Ambivalent Blog

e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

トマス・W・マローン 『フューチャー・オブ・ワーク』

2005-01-31 | ◆読んでみた
MIT教授であるトマス・W・マローンの『フューチャー・オブ・ワーク』を読んだ。ネットワーク社会における組織について考察した本である。

テクノロジーの進展に伴うコミュニケーション・コストの低下に焦点を当て、社会が孤立した群れから、中央集権化された王国へ、そして最後は権力が分散化された民主制へと移行したように、企業も孤立した商店から、階層構造を持つ企業へ、そしてネットワーク型企業へと進化すると説明する。

そして、分散化にも、「ゆるやかな階層制」、「民主制」、「マーケット」の三種類があるとして、それぞれの長所・短所を議論している。その中でいろいろな組織の事例が引かれていて面白い。社内でブログを活用するGoogle、リナックスの開発形態、Wikipediaの編集方法、ゴア社の意思決定方式、イーベイの顧客民主制などなど。

そこから更に議論が急進的な方向(分散化の究極の姿)へ進む方思ったが、本書はここでより現実的な議論へと方向転換する。分散化は個人の自由や創造力をより開放する方向へ向かうが、本書は「全員が自立を望んでいるわけではない。また、自立を望んでいる者すべてが、うまくやれる能力を持っているわけではない」という。従って、仕事が必要とする自主性と人間が求める自主性が重なるポイントを目指すことが重要だとする。そして議論は分散化が必要とされるケース、されないケースの分析へ進む。ここまでが前半。

後半は、分散化された組織におけるマネージメント論が展開される。その中心となる主張は、「<命令と管理>から<調整と育成>へ」である。その議論自体はそれほどの新鮮味を覚えるものではないが、ITにおけるインターフェースの標準化になぞらえつつ、組織における分散化の方法を議論しているあたりは面白い。以降、分散化環境で求められるリーダーシップ、ビジネスの目標と個人の価値観の一致などが議論されるが、やや抽象的で面白みに欠ける。

全体としては、前半部分の分散化された組織の可能性に関する議論の方が面白い。多少非現実的であっても、それを突き詰めた将来の可能性を追求すると更に面白かったかもしれない。分散化環境のマネージメントは、まだまだ身の回りでは未成熟な状況にあるだけに勉強になるが、具体的な事例が少ないのがやや物足りないか。

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たまたま今日の郁次郎(日経新聞のコラム「やさしい経済学」)は、「知識を創造する主体として組織を見るとき、これまでとは異なる人間観・組織観」が必要となると論じている。つまり、階層型の組織は、人間を情報処理の部品としか見ていないというのだ。その新しい組織観は、どうも明日の話題のようで、今日は触れられていない。きっとマローンの論ずるところの分散化された組織、あるいはそれに近い話題が登場するのではなかろうか。

日本初の個人向け映画ファンド 「忍-SHINOBI」

2005-01-30 | ◆ビジネス
本日の日経5面の右下の広告が気になった。『映画「忍-SHINOBI」へ投資しませんか?』とある。(その左側の「グルコサミン」、前頁の「虎目菩提樹 念珠」っていうのも別の意味で気になるが)

最近新聞にしばしば登場していた、映画制作費を借り入れではなく、証券化などの手法で集めようというやつだ。広告には、「日本で初めての個人向け公募映画ファンド」とある。ファンドのホームページから、その特徴を書き出してみると…


・製作・配給に掛かる費用15億円のうち、10億円をフ
 ァンドによって集める
・匿名組合への出資という形式で、一口10万円である
・収益は、興行とビデオグラムの事業収益 から分配
 される
・リスク限定型の2商品が用意されている。1つは元
 本60%確保型、もう1つは90%確保型。
・投資額によりいろいろな特典がある。(試写会招待
 や映画本編への名前のクレジットなどなど)

こうした特定の映画に対する出資の形態を取ると、貸付と違って製作会社そのものの信用力ではなく、映画そのものの収益力によって資金を集めることが可能となる。逆に、映画の企画そのものの収益性をアピールできなければ、資金を調達することが難しい。

とはいえ映画に当たり外れがあることは誰でも知っていることである。今回はリスク限定型の商品にしているところがポイントだが、それでもこの映画はヒットするのだと投資家に納得させなくてはならない。ファンドのメインページから、「映画の特徴」へ飛ぶと、その努力が見られる。例えばこんな項目が並ぶ。

・ヒット作の要素を満載
・魅力的なキャスティング
・巨大なセットと情緒ある風景
・世界初のVFX技術とワイヤーアクションの合成
・力強いストーリー
・世界で活躍するクリエイターが集結
・「忍者」というテーマでビジネスチャンスを拡大

一番最初の「ヒット作の要素を満載」というのが象徴するように、純然たる投資家を納得させようと思うと、ヒット作の要素を満載しているから収益性が高いファンドであるという理論になる。同じ理屈でいくと、同じような映画がたくさんできてしまう。今なら、侍映画ばっかりか。

資金調達の手段としての面白さがある一方、映画そのものの画一化と紙一重であるところが、映画ファンドの危うさであろう。もちろん、これは一般投資家から投資を募らなくても常に問題として存在するが。

むしろ、金銭的リターンに加えて「精神的リターン」を堂々と謳うアイドルファンドの方が、潔く見えてくる。第二弾もやってるみたいだし。

Solarisのオープンソース化が意味するところ

2005-01-30 | ◆ビジネス
SUNが自らの開発するUNIX OSであるSolarisのオープンソース化に踏み切った。最初に公開された分析ツールである「DTrace」のダウンロードは、公開後40時間で3,683件に上ったと報じられている(CNET Japan)。業績の悪化するなか、ついにという感もあるが、今回のソースコード公開は何を意味するのだろうか。

◆ネットワーク効果とコンプリメンタリー・テクノロジー
OSは、それ自体がいかに優れていようとも、そのOSに対応したソフトウェアがなければ価値が生じない。つまり、ソフトウェアはOSの価値を補完(コンプリメント)するという関係にある。一方、ソフトウェア会社が特定のOSに対応したアプリケーションを開発するには、マーケットが存在していなくてはならない。つまり、そこにはネットワーク効果が働いており、OSのユーザーが多いほど市場も魅力的になる。

このネットワーク効果とソフトウェアによる価値補完は、鶏と卵の関係にある。顧客が多ければ、ソフトウェアの開発も活発になり、ソフトウェアが多ければ顧客もそのOSを積極的に採用する。このジレンマを打開するのはOSの開発元である。LINUXはオープンソースという方法で、このジレンマを打開したと解釈できる。つまり、ソースコードを無償とすることでネットワーク効果を生み出し、対応するソフトウェアを増加させたのである。さらに、ソースコードが公開されていることで、ソフトウェア開発を容易にしたことも、ソフトウェア会社へのインセンティブとなっている。

では、SUNはどうか。UNIX市場の規模が頭打ちになるなか、LINUXのシェア拡大はSolarisのシェア縮小、つまりネットワーク効果の縮小へ直結する。すると、ソフトウェア会社がアプリケーション開発するインセンティブも減少し、さらにネットワーク効果が縮小するという、ネガティブなサイクルに突入する。放置すれば、SUNの将来はない。従って、今回のSUNによるソースコードの公開は、このネガティブなサイクルに歯止めをかけ、ネットワーク効果とソフトウェア補完のサイクルをポジティブな方向へ戻そうという試みと解釈できる。

◆その勝負の性質
では、LINUXとSolarisuのオープンソース対決は、どういった性質の争いになるのか。LINUXというのはご存知の通り、公開されたソースコードに対し、世界中の技術者達が無償で改善を加えていくことで開発が進められている。一方、Solarisの開発は、ソースコードが公開されたとしても、SUNのコントロール下で開発が進められていく。

つまり、その大きな違いは、開発の過程における開発者組織の違いとも言える。LINUXが極めて分散化された組織によって開発されているのに対し、Solarisは相対的に中央集権化された組織によって開発されている。(ここで相対的にと書くのは、SUNの開発組織も他社の組織と比べればより分散化されているかもしれないからである。ただ、LINUXと比べれば、より集中化されていると捉えられる)

LINUXの開発者とSolarisの開発者とでは、開発に関わる管理方法も、作業に取り組むインセンティブも全く異なるはずである。LINUXは極めて緩やかな管理のもと、開発者は自発的な意志にて開発に取り組む。一方、Solarisの開発者は相対的には厳格な管理のもと、金銭的なインセンティブを伴って開発に取り組む(これもあくまで相対的な観点で)。

オペレーティング・システムというアプリケーション開発の根幹となるソフトウェアの開発に、どちらの組織形態が適しているのかというのは、単にOS同士の争いとしてのみならず、これからのネットワーク社会における組織論としても興味深い。

また、今回はSolarisとLINUXという図式にのみ焦点を当てているが、Web ServicesにてUNIXとの垣根を取り払おうとするMicrosoft、あるいはハード面からUNIXのコモディティ化を推進しようとするIntelのItaniumチップなどについても考えると、まだまだ今回のオープンソース化の議論は尽きそうもない。





ITが低下させるナレッジの価値

2005-01-29 | ◆ビジネス
更新せぬまま2週間。やや心に余裕が出来たので再開。

日経新聞のコラム「やさしい経済学」で、ナレッジマネージメントの権威である野中郁次郎の連載が始まった。その第二回(1/28)は『問われる「質」』と題されている。

記事では知識の定義について触れている。認識論において知識とは「正当化された真なる信念」なのだそうだ。客観的というイメージがつきまとう「知識」の定義において、「信念」という言葉に違和感を覚えた。しかし、「知識」が作り出されるものであるならば、それは個人の信念から出発し、正当化のプロセスを経ることによって「知識」に至る解釈すれば、納得できる。

議論の最後で野中氏は「ITの発達がもたらしたのは、ITで取り扱えるような形式知や情報の価値を著しく下げたという逆説である」という。ITによって形式知を容易かつ大量に獲得できるようになったがために、「高質な暗黙知に基づいて、自分にしかつくり出せない知識を創造すること」が逆に減ったのではないかという警鐘である。

「知識」の定義で「信念」という言葉に違和感を覚えるあたり、自分も形式知に押し流されつつあるのではないかと危惧する。RSSリーダーは、そのままでは形式知の箱である。そこから「信念」と呼ぶにに足るものを作れるか。ブログを書いていくプロセスがそれを担っているのではないかと、自分では考えたいが、ならばそれを怠った過去2週間、私は形式知の人であったのだ。

『日本の金融業界2005』 スタンダード&プアーズ

2005-01-11 | ◆読んでみた
スタンダード&プアーズ社が毎年出している本。前半では金融業界の主要トピックと各業態の分析が行われており、後半では主要金融機関のプロフィールが紹介されている。

格付機関からの視点での業態別分析は、業績に影響を与えると思われる主要動向を網羅しており、大変判りやすい。グラフを多用しているので、直感的に理解しやすい。自分に馴染みの無い業態を概観するには重宝する。カバーしている業態区分は、

・大手銀行
・地方銀行
・生命保険
・損額保険
・証券
・消費者金融
・リース

面白かったのは、邦銀と外銀との比較。特に統合効果についての分析。生保を2グループに分けて戦略の相違を分析しているあたりも面白い。また、消費者金融と銀行の微妙な関係も判りやすく整理されていた。個人的には信託と投信投資顧問を分けて分析してもらえればなお有り難かった。

一方後半のプロフィールは、1社1ページしか割かれておらず、情報量としては物足りないか。

『日本の金融業界〈2005〉』 スタンダード&プアーズ 東洋経済新報社