「何者」 朝井リョウ 新潮社 2012.11.30
第148回、直木賞受賞。
自分を生きるって、どういうことか。
真っ正面から心にぐさりと突き刺さる。
就活の情報交換をきっかけに集まった、
拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。
数ヵ所、書き写す。
まずは、拓人の思い。
いつからか俺たちは、短い言葉で自分を表現しなければならなくなった。フェイスブックやブログのトップページでは、わかりやすく、かつ簡潔に。ツイッターでは140字以内で。就活の面接ではまずキーワードから。ほんの少しの言葉と小さな小さな写真のみで自分が何者であるかを語るとき、どんな言葉を取捨選択するべきなのだろうか。
個人の話を、大きな話にすり替える。そうされると、誰も何も言えなくなってしまう。就職の話をしていたと思ったら、いつのまにかこの国の話になっていた。そんな大きなテーマに、真っ向から意見を言える人はいない。こんなやり方で自分の優位性を確かめているとしたら、隆良の足元は相当ぐらぐらなんだろうな、
たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。確かにそれは個々の意思のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者か」になれるのかもしれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。
決して、個人として何者かになることを諦めたわこではない。スーツの中身までみんな同じなわけではないのだ。
瑞月は隆良に言う。
「あなたの努力が足りなくて実現しなかった企画を『なくなった』って言ってみたり、本当はなりたくてなりたくて仕方がないはずなのに『周りからアーティストや編集者に向いてるって言われてる』とか言ってみたり、そんな小さなひとつひとつの言い方で自分のプライドを守り続けてたって、そんな姿、誰も知らないの」
「十点でもニ十点でもいいから、自分の中から出しなよ。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ」
そして理香は拓人に言う。
「あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。そんなの何の意味もないのに」
「あきらめるふりして、あきらめきれてない」
「いい加減気づこうよ。私たちは、何者かになんてなれない」
「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くたってカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ」
「カッコ悪い姿のままあがくことができないあんたの本当の姿は、誰にだって伝わってるよ」
「そうやってずっと逃げてれば?カッコ悪い自分と距離を置いた場所でいれば?いつまでも観察者でいれば?いつまでもその痛々しいアカウント通り【何者】かになった振りでもして、誰かのことを笑ってもなよ。ずっと」