日目だっただろうか。

なのに今や、みな鬼の首を取ったように
核廃絶はあの演説がきっかけだ、
道義的責任を認めたのは画期的だとか言っている。
私が指摘したって聞いてくれなかったくせに。
でも今はみんなそんなこと忘れてしまっている。

そして一番組スタッフでしかない私(社員でもないしね)は、
外信部の方針と違った視点を示すことなど許されないのだった。

もう一度言います。
日本の多くのメディアは、当初
このオバマ演説の重要性を軽く見ていました。

自分の落ち度はすぐ忘れるみなさん、今回のノーベル平和賞で
それをしっかり胸に刻んで下さい。

私はむなしいのだ。


ノーベル平和賞 オバマも大変だな

2009-10-10 04:01:00 | Weblog
びっくりした。
現役大統領にノーベル平和賞って、それもアメリカの。

でも、最も困惑しているのは、当の本人だったんじゃないか。

受賞の会見は、日本時間の夜11時から予定されていたのだが、
めずらしく30分以上遅れての開始となった。
それに、遅れて出て来たオバマは、なんだか神妙な顔をして全然嬉しそうじゃない。
かえって迷惑そうに見えたくらいだ。
なんだか、これは困ったことになったと思っているように見えた。

確かになあ。こんなもの貰っちゃったら、オバマに対する世間の期待は
どんどん大きくなっちゃうもんなあ。
目標達成できなかった時の落胆や批判も大きくなるに違いない。
私だってそんなのは嫌だ。

それに、現役のアメリカ大統領である自分が
現実として、現在やっていることを顧みると、
平和とはほど遠いことがいっぱいあるわけだ。

タリバンが
アフガンでたくさん人を殺しといて平和賞とはなんだ!と
コメントしていると報じられていたが、
「ごもっともです、その通り」とうなずいているのは
オバマなんだろうなあ・・。

実際に受賞コメントとして
「驚きであり、深く謙虚に受け止めている」
「受賞は私の業績への評価とは受け止めていない」
「世界の人々の希望が米国のリーダーシップに寄せる期待を確認したものだ」
と語っているし、
「核の無い世界は私の生きているうちには達成できないかもしれない」と、
目標達成の難しさを、あらためて語ってました(前から言ってるけどね)。

まあ、日本のメディアの報じ方だけを見てもすごい期待で、
オバマの心中を考えると、大変やなあと、同情。

会見でのオバマの微妙な表情を見ていたら、
「彼をプレッシャーでつぶさないでー!」と叫びそうになってしまいましたよ
就任式まで見に行った私としては。

なんだよ、ノーベル。もしかして、イジメ?

まあ、そんなことはないんだろうけどね。
でも、オバマも大変だなあ、いろんなもの一人で背負って。
もっと他のやつも背負ってやれよ。俺もしょってやるよ。
でも重いな、核兵器。







友愛の焼け跡闇市

2009-10-08 03:03:39 | 国内情勢
今日、同業の知人と雑談をしていて、政権交代後の希望という話になった。
私は、チェンジの後にすごく希望を感じているというと、
驚いたように、へー、と言われた。
その知人は、まだまだ先は見えなくて不安だという。
確かに、失業率は高いし、私がいるテレビの業界もリストラの嵐が吹き荒れている。
こんなところで、批判めいたこと書いてる場合じゃないのかもしれない。
でも、私は、やはり世の中が変わる予感で、気分は前向きだ。

彼が言うには、新政権の前には、自民党が残した負の遺産が山積していて
めまいがしそうなのだそうだ。
確かに、その通り。なぜに自民党が好き勝手して、そのあとに置いてった
産業廃棄物を新政権がすべて処理しなければならないのか、
ダムにしたって、空港にしたって、不条理の極みだ。

けれど、だからといって、
それは先は暗いということには直結しないと思うんだけどなあ・・。

マスメディアは、新政権の先を憂いてばかりいる。
しかし、閣僚の姿を見ていると、
みんな結構やりがいを感じて精力的に動いているように見える
(官房長官はちょっと微妙だけど)。
明治維新と比べられるほどの変革を、実際その中心に立って
実行できるなんて、嬉しくないはずが無い。
大変かもしれないけど、自分が世の中を変えるというのは、
政治家としては本望だろう。
それって、ずーっとまんねり政権を続けて来た自民党の
議員たちにもできなかったことなんだから。

それを、メディアは、これまで通りの政局好きを露呈して
「連立与党でズレ」とかそんなことばかり言って、
その旧態依然をあらわにしている。
自民党から民主党にチェンジして、もっとも大きく変わったのは
実は、政治の動きの中心が、政局から政策に移ったことじゃないのか。

今回の政権交代の風に、最後まで気づかなかったのがマスコミである。
マスコミが実は、最も古い思考パターンで動いていて
一般の国民の意識よりも一歩遅れているから、
不幸のどん底にいた人々が政権交代で抱いた希望に気づかないのだと思う。
これまで大きな既得権の恩恵に浴したための油断と、
今後、メディアも厳しい時代に突入していくという不安が、
今後の政治にも希望を抱かせない理由かもしれない。

では、私がなぜ、今希望を感じるのか、不安を抱かないのか。
私は結婚もしていないし、
田舎の両親を扶養しているし、そのため貯金なんてないし、
テレビ局の社員でもないから、将来の高い年金も
退職金もない。もし、今、仕事をクビになって、
次の仕事が見つからなかったら、すぐに崖っぷちだ。
本当に、テレビによく採り上げられる派遣切りにあう直前の人たちと
なんら変わらない。実家の住宅ローンと今の賃貸の家賃両方を抱えてる分、
私の方が危ないかもしれない。

けれど、なぜ、希望なんて感じているかと言うと、
多分財産というものを持ったことがないからだ。
うちは親の代からなんにもなかった。
たまたまバブルの時代の恩恵にあずかって、
苦学しなくても大学教育は受けることができたけど。

今よりも財産が減るということは、
もうどうしようもないということで、
それはそれで、開き直るきっかけとなる。

私が不安じゃないのは、
かくも大バカ者だからである。

ある意味、平成の焼け跡闇市がやってくることを期待している。
ただ、弱肉強食ではない「友愛」の(笑)焼け跡闇市だ。

タクシー運転手の嘆き「年金受給額はこんなに減額される!」

2009-10-07 02:12:58 | Weblog
今朝、急いでいた上に、雨が降っていたので、
短い距離ではあったがタクシーに乗った。
710円の距離でタクシーを拾う時にはいつも、
「厳しいタクシー業界を助けるためだ」と言い訳しながら手を上げる。
そして、乗るたびにその言い訳は言い訳でなくなる。

今日も、乗車して、「雨ですね」とこちらが言うなり、
運転手のおじさんは
「今、お客さんがいるのは雨のときだけですよ」と切り返して来た。

タクシーに乗ったら5回に3回(いや5回に4回かも)は、
不景気の話になる。そして、お決まりのごとく
小泉改革で規制緩和されて、タクシーの台数が増えすぎて・・・
という話に続く。

今日出会った運転手さんは、特に怒っていた。
というのも、年金額がひどく低いらしいのだ。
彼は65歳未満(60歳は超えている)なのだが、
最近、仕事の収入も減って来たので、
年金受給年齢を繰り上げて、60歳から貰える制度に申し込んだ。
5年繰り上げで貰うことにすると、当然、受給額は減る。
それは承知の上だったらしいのだが、
実際に貰える額を聞いて愕然としたという。
厚生年金も払って来たというのに、
なんと月額は58000円!
なんでこんなことになったのか、団塊の世代がいくら人数が多いからって
どういう計算なんだと怒っていた。

厚生年金も払って58000円は確かに安い。
ただ、彼が厚生年金に何年間加入し、
どのくらいの保険料を払っていたかはわからない。
それに、58000円というのは多分、
後期高齢者医療制度による健康保険料や介護保険なども
天引きされているんだろうから、総支給額は
本当はもっと多いのではないかと思われる。
それに、さっきちょっとググってみたら、
なんだか、60過ぎても働いている人は、
収入があるから、それなりの減額がされるみたいだ。
ただ、58000円しか貰えないのは事実だ。
タクシー運転手の収入が、
下手すると10万円台にまで下がっている今、厳しいに違いない。

話はちょっと飛ぶが、ついでに言うと、
タクシー会社によって給与体系はずいぶん違っているらしく、
売り上げに関わらず、基本給は保証されている会社と
完全歩合の会社がある。
これは、以前乗った別のタクシーの運転手から聞いた話だ。
話してくれた彼自身は基本給の保証がある会社だったが、
後者の運転手の多くは今相当苦しいはずだ。

今日の運転手さんにも、もっと詳しく状況を聞きたかったが、
710円のワンメーターの距離は短すぎた。

とはいえ、厚生年金も払っていてこの金額というのは
ちょっとショックだったので、
明日、どういう場合こんなことになるのか、
近所の社会保険事務所にでも聞いてみようと思う。
その結果はまた、あらためてアップします。


東京都のお金の使い方 番外編

2009-10-06 16:07:22 | Weblog
この前、夜上野周辺を歩いていて、
あまりのかっちょよさにちょっと立ち止まって
景色を眺めてしまった。

そんで、iphoneでちょこちょこ撮影した映像を
youtubeにアップして、海外のみなさまにも
上野の良さをわかってもらおうなどと思ったりしながら
他にもありそな東京紹介ビデオを検索してみたところ
こんなものを見つけちゃいました。

http://www.youtube.com/watch?v=adeVpreleO4
海外からの観光客誘致のために
東京都が作った東京紹介のビデオを紹介するニュースです。
それによれば、このビデオ「TOKYO COLORS」の制作費は
なんと1億1000万円!

で、見てみました。
http://www.metro.tokyo.jp/SUB/MOVIE/index.htm

日本語以外8カ国語バーションがあるので
さぞかしその経費もかかっているのだろうと思いきや
ナレーションは無く、字幕もそれぞれのコーナータイトルと
サブタイトルみたいなのだけ。
これだったら英語だけでよかったんじゃないのと思えるんですけど。
音楽にのせて東京のいろんな風景を短いカットを重ねてみせる
一昔前のイメージビデオみたいな感じ。
これ見てる人いるんかなあ。
これで1億かあ。
BGMもいまいちなんだよなあ。

オリンピックだけでなく、
新銀行東京だけでなく、
東京都のお金の使い方、今一度チェックしましょうね。

ちなみに東京の紹介びでおだと。
YOUTUBEで見られる「TOKYO-CRUISE2009」の方が
外国人受けしそうです。

上野のビデオいつ撮ろうかな・・・。


松任谷由実コンサートツアー2009 TRANSIT

2009-10-05 05:16:13 | Weblog
友人に誘われて松任谷由実のコンサートに久々に足を運んだ。
知らない曲が結構あった(ニューアルバムの曲を知らないのです)。

「TRANSIT=トランジット」というタイトルからも分かるように、テーマは旅だ。
何の前情報もなくコンサートに臨んだが、
これは、心の旅、時間の旅なんだなと、すぐに感じられるような構成だった。

考えてみれば今回のコンサート構成のメインとなる新しいアルバムは
「そしてもう一度夢見るだろう」だ。
このアルバムタイトルこそがまさに、<心のトランジット>ということを
意味しているではないか。
このブログを書きながら気づいた。

過去に見た夢が甦り、ふと立ち止まる。
けれど、引き返すこと無く再び目的地に向かう。
そのふと立ち止まる瞬間こそ人生のトランジット。

添乗員は言う、
「お乗り継ぎの方は、間違って、
 ここで降機するお客様と一緒の出口から
 出ないようにして下さい。」

ユーミンの歌の登場人物は、
ここで決して間違いを犯さない。

アンプラグドで演奏された「幸せになるために」は
「いちご白書をもう一度」のカップル(「いちご白書」のカップルだっけ?)の
その後を歌ったといっていたが、
この二人も再会した後、やはりそれぞれの道に戻って行くのだった。

アンコール前のラスト曲は「水の影」。
この曲の最後のフレーズは
「よどみない浮き世の流れ、飛び込めぬ弱さ責めつつ
 けれど傷つく、心を持ち続けたい」

飛び込むより、傷つく心を選ぶ彼女。
弱さを責めているけど、本当に弱いのか・・。
飛び込めぬ弱さと飛び込まぬ強さは表裏一体。
その間の揺らぎがユーミンの魅力なのかなあと、
無理矢理結論づけてみる。

最初書こうと思ってたこととはずいぶん違う方向になってしまった。

最初、ツアータイトルがTRANSITと聞いたとき浮かんだイメージは、
「時のないホテル」のアルバムジャケット。
70年代のヨーロッパ映画みたいな列車の旅に始まって、
ガラス張りのフューチャリスティックな空港でのトランジット。
ガラスの外の景色は「WIND AND WINTERS」の雪をかぶった針葉樹林だ。

でも、そんな話を書いてたら寝れなくなるので、またあらためて。

オリンピック東京落選

2009-10-03 02:56:21 | Weblog
やはりここはリオデジャネイロが妥当でしょう。
最初にシカゴが落選したことでちょっとどよめきがおこったけど、
あんなにお金のない今のアメリカが、財政的に大丈夫なはずがない。
オリンピックという公共事業で外貨稼ぎというのもあるんだろうけど、
今やアメリカは、過去の国。
これから伸びようという新興国を差し置いて、
アメリカが世界のお金を吸い上げてどうしようと言うのだ。
そこには希望もなにもあったもんじゃない。
それくらいの空気は国際社会も読んでるだろ。
マドリードも、スペインはバルセロナが90年代だったしな。
日本も含め、いろんな変化が起こっているこのチェンジの時代に
あらたな大陸に行かずして、どこへいこうというのでしょうか。

とはいえ、
もし、東京でオリンピックがあったらあったで
面白いこともあったのかもしれないとも、ちょっと思う。

たとえば、政府は、オリンピックにあわせて、
公立学校のグラウンドの芝生化をやろうとしてたみたいだし、
民主党に近いと思われる宮台真司なんかは、
五輪にあわせて、自転車道路の整備をすべきとか言っていた。

それに、現在、新政府による大型公共事業の見直しが
着々と行われているが、オリンピックで生まれる公共事業が
直轄事業の中止で仕事にあぶれたゼネコンの受け皿になったのでは
ないかとも思う。

ダムなどの巨大公共事業は、元締めが都会の大手ゼネコンで
その建設費の7~80%が流れるらしい。
残りが地元の中小零細の土木業者に行く。
ダム事業から、川の浚渫や護岸工事に変更することで
高度な技術のある大手ゼネコンは必要なくなる。
ほぼ100%地元にお金を落とすことだって可能だ。
しかし完全にそうなってしまっては、
あの巨大なゼネコンがバタバタ倒れてしまいかねない。
もちろん、ダム建設予定地の再開発などに
大手も参入するのだろうが、それでも巨大直轄事業の中止は
彼らに取って痛手だと思う。
もしオリンピックがあったらその辺も解消しそうだ。

とはいえ、オリンピックが東京に来ることはなくなった。
これは、より一層、「緑の公共事業」のアイディアを進めなくてはならんな。

それに、巨大ゼネコンというのも、
時代にあわせて形を変えていかねばならないのだと思う。
右肩上がりの経済成長で、大きなダムや橋や
高層ビルをぶったててる時代じゃないのだ。
巨大ゼネコンは、その資金力で、
逆に日本の伝統建築工法を残すような、
量より質の仕事を追求してほしい。

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イランの核問題と石油の話 えっ、いつのまに中国と!

2009-10-02 02:47:12 | Weblog
このところ、イランの新しいウラン濃縮の核施設が問題となり、
今日(1日)イラン核問題の6カ国協議ともいうべき、
安全保障理事会常任理事国5カ国とドイツとイランによる(こっちは7カ国だけど)
協議が行われた。
イランはIAEAの査察を受け入れるということで、
月内にも再協議を行うそうだ。

そもそもこの問題、
イスラエルの話を抜きにしては語れないはずなのだが、
報じられることはまれだ。
裏にはイスラエル国内で、イランへの空爆論議が
現実味を帯びて来ているという背景がある。
一説によれば、イランは現在稼働しているナタンツの核施設が
空爆された時のために、
今回非難されているゴムの新たな核施設を建設しているとも言われる。

イスラエルでイラン核施設空爆が現実味を帯びている
といわれる背景は、イスラエルの危機感だろう。

イスラエルはガザ攻撃で
周辺アラブ諸国からの強い反発を買っている。

さらに、秘密裏にしている核開発について
IAEAからNPTに加盟しろと決議をされたり、
オバマ大統領からも、NPT加盟を求められたり
アメリカももはや以前のような絶対的な庇護者では
なくなりつつある。
イランとイスラエルは、お互いそれぞれの危機感から
核に固執しているようだ。

今後も、イランの核問題協議は表向き、
イランだけの問題として進んでいくだろうが、
イスラエルの姿勢を抜きにしては語れない。
そういう中東全体の構図の中で語るべき問題だ。

と、思って、
久しぶりに、ペルシャ語の新聞の邦訳が読めるサイトに行って
別件で驚いてしまった。

ななななんと、中国が、イランにあるアザデガン油田の
権益の70%を獲得したという記事が出ていた。
9月29日付けのJam-e Jam紙の記事だ。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html

アザデガン油田というのは、ハタミ大統領時代から
日本がイランと共同で開発計画を進めていた油田である。
日本にとって存在感のある原油供給減になるはずだった。
それが、イランを敵視するアメリカが
日本にイランでの油田開発の断念を迫り、
結局日本は、たった10%の参加権益だけを残し、
大幅に権益を縮小することになった。

その後、このアザデガンの開発は、イラン国内の資金不足と
海外投資の欠如で、遅れていたが、
このたび、中国が開発に着手することとなり、
イラン側が保有していた90%の株式うちの70%にあたる株式が
譲渡されたということだ。

日本が先鞭を付けたものだったのに、
ブッシュさんのおつきあいをしているうちに
中国に持ってかれてしまったということですな。

冒頭の核問題のような政治的な問題が
国際社会で取りざたされている影で
着々と経済も動いている。

しかし、経済は、ニュースがもっとも苦手とする分野だから
あまり報じられない。
苦手というよりは、視聴者が経済には興味持たないだろうと
思っているテレビマンが多い。

そんなニュースに報じられない世界で、
中国は着実に成果を上げている。
中国の要人は、常に日本より一足早く
南米を歴訪し、アフリカを歴訪し、エネルギー開発権益を獲得して来た。

もちろん、将来的に、化石燃料からの脱却をはからねばならないのだから
逆にこれはいいことなのかもしれない。
にしても、このアザデガンの話は、日本の国際社会でのお人好しというか、
中国のしたたかさというか、
なんだかがっかりしてしまう話なのだった。
多分ほかでもこんなことがいっぱいあるんだろうなあ。
民主党新政権はがんばってくださいよ!

イランの方に話を戻すと、
いつの間にか、うやむやになった大統領選挙後の騒動であるが、
あれについても、日本で報じられていた内容には
報じられていない部分が多い。それが誤解を生んでいる。
例えば、保守派と改革派という言葉だ。
今日は疲れてしまったので、
これについては、また次回にするが
まだまだ中東というとことは日本で正しい理解をされていない。
私も、専門家等からの耳学問で、
人のことは言えないんだけど・・・。

キーホールTV

2009-10-01 11:16:13 | Weblog
キーホールTVのソフトをダウンロードしてみた。

ウィキによれば、このキーホールTVというのは、
「P2Pを用いたソフトウェアアプリケーションで
 動画をストリーミング又は、ファイルとしてP2Pネットワークに流し
 テレビチャンネルは世界中に配信される。」とある。

P2PというのはPeer to Peer(ピアトゥピア)の略で、
多数の端末間で通信を行う際の仕組みのひとつで、
対等の者(ピア)同士が通信をすることを特徴とする通信方式のことらしい。

なんだかわかったようなわからないような・・。
とにかく、ものすごく軽い負荷で、映像が送受信できるシステムで、
ソフトは無料である。

で、試聴した感想。
まだ視聴しかできないmacだからなのか、
解像度が低く、映像、音声ともに満足できるものではなかった。
開発した苫米地氏は、将来的にグーグルをも買収できるほど
成長可能性があると豪語していたが、この解像度を見てしまうと
本当にそんなにすごいのかなと、思ってしまった。
私はテクノロジーに関しては弱いので、ほんとはすごいのかもしれないけど。

でも、地方の番組とか、CNNとかも見られる。ラジオもあったし。
これが世界中で見られるわけだから、完全に画像が良くなれば
これは広がるかもなと思えた。

すでに、windows mobile版のアプリは出ていて
iphone版のアプリケーションももう開発済み、
リリースを待つばかりらしい。
そうなると、結構ユーザーは増えるのではないかという気がする。
それに、総務省肝いりによる技術開発らしいからなあ。

地上波のデジタル化にともない、
テレビ局の放送配信機能というのは本当に
限られたものになるなあというのをしみじみ感じた。

番組さえ作れれば、もうテレビ局を通さずとも
誰でもパソコンから配信できる。
もちろんその辺はすでにyoutubeやニコ動で行われているわけで
別に、大掛かりな番組でなければ、素人でも作れるし、
生の実況もありだ。

テレビ局に有利な部分があるとしたら、
大きなスタジオがたくさんあることや
大道具小道具、さらにはCGなどの美術関連、
カメラマンや照明、音声などの技術、
編集システムなどなど
番組制作における設備やノウハウがあることだけかもしれない。
だけかも、なんてそんな小さいものではないけど。

生放送でも、選挙特番のようなものの制作は、
制作会社や個人にはむりだろう。
ただ、テレビ局も、経営規模が縮小してしまっては
こうした気が遠くなるほど大掛かりな番組も制作がむつかしくなる。

テレビ局は、スターのブッキング力と
大掛かり番組だけで生き残るのか?

いや、スタジオとタレントさえ押さえられれば、
制作会社は大掛かりな番組だって作れる。
スポンサーが、直接制作会社と契約することができるようになれば
それは可能だ。

その場合、広告主を仲介している電通などの代理店はどう動くのか
(本音を言えば、電通はこの際潰れてほしいと思うのだが)、
放送におけるスポンサーの動向は興味深い。
制作会社は下請けのままなのか?それとも・・・
コンテンツ制作能力がダイレクトに
生き残りに関わってくれば、力のある所は自力で放送し
力のないところはテレビ局の下請けになる構図ができそうだ。

あと、個人の制作者まであわせて考えると、
ゲリラ的なものや超ニッチなものは個人にも利がありそう。
放送法の縛りを受けないからだ。
逆に言えば節度ある放送というのは、テレビ局に求められるはず
報道におけるきちんとした裏取りとか、冷静さだ。
しかし、今のニュースは冷静さを失っているし、
発表報道に慣れて、官庁発表のものについては疑わない。
誰でも彼でも報道に参入できる時代、テレビニュースは
きちんとした節度と、ジャーナリストとしてのプロ意識
という部分で生き残るしかないのではないか。

いや、通信における番組制作者全てに対する
指針のようなものができたら、その辺も成り立たないか。

すべてはお金の動きにかかっている。
広告代理店とスポンサーの動向、世の中の景気から目が離せない。
でも、電通は潰れちゃえば良いと思う。
搾取してるだけじゃん。