橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

千葉7区補欠選挙 民主党勝利

2006-04-25 16:17:19 | Weblog
千葉の補欠選挙は民主党の太田候補が約1000票という僅差で勝利した。僅差とはいえ勝利は勝利。小沢一郎効果は大きかったわけだ。メール問題は本当に吹っ飛んでしまった。

混乱する世の中、広がる格差、そんな中で国民は力のある指導者を望んでいる。いまだ安倍晋三人気が高いのも、タカ派的な面が指導力と見えているのだろう。

そうした状況下にあって、小沢一郎的なものが求められるのは自然な流れなのかもしれない。
自民党や批判的タブロイド紙などが、小沢一郎の手法はこれこそまさに自民党の古い体質そのものであると批判しても、
世の中の求めるものがもともとそうであった上に、メール問題が起こったことが、小沢氏にはある意味、味方した。

テレビが映した小沢一郎はといえば、自民党の支持団体を回って切り崩しを画策する姿と田中角栄との関係。ちょっと前なら、あまり良いイメージには受け取られなかった姿だ。しかし、メール問題があんな形で終息したことで、根回しは着実さと受け取られ、強引さは実力と解釈された。

反対にテレビ画面に映された自民党の選挙活動ときたら、武部幹事長の『最初はグー!さいとうけん!』とか、いかにも実力なさそうな小泉チルドレンの走り回る様。皮肉にも国民は、自民党の新人が走る姿や子供騙しのような武部幹事長のオヤジギャグにメール問題でさんざん問題にされた、若手の同好会的、素人的なイメージを垣間みてしまったのではないかと思う。

一部のメディアにとってこれは誤算だったろう。批判が批判にならなかった。この時点で、もう小沢一郎はもう潜在的に勝っていたのかもしれない。それに、これと同じ意味で、太田候補のキャバクラ勤めの情報も、ある意味図太さとか豪放さと解釈され、永田元議員と同じ官僚あがりの自民党斉藤候補を利することにはならなかった。

このところメディアをにぎわしたライブドア事件やメール問題の効果がなんだったかと言えば、質実剛健なるものの見直しなのだろう。

民主党はいろいろもめながらも代表決定を選挙戦に持ち込み、連日テレビメディアにネタを提供することで露出を増やした。
しかし露出が増えようが、世の中の潜在的な小沢待望がなければ、これら多くのメディアへの露出は逆効果に働いていたかもしれない。民主党が策を弄したとすれば、それは小沢一郎が代表になることに決まっているのに出来レースの代表選をやった場合だけだ。今回、メディアの内部では、「代表選挙をやらずに話し合いで小沢氏に決めたら民主党は終わりだ、談合政治はやめろ」との声が大きかった。しかし、民主党が終わりになるかどうかは、代表選をやるかどうかよりも、代表選をやって小沢一郎が代表になるかどうかにかかっていたと思う。これで菅直人が勝っていたら、補選で民主党は勝っていただろうか。

国民はあたらし物好きである、恐いもの見たさというのもある。
なんだかんだ言ってこれまで自分がリーダーシップを発揮することがなかった小沢一郎の本当の実力が見たいのだ。
トップスターは小泉純一郎のみというマンネリ状態に小沢一郎という怪獣を放ってそれを打破したかったのだ。
いまや恐竜になった小泉純一郎にはもはや怪獣でなければ太刀打ちできない。そう国民は思ってはいないか。
今回を逃したら小沢一郎にはもう芽はないという声を聞けば、あわてて支持するだろう。

代表選をやることは、小沢一郎が民主党代表として、小泉純一郎に立ち向かう強力な対抗馬としてドラマティックに登場するための舞台を提供するためにのみ必要だったのだ。

代表選をやらねば民主党は終わりだと言っていたメディアの人々はどういう理由で言っていたのか、私には今ひとつわからない。代表は小沢か菅かどちらかと言われている中で、もし他に候補者が立ったとして、その候補に勝ち目はあっただろうか?
だとしたら、小沢、菅どちらがなるかを話し合いで決めることは談合というのだろうか。
確かに民主主義という意味で言えば、清廉潔白でないかもしれないが、あのバラバラな民主党で、政策を一致させよと声高に言っておいて、その擦り合わせをさせず、代表選挙せよとだけ言うのはどうなのだろう。いや、選挙をやって分裂、亀裂があらわになってしまうような民主党だったらそれまでの存在なのだ、そのまま政界再編だ、ということなのだろうか。
そりゃあ、民主党が分裂し、安保政策で強硬路線をとる一派が自民党に合流し、自民党からは鳩派の一派が民主に流れなんてことになったら、もっと分かりやすくなるが、そういうことを意図して代表選やれと言ってたのか?なんだか深読みし過ぎだが、
ほんとはどうなんだろう。

劇場型でもなく、多数決万能主義でもない民主主義とはどんな形なのだろう。
自分の考えが正しいのか間違っているのか、もしかしたら私の考えこそ衆愚なのか?
そんな不安も頭をもたげるが、これは考え続けるしかないのだろう。

どっちにしろ、小泉さんの絶叫や武部幹事長のダジャレへのため息をついた人々は、小沢、菅、鳩山の3ショットにちょっと安心感を感じ、そうした人々はもう前原誠司という名前をすでに忘れてしまっているかもしれない。
これで9月の代表選以降も小沢一郎が続投する可能性が高くなってきた。
小沢一郎著、日本改造計画の続編に期待。
しかし、民主党のメンバーが変わったわけではない。永田元議員がいなくなっただけでもある。
千葉7区補選の民主党太田候補の万歳三唱の後ろには、自らも千葉が地元の野田元国対委員長の姿があった。
これから、野田氏や前原前代表はどういう動きを見せるのだろう。

なんだかとりとめも無くなったが、9月まで目が離せない日が続きそうだ。
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民主党代表選

2006-04-12 02:37:11 | 国内情勢
民主党は代表選挙の結果、小沢一郎が代表になり支持率もアップ、今後に期待がかかるという展開になった。
代表選前には、メディアのあちこちから『ここで選挙をやらなかったら民主党はおしまいだ』とか『密室談合で代表を決めるのはよくない』といった声が聞こえてきて、どうにも選挙をやらずには済ませられない雰囲気だった。

サンプロで、代表選は各マスコミがこぞって大きく取り上げて、メール問題が吹っ飛んだ、誰がこの絵を描いたのかと田原総一朗が小沢一郎に聞いていた。
これまで
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今日からはじめます 

2006-04-11 19:04:50 | Weblog
目の前に「ご臨終メディア」だの「テレビの罠」だの「ウェブ進化論」いう新書があって、「Web2.0」なんて本も転がっている。実は放送の仕事に携わっているのだが、どっかの社員という立場でもなく、社内のしがらみもない代わりに保証も高収入もない。そんな微妙な立場にいると上記のような書物の内容が気になるものなのだ。
 ということで、日々感じるメディアに対する思いを、その日思いついたこと優先で覚え書きのごとくに書いてみたいと思う。
 
 そういえば、先日、あるテレビマンが「日々仕事場で表現してるのになんでブログなんてやりたいと思うのだ、わからないなあ。」と言っているのを聞いた。現在のテレビの現場で、特に報道の現場で自分の思い通りのことを表現できているとはなんて幸せな人だろうと、溜飲が下がりましたです・・ってホントかよ!ってビックリし、尚更こんなメディア批判みたいなブログをはじめようと思ったわけ。
 
 テレビという現場にいて思うのは、やはりマスメディアは権力だということと、制作スタッフの中で、それを意識している人としてない人の差は大きいということ。
 
 そんな中で働きながら、メディアの将来がどうなるのかを日々起こる出来事を交えつつ考えてみたい。
立場の不安定な私にとっては、業界の将来像がどうなるかを見極めることも仕事の一つではないかとも思うし。

コメント (2)
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