Ambivalent Blog

e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

おのれ松方

2008-11-28 | ◆釣りバカ
まずは情けない報告から。

11月16日 金沢八景 あいかわ丸 
釣りにどうしても行きたかったので、無理して出張の前日にカワハギ釣りに行った。しかも、前回の釣果に慢心して、船釣りの万能竿を持ち込んだ。しかし、相手はカワハギ、やはり万能竿ではカワハギの当たりが全然取れず、ひたすら外道のトラギスを釣り続けることとなった。同船の釣り人達はそれなりの釣果だったので、運ではないのである。こんな状態で長時間飛行機に乗るのか。。。



そして、1週間後。溜まったストレスは、時差ぼけのまま足を海に向けるであった。しかし、いきなりカワハギのリベンジはせず、以前から試したかった走水のオオアジを狙う。

11月24日 走水 海福丸 
走水のアジは、浦賀水道の潮流の早いところで育つブランドアジとして有名である。しかもデカイらしいのである。アジなのに50センチ級のものが上がることもあるという。この走水には、このブランドアジを専門で狙う釣船がいくつもある。釣船は通常、季節によって釣り物を変えるのだが、ここだけは一年中アジだけを狙うのである。渋い。ということで、時差ぼけで結局一睡も出来ぬまま走水到着。

7時半に出船だが、釣り場は走水沖だから15分くらいで到着した。潮流が早いだけに錘は130号。電動リールで水深50~60メートルあたりを狙う。アジ専門船だけに、熟練釣り師っぽい人が多くて結構びびる。しかも、いきなりガンガン釣り上げ始めるのでやや気後れする。

が、こちらもまずは小アジからスタートするも、30センチ級のアジが上がり始める。すると、アジにしては妙に強い引き。しかも上がってくる途中でも結構しつこく反転して海中に突っ込む。むむむ、サバかなと思いながら慎重に巻き上げると赤い魚体がゆらりと海面に現れる。む~これは鯛ではないか。

思い起こせば3年前の屈辱の「タイ持ってけ」事件以来、初めてのタイである。と感慨に慕っている間もなく、その後もオオアジは続く。今回は、午前上がりの船であったが、タイ1、アジ12、サバ5で大満足。写真の通り、アジのサイズはサバよりもでかいのである。



しかし、友人からの速報でその前日に松方弘樹が350キロのマグロを釣り上げたのだと言う。人の人生の目標を勝手に達成しやがって。許せん。




インドのテロ事件

2008-11-28 | ◆少し文化的
インドの結婚式の話がまだ終わっていないのだが、凄惨な事件の直後なので結婚式の続きはまた次回としたい。それにしても、自分がインドを訪問してから2ヶ月と経たないうちに起きた今回のテロは、報道にもあるように従来のテロ事件とは全く様相が異なる。

これまでのインドのテロは宗教施設を狙ったものが多く、それゆえに出張などで訪印する際にも、それほどテロを意識することはなかった。しかし、今回のように外国人をターゲットとしたテロとなると、海外からの投資を成長の牽引力としているインド経済には非常なマイナスとなるだろう。

また、インドへ経由便で飛ぶときは、バンコク経由とシンガポール経由が多いが、前回利用したバンコクは現在反政府デモで占拠されてしまっている。結婚式でインドへ行った際はバンコク経由でデリへ飛んだので、まさにその空港が占拠されているとは驚きである。その時も、バンコク市内は混乱していたが、空港だけは何事もなかったように時間が流れていたのを不思議に感じてもいた。

せっかく日本とインドのITビジネスが拡大しようとしているだけに、ここで政情不安が打撃を与えることは何とか避けたいものである。

インド式結婚式 その3 「Sangeet」

2008-11-10 | ◆少し文化的
さて、いよいよ3日間続く結婚式初日である。場所はホテルの宴会場で、夜の7時半とある。結婚式だから遅れちゃいかんと思い、15分前くらいにホテルへ到着したが、ロビーには誰もいない。コンシエルジュにバブニートの結婚式どこだと聞くと、あっちだと言われた方の宴会場へ行く。中を覗くと準備している人達が多少いるだけで、やっぱり誰もいない。あれ、日を間違えたかなと焦る。

もうしばし待つと、主催者達7時半丁度に到着。で、ほとんどの来場者は8時頃に来たようだ。つまり、初日の宴会というのは、時間通りに始まるものでもないらしい。最初に言っといてくれないとね。どうやら、前日にチャンディガルへ到着した人たちには、踊りのレッスン!!があり、そのときに時間通りに来るなと忠告があったらしい。

初日は「Sangeet」と呼ばれる。Wikipediaによれば、言葉の意味を直訳すると「一緒に歌う」となるようだ。結婚式の2~3日前に行われ、女性達が伝統的なインドの歌を歌うという儀式である。しかし、それだけではなく、大量の食事が供され、かつその後は踊るのである。

8時くらいに大体ゲストが揃うと、会場の奥の方、白い布が敷き詰めてあったあたりにインド人の女性達が10人くらい固まって座っている。すると、女性達がインドの伝統的な歌(多分)を歌い始めた。気持ちをインドに馴染ませるには丁度良い実にインド的な響きである。



歌は30~40分も続いたであろうか。すると、会場の入口の方へと100名はいるであろう来場者がみな誘導される。何が始まるのかと思いきや、阿波踊りみたいなインドの楽曲が始まり、皆で手を上に上げながらまさに阿波踊り的な踊りを踊りながら会場の奥へと行進が始まった。なるほど、ここからが本番かい。



さっきまで敬虔な雰囲気が漂っていた白布の上は、ダンスフロアとなり、ターバンを巻いたおじさん達が激しく踊ること数時間。もうへとへととなった頃に、メインコースが供され始めるのであった。夜も10時くらい? ただ、それまでにさんざん立食の前菜を食べているので、すでにかなりおなか一杯。



しかも、ゆっくり食べていると、ターバン巻いたおじさんがやってきて、何食ってんだ、踊れとか叱りにくるのである。そして踊るかカレー食うかを数時間繰り返しているうちに夜も更けてようやくお開き。

これが前夜祭。それにしても、インド人が踊り好きというのは本当なのですな。

インド式結婚式 その2

2008-11-02 | ◆少し文化的
バブニート君の結婚式が開かれるのは、彼が生まれ育ったチャンディガル(Chandigarh)という街だと言う。といっても、「それどこ? 聞いたことない」のである。調べてみると、チャンディガルはインドの首都であるデリーの北およそ300キロくらいのところにあるらしい。

古い遺跡などはないので観光都市としては有名ではないので、日本のガイドブックには載っていない。しかし、よくよく調べてみると、結構興味深い街であることが判ってきた。チャンディガルという都市は、1947年にインドとパキスタンが分割された後に作られた人工都市なのである。その経緯はこうだ。

チャンディガルのあるパンジャブ州は、インドとパキスタンが分割された際に、パキスタン側に行ってしまった。そのため、インド側にもパンジャブ州の州都が必要となり、紆余曲折の後にチャンディガルという新しい都市を建設することになったのだという。しかも、都市計画には建築家のル・コルビジェなどを招聘している。

そのため、街の中にはル・コルビジェやその弟子の手による建築が点在し、また、インドでは恐らく他では見られない碁盤目状の道が街を駆け抜ける。地図で上空から見るとこんな感じである(Google Mapがうまくリンクしてくれないので、イメージのみ貼り付けました)。



さて、飛行機はバンコク経由でデリーへ到着し、その日は遅いのでデリーで一泊することとなる。翌朝は、7時40分発の列車でチャンディガルへ向かう。およそ3時間半の行程だ。朝とは思えない雑多な喧騒を抜けてホームへあがると、これまた雑然とした雰囲気で人々が列車を待っている。



意外にも定刻どおりに列車が到着し、予約してある席へと座る。一応エアコン付き、食事付きの一等車両である。決して綺麗とは言えないが、なかなか快適な座席である。しかし、走り出すと、その両側に見える風景は、インドの貧困そのものである。人と牛と豚が、ほぼ同じレベルで生活しているかのような日常と、ひたすら広い耕作地帯が交互に目に入ってくる。



そして出てきた朝食。これまた砂糖、塩、ティーバッグ、ガムなど、やたらと雑多なものがトレーの上に所狭しと置かれているのが印象的であった。朝食にコーンフレークが出たのであるが、注がれるミルクがホットミルクである(つまり、煮沸してある)ところに心遣いを感じるのであった。