Ambivalent Blog

e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

私の記憶、企業の記憶、世界の記憶

2004-08-13 | ◆ビジネス
CNETに情報の氾濫と検索エンジンの発展をテーマとした少し長め(3ページ)の記事があった。記事には、「人類が保有する全ての知識に自在にアクセスできる時代が間近に迫っている」との引用がある。

ストレージ技術の進展により、米国議会図書館にある2800万の蔵書が28テラバイトのストレージシステムに収まるそうである。そうやって、あらゆる情報をデジタルしてゆけば、いずれそれら全てを検索することが可能になる。ナノテクの到来も併せて考えると、無理な話ではないように思われる。

一方、膨大化する情報に対して、特化型検索エンジンの研究も進んでいるようだ。以前、GoogleとYahooの検索結果があまりに異なるという記事についてコメントしたが、やはり今後の流れは特化型検索エンジンであるようだ。例えば、世界中の美術館に所蔵される作品の属性(作者、年代、テーマ、素材など)のみに特化した検索エンジンなんかがあるらしい。確かに、特定のデータソースに絞って、その分野において重要である属性情報に基づいた検索が行えれば、得たい結果により近づくことが出来るであろう。

ところで、自分は記憶力が鈍いが、自分の記憶を読み出すメカニズムは極めて奇妙なものである。匂いや触覚、あるいは全然関係ないものから、突然何かを連想することもあれば、思い出そうとしてもなかなか思い出せないものもある。しかしそのパターン、つまり脳の中での記憶情報の繋がりや連鎖は、人によってまちまちなのだと思う。

それは企業の記憶も同じである。個々人の記憶のみに頼っているケースもあれば、社内の人的ネットワークに頼っているケース、ナレッジ・マネージメントのシステムを構築するケース。仮に、全く同じ環境に異なるいくつかの企業を置いたとしても、記憶の仕方が異なれば、ある問いに対する答えはきっと企業によって異なるものとなるだろう。

仮に世界のあらゆる情報が検索できるようになったとしても、それを誰もがGoogleで検索するというのは有り得ないのだと思う。記憶の辿り方は人それぞれの流儀というものがあるのが自然だからだ。新しい特化型検索エンジンはそうしたニーズを満たすために出てきたのだろうが、行き着く先はパーソナライズ可能な検索エンジンの登場に違いない。検索エンジンの提供者が明らかにしない、様々なパラメーターを個人が設定できるような仕組みがいずれ出来るだろう。(といいね。)