橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

シリア情勢 アラブの春とは何だったのかなあ・・・

2012-08-21 09:56:00 | 中東・アフガニスタン

ジャーナリストの山本美香さんがシリアで戦闘に巻き込まれ亡くなった。

そもそもシリアの均衡を破ったのは何か。
シリアの寝た子を起こしたのは誰か。
単に政府と反政府勢力の対立だけでは語れない国際情勢を思う。

アラブの春とは何だったのか・・・。

今年1月アジア記者クラブで行われた東京外大准教授の青山弘之さんの講演タイトル
「なぜシリアが標的なのか 米が狙うダマスカスからテヘランへの道」が気になる。
2月25日北海道新聞「扇動されるデモ活動」も気になる。
内容どなたかアップしてないだろうか
このところ自分の中の中東情勢の知識をアップデイトしていない。
でも、今のシリアの状況がそんなに単純な状況でもないであろうことはなんとなく感じている。

最近、80年代とは何だったのかを考えていて、
当時の価値相対主義を批判することもあるのだけれど、
中東と欧米の価値観の違いを見ていると、
「正義」を考える時、価値相対主義もある局面では必要だと感じる
(もちろん、中東と欧米で重なる部分はあるし完全な対立構図ではない。
 二項対立ではない違いを理解せねばならないなあ・・・)。

真実は何か?正義とは何か?
それが分からなくとも、罪亡き人が殺される状況は
プラクティカルに避けねばならない。
とにかく停戦。
…いや、そんなことは分かっているけれどできないのだ。
世界にはいろんな人がいるからね。
でも、それでも殺戮を止めたいならば、
殺戮が激化するような煽りに加担することだけは
避けなければいけないと、消極的だが考える。

世界には自分なんかより頭がよく、周到な人がいっぱいいるから
私のあがきなど利用されて終わりになりかねない。
少なくともそうはされないために、自覚だけは持っていられるよう
最低限の情報収集だけはしておかないとと思った。

9・11に思う 国際社会のスケープゴート・アフガニスタンにそろそろ平和を

2010-09-12 09:11:49 | 中東・アフガニスタン
今日は9年目の夏。日本ではもう12日になったが、ニューヨークはまだ11日の夜だ。数時間前、CNNでは追悼式典をやっていて、オバマやミシェル、あのブッシュ夫人までスピーチしていた。アメリカでは9・11を前にグラウンドゼロ近くのビルの中にモスクを造るかいなかが連日ニュースを席巻していてデモも行われていた。中間選挙への思惑もあるのだろうが、アフガニスタンで戦渦に怯える人々のことを思うと、NYの人には悪いが、いかばかりかと思えた。
アフガニスタンには更に増派が行われることになっていて、事態は泥沼化するばかりなのだ。

そんな中、日本では先日、アフガニスタンで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリストの常岡浩介さんが解放され帰国した。
今回は、やはりアフガニスタンについて考えたい。

常岡さんによれば、犯人はタリバンではなく、クンドゥズのラティフ司令官とタハールのワリーという、現地の腐敗した軍閥集団だという。
さらに、その軍閥ラティフは、ヒズビ・イスラミ(イスラム党)の中で、カルザイ大統領の顧問であるサバアウン大臣の部下にあたり、政府の人間として堂々と暮らしているらしい。

つまり、政府関係者が、日本人を拉致して日本政府を脅したという事。

軍閥って何?という方に一応簡単に説明すると・・・
アフガニスタンではソ連のアフガン撤退以降、タリバンが登場する以前から、各地域に軍閥が群雄割拠する内戦状態だった。強盗やレイプを行うものもいて治安は悪かった。軍閥は山賊みたいなもんだ。そこにタリバンが登場して厳しくとりしまり、一気に人心をも掌握し権力を奪取したわけだ。治安はよくなったが、あまりの制裁の厳しさに人権侵害との声が上がる。
両者どっちもどっちなんだが、9・11のテロとの関係から、タリバンのみが悪者になった。タリバンに敵対して戦った軍閥の悪行は見過ごされ、米軍の攻撃開始当初は英雄視さえされた。タリバンがいなくなった後、こうした軍閥が集まって暫定政府が作られ、政府のポストはこうした軍閥の幹部が占めることになる。

常岡さんは、犯人グループが日本大使館に連絡した際、電話で話したそうだが、
「犯人はタリバンだと言え」と言われていたそうだ。常岡さんは、その通りに言いはしたが、一方で、彼らに分からないような日本語で、彼らがタリバンではない旨をなんとか伝えた。
それでも、「犯人はタリバン」とメディアで報じられたのは、本当の事が報じられると常岡さんが言う通りにしなかった事がバレて、命が危険に晒される可能性があったからだろう。事実は知らないが、普通に考えたらそうだ。

そして、犯人が「政府と関係がある人物」であったことが、日本政府が身代金を払う事無く、常岡さんの解放につながった理由でもあるように思う。

日本政府は、アフガニスタン政府に5年間で50億ドルもの支援を表明しているのだ。アフガン政府にとって日本を怒らせてなんら良い事は無い。
「常岡さんが殺されたら、政府の関係者が日本人を拉致したとばらして、支援ストップするぞ」とカルザイに伝えれば、カルザイは当然、犯人グループに常岡さんを解放するよう圧力をかけるんじゃないだろうか。今頃ラティフはこっぴどくどやされているに違いない。
私の勝手な想像ではあるが。

とはいえ、今回の常岡さんの証言で、アフガニスタン政府がいかに腐敗しているかということがわかったわけだ。

これまでも、情報としては、アフガン政府が腐敗しているという話はぽつぽつ報じられていた。私がかつて担当したテレビ番組で、専門家にそういう話をしてもらったこともある。しかし、世の中の「タリバン=悪者」というイメージが大きすぎて、アフガン政府内部では腐敗した軍閥が跋扈し、彼らが「タリバンの名を語って」悪事の限りを尽くしているということは、なかなか周知されなかったのも事実だ。
現在、麻薬となる芥子の生産は世界の9割がアフガニスタンで行われているが、この麻薬の栽培は、タリバンが支配していた時期には数分の一に激減していた事は、国連の調査でも明らだ。これは当時政権を掌握したタリバンが麻薬栽培を撲滅しようとした結果だ。なのに欧米のメディアは、現在の麻薬栽培の犯人がタリバンであるかのように報じている。
そうした現地状況への無理解と、米軍の空爆などで家族を失う人が増えて反米意識が高まるに連れ、タリバン自体もどんどん強硬になってきて、問題の解決を遠ざけている。

常岡さんは、タリバン幹部のザイーフ師と何度も会見しているが、そこでザイーフ師は、政治腐敗や麻薬ビジネスの復活の問題の根源は(アメリカによる)占領だと語っている。ザイーフ師はさらに、復興支援の名の下に多くの国や団体がアフガニスタンを訪れているが、占領という現実を追認・正当化し延命させるような支援を認めないとも語る。(常岡さんの日記「The Chicken Reports」’10年3月23日今年のザイーフたん より)これ、とりあえずは出て行けってことだろう。

上記のサイーフ師の話は、今年3月に行われた常岡さんとの会見で語られたものだが、常岡さんはこの1年前にもザイーフ師に取材しており、私が当時働いていた番組にも売込みがあった。私は、是非にとり上げるべきだと主張したが、制作費がないということなどを理由にスルーされた。それは報道局の他の番組でも同様だったようで、結局、ザイーフ師取材は放送されなかった。
今年の常岡さんの日記を読んでも分かるが、彼は決してタリバンに肩入れしているわけでもなく、批判すべき部分は批判している。決してタリバン寄りの番組にはならなかったはずだ。

マスメディアがこんな状況で、本当のアフガニスタンの状況が伝わるわけもない。

イラクからアメリカの戦闘部隊が撤退した今、アフガニスタンは世界最大の戦闘地域と言っていい。しかし、タリバンの支配地域はすでに全国の8割以上と言われている。アメリカは泥沼化する状況に疲弊し、早く出て行きたいのが本音だろう。そして、周辺の中国やインド、ロシアなどの諸国は、そんな疲弊したアメリカ撤退後を虎視眈々と狙っている。
実は、今年に入って、アフガニスタンにはレアメタルが1~3兆ドルも埋もれているということが報道されている。
カルザイ大統領は訪日した際に、「日本は巨額の支援をしてくれているので、アフガニスタンに眠る資源を優先的に開発する権利がある」というようなことも日本政府に語ってもいる。

もし、この資源埋蔵の話が事実だとしたら(ペンタゴンがそう言っているのだが、ペンタゴンだけに裏が無いとも限らない)、一見、日本にとっていい話のようにも思える。しかし、この利権を奪い合い、腐敗したアフガン政府はさらに腐敗し、当然のごとく、タリバンとの和解も困難になり、さらに利権をめぐっての軍閥同士の対立も激しくなるのではないか。もちろんその向こう側には大国の影が見える。そうなると日本も資源開発とか軽々しく言ってられないだろう。

また、そもそもタリバンを生み、そして今、国内にタリバンが勢力を広げているパキスタンが、大洪水に見舞われいまだに復旧のメドが立たないことも、このアフガニスタンの問題に影響を与えると思われる。

どっちにしろ、政府が腐敗から脱し、さらにタリバンも含めた国内の和解をもたらすための方程式はあまりに複雑過ぎるのだ。

しかし、状況がどんなに複雑だろうと、国際社会にはアフガニスタンに平和をもたらす責任がある。

ソ連のアフガン侵攻以降、戦闘によって荒れ果てた大地の上で、干ばつに見舞われながら、軍閥同士の内戦、つづく911後の多国籍軍とタリバンの戦闘、そして現在、政府軍も加わって戦闘は激化の一途をたどり、アフガニスタン国民の中では、平和な時代を全く知らない世代が大勢を占め始めている。

彼らは、国際社会のスケープゴートだ。

私が中学校に上がる年、モスクワ五輪があった。ブラウン管の中で、ソ連のアフガン侵攻に抗議して五輪をボイコットした日本の代表選手が肩を落とす姿を憶えている。
マラソンの瀬古利彦は絶頂期だったし、女子バレーも強かった頃だ。当時の私は、その向こうにあるアフガン侵攻の意味なんて分かっていなかったけれど、あのソ連の侵攻によって、それまで緑豊かだったアフガニスタンの大地は、干ばつの続く荒れた大地に変わった。ソ連がカレーズと呼ばれる地下水脈を埋める作戦を行っためだ。

テレビの仕事をしていたとき、過去の映像素材を検索すると、ソ連の侵攻以前、天皇陛下が皇太子時代、美智子妃といっしょにカブールを訪問している映像が見つかった。町には新しい団地が立ち並び、緑豊かな風景だ。70年代までは、旅番組などもアフガンに取材に出かけている。取材車は、雪をかぶった山を目指して緑の間の一本道を走っていた。

タリバンが大仏を破壊したあのバーミヤン。
中華料理屋バーミヤンの桃のマークを思い出して欲しい。
あのバーミヤンはシルクロードの「桃源郷」だったのだ。

私たち日本国民の税金50億ドルは、アフガニスタンの平和のために提供されるはずだ。しかし、今回の常岡さんの拉致で政府の腐敗があらためて明らかになった。日本政府は、その使い道の監視など、支援の仕方はあらためてよく検証すべきだ。
アフガニスタンに対する日本の支援パッケージの実施状況(外務省)
政府の腐敗とかいうことを考えると、この中にある警察官の給与とか、微妙なんじゃないかと思う。

いっそのこと腐敗した軍閥につながる政府など通さず、ぜーんぶ、中村哲医師がやっているような一般市民が行うインフラ事業に直接投資してはどうか。もちろんお金の使い方に政府は一切口出さないで。
NGOなどからは、常に、復興支援のお金の使い道が現地の実態に合っていないとの批判の声が聞こえる。ここでも「ひも付き」の弊害があるのだ。
政府は、現地を知る人の声に謙虚に耳を傾け、少ない財源から拠出される私たちの税金を本当に役に立つ形で使って欲しい。

今月24日に、日本国際ボランティアセンター(JVC)が、アフガニスタン現地スタッフによる現地報告会を行う。
JVCアフガニスタン現地報告会の詳細はこちら











なぜ支援するのか? イラク現状報告会in衆院議員会館 その2

2010-06-23 00:39:34 | 中東・アフガニスタン
これは、「イラク現状報告会 その1」からの続きです。

「その2」は、まず私のつたない知識の中から、イラクでのテロや宗派対立に関する誤解について述べてから、報告会の内容に移りたいと思う。

<アルカイダと宗派対立に関する誤解>

これだけ多くの難民が出るのは、当然の事ながら、国内での戦闘やテロがおさまらないからだ。
スンニ派とシーア派の宗派対立が2006年頃から激しくなり(注1)、アルカイダ系のテロがそうした対立を煽っているふしもある。

*(注1)・・この宗派対立のきっかけともいわれるのが、06年2
       月に起こった、スンニ派によるシーア派のモスク・ア
       スカリ廟のドームの爆破だ。このアスカリ廟はイラク
       のシーア派四大聖廟の一つで、このモスクのあるサマ
       ラの考古学都市は世界遺産にも指定されており、現在
       はその状態から危機遺産となっている。このサマラの
       考古学都市は、かつて世界史を履修した方なら懐かし
       いでしょう、アッバース朝の首都となった土地である。
       ・・・注1ここまで

しかし、こうした宗派対立もアルカイダの存在も、2003年のイラク戦争以前にイラク国内に存在していなかったことは、まだまだ広くは知られていない。
大量破壊兵器とともに開戦の理由となったサダム・フセインとアルカイダとの繋がり。これは真っ赤な嘘である。サダムはむしろイスラム過激派であるアルカイダを自らの体制への脅威だとみなし嫌っていた。
アルカイダ系の過激派は、戦争後に、イラクから米軍を排除するため、もしくは国内を混乱させ復興を遅らせることでアメリカを困らせるためにイラクに入ってきたと言われている。

そして、その過激派が煽ってもいると言われる宗派対立。
フセイン政権時代、政権はスンニ派によって占められ、シーア派の人々は不満をもってはいたが、都市部などではスンニ派とシーア派で結婚した夫婦なども普通にいたようで、イラクという国は、イスラム諸国の中でも宗教色の薄い国として知られていた。湾岸戦争以前は、石油収入もあり、経済成長に向けて町には活気があふれ、女性の大学進学率も高かった。イスラム諸国の中では、極めて世俗的な国だったのである。また、政府の官僚などもかなり訓練され、能力は高かったという。

イラク戦争後、サダム・フセインを倒し、フセイン政権の官僚たちを全て排除してしまったため、新しいイラクの政権は素人集団となり、それが、混乱を収束できない原因ともなってきた。そして、その排除ゆえに、こんどはシーア派とクルドが政権を占め、フセイン政権下で働いていたスンニ派の不満を呼ぶこととなったのだ。現在、その反省のもと、スンニ派の取り込みも徐々に行われ始めてはいるようだが、また、宗派対立はやめようといのが前回選挙のスローガンともなっていたが、状況はまだまだだし、これまでに生まれた犠牲も大きすぎる。

フセイン政権のもとで、なんとか開かないでいた宗派対立というパンドラの箱をアメリカが開けてしまったのかもしれない。
ものすごーく簡単に書いてしまったけれど、そしてもちろんサダム・フセインを擁護する訳じゃないが、現実はそんなに単純じゃないってことだ。誰が善で誰が悪かなんてそう簡単には決めつけられない。

そう考えると、イラク戦争を開戦した責任はものすごく大きい。

そして、今、その戦争の代償を払わされているのは、戦争開始の決定をした人たちではない。ブッシュ元大統領も、小泉元首相も、批判などどこ吹く風で、ぬくぬくと暮らしている。代わりに代償を払わされているのは、アメリカを始めとした多国籍軍やイラク軍の名も無き一兵士であり、イラクで犠牲となっている多くの普通の人々だ。もちろんテロリストだって死んでいる。


こうした歴史的経緯も含めて、今後、少しでもイラクの人々が救われるために、また今後こうした悲劇を生まないために、戦争の検証と対症療法ではない本質的な対策が必要だ。

報告会に戻る

<佐藤氏が挙げたイラク支援から見た検証のポイント>

最後にまとめとして、佐藤氏は、以下のポイントを挙げた。

① 政府が行ってきた事が「人道的」であったかどうか(単なるパフォーマンスでなかったかどうか)
② イラクに破綻国家のごとき被害を与えてしまった責任

 今回佐藤氏が強調していたのは、「人道」の部分の検証が必要だと言うことだ。「政治」的な検証のみになると、日本の「国益」としてどうだったのかという話だけになりがちで、現地イラクの人がどういう犠牲を払ったかが置き去りにされる可能性があるからだ。
イラクの人たちがどれだけ苦しい思いをしてきたかは検証すべきだし、戦争に加担した国として、その人たちへの支援を続けて行かねばならないと語った。


③ 費用対効果

費用対効果については、前回も少し書いたが、難民用のテント160張りを運ぶだけで、1億円もかかったりして言語道断である。

JIM-NETが行っている医薬品を中心とした支援の費用は年間4000万円ほど。彼らはこれを募金でまかなっている。
日本政府は、04年から08年までの4年間の支援として、15億ドルの無償支援と35億ドルの円借款での支援を決めた。実際、無償支援には当初計画より多い17億ドルが使われたようだ。「外務省:我が国のイラク復興支援」それだけでも、日本円にすると約1500億円だ。そのお金は本当に役に立ったのだろうか?


そして、支援の効果について、佐藤氏がもうひとつ強調したのが、それぞれの支援主体の役割分担の重要性だ。
自衛隊、NGO、商社など、様々な支援の担い手がいる。
軍隊がやるべきことやるべきでないこと、NGOがやったほうがいいこと、商社がやったほうがいいことなどなど、得意分野を評価して役割を振り分けるべきだ。現在は、それぞれの役割が全く検証整理されておらず、効果的な支援ができていない。
そうした行き当たりばったりな状況下、イラク国内で虐殺が行われているような時に、学校を建てましょうとか、現状に合わない支援が行われている。その辺も見直さねばならない。

ところで、去年12月、日本の官民およそ100人が、バグダッドとバスラを訪問し、戦後初の日本イラク経済フォーラムを開催された。当時の報道によれば、イラクの石油が欲しい日本と日本のような戦後復興に憧れるイラクの関係者が集まり盛況だったらしい。
佐藤氏は、小川郷太郎イラク復興支援担当大使がその時の会見で「日本は援助ではなくビジネスに舵切りする」と語ったことを挙げて、ビジネス(で自立的な復興を促す事)もやってほしいが、まだまだ続けねばならない援助もあると強調した。

ビジネスで、日本とイラクのウィンウィンの関係を築き、イラクの経済的自立を促すのはいいことだが、戦争で大けがをしたり、がんになったりして働けず、ウィンウィンの恩恵にあずかれない人たちへのフォローも忘れてはならないのだ。


報告のまとめの部分ではなかったが、佐藤氏がもうひとつ強調していたものに、兵器削減の重要性がある。


<兵器を無くす予防政策を>

民間人に多くの犠牲者を出しているクラスター爆弾、劣化ウラン弾、白リン弾などの兵器のうち、クラスタ-爆弾については、使用や製造を禁止するクラスター爆弾禁止条約に日本も署名し、30カ国が批准、今年の8月に発効する。
しかし、アメリカやロシア、中国などの大国が参加していない。
また、劣化ウラン弾については、規制の声が上がり始めてはいるが、また国際条約の段階ではない。
参考記事「劣化ウラン弾 高まる規制機運」

これらの兵器の問題点は、攻撃時だけでなく、その5年後10年後にもその被害が増えて行く事だ。がんは時間が経って発症する。アメリカ軍が8月末で撤退した後にも、被害者は増えるのだ。
だから、支援も継続させる事が必要だし、予防的措置として、こうした兵器の廃絶に努力せねばならないと佐藤氏は語った。
日本は、唯一の被爆国として、クラスター爆弾条約に批准に続き、劣化ウラン弾禁止でもリーダーシップを見せるべきだ。


以上が、佐藤氏によるイラク現状報告と提言のあらましだ。途中、自分なりに情報を追加したりして、佐藤さんの報告と混乱してしまったかもしれない。すいません。文章修行が必要ですね。

最後に、私自身の考えを書きます。

<なぜ、私たちはイラク戦争を検証し、イラクの人々を支援すべきなのか>

私は、「足下の日本のホームレスさえ救えないのに、なぜそっちは見て見ぬ振りして、外国の人にばかり支援をするのか?」という疑問を口にする事がある。このグローバル時代、世界の紛争や貧困の原因に、自分もどこかで関わっている事は分かっている。だから、誰でも分け隔てなく助けるべきではある。しかし、国内のホームレスなど貧困者が、「自己責任」という言葉であまりにも簡単に切り捨てられる状況を見ると、「なぜ外国の人ばかり」と言いたくもなるのだ。

では、なぜイラクについては、このようにブログにまで書くのか?

それは、彼らの国イラクを混乱に陥れたイラク戦争の開戦に日本政府は賛成し、その政府を選んだのは私たち日本国民だからだ。
グローバル時代だからどこかでは繋がっているという不明確な理由ではなく、「戦争に賛成した」という明確な理由がある。

9・11同時多発テロのほぼ半年前、私は、自民党総裁選に出馬した小泉純一郎氏の街頭演説を喜々として眺めていた。そんなかつての自分を振り返りながら、こうしてイラクやアフガンにわずかながらでも興味を持ち続ける事が、自らの責任のような気がしている。
アホな私は、あのツインタワーの崩壊をきっかけに、インターネットを通じて、世の中にはもうひとつの情報があることを遅ればせながら知った。
無知は罪だと悔いるのみである。

追記
とはいえ、世の中には責任感じなきゃ行けない事がいっぱいありすぎて、全てに対応すると泡吹きそうになってしまうので、できることをできるところからやりまっしょい。

JIM-NET佐藤さんの報告では、がん患者や難民については、写真も交え具体的な状況説明がありましたが、そこまではフォローしきれませんでした。伝えきれていない部分も多いです。
支援先の病院にはベッドが足りず、白血病の患者さんが床で寝ている事(日本じゃ無菌室ですからね)、イラクは医療費は無償だが、交通費がなくて病院に来れないという人がいて、その人たちに交通費の支援などもしていることなどなど、イラクの現状は厳しいものがあります。

さらなる情報や募金先などはJIM-NETのサイトを参照ください。
JIM-NET 日本イラク医療支援ネットワーク

あと、6月25日(金)にカタログハウスセミナーホールでJIM-NET佐藤さんが撮ったイラクの写真展とトーク&ミニライブがあります。これも上記サイト参照を。

最後にもう一度「イラク戦争なんだったの?」のサイトのURLも
「イラク戦争なんだったの!?ーイラク戦争の検証を求めるネットワークー」

イラク現状報告 その3番外編に続く・・・と思います。

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戦争の検証を イラク現状報告会in衆院議員会館 その1

2010-06-22 17:12:02 | 中東・アフガニスタン
このまえの日曜日は世界難民デーだった。
まだまだイラクの治安はいいとは言えず、先日もバグダッドでテロがあり、26人が死亡というニュースをやっていた。
ナレーションでは、「新政権の発足も困難を極め、こうしたテロ攻撃は増える事が予測される」とかなんとか、人ごとのように言っていたが、アメリカ軍の撤退期限も、いつのまにか今年の8月末に迫っている。

ブッシュみたいなヒールスターもいなくなって、叩きがいがある相手が見つからないからなのか、マリキだのアラウィだのイラクの政府関係者が出てきても一般の人にはよくわからんと思うのか、アメリカが撤退さえすればそのあとはどうにかなるんじゃないのと思っているのか、自分たち日本の政府が加担した戦争について反省してみようという空気は世の中にあまり感じられない。

そんな世間の空気の中、6月16日、衆議院の第一議員会館で、イラクの現状報告会が行われた。「イラク戦争なんだったの?―イラク戦争の検証を求めるネットワークー」という団体の主催だ。

実は現在、イラク戦争の検証委員会を立ち上げようという動きが日本でも出てきている。
戦争を開始した張本人の片割れであるイギリスでは、昨年、大規模なイラク戦争検証の第三者委員会が作られ、戦争に至る政策決定に問題はなかったか、与野党、行政協力のもと現在も検証作業が行われている。ブレア元首相も証人喚問に応じ、その模様はインターネットで中継された。こうした検証作業はオランダでも行われている。

そうした状況を受け、「アメリカのイラク戦争開戦に賛同した日本でも検証作業が行われてしかるべきではないか。」そう考える人たちが、「イラク戦争なんだったの?―イラク戦争の検証を求めるネットワーク」「イラク戦争なんだったの?」のサイトを作って賛同者を募り、政府に対し、独立の「第三者検証委員会」の設立を求め始めたのだ。
100名の国会議員から賛同を得ており、そうした議員の一部が中心となって、第三者委員会設立を政府に求めて行きたいとしている。(賛同議員は上記「イラク戦争なんだったの?」のサイトに掲載されています)

16日の午後行われた院内集会は、新しく発足した菅直人内閣に向けて、イラクの現状をアピールし、検証委員会の立ち上げを促すべく行われた。

(この日は、通常国会閉会で5時から本会議も予定。議員の出席は少なかったが、写真上から 斉藤勁議員(民主)、服部良一議員(社民)、阪口直人議員(民主)、福島みずほ社民党党首、も一時顔を出した。)

集会では、先月、イラクの難民キャンプを訪れていた、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)事務局長の佐藤真紀氏が「イラク復興支援の課題」と題して現地報告を行い、人道の見地からのイラク戦争検証の必要性を訴えた。

以下、その報告内容をもとに、あらためて日本のイラクへの対応を考えてみたい。

佐藤氏が、データを上げながら語ったのは、以下の3つの点だ。

<あなたはこれらの事実を知っているだろうか?>

①イラク戦争による犠牲者数
②イラク人の被害者の状況
(特に戦争が原因と見られるがん患者急増の実態)
③難民について


以下、佐藤氏の話に、筆者が出典など一部補足
<①犠牲者数>
イラクでの犠牲者は、多国籍軍の死傷者数については、当然の事ながらきちんと確認される。
イラクとアフガニスタンの多国籍軍の犠牲者数
現時点で、米軍4400人あまり、イギリスは180人ほどだ。
しかし、一方のイラクの民間人の犠牲者数ははっきりわかっていない。

有名な欧米のNGO 「IRAQ BODY COUNT 」「Iraq Body Count」のサイトが、報道された死者数などを集計する形で、イラク民間人の死者数を割り出して更新しており、現在96,803~105,553人(この記事のアップ時点で)が犠牲になっているとしているが、これは報道されたものだけなので、かなり実数より少ないとみられる。
 イギリスのランセットという医学誌に掲載された「THE HUMAN COST OF THE WAR IN IRAQ」という調査報告では、03年の戦争開始から06年までに60万人以上が犠牲となっているとしている。また、このデータから推測した「JUST FOREIGN POLICY」というNGOは130万人以上が犠牲になったとしている。これらの数値に対しては多く見積もり過ぎとの声もあるが、にしても、十万人単位の犠牲者が出ている事は確実だ。

日本もこれまでに、事務官が2名、民間警備会社の人(アメリカの会社に所属してた人らしい)やジャーナリストのほか、イラク特措法、テロ特措法でイラクやインド洋に派遣された自衛隊員およそ2万人のうち、在職中に(帰国後も含む)35人が亡くなっている。そのうち死因が自殺の人が16人もいる。病死が7人、死因が事故または不明の人は12人。
これらの事実について、当時の福田康夫首相が、07年11月の国会答弁で、答えている。福田康夫元首相の答弁

これだけの犠牲を強いたイラク戦争の開戦に賛成し、自衛隊まで派遣した政府の決定はやはり検証されるべきである。



<②イラクのがん患者の実態>

イラクでは湾岸戦争以降、がんの子供達が増えている。
このグラフは、小児がんの増加を示している。


こうした状況を受けて、医療支援を行うJIM-NETは、小児がん(おもに白血病)の子供たちへの支援を行っている。

アメリカはがんとの因果関係には言及していないが、戦闘で使用される劣化ウラン弾や白リン弾などの影響があることは想像に難くない。
報告の中で、ホジキンリンパ腫というがんで、あごに20cm以上もあるのではないかと思える巨大な腫瘍がある少年の写真が紹介されたが、このがんの症状はかなり特殊なケースであり、イラクに何か特有のがんが起こっている可能性を日本の医師も指摘しているという。
また、現地では、小児がんだけでなく、妊婦の異常出産も増加しているという。
さらに問題なのは、がんは被爆してから数年後に発症するケースが多いという事だ。
上のグラフで湾岸戦争後、すぐにはがん患者数は伸びていない。そう考えると、03年に始まったイラク戦争によるがん患者は今後も増えると考えられる。

しかし、湾岸戦争以降、経済制裁を科されたイラクでは、治療の設備や技術を整えることができず、日本では8割が治る小児白血病も死の病となってしまっている。現政権下では経済制裁は解除されているものの、まだまだ治安の安定、政治の安定はほど遠く、十分な医療が受けられずに命を無くす人が多い。

そのため、治療さえすれば、十分治る可能性のある小児がんの子供達は、
「がんになった自分は絶対に死ぬ運命なのだ」と思い込んでしまっているという。こうした先入観は、医療の整った日本でもいまだに根強いが、実は、こうした先入観を取り除き、前向きに治療に望む事が、サバイバルするために最も重要なことだったりもする。人それぞれ病状は違う。希望を持ちすぎるのも問題だが、悲観しすぎて冷静に事実を判断できなくなっている人が多いのも事実だ。
JIM-NETでは、こうした子供たちのメンタル面のケアも今後行っていくという。がんを克服した子供達の協力をあおぎ、患者の子供達に生きる可能性をきちんと認識させるモラルサポートを行いたいという。


<③難民の問題 日本の受け入れは・・・>

現在、イラクの難民は470万人に及ぶという。
270万人が国内避難民で、200万人が国外に出ている。

イラク戦争開始前、日本の川口外相は、日本は世界第2位の経済大国として、難民支援を積極的に打ち出した。
しかし、日本が国内に受け入れた難民は0人。これまでに一人も受け入れていない。アメリカ、カナダ、オーストラリア、スウェーデンなどの国は数千人から数百人レベルで受け入れている。

また、日本は、難民支援としてテント160張りを送っているのだが、一張り5万円ほどのテントを160送るために、政府専用儀2機を使用し、輸送費に1億円をかけたという。

費用対効果の問題といい、難民受け入れが進まない状況といい、日本政府の硬直した対応の象徴のような事例である。

難民キャンプには親を失った子どもも多い。パレスチナ人だからという理由だけで親を殺されたり、また、目の前で一家全員を殺された少年は、話しかけても反応がなく、そうした子どもの難民のメンタル面でのケアも必要だという。

報告会はまだ続いたが、ちょっと長くなったので、その1はここで。
次回は、報告会の続きと、イラク戦争前のイラクの状況なども含めて、イラクの現状を見てみる。

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