「利休にたずねよ」 山本兼一 PHP研究所 2008.11.7
以前読んだと思うが、例により、まったく記憶にない (^^;
第140回、直木賞受賞作。
「とびきり屋」「ちょうじ屋」など同様、山本さんの、
茶の湯、道具などへの見立て、見識、表現等に改めて感じ入った。
おのれの美学だけで秀吉と対峙した利休が見事に描かれていた。
切腹直前から次第に過去へと、
利休はじめ様々な人々の視点で戻る構成もよい。
秀吉は気づいた。
利休の点前には、一座の会、一碗の茶をかけがえのないものとして慈しむ執着と気迫がある。そんなこころを秘めながら、かろやかに点前してみせる。
人の世は……
むさぼり、いかり、おろかさの三毒の焔に満ちあふれている。
しかし利休は古渓宗陳に言う。
「人は、誰しも毒をもっておりましょう。毒あればこそ、生きる力も湧いてくるのではありますまいか」
たしかに、むさぼりの心があればこそ、生きる力も湧いてくる。
「肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。高きをめざして貪り、凡庸であることに怒り、愚かなまでに励めばいかがでございましょうか」
利休の名を帝に奏上したのは、その宗陳だった。
老古錐となって、禅に励めという意味。
鋭さも、ほどほどにせよ、とい教えをこめた「利休」である。
秀吉が天下をとったのも、北野の茶会も、利休が切腹に追い込まれたのも史実だけれど、
人間模様の機微はいつも闇のなかだ。
だから、多くの物語が紡がれて、豊かな世界へと誘ってくれる。
そんな思いを改めて感じた作品。