ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「サーカスナイト」

2016-01-13 09:04:26 | 

 

 

「サーカスナイト」  よしもとばなな   幻冬舎 2015.1.20

温かい小説。

あとがきに、
この世のどこかにこんな人たちがいて、中途半端に不器用にでもいっしょうけんめい生きている。「赤毛のアン」のように「じゃりン子チエ」のように、そんなふうに。
と、あった。
なぜかほっとする、と。

まったく同感。

以下、引用。

楽しそうに見えるから大丈夫ということはない。
ただ楽しそうでない自分がいやなのでそうふるまっているというだけで、そこに悲しみはいつも大きく重く存在するのだ。

人にはそうなってしまうつもりはなくても、ベストをつかしていても、そういうふうになってしまうことはいくらだってある。

自由なのはいい、うんといいことだ、でもだれともつながってない、いつ切れるかわからないようなつきあいばかりの人生はほんとうの自由というものではない。

自分ひとりでできることなんて小さい。だからって人と力を合わせればできるって思うのもとっても安直。できることをやっていたらいつのまにか叶うのがほんとうの夢なのね。

大変だったことは時間の要素に抱かれてなんでもないことになっていく。
こだわり続けるのは人間の心だけなのだ。

義母の言葉も淡々として、かつ、シミジミ。

山は偉大すぎるし、テニスは奥深すぎるし、息子が死ぬのは受け入れがたいし、そういうのにずっと触れていたら、いやでも謙虚になるっていうか、自分がああだこうだ思うことなんてたいしたことないって体でわかるよ。

いやなやりなおしもたくさんあるし、ここがもうどんずまりってところも何回もあるけど、じわじわっとねばっているうちに勝手に時間が流れて、またなんだか風通しのいいところに出ることがあるのが、自然の中に生きてる全部の生き物にある可能性だよね。まあ、それでだめなときは力つきるしかないんだけれど。
こんなにいろんなこと考えて、いろんなもの見て、なにかを深めて、それがいきなり死んだらなくなっちゃうってことはないんだと思う。どこかには必ず残って、生きているものたちに影響を与え続けているんだよ。だからこわがることはなにもないんだと思う。

なんでもないように見えることの中に、ものすごく面白いものがいっぱい潜んでるの。それを掘り起こしていくのは面白くてしかたないこと。


自分を受け入れ、気負わず、いろんな現実に対処する。
そんな当たり前を、当たり前に過ごすって難しい。
そんなことをツラツラ考えながら、ゆったり読んだ。
でてくるキャラが、一人ひとり魅力的。

些末なことだけど……
「…………。」のように、カッコを閉じる前に句読点があった。
以前、同じことに気づいたのも、ばななさんの作品だったろうか。

教科としての「国語」を教えている方たちは困るだろうな(笑)

 

 

 

コメント
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