Ambivalent Blog

e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

『情報サービス産業における監査上の諸問題について』

2005-03-29 | ◆ビジネス
本業で余裕が無くなると、ブログはそれに反比例するかのように暇人的な内容になる。しかし表題にある『情報サービス産業における監査上の諸問題について』が日本公認会計士協会より3月中旬に公表されており、やはり忘れぬうちに書き留めておかなくては。このレポートは、ここ最近のIT業界の不正会計処理を受けて「IT業界における特殊な取引検討プロジェクトチーム」が取り纏めたものである。

東葛人的視点ブログでは、「全体的に会計士の“逃げ”を感じる内容」という厳しい指摘もあるが、今回のレポートでは、明らかな不正に対する監査指針は出されているものの、情報サービス業の会計慣行をどうすべきかについては米国の手法を紹介するに留まっている。そして、レポートは日本においても明確な会計基準を設定すべきことを提言して締め括られる。

情報サービス産業の更なる成長のためにも、会計基準が早期に検討されることが望まれるが、今回のレポートが情報サービス産業の特性を解明しようとしていることは評価したい。例えば、当レポートは、情報サービス産業における会計環境の特質として下記の3点を挙げている。

1)ソフトウェア開発における収益認識基準のあいまいさ
2)受注金額確定の遅延による仕掛品の資産性への疑義
3) 商社的な取引慣行とその問題点

その上で、以下のそれぞれのビジネス形態における監査上の留意点を解説している。中でも商社的取引慣行については、不正の温床となり易いことから、別の章立てでスルー取引、Uターン取引、クロス取引などへの注意を喚起している。

1) 開発型
2) コンサルティング型
3) 商社的取引型

会計手法については、以下の3つの論点につき、米国の基準を紹介している。

1) 売上の総額計上/純額計上の指標
2) 収益の認識時点の問題  
3) 複数の要素のある取引

売上の総額計上と純額計上は先のIBMの売上高修正でも話題となった。ちなみに、総額計上の指標のひとつとして、「取引において主たる債務者(ユーザーに対してサービス責任を負う者)」というのが挙げられているが、主たる債務者でありながらも、その下請業者に債務を転嫁するような契約形態が取られていたらどうなるか、など日本の下請構造からは気になる点もある。

また、複数要素のある取引については、今後サブスクリプション型など、ライセンスと保守が一体となった取引形態の増加も予想されるため、会計基準の早期検討が必要となる。米国基準だと契約高が資産計上され、契約遂行に伴ってそれが利益に計上されていくような方法であるらしい。つまり、それによってサブスクリプション契約の動きが投資家からも把握可能となるわけである。

いろいろ課題はありそうだが、こうした問題は公認会計士協会に指摘される前に、情報サービス業の業界団体である情報サービス産業協会のようなところが主導して公認会計士協会のアドバイスのもとに自主ルールを定めるような動きが望ましいのではないか。

【参考】
「IT業界における特殊な取引検討プロジェクトチーム報告」

韓国直伝キムチ。 が、これも失敗。

2005-03-29 | ◆少し文化的
かつてイギリスに住んでいた折、韓国人の友人に「うまいキムチはどこで手に入る?」と聞いたら、「週末うちに来い」と言われて山盛りの手作りキムチを貰った。

そんなことを繰り返しているうちに申し訳なくなり、「作り方を教えてくれ」と頼んだところ、その友人の奥さんがキムチの作り方を教えてくれた。意外とチリ・パウダーやフィッシュオイルの配合加減がいい加減なのに驚いた。

手でチリ・パウダーをこねるので、作り手によって味が変わるのだそうだ(ちょっと気持ち悪い)。白菜を塩漬けにするところから始まって、仕込みを終えるまでざっと3時間。1日経てば食べられるようになるが、日が経つにつれ味がマイルドになってゆくのだ。

イギリスでは調子にのって知り合いに手作りキムチを配り、最後はその教えてくれた友人に恩返しにと差し入れて、韓国人をして「辛すぎる」とまで言わせたのである。

が、日本ではキムチがたくさん売られているので作る気力を失っていたが、この前韓国へ出張に行った折にキムチパウダーを買ってきたので久々に挑戦した。

でも失敗。久々だっただけに、肝心のフィッシュオイルを買い忘れるという有様。急ぎ買いに走るも、以前使っていたものと違うので配合具合が判らず、結局イマイチ。写真はイマイチのキムチ。魚も釣れないし最近ついてないね。

爆釣だ

2005-03-20 | ◆釣りバカ

次回こそ。











ちなみに今回は城ヶ島の磯。ほどよく波があり、水深も結構ある。前回の失敗を教訓に、冬のメジナが好むという岩のりも用意。しかし、フグ一匹おらず。玄人のおじさんたちも竿がしなってなかったので、今日は本当に駄目な日だった模様。もちろん鯛ももらえませんでした。


IT企業の会計監査、2005年3月期より厳格化

2005-03-13 | ◆ビジネス
本日の日経新聞によると、メディア・リンクスの粉飾決算事件に端を発するIT企業の取引慣行とそれに伴う会計処理につき、公認会計士協会は2005年3月期より監査を厳格化する方針である。

『会計士協、IT企業の監査を厳格化・「粉飾」続発に対応』 日本経済新聞 2005/3/13

記事によれば、以下の方法によって監査の厳格化を図るという。

◆取引を以下の3つに分類し、内容をチェックする
 ①ソフトやシステム開発
  ==>実作業の確認。計画書・仕様書と作業状況の照合。
 ②コンサルティング
  ==>作業時間と売上高の相関関係の確認。
 ③他社のソフトや情報機器を取り次ぐ商社的な仲介
  ==>取引先を含めた社内検査の要求。

◆会計基準の厳格化
 記事中、厳格化に関しては日米の会計基準の相違を指摘するに留めている。仲介取引において米国が手数料のみを計上するルールであるのに対し、日本では売上総額を計上する慣行となっていることが指摘されている。

上記分類の中で①と②は齟齬があれば問題であることが容易に判別できる。やはり問題になるのは、③の商社的仲介の解釈であろう。記事では米国において商社的仲介では手数料部分のみ計上しているとしているが、これの適用方法により日本のIT企業の売上高は大きく振れる。先日の日本IBMによる売上修正は正にこの基準に則ったものである。

SIビジネスもアンバンドルしていくと、付加価値として受領する手数料部分とそれ以外の転売部分とに分かれる。これはハードウェアでもサービスでも同様であろう。手数料部分だけを計上することになると、正にSIベンダーの付加価値が露となる。企業の実力を計るという意味では、手数料部分のみに着目するというのは正しいのかもしれない。

一方、仲介ビジネスにも、言葉通りに商社的仲介を得意としてスケールメリットを生かすタイプと、付加価値勝負でニッチマーケットを目指すタイプがあるだろう。そうすると、前者は売上高
に対する手数料比率は低いが、後者は売上高に対する手数料比率が高くなる。結局はどれだけのキャッシュを生み出すかが企業価値を計る指標とはなるが、売上高が表に出ないとビジネスモデルの相違が見えず、投資家にも親切ではない。

そう考えると、商社的仲介の解釈を明確化することは必要だが、総売上高あるいは総取扱高という指標も何らかの形で表現することは必要ではなかろうか。いずれにせよ、会計基準が明確になるに伴い、IT企業側も投資家側もIT企業の評価方法を見直す必要がある。

【参考エントリー】 
日本IBMの売上不正計上?
その売上は架空か? ITのコモディティ化と売上水増事件
オンデマンド時代のソフトウェア企業評価

『龍安寺石庭を推理する』 宮元健次著 集英社新書

2005-03-13 | ◆読んでみた
以前インド人の友人が来日した時の話を書いた。その際、観光ついでに浜離宮庭園にある茶室へ一緒に行ったのだが、入り口付近は白砂を敷いてあり、箒で模様が施してあった。が、インド人の友人はそれを思いっきり踏み潰していたのだった。

その彼が京都へ行くというので、京都で白い砂を見たら絶対立ち入るなと警告した。そしてその彼が京都で訪れたのが、あの石庭で有名な龍安寺である。今では日本文化の代名詞のような寺ではあるが、1975年にエリザベス女王が訪問するまでは今ほどに有名ではなかったらしい。

この石庭、行けば誰しも何となく判った風に暫く眺めたりするし、日本人たるもの何か判らないとまずいような強迫観念に襲われる。でも結局判らんのであるが、この本を読むと安心する。そう簡単には判らないことが丁寧に説明してあるからだ。

石庭が何を表しているかという意図以前に、誰がいつ作庭したのかすら判っていないらいい。作庭者に至っては100説以上あるという。故に石庭そのものの解釈にも「虎の子渡し配石説」、「『心』の配石説」、「七五三配石説」、「扇形配石説」とかいろいろある。

本書のユニークなところは、作庭時期が17世紀であると推定し、そのデザインに西洋文明の影響を見出している点にある。つまり、龍安寺に遠近法や黄金分割などルネッサンス期の手法が多様されており、それらがキリスト教文化とともに日本へ流入した西洋式庭園の影響を受けたものだと解釈している。なんと石庭を囲む壁は手前から奥へ向かって低くなっており、これは遠近法によってより奥行きがあるように見せるためであるという。

龍安寺といえば、これぞ日本文化などと思っているが、もしこの仮説が正しいとすれば、石庭の前をしたり顔で立ち去る日本人よりも、よほど外国人の方がしっくり来ているのかもしれない。エリザベス女王が満足するわけである。

それにしても、この龍安寺のトップページ、全く心が休まりません。


『龍安寺石庭を推理する』 宮元健次