道議会庁舎の引っ越しが始まっている。その直前に札幌に出る用事があったので旧庁舎の中を見物してきた。
現職の時以来だから10年振りになる。議会事務局の方が点けてくれた照明の下に懐かしい本会議場が現れた。
耐震性が弱く、何度も新築の話が持ち上がっては財政事情から見送りということが繰り返された。25年ほど前にほぼ決定さた時も当時の中川義雄議長の「財政難の時にやるわけにいかない。」というひと言で道警新庁舎を優先着手して以来だと思う。
演壇、机と椅子、絨毯、壁・・・随分古くなっていた。ドアの磨り硝子の一部に丸く透き通った部分がある。回廊から中を覗いて進行状況を見ていたことが想い出される。
戦後、民選知事の初代となった田中敏文氏は労組の支援を受けて林務部の係長から当時の職階で7段飛びで知事になった。社会党と自民党の応酬は国会並みと言われ、深夜議会、紛糾空転は当たり前だったという。
その伝統?が色濃く残っている時代に、堂垣内氏から横路氏への政権交代を経験した。横路知事が初演説で何を言うか、議場も傍聴席も職員で満員になっていた光景が浮かんだ。
某党は本会議で再々質問するのは常であり、回廊に控えている事務方が想定問答の中からハサミとホッチキスでつなぎ合わせて議場内の課長に送り込み、部長、副知事とチェックされて知事が答弁するという緊張感があった。
「世界食の祭典」の90億円の赤字は全職員が毎月の給料から償還、新長期計画汚職(不起訴)、道営競馬の290億円の累積赤字問題のような辛い思い出もあるが、農政に関しては酪農負債整理対策、生産者団体による生産調整、独自の水田転作対策など、道が実施し、国の制度化に結びつけた積極道政を経験出来たのは幸運だった。
今は「道議会庁舎の喫煙」など、レベルの低いことしか新聞記事に載ることがなくなったように感じる。
いろいろ物議があった議会新庁舎である。昔と財政事情も異なるが、先ずは鈴木知事から“お国”意識を捨てて、北海道の発展展望を示し、道民の夢をかき立て活力を引き出して欲しい。
《 赤れんが庁舎前のハナミズキが綺麗に咲いていた。2020.5.18》