ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

朗報が続きました

2022-03-17 21:38:31 | 日常

今年の正月はいろいろと心配事があって
何となく落ち着かない感じでした。
というのも、孫が病気で入院し
やきもきしていたのです。
コロナのおかげで見舞いにも行けないしなあ
もう遠くから頑張ってくれ~と
念を送るばかりでした。

幸いひどいことにもならずに
ひと月入院で無事に治療も終わり
やっと家に帰宅しました。
3歳の身で大変だったと思います。

何はともあれ、家に帰れてよかったと
こちらもひと安心だったのですが
先日、孫の快気祝いが届いたのです。

これは朗報です。
こんなにうれしいことはありません。
早く活動できるようになって
お祝いに駆けつけてあげれたらなあと
思うばかりです。

そして朗報はもう一つありました。

先日、高野街道の難所を登っているときでした。
笹の生えている急こう配の坂道の途中で
携帯に電話がかかってきました。
携帯画面を見ると「東京」からです。

ん?東京からとなると
誰からだろうと一瞬不安です。
たぶん今は国会が忙しいから
岸田君でもないしなあ
誰だろうと思ったのですが
ふと思い立つことがあったのです。

歩きのしんどさを心配しつつ
電話にでると、
「こちらはS経新聞東京です」とのこと。

こ、これは絵の掲載のお知らせではないのかと
思ったらまさにその通り。
「来週木曜日に絵を掲載しますから」とのこと。

お~しっ、と
高野街道にdoironのおたけびが
響き渡りましたね。

気持ちを落ち着けて
電話ではそのあとも
確認事項をいろいろと話しました。
「無職と書いていますが
これでいいですか」というので
はい、いつもそう掲載してもらっています。
元公務員なんですがね、というと
じゃ、それで行きましょうといわれました。

なんかまわりで鶯が鳴いているような
山の中で声だけの会話だったので
元鉱務員と書かれるかもしれませんが
全然オッケーです。
掲載されるのは6枚目の絵になるのですが
初めて職業欄が「無職」でなくなるのですね。

いやあ、まあそんなことはどうでもいいのです。
年齢も、66になったばかりなんですが
見た目25歳でもいいのです。
この日ウクライナ色の服の取り合わせで
NO WAR を叫びながら歩いていたのですが
平和を心から唱える
髪の毛ふさふさのおっさんでもいいのです。
もう名前なんてdoironでもいいのです。
とにかく採用されてS経新聞の信頼性を
失わなければ絵の掲載をよろしくお願い
しときますって感じですね。

ありがたい高野への巡礼道でいただいた、
これもとてもありがたい朗報でした。







 


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