Ambivalent Blog

e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

森を見る東洋人のブログ考

2004-08-07 | ◆読んでみた
牛と鶏と草の絵を見せられて、この3つのうちから関係するものを2つだけ選べと言われると、西洋人は「牛と鶏」を選び、東洋人は「牛と草」を選ぶ傾向があるという。つまり、西洋人は対象物の属性に注目し、東洋人は対象物の関係性に注目する。

これは、最近翻訳が出た「木を見る西洋人 森を見る東洋人」の中で紹介されていた実験の1つである。この本は、西洋人と東洋人の思考方法の違いを、古代中国やギリシアの政治・社会などから掘り起こし、更には、先ほどのような様々な実験を通して解き明かしている。

この本によれば、西洋人は事に当たっては、対象物に焦点を当て、その属性を分類し、世の中を安定的なものと捉え、矛盾を排除しようとする。一方で、東洋人は対象物と全体との関係性に焦点を当て、世の中を変化するものと捉え、矛盾も許容する。

対象物とその属性に注目する西洋において、子供は名詞を動詞よりも早く覚えるそうである。一方、東洋人は関係性を表現するために必要となる動詞を名詞よりも早く習得するそうだ。

こんな西洋人と東洋人ではブログの活用方法も違うだろう。アメリカでは、特定のトピックに関してコメントやトラックを通じた激しい議論が沸きあがる。ブログが政治的影響力すら持ち始めている。ブログの世界は個々人が意見の表明をするので、そこは混沌と矛盾に満ち溢れた世界となるが、欧米人にとってそれは許容し難い状況であるに違いない。とすると、各人はその矛盾を解消するために積極的に議論に参加するという行動に出るはずだ。それゆえに、その矛盾を孕むテーマを中心としてブログ同士が繋がっていく。

一方、日本はどうか。日本でもブログにコメントやトラックバックが付くが、アメリカほどに議論が起こったり、政治的影響力を持つに至っているケースはそれほどないであろう。日本のブログは旧来からある日記文化を継承して発展してきたとも言われているが、各人が勝手に日記を書いていることに対し、そこに見出される矛盾をあえて解消しようとはしない。むしろ自分と近い意見のものに、コメントをしたりトラックバックを送ることが多いのではなかろうか。するとブログ通しのつながりかたも、特定のテーマというよりは、考え方や関心の近さといったものが触媒になっていることが多いかもしれない。

これは推測の域を出ないのであるが、西洋人と東洋人でブログ・コミュニケーションの方法はきっと違う。すると、インターネット上での情報伝播の仕方というのも、テーマ性の西洋と関係性の東洋では、やはり異なったものになるに違いない。今後、マーケティングや顧客コミュニケーションの世界でブログを活用しようとしたとき、必ずしも欧米の事例が参考にならないエリアがあるだろう。そんな時、東洋と西洋の思考方法の違いというのは、ヒントになるかもしれない。

「木を見る西洋人 森を見る東洋人」

あなたのラジオ

2004-08-07 | ◆ビジネス
PCに格納された音楽をサーチして、リスナーの嗜好に合わせた音楽をかけてくれるラジオ局があるそうだ。イギリスのネットラジオがPC上にインストールされたソフトウェアと連携してパーソナライズされた音楽を聞かせてくれるのだという。ここまで来ると、ラジオというよりはオンデマンドの音楽格納庫といった感じである。

それにしても、デジタル化の波は何から何までパーソナライズ化し、そしてオンデマンド化してくれる。このことがもたらす利便性は、人々を心地良くする一方、偶然と無駄を排除してゆく。

しかし、あまりに心地良く、効率的な世界は、いずれ心地悪さと非効率を求める。便利な生活には創造力が求められず、それはいずれフラストレーションとなる。不便な生活にはしんどいが、創造力が求められ、そして創造力の発揮は喜びに繋がる。

とすると、とことんパーソナライズが進んだ後に訪れるのは、とことんパーソナライズを排除したものであるかもしれない。そこは新しい発見に満ち溢れた楽しい世界であるに違いない。