goo blog サービス終了のお知らせ 

ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

5.ヤンゴンの朝散歩と日本語学校②

2020-03-15 22:55:44 | Myanmar ミャンマー
2020年1月21日(火)晴れ

朝6時にミャンマー人のヘイテさんが来てくれると言うので6時に待っていましたが、彼の友人が病気になったので看病して遅くなり、1時間も遅れてやって来ました。ミャンマー時間ってそんなものらしいけど、ヘイテさんは時間を必ず守る人だった。旅友の山脇氏と一緒に散歩に出かけ、オノンカオスエが食べたいと希望を出すと、22Stの屋台を見付けてくれました。ココナツが入った優しい味の麺ですが、中に入れる具材を指定しなければならず、日本人には注文が難しいです。この店はお昼までの屋台でおでんや味ご飯も売られていて、ヘイテさんが通訳してくれるので店のオジサンが味見もさせてくれました。
3人分で2500チャット。安くて美味しい緬でした。写真は旅友の山脇氏とヘイテさんです。
 



朝の散歩にヘイテさんは18Stから16Stのマーケットを案内してくれました。彼は日本料理店のコックの仕事をしているので、このマーケットへ仕入れの為によく来ているそうです。朝8時頃に行きましたが、凄い賑わいです。何も知らないで通過するだけなら分かりませんが、ヘイテさんは「これは豚の脳ミソですよ」と教えてくれます。
 

肉も野菜も魚も店舗が多くて種類も多いです。ミャンマーカレーでよく食べるオクラは日本のサイズと比べると4倍以上の長いものですが全然硬くありません。
 

魚や肉屋のお店の人は鱗を取ったり、解体したりしていますが、まだ羽根が付いた鳥を解体している人も居ました。「これは地鶏で美味しいよ」とヘイテさんが説明してくれます。
   



山羊の肉も売られていますが、多くありません。それが確かに山羊肉である証拠に尻尾の部分を吊っていました。
特大サイズのシャコは1万チャット、ロブスターは2万5千チャットだそうです。
 

初めて見る茶色い物をナタで割っている人がいました。ヘイテさんは果物だと言います。一つの房をナタで半分に割って中の白い部分を取り出すにも特殊な工具を使って力を入れて取り出していました。ヘイテさんがそれを買ってくれたので食べてもましたが、硬くて全く味がありません。水分もほんの少ししかありません。いくらだったのか聞きませんでしたが、わざわざお金を払って買いたいとは思わない果物でした。
 



昨年飲んだアボカドジュースが美味しかったので屋台を探しましたが、見つからなかったのでLatha St.のレストランに入って聞いてみましたが、無かったので仕方なくイチゴジュースを飲みました。飲み終わる頃に店の叔母さんがマーケットでアボカドを買ってきて「欲しければ今から作るよ」と言ってくれましたが、次回お願いするとお断りしました。ミャンマー語が話せるヘイテが居なくてもアボカドジュースを作ってあげるから、また来てねと言われ、店の娘と記念写真を撮りました。
 

職場に戻るヘイテさんを見送ってから、バックパッカーに戻って遅い朝食を食べたので、今日は昼食を食べませんでした。
昨日、スーレーパヤーの近くにあるWIZAYAというホテルから予約キャンセルのメールが入っていたので、確認の為にそのホテルを探して受付へ行ってみました。今泊まっているバックパッカーは7日間滞在しますが、その後は日本語学校に近いWIZAYAを予約していました。受付には誰も居なくて電話番号だけが書いてありました。
 

午後は日本語学校「さつき」で授業のお手伝いをしました。N4クラスでも尊敬語、丁寧語、謙譲語についての内容があり、日本の会社の上司に対して正しい日本語を話せていないなあ・・と反省しました。自分は電話を持っていないので、授業後エイさんにWIZAYAに電話して頂き、キャンセルとメールをもらったが何とか泊まれないのか確認してもらったのですが、空きベッドが無くて他を捜して欲しいと回答されたそうです。


夕飯は一人でナイトマーケットに出かけて中華のお店で野菜炒めを食べました。かなり量が多くて美味しくて、スープとライスも含めて3000チャット。約230円。やっぱり物価が安いなあ・・・と思います。


6.日本語学校③

2020-03-15 22:54:21 | Myanmar ミャンマー
2020年1月22日(水)晴れ

今回のミャンマー旅行は日本語学校のお手伝い、ヘイテさんの村へ行く、陸路ミヤワディからタイへ戻る3つの計画はありましたが、その他詳細は決めないで出発しました。朝6時に起きて、旅友の山脇氏とパワンへ行く日程を決めたので、宿を手配しました。その他の日程として一人でふらりとバゴーへ1泊旅行することにしました。
朝食後、バックパッカーで働きながら日本語を勉強しているmin minと話しました。彼も日本で働きたいそうです。ミャンマーは日本ブームの様でヤンゴンには日本語学校が100校もあるようです。日本語勉強イコール日本での仕事斡旋ではなくて、日本への仕事を斡旋している学校は2~3校のみであり、多額の授業料を取るだけで日本への就職や技術研修を斡旋しない学校が多いそうです。彼の学校もブラックな学校なのかも知れません。朝9時から仕事を抜け出して12時まで日本語学校へ行き、午後1時には仕事に復帰しているらしい。夜には8階で仕事しながら教科書を見て勉強している努力家の彼が日本へ行けたらいいなあと思わずにはいられません。


宿を出て日本語学校へ行く途中、Bo Aung Kyaw Stにある「東京ゲストハウス」に寄って28日の予約をしました。日本語学校のエイさんが勧めてくれた宿であり、ヘイテさんが昔働いていた日本人が昔から利用している宿です。


10時過ぎに日本語学校「さつき」に着き、N4クラスの授業の補佐をしました。N4クラスの勉強をしていても公式なJLTのN4級を合格できるレベルと学んでいる人の能力には随分大きい違いがあります。生徒の一人チ・コールン(Chit Ko Lwin)君は春から奈良の自動車整備工場で実習生として働くそうですが、日常会話として日本語は話したり聞いたりすることが出来るレベルでした。
 

お昼は学校の先生が作ってくれたミャンマーカレーを食べて午後も授業に入って補佐をしました。


午後も教科書に従って授業を進めましたが、明日面接があると聞いたので、面接における注意事項を説明しました。
学校の前でアボカドジュースの屋台があると聞いたので、買いに行きました。ヘイテさんと出かけたレストランでは1杯1200チャットの価格でしたが、屋台は800チャット。安いけど、すごく美味かったです。
 

夕飯も学校で作ってくれますが、海老をご馳走すると言うので、カレン族のイーさんと一緒に買い出しに行きました。海老は鳥や豚肉より高価なカレーの材料です。学校での夕飯後、スーレーパヤーのライトアップを見ながらShwe Bon Thar Rdのバックパッカー(宿)まで戻りました。
 

7.日本語学校④(面接)

2020-03-15 22:52:58 | Myanmar ミャンマー
2020年1月23日(木)晴れ

パワンからモーラミャインへ1泊旅行することを計画して、モーラミャインの宿を予約した。
10時過ぎに日本語学校「さつき」に着くと、11時から北海道の介護の求人に対する応募者の面接をするので審査官の一人になって欲しいと言われました。さつきの生徒を含む16名の中から10名を選ぶ面接の面接官は別の学校の責任者、さつきの先生2名、私と旅友の山脇氏の5名。その後、日本から採用する企業の面接官が来て、10名の中から5名を選ぶと聞きました。

大教室にて、面接の前に履歴書をチェックしました。名前をミャンマー語の他に英字で書いている人とカタカナで書いている人がいました。
身長・体重をメートル単位で書いてある履歴書とインチ・ポンドで書いてある履歴書がありました。ボールペンでなくて鉛筆で書いた履歴書もありました。
日本では履歴書は鉛筆で書く事は認められず、必ず黒か青色のボールペンなど消えない筆記具で書くことが求められるとさつきの主任教授に伝えました。日本語を勉強しており、日本の会社に求職するなら自分の名前はカタカナで書く方が良いのではないか?日本から面接に来る人はミャンマーの文化をどれくらい理解しているのか不明だけど、日本の基準で面接するだろうから、履歴書は注意して書くべきだと意見を伝えました。




11時に面接者を大教室に集め、3名づつを小教室に呼んで面接を開始しました。左側の人から順に自己紹介をしてもらい、面接官である我々が日本語で質問をします。自分の得意な事と弱点は何か?日本へ行ったら何処へ行きたいか?なるべく解り易い言葉で質問しましたが、意味が分からなくてさつきの主任教授がミャンマー語で聞き直す場合がありました。3日間の授業補佐でかなり日本語のレベルが高いと思っていた女性が緊張してしまったのか?いつもの実力を出せていない様子を見ました。記憶していた自己紹介はスラスラと日本語で説明出来ても、こちら側が話す日本語が分からない人が居ます。履歴書にはN4レベルと書いてあっても。語学学校でN4の勉強をしているという意味であって、合格レベルでは無い人も居ることをこの面接で知りました。若くて明るくて日本語の能力も高く、今すぐにでも役立ちそうな女性も居ましたが、介護には向いていない人も居ました。自分なりに発表態度や熱意、体力などを勘案して候補者を選択して全員の面接終了後、結果を理由を伝えました。面接官5名の擦り合わせ結果10名を絞り、午後1時20分に大教室で結果発表するのを一緒に聞きました。さつきが推薦したいさつきの生徒3名は合格しました。
取敢えず10名に絞る面接に携わった者として、最終の日本から面接に来る面接官に会って何を基準に採用するのか是非聞いてみたいと思いました。

面接があって学校では昼食を作れなかったので、近くのレストランへ生徒達とシャンヌードルを食べに行きました。
何だか自分の孫の様に思える可愛い娘達です。
 

午後5時までのレッスンに参加しましたが、E5レベルではイエ君が教えている姿を見るだけで殆ど参加できません。生徒は熱心に講義を受けていました。
  


一度宿に戻ってシャワーを浴びた後、近くのお店でビールを買いオーナーの叔母さんと売り子の娘さんと写真を撮りました。ミャンマーでは肖像権うんぬんより、写真を撮られることが嬉しい様です。


再び学校に戻り先生たちと夕飯のミャンマーカレーを食べました。学校の食事は昼も夜も毎日カレーです。

8.日本語学校⑤

2020-03-15 22:51:01 | Myanmar ミャンマー
2020年1月24日(金)晴れ

ヘイテさんが朝6時過ぎにバックパッカーまで来てくれたので、スーレーパヤーの30mほど西にあるインドカレーの店へ一緒に行きました。この店のチャパティは1000チャットです。薄いパンと3種のカレーがセットになっており、小腹を満たすのにいい分量です(宿の朝食を戻って食べるので)。山羊肉が柔らかくて美味しいので1皿だけ注文しましたが、それは3500チャット。確かに変な臭いも無く柔らかい肉でした。ヘイテが居なくても食べれる様に、ノートにミャンマー語でチャパティと書いてもらいました。
 

明日(25日)の夜行バスでヘイテさんが自分の村へ私と旅友の山脇氏と山脇氏の友人の山口氏3人を招いてくれることに
なっており、バスチケットを手配してくれたのでその料金(往復)26,000チャットを彼に支払いました。場所はバガンに近いそうです。仕事に戻る彼をスーレーパヤーのバス停まで送ったので宿に戻ったのは朝食が食べれるギリギリの9時50分でした。

今日は7連泊したバックパッカーをチェックアウトしてホステル21へ引越しする日です。当初予定では日本語学校から近い安宿「WIZAYA」を1日だけ予約していましたが、馴染みの宿でドミトリーでなく狭いながらも個室だからセキュリティー面で安全だし、オーナーの女性Valorieさん3年続けて会いたかったので、ナイトマーケットへ夕飯に出かけた時に「24日に来ます」と妹さん夫婦に伝えておきました。WIZAYAはキャンセルが無料だったので、24日分をキャンセルしました。前日の洗濯物が乾くまで待ってお昼前にバックパッカーをチェックアウトして、Bo Ywe Rdのホステル21まで僅か550mの引っ越しでした。チェックイン時にはValorieさんが居たので1年ぶり3回目の再会を握手して喜びました。彼女は昨年より髪を短くしてボーイッシュになっていました。予約に訪問した時は病気療養中のお母さんを見舞いに行って留守にしていたそうです。すごくフレンドリーだから自分の家の様な気がして好きなホステルです。
 

booking.comでは21 HOSTEL、住所:Bo Ywe Road No 21, La Tha township,シングル906円程度で紹介されていますが、直接ホステルへ行くとバックマージン分を値引きしてくれて7ドルで泊まれます。
1階はホステルの受付、兼カフェになっており、軽食も食べることが出来ます。朝はここで朝食を食べます。バックパッカーではレストランの人がお皿に盛って提供してくれるのに対し、ホステル21では自分で好きなだけパンを焼けるし、釜の中のご飯か麺を好きなだけお皿に盛って食べることが出来ます。
 

部屋はまるでカプセルホテルの様にベッドだけですが、ベッドの下のスペースに大きい荷物を置くことが出来ます。部屋に鍵があり、充電も自由に出来るのが気楽でいい。トイレ・シャワーは共有ですがシャンプーとボディゲルが付いています。エアコンは部屋にはありませんが建物全体にエアコンが効いているので快適です。


荷物を置いて、日本語学校さつきへ向かいましたが、途中の路上で絵を売っている人をよく見てみると、腕が不自由(無い)で足の指で筆を持って絵を描いていました。凄い技術です。


学校前にはアボカドジュースの屋台が出ていたので買って、午後2時前に教室に入りました。今日はとても元気なN4レベルのクラスを担当しました。全員が驚く程の大きい声で教科書を読みます。写真中央の眼鏡の生徒はピョ・ティ君で春には奈良の自動車整備工場へ技術実習に行くと言いましたが日本語の理解力は少し低いけれども英語は誰よりもよく理解出来て、教科書にある日本語が分からない時に英語で説明すると、それを仲間にミャンマー語で説明してくれるのでテキストを早く進めることが出来ました。この時感じたのは、ミャンマー語と日本語の文法がどうやら同じであるということでした。クラスの全員とFacebookで繋がりました。


旅行を終わった2月17日、彼はFacebookで日本行きの書類が無事取れたと写真をアップしていました。
日本での彼の活躍を期待したいです。


N4レベルのレッスンの後、エイがパソコンの前で黙々と作業しているので覗いてみると、昨日の面接で合格した人達の履歴書を日本語で作成していました。エクセルの使い方が出来ていなくて、コピーしてペーストすればいいのに、何度も同じ文字を漢字変換したり配置を毎回指定するなど効率が極めて悪い方法で入力しているので驚きました。また、合格した本人が必要事項を記載していないので電話をかけて学歴や家族構成を問合せして描き込んでいました。ミャンマー人を日本へ送り出す為にこんな無駄?な努力をしなければならないのか疑問に思いましたが、それが現実で誰かが不足部分を埋め合わせないと海外雇用って出来ないんだなあと思いました。いつまでも付き合っていられないので、学校から帰り、ナイトマーケットで焼き飯と空心菜を食べました。ナイトマーケットの中華のお店はホステル21からは僅か170mです。


食後の散歩に遠回りしてMaha Bandooli Rdに出てみると、いつもは車が東行きの一方通行で横断するのも大変な交通量の多い道路なのに、春慶節の為か車が通れるのは1車線だけで、しかも遠慮しながら徐行しており、多くの市民が写真を撮ったりお寺に入ったり、屋台の食べ物を食べたり凄い賑わいになっていました。(午後7時頃)
 

 



この日の夜9時半頃部屋のドアをノックされて「友達が来ている」と言われたので1階に降りてみると、バックパッカーで7日間同室だったが今日は別の宿に泊まっている旅友の山脇氏が、ホステル21を見せる為に彼の友人のナカさんを連れて来ていました。ナカさんはタイを拠点に活動している日本のジャーナリストでバンコクの日出旅館で出会った事があり、今は仕事でミャンマーに来ているが泊まっているホテルがそれ程快適ではないので、私が泊まっているホステルを見に来たと言われました。部屋やトイレ等を見せてあげました。気に入ったので引越ししようかと思われた様です。

9.ヘイテ村へ出発

2020-03-15 22:49:33 | Myanmar ミャンマー
2020年1月25日(土)晴れ

ミャンマーの国にヘイテ村という村がある訳ではありませんが、ミャンマー人である山脇氏の友人のヘイテさんが、彼の実家がある村に我々を案内してくれるので、便宜上「ヘイテ村」と書くことにします。
招待してくれるのは3名で夫々別の宿に宿泊しているので、午後2時にバックパッカーの9階で集合する約束でした。
朝7時半、ホステルの1階で朝食を食べました。今日の釜の中は焼きそばでした。お皿に盛った焼きそばとパンを食べた後、テーブルを変えて2皿目の焼きそばを食べました。ジュース、コーヒー、バナナも付いています。
 

食事中にタイの友人からLINE電話がかかってきたので話していましたが、電話が終わった時に隣りのテーブルで食事をしていた人から「日本人ですか?」と声をかけられました。聞いてみると横須賀の西村さんで南アフリカを放浪した事があり、今回はタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアを2か月で回るそうです。か弱い叔父さんに見えましたが、タイから陸路ミヤワディに入り、バスでアウンミンガラーバスターミナルに着き、シェアタクシーに1000チャットで乗ってヤンゴンに来たけれど、泊まる予定だったWIZAYAが満室だったので、宿泊客にホステル21を教えられて昨夜遅くチェックインしたそうです。とんでもないタフで旅上手な人でした。ミャンマーの見所やタイの安宿などの情報を提供しました。
ipadを持参されていましたが、ケースが重いからポリ袋で防水するなど効率的な荷物とされている事からも旅慣れている様子が伺えました。


12時前にチェックアウトしました。オーナーの妹さんには「29、30日も泊まるから宜しく」と予約しておきました。
2時の待合わせまで、何処で昼食を食べようか?と考えた時、暑い外を荷物を担いで歩くのが煩わしいので、ホステル21にそのまま居座って焼飯を食べる方がwifiも使えるし、涼しくていいので、鳥焼飯をオーダーして食べました。食後のコーヒーも飲んで2時前までまったりしました。
 

2時ピッタリにバックパッカーの8階へ行きましたが、誰も来ていません。山脇氏から電話があり、ヘイテさんが約束の1時間も前に来たので、一緒に砂糖キビジュースを飲む為に出ているが15分後に戻ると言ってきました。彼等は2時20分には戻ってきましたが、もう一人の同行者である山口氏は随分遅れて3時半にやって来ました。全員揃ったので4人でスーレーパヤーのバス停へ行き、36番のバスでアウンミンガラーバスターミナルへ向かいました。約1時間かかって夕方5時過ぎにバスターミナルに着きました。山口氏はヘイテ村から夜行バスでこのターミナルに戻った後、朝のバスでチャイテーヨーへ行きたいと言うので、ヘイテさんがバスの事務所まで我々を案内してくれて、山口氏のバスチケット購入手配を手伝ってくれました。
 

どんなバスに乗るのか全てヘイテさん任せだから、知りませんでしたが、広いバスターミナルの中を歩いて着いたのはFamousの事務所でした。到着したのは午後5時半。バスの出発は8時半なのでしばらく休んだあと、夕飯を食べました。


定刻の8時半にバスは出発し、トイレ休憩で停まった場所はネピドーでした。