水に住む
2005-08-15 | 社会
本日の記事はヴァルター・シェレンベルクが最後の要職に就く直前の架空の話をとりあげている。コミックに連載されていたものなのでおや?管理人らしくないとか思われるかもしれませんが常日頃から意識しておきたいと思っていることが書かれているので敢えて紹介いたします。
この話の登場人物はドイツ国防軍司令部の情報部「アプヴェール」(SDとは対立関係にある)長官ヴィルヘルム・カナリス提督。RSHA第6局長兼SD(保安本部)隊長ヴァルター・シェレンベルク。SS国家長官ハインリヒ・ヒムラーつきの侍医フィンランド人マッサージ師のフェリクス・ケルステン。シェレンベルクの部下でラインハルト・ハイドリッヒ(前SD長官)の甥ヴィクトール・ヘルマン・フォン・ハイドリッヒ(架空の人物です)。
ある日朝食の約束をした3人がカナリス提督宅を訪問した時にされていた会話を見てください。
出典 ねもと章子 レートルシリーズ 地上より永遠に 「カナリス最期の手紙」
シェレンベルク:「金魚ですか?めずらしいな…!」
カナリス:「日本(ヤーパン)の友人からもらったんだ…あっちも今はかなりきびしい戦局らしい…
ながめてるとあきんのだ。かわいいだろう?」
シェレンベルク:「………あの金魚がドイツの国民だとすると…もしあの金魚鉢にひびが入り…
水がもれていたとしても、提督は金魚鉢の形がおきらいなので修理なさらない!」
カナリス:「おいおい…」
シェレンベルク:「水はどんどんもれていく…だがあなたは金魚鉢(ナチ体制)が壊れてしまうことをずっと望んで
おられた…そうでしょ?たしかに…ゴテゴテと飾りばかりで欠点の多いひびだらけの鉢だ。
しかし!水がすべて流れ出ると…あなたの望んだ入れ物の崩壊より先に金魚たちが死んでしまう!」
カナリス:「…君が何を言いたいのかよくわからんが…そのたとえ話で答えるなら…悲しいかな、我が国において
は…金魚(国民)たちが自ら……その…最低の金魚鉢を選んでしまったのだよ!」
シェレンベルク:「あなたは先ほど…金魚はかわいいとおっしゃった…!私たちは金魚(国民)が生きていくための
水(情報)を守る職務です。どう守ればいいのかをあなたが…かつて私たちに示してくれた」 ---以下略
シェレンベルクとカナリス提督は対立している機関ではあるが情報(諜報も含む)を操る職務。それぞれの見方で母国と国民のことを考えているが最終的にクーデター計画が発覚しカナリスは「アプヴェール」を追われ左遷、アウシュビッツ収容所が連合国軍によって解放される前に絞首刑になった。対立をしていた二人だがカナリスはシェレンベルクを息子のように思い、シェレンベルクも同じ職務にある者として尊敬していたと思われている。そのような感情をお互いが抱いていたにも関わらず皮肉にもシェレンベルクが「アプヴェール」も統括しカナリスを直接逮捕しなければならなかったのである。
この話をみる度に今現在私たちはいったいどのような金魚鉢の中に入っているのかとよく思います。鉢はヒビ割れていないか、水は濁っていないのか知らないままに自分の入るべき金魚鉢に住み毎日を生きているのではないだろうか。見直す機会はいくらでもあるのにそのままにしているのではないだろうか。
本日は終戦記念日ということもあり、ドイツと同じように過ちをおかしてきたわが国と国民が二度と同じ間違いをおかすことのないよう改めて考えるとともに私のブログにおいでいただいている皆さんにも何かを伝えることができればとこのような形をとりました。
この話の登場人物はドイツ国防軍司令部の情報部「アプヴェール」(SDとは対立関係にある)長官ヴィルヘルム・カナリス提督。RSHA第6局長兼SD(保安本部)隊長ヴァルター・シェレンベルク。SS国家長官ハインリヒ・ヒムラーつきの侍医フィンランド人マッサージ師のフェリクス・ケルステン。シェレンベルクの部下でラインハルト・ハイドリッヒ(前SD長官)の甥ヴィクトール・ヘルマン・フォン・ハイドリッヒ(架空の人物です)。
ある日朝食の約束をした3人がカナリス提督宅を訪問した時にされていた会話を見てください。
出典 ねもと章子 レートルシリーズ 地上より永遠に 「カナリス最期の手紙」
シェレンベルク:「金魚ですか?めずらしいな…!」
カナリス:「日本(ヤーパン)の友人からもらったんだ…あっちも今はかなりきびしい戦局らしい…
ながめてるとあきんのだ。かわいいだろう?」
シェレンベルク:「………あの金魚がドイツの国民だとすると…もしあの金魚鉢にひびが入り…
水がもれていたとしても、提督は金魚鉢の形がおきらいなので修理なさらない!」
カナリス:「おいおい…」
シェレンベルク:「水はどんどんもれていく…だがあなたは金魚鉢(ナチ体制)が壊れてしまうことをずっと望んで
おられた…そうでしょ?たしかに…ゴテゴテと飾りばかりで欠点の多いひびだらけの鉢だ。
しかし!水がすべて流れ出ると…あなたの望んだ入れ物の崩壊より先に金魚たちが死んでしまう!」
カナリス:「…君が何を言いたいのかよくわからんが…そのたとえ話で答えるなら…悲しいかな、我が国において
は…金魚(国民)たちが自ら……その…最低の金魚鉢を選んでしまったのだよ!」
シェレンベルク:「あなたは先ほど…金魚はかわいいとおっしゃった…!私たちは金魚(国民)が生きていくための
水(情報)を守る職務です。どう守ればいいのかをあなたが…かつて私たちに示してくれた」 ---以下略
シェレンベルクとカナリス提督は対立している機関ではあるが情報(諜報も含む)を操る職務。それぞれの見方で母国と国民のことを考えているが最終的にクーデター計画が発覚しカナリスは「アプヴェール」を追われ左遷、アウシュビッツ収容所が連合国軍によって解放される前に絞首刑になった。対立をしていた二人だがカナリスはシェレンベルクを息子のように思い、シェレンベルクも同じ職務にある者として尊敬していたと思われている。そのような感情をお互いが抱いていたにも関わらず皮肉にもシェレンベルクが「アプヴェール」も統括しカナリスを直接逮捕しなければならなかったのである。
この話をみる度に今現在私たちはいったいどのような金魚鉢の中に入っているのかとよく思います。鉢はヒビ割れていないか、水は濁っていないのか知らないままに自分の入るべき金魚鉢に住み毎日を生きているのではないだろうか。見直す機会はいくらでもあるのにそのままにしているのではないだろうか。
本日は終戦記念日ということもあり、ドイツと同じように過ちをおかしてきたわが国と国民が二度と同じ間違いをおかすことのないよう改めて考えるとともに私のブログにおいでいただいている皆さんにも何かを伝えることができればとこのような形をとりました。
がちゃんといるのですがヒロインもお金を貰って手紙を届けるという影の組織の配達人です。物語も主人公ジャンヌと架空の人物であるヴィクトール・ヘルマン・フォン・ハイドリッヒの好敵手としての関係を描きながらすすんでいきますが歴史的な事実もかなり盛り込まれています。
残念ながらコミック自体は廃番だと思います。ねもと章子さんも現在では別の名前で活躍しているようです。
レートルシリーズは
「ヘルメスの翼のもとに」
「ヘルメスの紋章の秘密」
「地上(ここ)より永遠に」の3冊です。
オススメなんで古本屋に走ってみてください。
で、戦争経験者である老女の言葉を取り上げたことがあります。彼女、また、「空襲で大阪の町が焼けるのを山越しに見、すごく綺麗だと思った」と、正直な感想も述べています。
教育という言葉を使うまでもなく、情勢に押し流されるということは、一種のマインドコントロールを臨むと望まざるに関わらず、受け入れているということかも。アメリカのように確信犯的に突き進む場合はかえってその修正もやりやすいように思いますが、なしくずしは打つ手がないですね。
コミックであれ、活字であれ、、語り継ぐ事の大切さを切実に感じずにはおられません。
金魚鉢は壊れそうでいて、中々頑強に出来ているようですが・・、
ご先祖さまたちが作り上げた、物事・先送り体質の民族性が、グローバルな世界にどこまで通じるのか・・、
はたまた、遭えなく鉢に『ヒビ』が入って・・、
日本「鉢」が沈没することは無いですよネ・・(^^;
まだまだ、情報の発信は続けなければならないようですね。。
これからもよろしくお願い致します。
ドイツと日本の戦争責任と取り方はよく比較されますね。国連演説や、先のホロコースト60年での演説を聞けば、責任の取り方はそのアピールにおいて数段日本よりうまいと言えるでしょう。しかも近隣諸国に対して賠償している実績もある。すべてをナチスに押し付けて反省などしていないとする向きもあるようだけど、私はドイツの態度は評価している。
以前、日本はその政治体制(軍国主義になっていった過程を指す)を選挙によって選んだわけではなかったので、市民にはその戦争責任がない、という意見を見たことがある。情報を遮断され、一種国内がマインドコントロールによって、価値観を定義されていたからということだ。しかし、ホントに免責されるのだろうか。政治体制と国民意識というのはじつは表裏一体のものではないだろうか。最近とみにそう思うようになった。
日本人としての先の戦争にたいする責任。それは、二度と戦争をするような状況にしないということだと私は思っている。中国人の若者のほとんどが資源をめぐって再び日本と戦争になるとおもっているというアンケートが出ていた。
日本人の智慧と勇気のみせどころだ。ぜひともこの難題をのりこえて、平和を実現したいものだ。
非常に過激な言い方をすれば自分の生き方をもどうでもいいという意思表示をしているとの同じような形になるのかもしれません。後で泣き言をいっても始まらない、自分が罪に手を染めてしまってもどうにもならない状態ってのはどのようなことを発端としておこりうるのか少なくとも想像すべきです。
もちろん内に秘めてその時がくれば行動をするという人が多くいるということも信じています。
そうあって欲しいです。
日本丸の沈没なんて考えたくもないことですが、沈没しないまでも舵は誰か別のものが握っているのかもしれません。
自分の生き方を考えることのできる世界でだけはあって欲しいと思います。そのためには何をしなければならないか、その都度このお話を思い出すのです。
思っています。どっちが正しくてどっちが間違って
いるとかの問題ではなく、私たちの今を守るためには
何が必要なのか、それには過去の出来事にさかのぼって振り返ることでわかることもあるかと思います。
歴史は過去の出来事でしかないと今を生きる人は思い
毎日を振り返らずに生きていますが、ふとした瞬間に
この国で暮らしている意味とどのように生きていくのか未来へと繋がるヒントとして考えていかなくてはならないと思います。
そこからがおっしゃるように智慧と勇気の見せどころでしょうね。