2020年1月26日(日)晴れ
朝5時に真っ暗な場所でバスを降りました。バイクが4台待っていて、後部座席に乗ってヘイテの家まで走りましたが、ダウンを着ても寒かった。
家の1階に机と椅子があり、明るくなるまで椅子に座っていました。バイクに乗せてくれたのはヘイテさんの弟や従兄弟だそうで、同じスペースで座っていました。暗い中、お菓子を持って来て机に置かれました。黒い色の物体に砂糖をかけた物で食べてみると餅でした。暖かくて美味しかった!もう一つの皿にはナッツとお茶の葉に油をかけた物でその後、お茶請けとして何度もこれを見掛けました。

空が少しづつ明るくなる頃(6:20)バイクに乗った行商の人が来て頭に懐中電灯を縛って商品を照らしていました。

ヘイテさんが「散歩しよう」と言うので、先ず隣りの家を覗きました。大きなトラクターがありましたが、牛の餌を作る粉砕機がありました。

叔父さんの家だそうです。牛が居ました。農耕馬かな?と思いながら叔父さんの家を出ると牛車が通り過ぎました。牛は牛車として使われる様です。

その後も何台も牛車が通りました。朝靄の中を天秤を担いだ人がやってきます。黄色いプラスチックの容器に水を入れて運ぶ人が続きます。


水汲みの人達が出てくる場所まで行くと大きい井戸がありました。飲み水はタンクで購入し、洗濯や料理などにはこの水を使っている様です。

元の道に戻ってしばらく歩いていると牛車が通りかかったので、ヘイテさんがお願いして乗せてもらうことになりました。牛車って京都のお祭りなどで見たことはありましたが、乗る経験なんて初めてです。車輪と台車にクッションが全く無いので石ころに乗り上げる衝撃が直接尻に伝わってきます。乗っているのも楽ではないなあ・・というのが乗車感想です。

牛車を降りた先にはヘイテ村の標識がありました。メイン道路から村に入る側にはヘイテ村の詳細が書いてあるそうです。ミャンマー語は全く読めませんが、人口が193名と書いてあると聞いたので確認してみると、確かに上から3行目の右にはミャンマー数字で193と書いてありました。他に、戸数は165戸、牛は321頭などと書かれているそうです。

現地でmaps.meに登録したポイントを帰国後googlemapの航空写真と比較したところ、バガンの町ニャンウーウから東北東に約64Km、緯度経度を調べると21°21'51.5"N 95°24'05.7"Eでした。バスはミンジャンの町を経由して走るのでバガン手前約72Kmということが分かりました。

村の標識から道路を東へ100mほど行った場所にヘイテさんの家の玉葱畑があります。水はエンジンポンプを使いビニールパイプで灌漑していました。玉葱畑のあぜ道にはオクラ、トマトなどの苗が育っていました。玉葱は出荷用、オクラなどの野菜は自家用のようです。


玉葱畑の道路の反対側にはタバコ畑があり、10センチくらいに育っていました。車道へ歩いて戻る時、ヘイテさんは「足元に注意して!」と言います。路肩には合歓の木の葉に似た葉の植物が自生していますが、鋭い棘があり、サンダルで踏みつけるとスポンジを突き抜けて足に突き刺さります。一度間違えて踏んでしまうと絡まって棘いっぱいの枝から抜けられなくなってしまう恐ろしい雑草でした。

ヘイテさんの家に戻る途中、山羊を放牧している人が居たので見に行きました。草を食べながらどんどん移動していました。

棘のある雑草に気を付けながら、今度は道路の左の家へヘイテさんは我々を案内してくれました。ヤシの葉で屋根を葺いた家で涼しいそうです。

ヤシの木はヘイテ村周辺には自生しています。葉の部分は屋根に使い、葉の根元の太い部分は垣根や水を運ぶ天秤棒として利用されていました。

散歩からヘイテさんの家に戻ると、隣りの叔父さん宅の庭ではヒマワリの種を干していました。斜め向かいの家の庭で女性がワイワイ楽しそうに話しながら玉葱の葉と実を切り分けていました。カマを木の道具に固定して両手で玉葱を持ってカマの刃に当ててカットします。直径4~5センチの小さい玉葱で表面は紫色です。

玉葱の家から「お茶とお菓子を食べて行ってくれ」と誘われて玉葱入りのナッツ+野菜のお茶請けを食べ、子供達も入れて記念写真を撮りました。

お茶を飲みながら葉巻タバコの話をしていると、「4軒先に葉巻タバコを作っている家があるから見るといい」とその家に連れて行ってくれました。葉巻の製造工程を見せてくれた女性は「日本へ行って働きたい」と言われていました。

可愛い子ヤギが日光浴をしていました。ヘイテ家は50頭ほどの山羊を飼っています。抱かせてもらいましたが、本当に可愛いです。

到着した時は真っ暗だったのでヘイテさんの家が見えませんでしたが、散歩から帰ると木造の彼の実家の家が良く見えます。家は新しくありませんが、トイレはコンクリート製の小屋となっており、便器も新しい陶器製です。

ヘイテ村は昨年電気が来たそうです。でもヘイテ家はまだ電灯線を引き入れていませんでした。スマホを重電する為に隣りの叔父さんの家のコンセントを借りました。電柱は1年前に建ったばかりだからピカピカです。

ヘイテ宅での昼食はもちろんミャンマーカレーでしたが、豚、鳥、カリフラワーは何れも油が少なくて美味しい味でした。食べ終わるとデザートにブドウとコーンとお茶受けにも出た定番の肴です。ナッツと野菜とゴマが一般的な様です。

昼食後、ヘイテさんはホテルの予約に町へ行くと言い出しました。彼の家の2階には3人分の布団や蚊帳が準備してあり、村役場に日本人を泊めると届け出たが、その上の行政区から「外国人を泊めてはならない」と指示があったそうです。昨年はヤンゴンで2軒の民家に泊めて頂きましたが、ヘイテ村では外人の宿泊が厳しいようです。

4台のバイクにまたがって村から町へ走りましたが、その途中のお寺に立ち寄りました。田舎ですが随分立派なお寺です。



お寺奥にお坊さんが居て、「ここではお布施をするのがいい」とヘイテさんが言うので1000チャットを出すと、何かを書いた紙をくれました。ご利益でもあるのかな?

お寺を出て、町にあるホテルを3軒訪問しました。2軒のホテルは1人10ドルでした。3軒目のホオテルは10,000チャットにしてくれたので、その「EMPEROR」ホテルに泊まることにして料金を前払いしました。道路から外れているし、wifiも無く、誰も泊まっていない、昔は栄えたホテルの様ですが、最近は殆ど泊り客がいない様でした。シャワーはお湯ではないけど、お湯を朝用意してくれるそうです。

ヤシの木の様な木の幹に傷を付けると、ゴムの木がゴムの樹液を出す様にお酒が出てくるとヘイテさんが説明していましたが、ホテルからヘイテ村に帰る途中、(午後3時過ぎ)酒を提供する小屋へ皆で行きました。今は樹液が採れる時期では無いので、その木を見ることは出来ませんでしたが、バイクを運転してくれたヘイテさんの弟や従兄弟4人とヘイテさんを含む我々4人の合計8人で酒を飲みました。飲酒運転を取り締まることは無いそうです。お酒は透明ではありますが、ほんの少し白濁しておりアルコール度数は20%を超えていそうです。ウィスキーの空き瓶に詰めてあります。私は水で割って飲みましたが、皆は原酒をそのまま飲んでいました。肴も出してもらい、4本飲み。土産に1本持帰りましたが、料金は8000チャットでした。ミャンマービールが2000チャット程度だから随分安いお酒です。酒を飲みかわしながらヘイテさんの世話をしてくれるバイクの運転手のことを聞きました。ヘイテさんは28歳、弟は26歳。従兄弟は1番若い人が21歳だそうです。


ここのトイレも昨年泊まったヤンゴンのエイさんの家のトイレと同じ下が見える和式でした。写真は酒の小屋で出された肴です。

ホテルの予約から村に戻ると、玉葱の家の前の家の人が夕食前のお菓子を提供してくれました。村中がヘイテさんの親戚の様で、日本人が来るのは珍しく、接待してくれる様です。


山脇氏はまだ若いから家の裏で冷たい水で行水しましたが、もう気温が下がって寒かったので、私は行水をしませんでした。家の横が台所です。

夕方の6時過ぎにヘイテ宅でミャンマーカレーの夕食を頂きました。

夕食後、4台のバイクで町のホテルまで送って頂きましたが、カラオケに寄ってから行こうという事になり、出かけました。1時間5000チャットの女性を3人入ってもらったのですが、ミャンマー語の歌ばかり音量maxでガンガン鳴り楽しんだのはバイクの運転手だけ。ヘイテさんの弟のバイクで先にホテルへ行きましたが、私が居なくなってから悪酔いした従兄弟達が殴り合いのケンカをして、ヘイテさんが運転して酔った従兄弟を乗せてきたそうです。
ミャンマーの田舎の村を楽しんだ一日でした。
朝5時に真っ暗な場所でバスを降りました。バイクが4台待っていて、後部座席に乗ってヘイテの家まで走りましたが、ダウンを着ても寒かった。
家の1階に机と椅子があり、明るくなるまで椅子に座っていました。バイクに乗せてくれたのはヘイテさんの弟や従兄弟だそうで、同じスペースで座っていました。暗い中、お菓子を持って来て机に置かれました。黒い色の物体に砂糖をかけた物で食べてみると餅でした。暖かくて美味しかった!もう一つの皿にはナッツとお茶の葉に油をかけた物でその後、お茶請けとして何度もこれを見掛けました。


空が少しづつ明るくなる頃(6:20)バイクに乗った行商の人が来て頭に懐中電灯を縛って商品を照らしていました。

ヘイテさんが「散歩しよう」と言うので、先ず隣りの家を覗きました。大きなトラクターがありましたが、牛の餌を作る粉砕機がありました。


叔父さんの家だそうです。牛が居ました。農耕馬かな?と思いながら叔父さんの家を出ると牛車が通り過ぎました。牛は牛車として使われる様です。


その後も何台も牛車が通りました。朝靄の中を天秤を担いだ人がやってきます。黄色いプラスチックの容器に水を入れて運ぶ人が続きます。




水汲みの人達が出てくる場所まで行くと大きい井戸がありました。飲み水はタンクで購入し、洗濯や料理などにはこの水を使っている様です。

元の道に戻ってしばらく歩いていると牛車が通りかかったので、ヘイテさんがお願いして乗せてもらうことになりました。牛車って京都のお祭りなどで見たことはありましたが、乗る経験なんて初めてです。車輪と台車にクッションが全く無いので石ころに乗り上げる衝撃が直接尻に伝わってきます。乗っているのも楽ではないなあ・・というのが乗車感想です。


牛車を降りた先にはヘイテ村の標識がありました。メイン道路から村に入る側にはヘイテ村の詳細が書いてあるそうです。ミャンマー語は全く読めませんが、人口が193名と書いてあると聞いたので確認してみると、確かに上から3行目の右にはミャンマー数字で193と書いてありました。他に、戸数は165戸、牛は321頭などと書かれているそうです。


現地でmaps.meに登録したポイントを帰国後googlemapの航空写真と比較したところ、バガンの町ニャンウーウから東北東に約64Km、緯度経度を調べると21°21'51.5"N 95°24'05.7"Eでした。バスはミンジャンの町を経由して走るのでバガン手前約72Kmということが分かりました。

村の標識から道路を東へ100mほど行った場所にヘイテさんの家の玉葱畑があります。水はエンジンポンプを使いビニールパイプで灌漑していました。玉葱畑のあぜ道にはオクラ、トマトなどの苗が育っていました。玉葱は出荷用、オクラなどの野菜は自家用のようです。




玉葱畑の道路の反対側にはタバコ畑があり、10センチくらいに育っていました。車道へ歩いて戻る時、ヘイテさんは「足元に注意して!」と言います。路肩には合歓の木の葉に似た葉の植物が自生していますが、鋭い棘があり、サンダルで踏みつけるとスポンジを突き抜けて足に突き刺さります。一度間違えて踏んでしまうと絡まって棘いっぱいの枝から抜けられなくなってしまう恐ろしい雑草でした。


ヘイテさんの家に戻る途中、山羊を放牧している人が居たので見に行きました。草を食べながらどんどん移動していました。

棘のある雑草に気を付けながら、今度は道路の左の家へヘイテさんは我々を案内してくれました。ヤシの葉で屋根を葺いた家で涼しいそうです。


ヤシの木はヘイテ村周辺には自生しています。葉の部分は屋根に使い、葉の根元の太い部分は垣根や水を運ぶ天秤棒として利用されていました。


散歩からヘイテさんの家に戻ると、隣りの叔父さん宅の庭ではヒマワリの種を干していました。斜め向かいの家の庭で女性がワイワイ楽しそうに話しながら玉葱の葉と実を切り分けていました。カマを木の道具に固定して両手で玉葱を持ってカマの刃に当ててカットします。直径4~5センチの小さい玉葱で表面は紫色です。


玉葱の家から「お茶とお菓子を食べて行ってくれ」と誘われて玉葱入りのナッツ+野菜のお茶請けを食べ、子供達も入れて記念写真を撮りました。


お茶を飲みながら葉巻タバコの話をしていると、「4軒先に葉巻タバコを作っている家があるから見るといい」とその家に連れて行ってくれました。葉巻の製造工程を見せてくれた女性は「日本へ行って働きたい」と言われていました。


可愛い子ヤギが日光浴をしていました。ヘイテ家は50頭ほどの山羊を飼っています。抱かせてもらいましたが、本当に可愛いです。


到着した時は真っ暗だったのでヘイテさんの家が見えませんでしたが、散歩から帰ると木造の彼の実家の家が良く見えます。家は新しくありませんが、トイレはコンクリート製の小屋となっており、便器も新しい陶器製です。


ヘイテ村は昨年電気が来たそうです。でもヘイテ家はまだ電灯線を引き入れていませんでした。スマホを重電する為に隣りの叔父さんの家のコンセントを借りました。電柱は1年前に建ったばかりだからピカピカです。

ヘイテ宅での昼食はもちろんミャンマーカレーでしたが、豚、鳥、カリフラワーは何れも油が少なくて美味しい味でした。食べ終わるとデザートにブドウとコーンとお茶受けにも出た定番の肴です。ナッツと野菜とゴマが一般的な様です。


昼食後、ヘイテさんはホテルの予約に町へ行くと言い出しました。彼の家の2階には3人分の布団や蚊帳が準備してあり、村役場に日本人を泊めると届け出たが、その上の行政区から「外国人を泊めてはならない」と指示があったそうです。昨年はヤンゴンで2軒の民家に泊めて頂きましたが、ヘイテ村では外人の宿泊が厳しいようです。

4台のバイクにまたがって村から町へ走りましたが、その途中のお寺に立ち寄りました。田舎ですが随分立派なお寺です。






お寺奥にお坊さんが居て、「ここではお布施をするのがいい」とヘイテさんが言うので1000チャットを出すと、何かを書いた紙をくれました。ご利益でもあるのかな?


お寺を出て、町にあるホテルを3軒訪問しました。2軒のホテルは1人10ドルでした。3軒目のホオテルは10,000チャットにしてくれたので、その「EMPEROR」ホテルに泊まることにして料金を前払いしました。道路から外れているし、wifiも無く、誰も泊まっていない、昔は栄えたホテルの様ですが、最近は殆ど泊り客がいない様でした。シャワーはお湯ではないけど、お湯を朝用意してくれるそうです。

ヤシの木の様な木の幹に傷を付けると、ゴムの木がゴムの樹液を出す様にお酒が出てくるとヘイテさんが説明していましたが、ホテルからヘイテ村に帰る途中、(午後3時過ぎ)酒を提供する小屋へ皆で行きました。今は樹液が採れる時期では無いので、その木を見ることは出来ませんでしたが、バイクを運転してくれたヘイテさんの弟や従兄弟4人とヘイテさんを含む我々4人の合計8人で酒を飲みました。飲酒運転を取り締まることは無いそうです。お酒は透明ではありますが、ほんの少し白濁しておりアルコール度数は20%を超えていそうです。ウィスキーの空き瓶に詰めてあります。私は水で割って飲みましたが、皆は原酒をそのまま飲んでいました。肴も出してもらい、4本飲み。土産に1本持帰りましたが、料金は8000チャットでした。ミャンマービールが2000チャット程度だから随分安いお酒です。酒を飲みかわしながらヘイテさんの世話をしてくれるバイクの運転手のことを聞きました。ヘイテさんは28歳、弟は26歳。従兄弟は1番若い人が21歳だそうです。




ここのトイレも昨年泊まったヤンゴンのエイさんの家のトイレと同じ下が見える和式でした。写真は酒の小屋で出された肴です。


ホテルの予約から村に戻ると、玉葱の家の前の家の人が夕食前のお菓子を提供してくれました。村中がヘイテさんの親戚の様で、日本人が来るのは珍しく、接待してくれる様です。




山脇氏はまだ若いから家の裏で冷たい水で行水しましたが、もう気温が下がって寒かったので、私は行水をしませんでした。家の横が台所です。


夕方の6時過ぎにヘイテ宅でミャンマーカレーの夕食を頂きました。


夕食後、4台のバイクで町のホテルまで送って頂きましたが、カラオケに寄ってから行こうという事になり、出かけました。1時間5000チャットの女性を3人入ってもらったのですが、ミャンマー語の歌ばかり音量maxでガンガン鳴り楽しんだのはバイクの運転手だけ。ヘイテさんの弟のバイクで先にホテルへ行きましたが、私が居なくなってから悪酔いした従兄弟達が殴り合いのケンカをして、ヘイテさんが運転して酔った従兄弟を乗せてきたそうです。
ミャンマーの田舎の村を楽しんだ一日でした。