Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

現代おやじ考

2008-01-21 00:38:17 | 人間行動学:精神医学・心理学・行動科学
父性の欠如が叫ばれて久しい。戦後ストッキングと女性が強くなったと言われるが、女性解放運動すなわちウーマンリブと女性の社会進出に伴って経済社会における女性の地位向上ならびに権力や権威までもが軒並み向上してきたように思われる。アメリカではウーマンリブの頃からどうもゲイ男性が増えてきたような感じがするのだが、実は種々の諸問題を含んでいるような気がしてならないのである。

DVと略されるドメスティック・バイオレンスだが多くは男性が女性に対して手を挙げるようなイメージで捉えられている。私はこれも父性の欠如や男性性を否定し、貶めるような動きとどうも関連があるように思えて仕方がない。

女性の経済社会への進出による地位向上等によって確かに女性の社会での位置づけは変わったのであろうが、変わらなかったのは男性の深層意識である。名誉と誇り、気概が男達を駆り立てる。プライドと言う言葉には男性自身と言う意味合いが隠されているのだが、フロイト的解釈を俟たなくても男性を危機的状況から奮い立たせ、損得勘定を抜きに行動へと駆り立てるもの、それはこの父性にも通ずる心情であると思う。

己へのプライドは至極やっかいなものであると言われる。精神的成長においてはプライドはしばしば現状への固執を促しがちだからである。しかし人間としての最低限の尊厳を失った時、或いは心無い他人に奪われた時に、人は凶悪犯罪をも引き起こす悪魔とさえ成り果てるのである。何もしなくても、世俗的社会での機能を一見持たなくても存在が否定されないと言うそこはかとない安心感は安定感へと繋がっていくのだろう。

翻ってDV問題で見落としがちな問題があるように思う。それは被害者女性の側が得てして加害者とされる男性のプライドを傷つけてはいないだろうか、と言う疑念である。口論ともなれば普通は女性の方が圧倒的に優勢である。口論の末、一方的に劣勢に追い込まれた・・・と思い込んだ男性が最後の権利回復の実力行使として身体を用いる・・・無論許される事では無いのだが、そんな構造があるような気がしてならない。

さて現代の父性はどこへ行ったのだろうか。父性なき時代にヒトは超自我を発達させる事が可能なのだろうか?もしかして父性は理性や超自我の発達と強い相関があるのではなかろうか。だとすると凶悪犯罪の増悪(統計上の数字では増加はしていないようである。マスゴミよ驕るなかれ、善良な市民を煽るなかれ。)傾向も、このまっとうな倫理観の発達=内在化されたおやじのカミナリの発達・・・がまだ未然の人間が増えていると言う事を意味しているのか?

「こらっ!」「ばかやろう!」とカミナリを落とす日本的おやじは現代では分が悪いように思えるかも知れないが、アメリカでも健在だし、実は世界中でまだまだ健在なのだと思う。ロシアではプーチン大統領の人気は絶大だが、頭脳も肉体も強く父性丸出しで時代錯誤かと思えば現地の受け取り方はそうでもないらしい。現実的で生活と密着し包み込む母性に対して普段は仕事に出て何をしているか子供にはわかりにくいが、しかし権威を付与されている「おやじ」の機能は実は我々が考えているよりも深いものなのかも知れない。

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