八重山吹
2005-04-16 | 花
新緑に鮮やかな黄色が映える。
雨上がりの八重山吹はひっそりと咲いているのに
何かを訴えかけているようだ。
古来より黄色は黄泉の象徴とされ、八重山吹は結実
しないために二重苦を背負わされてきた。
「別れの花」だとされてきたのだ。
万葉集をみると
山吹の立ちよそひたる山清水汲みにいかねど道の知らなく
(歌意:山吹がそばに咲いている泉は生命の復活の泉といわれているが、私は
行きたくともそこに辿りつく道を知らない。)又は
(八重山吹に彩られ清水のある三途の川をわたり黄泉路をいってしまった彼女を
私は追いかける術を知らない)
天武天皇の皇子で後の太政大臣となった高市皇子が
異母兄妹である十市皇女の死を悼んで詠んだ歌
二人は相思相愛の恋愛関係にあったらしいが政治的にひきさかれそれぞれ別の人間
と結婚。十市皇女は失意のうちに若くして亡くなったとされている。
よって別れの歌とされているのだが
「私は実らない寂しい花ではないのよ」
生命活動が活発になるこの新緑の時期に咲く美しい八重山吹は
そんな風に言っているような気がしてならない。
雨上がりの八重山吹はひっそりと咲いているのに
何かを訴えかけているようだ。
古来より黄色は黄泉の象徴とされ、八重山吹は結実
しないために二重苦を背負わされてきた。
「別れの花」だとされてきたのだ。
万葉集をみると
山吹の立ちよそひたる山清水汲みにいかねど道の知らなく
(歌意:山吹がそばに咲いている泉は生命の復活の泉といわれているが、私は
行きたくともそこに辿りつく道を知らない。)又は
(八重山吹に彩られ清水のある三途の川をわたり黄泉路をいってしまった彼女を
私は追いかける術を知らない)
天武天皇の皇子で後の太政大臣となった高市皇子が
異母兄妹である十市皇女の死を悼んで詠んだ歌
二人は相思相愛の恋愛関係にあったらしいが政治的にひきさかれそれぞれ別の人間
と結婚。十市皇女は失意のうちに若くして亡くなったとされている。
よって別れの歌とされているのだが
「私は実らない寂しい花ではないのよ」
生命活動が活発になるこの新緑の時期に咲く美しい八重山吹は
そんな風に言っているような気がしてならない。
あああ~若いときおもいだすわぁ~
あったのよ私にもそんな時代が・・・
八重山吹には悲しい物語があったんですね。
でも私も山吹見てそんな悲しいお話があるって思えません。
葉は明るい色してるでしょ、黄色いお花は元気カラーでとっても明るいイメージがあるんですよ。
一斉に開花すると一目を引きます。
花自体のイメージは明るいものだったのですが、面白いものですね。
三宅
こーゆーのは初めて知りました。
いつもながらるーぱーさんは話題が豊富ですね。
「面影を映した鏡が山吹になる」・・・と、
古歌に「古(イニシエ)の面影草の夕映えや 留めし鏡の名残なるらむ」とか、
「面影をたがひに留めし鏡草 忘衣の名残恨めし」とあるように、
山吹には面影草とか鏡草の別名があるそうですね。
心中を鏡のように映し出し「私は実らない寂しい花ではないのよ」・・、
と、語りかけてくれそうですね・・・。
hinahinaさんのブログ見てる限り、悲恋なんて微塵も
感じさせたない力強さを感じますよ。
一度是非聞かせて下さいませ。その悲恋話とやらを
「私の胸にしまい込んでおく」はダメですよ。
色んなものに2面性があるのかもしれません。
何事もよく考えて行動に移したり、論じたりしないと
いけないと考えさせられますよね。
戦国の世に生き残り大仕事を成すには小さな心配りと
それにも負けない力強さが必要だったのでしょうか。
小さなことに気づき自分の行いを反省することは難しいことです。こちらのエピソードも大好きです。
ちょっと歴史が好きなだけです。
何もかも中途半端で逆に繊細にお花に対して
あたるしまちゃん。がうらやましいです。
花の細かな表情がよく出ていますもの。
特にパステル調のものは思わずその画像頂戴!って
言ってしまいそうですから。
イメージです。ブログ頑張ってます講座で本来の
kamikochiさんの姿が見えないのがとても残念なんで
すよ。
「面影草」ですか。ステキですね。こちらは繊細な言葉の響きとイメージです。
「山吹」はやはり元気なイメージですね。そう思いたいです。雨上がりだから特に感傷的になったのかもしれません。