艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

三国日誌 補足(仮) その16~「かかるときには『離』こそ大事なのではありませんか?」 姜維伯約

2008年08月01日 20時59分28秒 | 三国日誌 補足(仮)
 今日の晩ご飯はタコ刺です。昨日スーパーで色のいいタコの足を見かけて、割引価格になってるのにも惹かれ、タコなんてそんなに食べないのにフラフラ~と買ってしまいました。

 食にあまりこだわりもなく、自分で料理もしない僕ですが、「なんとなく食べたいな」とふと思ったものは、頭では何も考えてなくても、からだがきっと求めている栄養素に違いない!って気もするので、そんなときにはからだに逆らいません。
 ちなみに前日までは毎晩うなぎでした。うなぎっていっても安いやつね。

 国産うなぎと偽って中国産うなぎでした~みたいな事件のあと、スーパーでは国産うなぎばかりが並んでいて困ります。国産は高いから。安い中国産でも充分おいしいのに。食の安全?宝くじに当たらないのに食なんかにあたってたまるかいってんだ。あ!サマージャンボ今日までじゃあない?買うの忘れた。

 先日、久しぶりにおざけんから電話がありました。相変わらずで、こっちも相変わらずなんだけど「今度飲みに行きましょうよ~」とのことだったので、すぐ翌日に飲みに誘いました。
 用事があるので…とのことで断られてしまいましたが、「飲みに行きましょうよ~」なんて言葉は、僕の場合は社交辞令ではなく「よし!じゃあいつ行く?」って、すぐに具体的な計画にしたい性格なので、この性格は直したほうがいいのかも。

 話かわりますが、吉川英治の三国志を読み直しています…ということを書いていたけど、とうとう最終巻となってしまいました。何度読んでも、最終巻は読むのがツライ。切なくなります。
 吉川三国志では、七巻あたりで関羽、曹操、張飛、劉備といった主要な人物があとを追うようにどんどんいなくなってしまって、こう、なんというかスターがいなくなってしまい、物語として褪せていく感がある。
 劉備の死後は、諸葛亮が一人で蜀をいう国を生き永らえさせて、大国の魏に対するという話が主になるのだけど、この諸葛亮の孤独、悲壮感は胸に迫るものがあるね。

 先主(劉備)亡きあと、蜀の命運は丞相である自分の手に委ねられた。
 大きな使命を背負った諸葛亮は、劉備の遺子でもあり蜀皇帝の劉禅が「先主のような人徳には恵まれていない(暗愚である)」とは思いながらも、劉備の恩義にその死後も忠であることをただ心に誓い、一人戦います。

 『三国志』っていうくらいだから、魏、呉、蜀の三国が相争う物語のはずなんだけど、実際に三国が成立したのは、この物語の中ではホント終盤。よくさー、地球の歴史の中で人類が生まれ文明を興したのは、地球の年齢を24時間換算すると23時55分くらいなもの、とかいうけど、三国が建ったのもそんなもん。

 しかも、この魏、呉、蜀は、力が拮抗していたわけじゃあなくて、兵力も人民も経済も圧倒的に蜀が不利。
 国の四方を天嶮の河川や連なる山々に守られた蜀ではあるけど、国力では魏呉の二国には遠く及ばない。

 この二国に攻められるのを座して待つのか、あえて討って出るのか。
 劉備の唱える「漢朝の復活」という志を遂げるためには、不利を覚悟で討って出るしかない。

 もうねー、諸葛亮はホント孤軍奮闘、限られた将兵と、限られた時間の中で、ひたすら先主の遺志を尊重しようとするんだよね。
 ひとつエピソードを。

 丞相である諸葛孔明が出師(軍を動かす)を表して、魏に対すること六度。その何度目かの戦いで。
 ズバリ、蜀軍の弱点は「食」にありました。(シャレじゃあないよ)
 魏の国境を侵し、遠征を行うときに、その兵数を保つべく兵糧の確保が問題となる。

 守るに易い地形にある蜀だけど、こちらから攻めるとき、この兵糧の輸送は困難極まる。 諸葛亮は、この食の確保に関して常に苦心して、それでも努力を重ねて食料輸送の手段を確保した。

 対する魏の都督は司馬懿仲達。

 司馬懿VS諸葛亮。
 この垂涎のカード。三国志好きなひとなら、リングサイドのプラチナチケットが十万円でも全然惜しくない。

 司馬懿、字を仲達。曹操の存命の頃には書庫の整理とか、パシリとかその程度のバイトくんだったのだけど、次第次第にその非凡なる能力で頭角を現し、今ではいっぱしの総司令官です。
 (司馬懿についてもいつかもっと詳しく書きたいな)
 諸葛亮率いる蜀軍のウィークポイントが兵糧にあることは、司馬懿ならざるとも知れるところです。

 知者、知者を知る。
 司馬懿は、自ら率いる軍勢が蜀軍の何倍いようとも。積極的に攻勢に出ようとはしませんでした。
 自国魏に相対する勢力は、この目前の蜀だけではなく、江南から北をうかがう呉もいます。
 魏と蜀が争って兵馬を損ずれば、笑うのは無傷の呉だけ。しかし、呉は積極的に攻撃を仕掛けてくる気配はありません。この魏と蜀の戦いを見定め、強いほうの流れに乗ろうとする機運があるからです。
 国力で圧倒的に勝る魏が、諸葛亮率いる蜀の精鋭に当たって、その戦局が魏の不利となれば、呉は国を挙げて魏を攻めまくってくるでしょう。

 しかし、ここでの戦局が膠着状態であるならば?呉はやはり様子を見ているだけで済む。
 司馬懿は、敢えて蜀を討つ必要はないわけです。国境を越えて戦しにやってくるものはしょうがないから、せめて迎え討つことはするけど、積極的に蜀の国に攻め入ることはしない。

 蜀の事情はそうはいきません。理由は先ほど書いたとおり。国力で天地ほどの差もある蜀は、このまま守り入って、魏や呉がますます力を増すに任せておけば、自国の滅亡を免れません。
 だから国を挙げて、攻める。諸葛亮は攻め続ける。

 城を出てやってくる相手を討つには計を立て易いが、篭って動かざる敵を討つのは難しい。
 諸葛亮は困ってしまいました。

 そこで一計。司馬懿が城から出るように誘導させる作戦を考えます。

 その作戦とは?
 三国志あたりで、城に落とせずに膠着状態に陥ったときに攻め手がよく取る手段として見られるのは、いわゆる挑発です。
 城の外で、攻め手の兵士たちが大声で「びびってんじゃあないの~?」と守勢の将兵を罵ったりバカにしたりして、城中の人間に「おのれ~!そこを動くな!今出てってやる!」と誘き出す策。しかしこれは古い。しかも相手が冷静な武将であれば、そんな挑発には乗りません。
 もしくは、攻め手の兵士にわざとダラダラさせて、篭城の相手には「軍規も乱れて隙だらけでは?」と思わせて、まんまと出てきたところを殲滅。これも策としては古い。ゴキブリホイホイみたいなもんだ。

 司馬懿ほど頭の回る者を動かすには?

 くどいようだけど、蜀軍が兵糧の確保に必死なことは先に述べたとおりです。一方の魏軍は本国近くで戦っているわけですから、その軍への兵糧に輸送は後方から余裕でやってくる。
 この魏の兵糧を奪うぞ、しかし!という軍事行動を蜀軍は「計画している」ということを、諸葛亮はわざと魏の本陣へ漏らします。

 蜀軍と対峙すること幾月。司馬懿もできれば蜀軍は追い返したいし、できれば殲滅したい。そのための策がなく、諸葛亮には到底かなわない自分を第三者的な目で冷静に評価しています。(そんなに卑下するほど司馬懿も負けてないけど)
 だからこそ、石橋を叩いても渡らないほどの消極的な守りに入っていたのですが、この「蜀軍が我軍の兵糧を狙っている」という情報に接したとき、「ならば、その襲撃隊だけでも殲滅しよう」と考えました。
 もちろん、司馬懿は相手から漏れ出た作戦を逆手にとる心積もり。兵糧を奪いにくる蜀軍を、闇夜において伏兵で待ち受けて殲滅する計画をたてます。

 なんぞ謀らん。これこそが諸葛亮の計略でした。相手の弱みに付けこんで兵を動かしたつもりでいる司馬懿は、自分の計にてそれを返り討ちにする算段であったのに。
 とうとう今まで殻に閉じこもるがごとく守勢だった自軍を動かすに至ったのです。

 「司馬懿は必ず討って出るだろう。司馬懿は自ら計をしかけたつもりで、我が計り事に落ちた」諸葛亮先生さすがっす。
 「動かない相手に策を持って攻め入るは難しいが、相手が仕掛けた策を逆手にとってこちらの計略を行えば、どんな相手でも十中八九はかかるものだ」

 で、司馬懿はまんまと諸葛亮の計略に乗って、軍の隊列はあちこちで寸断され、指令系統はグチャグチャ。付き従う諸将とも混乱の中で別れてしまい、かろうじて司馬懿は一騎で逃げまくる始末。

 深い林の中を駆け、あとを追ってくる蜀の一軍から身を隠すために必死な司馬懿。
 「誤った!諸葛孔明の計はまさに神算だ!自分の命もここまでか?!」

 司馬懿のすぐ後ろまで敵は迫ってきました。

 それを追っていた蜀の将は廖化、字を元倹。けっこうなかなかなやつです。この男、その昔、呉の軍勢に包囲され絶体絶命の関羽のもとに仕えてました。
 麦城にて味方の救助もないままに「今は覚悟を決めて、呉の軍勢に討って出て、全員見事に死んで見せよう!」という関羽将軍に対し、この廖化は「お待ちください!わたしが呉軍の囲みを抜けて、なんとか援軍を呼んで参ります!それまではここで耐え忍んでください!」と訴えて、ホントに一騎、必死の思いで敵中を突破し得たほどの男。
 (残念ながらこの働きも…だったのだけど)

 司馬懿を追う廖化。林の中で分かれ道にぶつかりました。
 「司馬懿はどちらかに逃げたに違いない。どっちだろう?」
 ふと見ると、一方の道に紛れもなく司馬懿がかぶっていた兜が落ちている。「さてはこの兜が落ちている方向に逃げたに違いない!よ~し!」と意気込んで追跡。
 まぁ、みなさんなんとなくわかってるように、司馬懿はわざと兜を落として、反対の道に逃げてたんですね~。かわいいですね~。愛情表現なんですね~。

 ここで司馬懿を取り逃がしたことは、この廖化にとっても、蜀にとっても、まさに人生で二度くるチャンスの二度目を逃したようなものでした。司馬懿を討ち取れば、このあとの魏蜀の歴史、大きくいえばそのごの中国の歴史、はたまたシジマが4年で卒業できたかどうかまで話かわってくるからね。

 魏軍を敗走させたのは、諸葛亮の計算どおりでした。蜀にとっては大勝利。それでも司馬懿を討ち漏らした悔しさが、諸葛亮の胸にはありました。

 各将が、今夜の戦績をホクホクな得意顔で、諸葛亮のもとに報告してきます。
 「司馬懿のやつ、兜まで捨ててほうほうの体で逃げ出しましたぞ!」
 「丞相!見てください!魏軍から奪った兵糧は二万石以上にもなります!これで我が軍の兵糧も安泰ってもんです!」
 「討ち取った敵将も、その数、数え切れないほどです!」
 「丞相!俺なんかもっとすごいよ~!」

 諸葛亮は「そうかそうか、よかったよかった」とニコニコ顔で、諸将に労いの言葉をかけ恩賞を与えました。

 しかし、心の中にはやはり一抹の寂しさがありました。その理由は司馬懿を捕捉できなかったことはもちろんですが…。
 もしも今ここに関羽のような将がいたら、こう言っていたでしょう。
 「丞相に、かくのような神算を賜りながら、肝心要の敵の総大将である司馬懿を取り逃がしてしまいました。まことに我が隊の不徳と致すところです。軍規に照らして御処罰を仰ぎたいと存じます」

 機に臨み、変に応ず。大局のなんたるかを見極め、その計を実行する軍師。その計を完遂するために命をな投げ打ち、最大のパフォーマンスを発揮する勇猛な将。
 小功を誇り、目先の勝利に喜ぶ今この自軍の「人のなさ」に、諸葛亮は表には出さずとも、悲しんでいたに違いありません。

 つーわけで、この吉川三国志。最終感はけっこう読むのが寂しいです。関羽、張飛、趙雲ら良将いまはなく、なんつーか、えだっち、西野さん、サイトーのいなくなった映像みたいなカンジです。一人頑張る大谷。

 さてと。
 もうすぐ夏休みです。休み前に仕事の数字もなんとか見られるくらいにはしておきたいので、ガラにもなく頑張ったフリをしています。(あー、フリならいつものことか)
 毎日昼には、その日の中間報告ってことで上司に電話連絡をしているのですが、今日はセブンイレブンの駐車場で同僚を見かけて、なんとなくそこで「今日のお客さんはさ~」と話しているうちにすっかり報告もせず。
 同僚と「なんかもう契約とれる気がしない。でもここで腐っててもしょうがないし…なんとかしよう!」とお互い頭を突き合わせ、「午後に一件でもあげよう」ってことを誓って別れました。

 午後のお客さんで、思いがけず契約となりました。「え?ちょっと待ってください。話を全部聞いてから決めていただいていいんですよ」と僕のほうが、かえってびっくりしてしまいました。「いや、それで契約するよ」「えーと、じゃあすぐ契約書作りますんで…」契約とりに行ってる営業マンなのに、めちゃんこかっこ悪かったです。

 『関羽一杯の酒』っていうエピソードあるじゃあないですか。前にも書いたけど。
 董卓軍でも呂布に続いて無類の強さを誇る華雄が進撃してきたのに対して、反董卓連合の将軍たちは尻込みしてしまい、誰一人それに当たろうとしない中で、「わたしに命じていただければ、華雄などすぐさま討ち取ってご覧にいれましょう」と言い張った関羽。
 その一騎駆けの前に「餞に一杯飲んでから行け」と、曹操に酒を注がれた関羽は、「華雄を首を持ってきたのちにいただきます」と言って悠々と馬に飛び乗り、敵陣に切り込み、見事華雄を仕留めて戻ってきたとき、その酒はまだ温かかった…って話。

 お客さんのところで、契約書を記入いただき、営業車に戻ってきたとき。この炎天下の車内でも、昼に買ったポカリはまだ冷たかったね。

 とはいいながら、こんなもんじゃあ足りないんです、数字。どんな仕事もめんどーだろうけど、営業ってホントいやだよな。なんでこんな仕事してんだろ。
 まぁ、それでも夏休みには何も憂いなく帰省したいので、出来る限りのことだけではなくて、きっちり数字も確保した上で凱旋したいので、ガラにもなく明日も明後日も諦めません。たぶん。

 『遼来来』で、みなさんもうすっかりお馴染みの張遼も言ってました。
 「張遼将軍、今日は勝ったのですから、もう鎧を解いて、しばし休息なされてはいかがですか?」
 「いや!今日勝ったが、明日はまだ勝っていない」

 また話かわるけど。
 銀行から葉書が来てました。なんでも「あなたはだいぶ長いこと通帳記帳してないから、期限までに記帳しないと、次回は今までに降ろした分や振り込まれた給料なんかを今後は合算して表示するから、あとで見てもたぶん意味わかんなくなるよ」とのこと。
 趣味は?と問われると、「ロンモチで恋することだね」とも言えないし、特に趣味のない僕ですが、晩ご飯が割引のタコ刺オンリーでも察せられるとおり、今ではビル・ゲイツか僕かって言われるほどに、暑さ寒さも彼岸まで。

 会社に行く前に、部屋から銀行の通帳を持ち出して、仕事中に記帳に行きました。(この時点で、仕事する気あんましないよね)
 記帳してないね~って、急かされるほどだったので、記帳にもえらく時間かかったので、せっかくだからこの一年ばかしの収支を眺めてみました。

 相変わらず給料は安いな~…ってことは置いておいて、びっくりしたのが、去年の12月にカードで24万円も使っていること。
 ちょ!なんですか?!この金額!
 全く憶えていません。なに買ったんだろう?ビックリマンチョコではないし、プロ野球カードでもない。
 12月の支払いで引き落としってことは、カードを使ったのは11月なんだろうけど、こんな大きな買い物した記憶がない。

 この日記を読み返せば、たぶん、去年の11月のどこかに、それだけのお金を使ったというくだりがあるのかもしれないけど、探すのが面倒なのでそのまま使途不明金とすることにします。
 ほら、僕、過去を振り返らないから。過去に縛られないっつーか。夜越しの金は持って帰らない札幌生まれの札幌育ちなんで。(僕のことを西野育ちと思ってるひと多いかもだけど、18歳までは東区に住んでました)

 だいたい考えてることはいつも同じで。
 面倒なこともイヤになることも、ほとんどが自分に帰することばかりで、ときに「たいした問題じゃあない」と思ってる。実際にたいした問題じゃあないのに、ちょっとした弾みで「うむー、これは憂うべき事態ですぞ」「今のうちにこれを討たねば後の災いとなりましょう」と、一人三国志が始まります。

 そんなときにも、誰かと会って、笑顔で飲めることを(たとえ面倒を抱えていても)想像して、それだけをいつも心の支えにしている。