ロシアのウクライナへの侵略が始まって1週間が経った。
米国の情報機関では精神に異常を来しているのではないかとの見方があるプーチンの行動を止める国際社会の仕組みも知恵も残念ながら無いことだけが日々明らかになっている。
地下シェルターで遠くの大砲の音に怯える幼い子を「花火だよ」と抱きしめ、カメラに向かって「この子に戦争というものを知らせたくない」と語る父親の姿に胸が締め付けられた。
同じようなシーンのある映画があった。BGMに「ホフマンの舟歌」が流れていた記憶から調べると『ライフ・イズ・ビューティフル』(1998年 イタリア)だった。
奇想天外な喜劇仕立てだがナチスのホロコーストという深刻なテーマを扱っている。
強制収容所に一緒に連行された幼い息子にそこがどのような施設であるかを気づかれないように父親は機知に富んだ優しい嘘を言い続け、命を賭して子供への贈り物の約束を果たす姿が切ない。
ウクライナ戦争の報道は嘘ではなく正しくあって欲しいが、その姿勢が気になることがいくつかあった。
1週間が経ってさすがに少なくなったが、マスコミに登場する安全保障専門家や報道関係者の中に「プーチンさん」と呼ぶ人がいる。
「さん」は親しみと尊敬を込めた敬称であり、人道を踏みにじって隣国を侵略している独裁者の呼び方に全く相応しくない。「大統領」、「氏」ではないのか。
どのような神経をしているのだろうかと思いながら話を聴いていた。
「ウクライナ軍の善戦」という伝え方もどうだろう。「善い」戦争など無い。
祖国を守るために命を懸けて戦っている兵士と市民は犠牲者であり、頑張りを伝えるなら征服者に対する「抗戦」ではないのか。
プーチンの暴挙を止めるのは国際社会の世論しか無さそうだ。報道の役割は益々大きい。
『ライフ・イズ・ビューティフル』で父が息子に誕生日のプレゼントに約束していたのはおもちゃの戦車だった。
そのことを成長した息子が「命を賭したプレゼントだったのだ」と回想する。
この戦争はどのような知恵を残すのだろうか。