ジムによく来ていたり、
山に登っている人の家で
飲み会をしてもらっている。
この年末もあと二回
開催してもらう予定なのだが、
大人数でもないのでのんびりと
飲んで話して楽しむ予定だ。
この飲み会は、先月も二回開催している。
ジム友とマージャン友達との飲み会だ。
まずジム友との飲み会は、
料理はちゃんこ鍋で行った。
あの鍋でつみれを食べるのが
楽しみだったなあ。
それに加えて、doironは唐揚げを
買っていくことにした。
前回は駅前で営業している
お持ち帰りの唐揚げを買ったのだが、
今回はdoironが住んでいる地域で
昔から販売されており、
みんなよく知っているという
唐揚げを買っていくことにした。
母親もここのが好きだったなあ。
ここの社長が、地域の子ども会活動
にもとても理解があって、
よく提供してくれたりしたものだ。
そんなお店で唐揚げを二パック
買って持って行った。
ちゃんこは、もうすでに仕事も
引退している人たちが
昼間にスーパーで仕入れて
きてもらったもので作ったよ。
鍋って、どこも同じメニューやなと思っても、
微妙に味が異なるのがいいですねえ。
お一人はまだ働いているので、
帰宅時間に合わせて
6時半からの宴会なんですが、
あーだ、こーだと色々話してもう
10時前くらいまで飲んですごした。
一人の人は近所のコンビニと
すっかりお知り合いで、
そこで小ビンのワインを買ってきてくれるし、
家のみのお酒も登場するから
結構まわる。
帰りは自転車でふらふらになって
帰ったなあ。
安全に生きているつもりでも、
この辺は注意しないといけないね。
そして二回目の飲み会は、
マージャン友達との飲み会。
これがねえ、いつも麻雀講師である
doironに料理の希望を聞いてくれる。
今回も聞いてくれたので、
あったかいものをとリクエストしたところ、
そのメニューはなんだったと思いますか。
当日、具材もいろいろ見せてくれました。
ヒントはスイス系かなあと
言うことでしたが、想像できません。
いろいろと準備が始まってようやく
「チーズフォンデュ」であることが判明。
チーズは二種類。
ひとつはカレー味になっていましたね。
まあ、こんな家庭でやる料理で
チーズフォンデュは初めて
食べましたねえ。
おいしかったです。
こうしていつもいろんな料理を
検討してくれるので楽しみです。
前に書いたように、
今月もありがたいことに、
宴会はあと二回あります。
今度はどんなリクエストかなあ。
クリスマスっぽいものにしようかなあ。
ちょっと考えておきましょう。
高野街道を林間田園都市駅から
これまでの続きで歩いています。
御幸辻まで南海高野線で一駅分のコースを歩き、
これから橋本の市街地へと入ってゆくところです。
この道をトライアスロンの自転車で来た時は、
もう目の前に高野への登りの山々が
見えてくるようなところです。
今回はとりあえず学文路へと向かう
コースを歩いているところです。
田舎の静かな道、市街地のにぎやかな道と
進んできて、街道を一緒に歩いている人も
とても満足しているようです。
辻原橋をこえたところで、
少し街道は国道をちょっとだけ
左に離れてゆきます。
その入り口のところに、
すごい小さなカキがなっています。
大きさはミニトマトくらいの大きさです。
同じ敷地で作業をしている女性がいたので
「すみません、この小さいのはカキですかあ」
と聞いてみました。
「そうですよ。柿ですよ。
食べられます。よかったら持って行ってください」
と親切な言葉が返ってきます。
「ありがとう。柿て分かっただけでも
ほっとしました」
だってこんなのは今まで一度も
見たことがなかったです。
勉強になりましたねえ。
そこからしばらくは田舎道を進みます。
途中こんな古い倉庫があったり、
軒先に釣り忍がぶら下げられて
あったりといい感じの旧村です。
やがて道はまた国道と合流します。
その先で、コースは橋本の
市街地に入っていく
旧道になってゆきます。
右には高架の新道ができており、
今ならたいがいの車は
そちらの方へと向かって行きます。
車の通行が一気に少なくなった
左の旧道をここから進んでいきます。
ここらでぼちぼちおなかも
空いてきましたので、
何か食堂でもあればと
注意しながら進んでいきます。
あ、何か食堂がありますね。
でもここは高そうです。
パスですなあ。
やがて上に「高野街道」とかかれた
線路が見えてきました。
これを超えたら左に曲がって
橋本の駅の方に向かって行きます。
橋本の駅って以前、
大和街道歩きの時に来たなあ。
駅前とかにお店がいろいろ
あったように記憶しています。
なのでまずは駅を見学したうえで、
食事場所を探しましょう。
駅の中にはここの産業である、
釣竿なんかの案内のほか、
やはり高野に関する話題が多いですね。
お参りのパンフレットとか
置かれています。
歩く高野七口なんて言葉には
ワクワクしますね。
そんな中でも、力を入れているのが
黒河道の紹介です。
そんな案内なんかをゲットしました。
さあでは食事できるお店を探しましょう。
近所にはとてもおいしいパン屋さんも
あると聞いておりましたが、
今回は商店街の中を少し
歩いてみましょう。
う~ん、なかなかお店がありません。
国道24号線に出てしまうかな
と思ったところで、
古いうどん屋さんを見つけました。
まあ昔から営業やっているんやから
ここは間違いないでしょう。
しかも店の外に掲げている
メニューがとても面白いんです。
ホームランうどんというのがあり、
シングル、ツーラン、スリーラン、
マンルイというランク付けがあります。
あの大谷翔平が頑張っている野球がテーマです。
これはもうここに入らないといけませんね。
店舗内は外の古さを
そのまま反映しています。
マンルイホームランうどんを頼みましたよ。
具がたっぷり入っています。
そこでなぜこんな名前にしたんですかと、
店の人に質問してみたら、
野球が好きなんでたまたまや
という答え。
いやあ、なんかそんなシンプルさが
味にもしみ込んでいるような
おいしいうどんでした。
おなか一杯になったんで、
電車で車のところまで戻り、
今回の歩きは一段落。
さあ次は学文路までかな。
また歩きましょう。
高野街道を歩いていて、
気になったのは高野マキが
家に植えられていることが
多いということともう一つ。
地蔵の足元や常夜灯の近くに置かれている、
若干緑色の置き石が多いようだ。
そうこの紀ノ川沿いは、
日本最大の広域変成帯とされ、
低温高圧型の変成岩が多く分布するところ。
中央構造線が通るところですねえ。
このあたりでは緑色をした
板状の石が産出され、
それがかさ上げや簡単な構造物の
支えに使われていることが多いようです。
う~ん、ブラタモリだったら
もっとしっかり解説されるんでしょうけど。
高野マキと緑色の緑色変性岩?
この二つがこの街道の
印象にかかわっています。
あ、そうそうも一つ気になることがありましたね。
道端に常夜灯がよくあることです。
でもこれは堺からずっと歩いているときにも
そんな印象はありましたね。
国道に並行して続く高野街道を、
歩いていると、ずっとここを
歩いてきた人々と街道周りの
信心深い人々のほんのりした
人のつながりがこの常夜灯から感じます。
やがてコースは、
「御幸辻(みゆきつじ)」という
場所に到着してゆきます。
なぜ御幸辻というか、
これは西高野街道の本にこう書かれています。
「上皇や法皇あるいは女院が外出することを御幸、
天皇が外出するときは行幸ともいわれるが、
この御幸辻の御幸は法皇の高野参詣をいい、
かつて幾人かの法皇がここを通ったので
この名前が残されたのであろう」
と書いてありました。
ふむふむ、まあありがたそうな名前ではありますね。
少し寄り道して、
御幸辻の駅の方までいってみましょう。
寄り道とはいえ、この道は
高野街道の学文路に至る近道なんだ
と書かれた石がその交差点の
ところに立っています。
これです。刻んであるのは
「高野道かぶろ村へ出る近道あり。
日本最初 子安帯解 田和地蔵尊
従是十三町 易産山地蔵寺」という文字。
その地蔵寺の横を通り、
JRの紀伊山田の駅を越えて
学文路に降りてゆく道があるそうです。
まあ地蔵寺の宣伝だけでなく、
高野に参る人にも来てもらおうという
意図が見えますね。
しばらく歩いて行きますと、
南海高野線の御幸辻の駅に出ます。
立派な駅ですね。
このあたりの地名は和歌山県橋本市なんですが、
大阪で仕事をする人たちが多いそうです。
難波まで一直線だしね。
なのでまあ、郊外の環境を求めて
やって来た人も多く、
利用する人もきっと多い駅なんでしょう。
そしてこの駅の裏側には、
橋本市最大の公園である
「杉村公園」もあります。
駐車場も整備されていて、
ここに駐車すれば紀ノ川から
よく見える三石山に登れるそうです。
旅は新たな旅へとつながってゆきます。
これはまた次の課題としましょう。
では駅から高野街道に戻ってゆきます。
歩いてゆきますと、
今度は牛頭天王社が鎮座しています。
ここの樫の木が、枝と枝でつながっており、
縁結びおよび人と人のつながりを
強める神徳がある表れ
であるというらしい。
へ~と思って読んでいるときです。
doironの耳を、震わせるように
樫の木から実が落下し、
大音量で案内版の鉄板を
カココココーンと鳴り響かせたのです。
これは神様の答えですね。
友達は大事にしないとねえと、
高野街道で教えられました。
では少し山から下りてゆくようにして、
橋本の市街地へ向かう
高野街道へと戻っていきます。
このあたりからコースの横に
橋本川が大きく広がって
流れるようになってきました。
交通量のかなり多い国道を、
その川に沿って気持ちよく
進んでいきます。
続く
高野街道も堺から歩いて、
河内長野につき、
そこから紀見峠も越えて、
今は5里石がある少し手前の
林間田園都市まで来ています。
堺市にあったのが13里。
まあ1里4kmとして
最初の4キロも加えて
36キロ歩いてきたわけですね。
あと5里ちょっとですから、
20キロほどでしょうか。
ただし、高野手前は山道なんで、
体力的には少し厳しい感じです。
空海さんも京都から来て、
大阪の山場を越えあとは
高野山への登りが残るのみとなって、
ほっとひと段落し、
また気持ちを改めた
そんな場所だったんでしょう。
そうそう、それと今回の歩きは
ブログなどでdoiron歩きに
興味を持ってる人と
複数でその続きを
歩いてゆくことになっています。
家からだとほぼ1時間でやってくる
林間田園都市の駅前の駐車場に
車をとめて歩き始めましょう。
これだとどこまで歩いても
ここまで電車で戻ってくる
ことになりますから、
複数歩きでも融通がききますから
ちょうどいいでしょう。
それではまず駅から
慶賀野橋まで戻るように歩いて、
前回高野街道から外れたところ
までもどり、そこから継続して
歩いて行くことにします。
林間田園都市の駅は昭和56年に開業。
この辺りはその頃から
とてもきれいに整備されていますねえ。
昔は鍋谷のトンネルもなかった頃、
首藤さんと大峰の山に行くときに
よくこのあたりの道を通ったものです。
駅の周りにはマンションが何軒も建ち、
南海電鉄が開発した駅周辺の
整備された道を
「さあ、今日も頑張って楽しむぞ」
とワクワクしながら歩いてゆくのです。
慶賀野橋まで出ると、
さあでは高野街道の道を確認しましょう。
前回いただいた地図をもとに探ってみると、
ここから少し戻るように
古い通りを歩いて行けば
高野街道に突き当たるはずです。
スマホの地図なんかもこんな時には
とても役に立ちますね。
そうして出会ったこんな山手の細い道、
これが高野街道です。
なんか道の狭さや曲がりくねっている様子に、
昔の道の風格がにおいますね。
長い間街道を歩いていますとわかります。
経路が自然の姿とそれとなく
一体になった感じが、旧道には漂います。
そうして谷に沿って細長く家々の続く
旧町を通り抜けてゆきます。
果樹園の痕跡があったり、
農地も続きながらしばらく歩くと、
道は自然に国道371号線に
出てゆくことになります。
昔の道の感じとはこの辺は異なりますが、
それでもそれとなあく昔の雰囲気を
どこかに残しているって感じで、
今の高野街道は続いてゆくわけです。
道の端っこなんかを
車に注意しながら歩いてゆきますと、
目の前に見えてきました。
堺からずっと見続けてきた里程石が、
国道の横に据えられています。
この里程石が、高野山の女人堂迄
あと5里を示しています。
現在も1857年に立てられた
13基の標石はすべて現存しています。
一緒に歩いた人も感激してはりました。
普段何気なく使用している道でも
こういう標石でつながっているんだ
と思うと感慨もひとしおですね。
道周辺だけでなく道そのものにも
人々の思いが染みついている
ってなんかとってもいいです。
この標石からしばらくは
国道沿いを歩いてゆきます。
この高野街道を歩いていて、
朝からここまでで気になることが
ふたつあります。
まずこの通り沿いの家では、
庭木に高野マキを植えている家が多いようです。
高野マキとは一族一種の常緑針葉樹。
高野山を中心に仏に供える花の代用として
用いられており、名前もこれに
由来する樹木だ。
さすがに高野街道という位置づけが
庭木に多く反映されているんでしょう。
続く
鹿寄せの場に駐車場から歩いて向かっています。
掃除のおじさんに聞いて
場所もわかったので、
頑張って向かって行きます。
あと5分くらいで始まるはずです。
左の奥には鹿苑もありますね。
秋にはあそこで角きりなんかも
やっているんですね。
そんなの見ながら歩いているのですが、
このあたりには鹿がいっぱい
いるじゃないですか。
ホルンの音が聞こえるまでは
こうしてゆっくりしているのかな。
でももしここでホルンが
聞こえ始めたらどうしよう。
大量に鹿がそちらに向かって
ゆくはずです。
doironの後ろから、ドドド~と
鹿が走ってきたら
逃げないといけませんね。
飛火野で鹿が出てくるのを
待っている皆さんの前に、
鹿に追われてウヒャーと
走り出してくるdoironの姿が
まず見えるかもしれません。
これはいかんぞ。
新聞騒ぎになるぞ。
急がなきゃと、速足で向かって行きます。
するとおおぜいの人が、
飛火野の芝生のところに
集まっています。
ああ、あそこやと集まってゆくと
ちょうど係の人が現れて
説明が始まるところでした。
よかったあ、まにあった。
大量の鹿に襲われることもありませんでした。
この鹿寄せをやっているのは
いくつかの団体があるようです。
今回の鹿寄せは
「奈良県旅館・ホテル生活衛生同業組合
奈良支部」が主催しています。
ホルンを持った若い人が、
「では今から鳴らします。
むこうの林の中からや、
場合によっては皆さんの背後から
現れる場合もありますので
注意してください」と言った後、
ホルンを吹き始めます。
「パオ~ン、パオパオ、パオーン」
と鳴らし始めます。
ああどんな曲を流すのかと思ったら、
まあただの音出しですな。
さあ、来るぞ、来るぞと思って
みているのですが、
なかなか現れません。
ん?今日はダメなのかな。
森の奥の方で
「おい、またホルン鳴らしてるぞ。
今日は行くのんやめとこか。
行ってもドングリしかくれへんし、
邪魔くさいわなあ」なんて鹿同士で
話し合っているのかもしれません。
でもやはり風物詩ですねえ。
森の奥で何か動いてる気配がするぞ
と思った次の瞬間、
大量の鹿が走り出してきました。
よかったねえ、ホルンのお兄ちゃん。
君のホルンの腕前が未熟じゃなくて、
ちゃんと集まってきてくれて
よかったですねえ。
そのご、お兄ちゃんはえさの
ドングリをまきながら、
みんなの前をウロウロとしてくれて
シャッターチャンスを
作ってくれてよかったです。
そうしているうちに、えさもなくなってきて、
人も鹿も解散してゆき。
鹿寄せは自然に終わりです。
この鹿寄せは、12月12日の
奈良マラソンの日は覗いて
14日まで毎朝行われますので、
興味のある方は一度行ってみてください。
そしてこのブログを読んで、
大切なことをもう一つ学びましたね。
音楽をやる人でホルンを吹いたりする人は、
絶対奈良公園で練習なんかをしてはいけませんよ。
それと、豆腐さんも、
奈良公園の周辺で豆腐販売で
「パフッ」とか音を鳴らしつつ
移動販売してはいけませんよ。
気が付いたら大量の鹿に
追われてしまいますからね。
あ、それから奈良マラソンを
走るひとにパフパフなんて
音を鳴らしながら応援しても
いけませんね。
鹿がやってきますからね。
でも今度奈良に行ったら、
あのホルンの音をものまねで、
つぶやいてみようかなあ。
反芻しながらのんびりしている鹿も、
ん?とか言ってキョトンと
するかもね。
まあ、色々と楽しんだり、
考えたり、笑ったりしながら、
12月の奈良公園を
楽しんできたdoironだったのでした。