毎朝、納豆を食べている。
最近は小粒の製品が多い。
箸で混ぜると昔の大粒の納豆より粘りが出て美味しく感じる。
住んでいる恵庭で栽培されている大豆は殆どが納豆用の小粒大豆だ。
今週はO農場に二日間、小粒大豆の雑草とりに出掛けた。
丈が20cmくらいに育った小粒大豆の畝は長さが200m近くある。
遙か遠い〝ゴール〟を目指して、中腰になったり、地面に四つん這いになったりして、10cmほどに伸びたタデ、アカザ、前作の野良薯などを取り除いて腰に付けた容器に入れて行く。
農業は雑草との戦いだ。
この地球上で圧倒的に生育している草木の中に人間は僅かな農地を作って食料を栽培しているのだから仕方が無い。
ひと畝30分。
何回も行ったり来たりしながら昔の納豆のことを想い出していた。
小学校の頃は豆腐屋のアルバイトがリヤカーで豆腐、揚げと一緒に売っていて、小学校の上級生のNさんがリヤカーを曳いていた時もあった。
角のような型をした真鍮のラッパを上手に吹いて、朝夕の街中に流れる長閑な時代。
それは「ト-フ-」と聞こえた。
一日が始まり、一日が終わる知らせのようだった。
豆腐屋のIさんはどうしているかなぁ。
小柄でほっぺたが赤く丸い顔をしていて、クラスの皆なは「Iのトーフ屋」と囃し立てた。
今だと立派なイジメになってしまうが何故かカラッとしていた。
昔の納豆は〝薄皮〟で三角形に包まれ、太陽を思わせる赤い模様の包装紙のデザインが印象的だった。
本州では水戸納豆に代表される藁に包まれたものだと聞いたことがある。
材木を薄く紙のようにした〝薄皮〟自体が無くなり、三角納豆も消えた。
200mの畝を行ったり来たり、単調な作業をしながらこんなことを想い出したりしていたら雑草取りの一日が終わった。
納豆がなおのこと美味くなった。
2023.6.29 ツル薔薇