Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

寅さんはニート、浜ちゃんは負け組。 ~日本ダメ男論~

2006-04-05 02:43:49 | 人間行動学:精神医学・心理学・行動科学
「男はつらいよの寅さん」「釣りバカ日誌の浜ちゃん」、植木等の無責任男など、日本では長らく「ダメ男」が愛され続けてきた。彼らが愛され続けてきた昭和と言う時代にあって「高度経済成長」やら「省エネルギー」という効率重視の社会に見えるが、実は昭和の人間は同時にダメ男たちも飼いならす余裕があったのだ。後世の歴史家に書かれてしまう前に、本ブログに書いておこう。

“寅さん”の愛称で親しまれる映画「男はつらいよ」の主人公は、テキヤを商売としていると言うが実質はぶらぶらしている。学校に通いなおす訳でもなく、職業訓練を受けて定職にありつこうと言う訳でもない。今の流行の言葉で言えば「ニート」に近いだろう。フリーターと言えるほどの収入も何も無い。結局は実の妹にお金を工面してもらったりする。寅さんはニートだったのだ。

映画「釣りバカ日誌」の主人公・浜ちゃんは、釣りの事か、はたまた妻とのセックスしか脳みその中には無い。「釣り」と「合体」の間を揺れ動くサラリーマンである。魚を釣って食うか、奥さんを釣って食うかの二者択一しかないのだ。社内業績がある訳でもなく、会社員としては失格である。しかし誰からも憎まれず愛され、社内に無くてはならない潤いである。男性ばかりではなく、女性社員からも何となく人気があったりする。課内の潤滑油なのだ。流行の言葉で言えば、永遠に出世できない「負け組」男である。

エコノミック・アニマルとまで言われ、経済大国にのし上ったニッポンの老若男女がなぜ、彼らダメ男を愛するのだろうか?日米の比較心理学・多文化精神医学によれば、アメリカは「達成動機」の国であり、日本は「親和動機」の国だと言う。カタカナでそれっぽく書いてしまうと、前者はアチーブメント、後者はアフィニティーと言う事に成る。何かを達成することではなくて、人々を結び付ける共同体性がそこにはあるのである。独立した個人はあり得ず、共同体の中の社会性を帯びた個人が存在する。つまり文化心理学的観点から、ダメ男文化は日本のエートスとも言える。母性社会にとっては、保護すべき・育成すべきダメ男の存在が不可欠とでも言うのであろうか。

別の観点もある。西洋の王様にお仕えをして、王侯貴族や国中の人々の悪口を言いながら茶化し歩くフールの存在である。歴史学によれば、フールを飼っておれる余裕のある王は賢帝だったと言う。逆に王が自らに悪口を言うフールの首を切ったとき、悪政がやって来たと言うのだ。永田町の永田君も懲罰委員会にかけられて首を切られてしまった。公安委員会に摘発され、ギロチンに命を落としたフランス革命の志士達となんの違いがあろうか?

現代日本はどうであろうか?反対派議員は党の公認取り消し・排除し、またニートや負け組と言う存在を大量に作り出し排除する「格差社会」の推進を進める大統領型イニシアティブ首相=小泉純一郎首相は、日本のよき「ダメ男文化」を許容出来ないと言う事であろうか。そんなに見た目の無駄を切り落としてまで準公務員を増やして実質の官僚の利権を守りたいのか?

小津安二郎の世界のような牧歌的な時代は本当に終わりを告げたのだと思う。

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