この日は、元々は友ヶ島に行く予定であった。
その島には以前ドジ旅で出かけたことがあり、
山登りの友達にその話をしてたら、
ぜひ行って見ようということに
なっていたのだ。
3月末のその日が近づいてきて、
地図を確認したり、
潮の満ち引きの確認をしたりしていたのだが、
なんとその日は久しぶりの雨降りでした。
前日の予報でその日は大雨が予想されており、
これは無理だなということで、
いったんは中止ということになったわけである。
現役で働いている人もいるので
日曜日に予定してたのだがねえ、
残念である。
まあこの島はなかなか因縁のある島なのである。
ドジ旅の時でさえ、
雨や岬の破損で延期になったと思っていたら、
なんとdoiron自身が脳梗塞を起こして
延期ということにもなったりした。
今年も雨降り以前に、
友達が脚の手術をする
というので行けなくなったし、
別の友達も用事が出来て
いけなくなったということが
続いていたわけだが、
ついにここにきて雨降りに
阻まれてしまったわけだ。
まあその結果、秋ぐらいに
またみんなで日程を合わせて
いきましょうという感じで
落ち着いたのだ。
したがって、その日は予定もなく、
お家でブログを書いたり、
歩きの記録をまとめたり
とかして過ごしていたわけなのだが、
ジダンから昼前にメールが届いた。
今日は自分らのチーム55の人らと
近所の公園に来るのでというメールだ。
そうかあ、なら顔をだすわあ、
と返事をした。
しかしまあ雨の都合で
皆さんの行動予定の変更なのか
よくわからないけど、
公園は中止となり、
今度は我が家の前に
来るということなので、
お迎えすることにしました。
さてここで少し悩みました。
来るというのはすごい人と有名な人と
偉い人だそうですが、
中にはいってもらうかどうかです。
ミセスに、じゃ少しでも
中に入ってもらうかというと
「急に言われてもなあ」
と少し引け気味です。
じゃあ、まあ皆さんを迎えたうえで
判断しましょうと、到着を待ちました。
もうこの時点で結構雨がふってますねえ。
あ、来ましたよ。
一人の方をのぞいて
よく知っている人たちです。
家の前で写真を撮り、
話も少ししましたが、
どうも上がっていただくという
感じではないですね。
では気を付けてとお見送りしました。
これからジダン邸で昼飲みですね。
それにしても、話をしたら
面白そうな人ばかりですねえ。
やっぱりもっと話がしたいなあと
食事も終えて昼のみが落ち着いた頃に
メールをしてみましたら、
お許しをいただきましたので、
買いものに行く奥さんの車に
乗り込んでジダン邸の近くまで
送ってもらうことにしました。
行くと、ああジダンの奥さんが
いるじゃないですか。
家族も全部出払っていて、
のんびり昼飲みしてるんや
と思っていたのですが、
こりゃあお邪魔なご近所さんですね。
恐縮しつつ部屋に入り、
お誕生日席のようなところに
でんと座って飲み始めました。
すまんのう~、世間知らずで。
この時ワインを差し入れしたのですが、
激安ワインであることを
見破られてしましましたね。
すまんのう~、年金生活者なんで。
皆さんのすごい話を色々聞かせていただいて
とてもいい時間が過ごせましたねえ。
ありがとうございました。
この経験は、是非とも
噛んで砕いて粉々にして、
今後の引退者生活の
お役に立てたいなあと
思ったりしているdoironなのでありました。
いや、まあほんとにおじゃましつつ
楽しませてもらって
ありがとうございました。
三国ケ丘の駅はなぜか両脇が高くなっています。
なぜこんな構造になっているんでしょうか。
ネットで調べてみると
これにはいろんな原因があったそうです。
ひとつは御陵の横をとおるので
不敬だというのが多くの考えだったそうですが、
それならなぜ仁徳陵の横にある
中百舌鳥駅は半地下にならなかったのか
という説があって、
なるほどちょっと違うよなあって感じです。
で、まあ結局doironには
確かな情報は見つけられてないのですが、
もしかしたら理由は阪和鉄道の
高速化にあったのかもしれません。
というのもこの鉄道は国の基準を
超えた猛スピードで運転をしていたそうです。
この時に阪和鉄道が打ち立てた
平均速度81.6km/hという記録は、
後に東海道本線に特急「こだま」が
運転されるまで日本最速の記録だったそうです。
それを目指していたんなら、
アップダウンを考慮して
できるだけ直線でまっすぐ
平らな道を目指してこんな路線を
作っていたのかもしれません。
阪和線に乗って一番前の
車両に乗って路線を眺めてみてください。
ずっと直線の見事な線路が
目に入ってきますから。
そしてもう一つ分かったのは、
その時に三国ケ丘の駅周辺を
半地下にした土をどうしたかというと、
なんと上野芝~津久野間の高架道路の下に
盛られて使われていたんですね。
驚きです。
路線の形の中に過去の痕跡が
残っているのですね。
さて、まだ三国ケ丘駅にいます。
いろいろ眺めてゆきましょう。
まずはホームの構造です。
この駅のホームの屋根なんかには
線路が使われていたりしますねえ。
意外に線路はこの駅意外あちこちで
ホームの建物に使われていたりします。
で、一方で下りホームはというと、
こちらは木製の建物です。
しかもはりの端っこなんかには
刻みが入っていたりして、
すこしおしゃれに作られています。
しかも下りホームはなんと多くが
なんと石積みの基礎が使われています。
登りはコンクリートなのにねえ。
線路のはり、ホームの基礎など
過去の遺物も残したままで
駅が成り立っているのですねえ。
じゃ、ここから歩いて行きましょう、
と最初は思っていたのですが、
まあこういう線路の点検歩きは初めてですので、
歩きの力はできるだけ抜いて
駅を眺めることに今日は集中しましょう。
なので、次の目的地である富木まで
電車で移動することにしましょう。
快速電車で鳳まで行き、
鳳駅の道標なんかを写真にとって
各駅停車で富木に向かいます。
鳳の次がその富木駅。
なぜ富木かというと、
中臣氏の一支族である殿来連から
由来しているといいます。
その影が淡路島まで届くという
立派な楠が生えていて、
旅路の目印になっていたから
というのがその殿来の由来だそうです。
そんな等乃伎神社に近いのが
この富木駅です。
この駅のまず見どころは駅本体の建物です。
駅には財産表というのが張られており、
それにより製造年月日がわかります。
しかしこの駅には財産表がありません。
かわりにというか、
発見された図面などから、
この三角屋根の建物は
阪和鉄道当初のものであることが
わかるそうです。
うん。なんか昔の駅の思い出は
こんな三角屋根であることが多いですね。
この三角屋根の天井に使われているのが、
立て板をずらっと並べて
張り付けた立て板張りが
今もその姿を残しています。
そしてホームはというと、
石積みの基礎が昔はこうして
なだらかに下っていたことがわかります。
きっと駅舎内に踏切があったのでしょう。
続く
阪和鉄道というのは、
今走っているJR阪和線の生まれたときの姿で、
その後南海本線に買われた後、
国鉄が手に入れた電車の路線です。
生まれたのは90年前。
その1世紀近い路線の過去を尋ねる
展示会に参加し、抽選で当たった
講演会にも先日参加をしてきました。
展示物は少し懐かしいなあ
というものが飾ってあったり、
よく行く山のパンフレットなんかも
あって楽しかったですね。
そして講習会は、たくさんの鉄男、鉄子さんが
観客で来てましたねえ。
講習は今も走っている阪和線の路線の中には、
そんな過去を振り返るこんな痕跡が
残っているんだという内容で楽しかったです。
講師の方も鉄道ファンで楽しく
語っておられましたが、
この人にとっては現役最期の
講習会だったそうです。
そして写真もすべて講習依頼が
あってから3か月の間にすべて自分で訪ねて
写真を撮ったそうで、新鮮でした。
その講習内容を受けて、
じゃ自分でも訪ねてみるかと思い、
先日その第1弾として、
三国ケ丘から久米田までの駅を
訪ねてみることにしました。
電車で三国ケ丘まで行き見て回った後、
富木の駅まで電車で戻り、
そこから久米田までは歩いて行く
という痕跡探しをおこなったのです。
では、さっそく出かけて行くことにしましょう。
家を出て、阪和線の信太山まで歩いてゆきます。
この道もねえ、むかしとは
ずいぶん変わったのです。
天気が良ければ田んぼの中のあぜ道を
通ってゆくという歩きだったのですが、
いまはもう弥生の公園の中を
優雅に歩いてゆきます。
この公園には村の人がいっぱい
いるんですよねえ。
椅子に座っていたり、
犬を連れていたり、
中にはまるで村人の動きを
監視してるんじゃないかと思うくらい、
いつも公園にたむろしている人もいます。
「どこ行くねん?」と聞かれたら
「阪和電鉄の痕跡を探しに行くねん」
なあんて答えたら変な奴になりそうですねえ。
「ちょっと買い物」
くらいにしときましょうかねえ。
歩いて行った信太山の駅も昔は
自衛隊側、そう線路の東側からしか
入れなかったのですが、
今は新しい改札が出来て、
doiron家にも近い西側からも
入れるようになっています。
ICOCAで改札を抜け入っていくと
すぐに区間快速電車が入ってきました。
効率がいいですねえ。
ではさっそく乗車して、
三国ケ丘を目指しましょう。
もう4駅目で到着です。
ここは、南海の高野線と交わっている
駅ですねえ。
なんか駅全体の構造がわかりにくいです。
講習会で聞いた資料を基に
撮影をしていきましょう。
ここでやはり気を付けないといけないのは、
階段近くなんかで女子高生なんかが
登っていく姿があるときに
カメラを構えるといけないですねえ。
ほんとに変なおっさん扱いをされてしまい、
警察に通報されたりします。
できれば複数で活動する方がいいですねえ。
あの講師の人もきっと撮影には
気を使ったんだろうと思います。
「何かいい方法はありますか?」
とか聞けばよかったですねえ。
例えば線路の模様のネクタイをするとか、
鉄道模様の帽子を被るとか
そんなことも必要なのかなあ。
doironはひとつの対抗策として、
講習会の資料をカバンに入れておく、
下敷きのついたファイルを手に持ち、
そこに自作の見るべきもの一覧を
付けておくとかしましたがね。
まあそれでも変な疑いを受けないように
気を付けて行いました。
あ、もちろん線路にはみ出してとか
心無い鉄男君のような動きも
強くさけましたねえ。
では、というところで続きます。
今日まで4日間、
今年の花見の様子を書いてきました。
いろいろ行きましたねえ。
でも小さなプチ花見は他にもいろいろあったのです。
最後にプチっと書いておきましょう。
まずは近所の古池公園の花見。
こんなタコの形をした遊具があるので、
「タコ公園」といわれています。
遊具の並んだ公園と横にあるグランドの
周りをぐるりんと囲む桜で有名です。
ここで頑張った写真は市のホームページや
広報紙にも載せてもらいましたねえ。
あ、ここのグランドの子どもの運動会の様子は
広報紙の表紙にもしてもらいました。
またジダンが短距離走を走った
ところでもありますし、
むかしはグランドの2000m走で
3位になった記憶があります。
あ、もっと前で言えば、
走り始めたころにここで開催された
市民マラソンの5kmで初めて18分台で走り、
4位になったこともありましたので、
思い出の多いところです。
今はのんびりとグランドの周りを
カメラを持って散策です。
時の流れを感じますねえ。
ここの桜も随分高齢化し始めています。
あちこちで枝を切ったり、
木で支えられたりしながらも、
健気に咲いています。
頑張って春を演出してましたねえ。
同じ高齢者として応援してしまいます。
グランドのところにある野球のブルペンの
後ろには絵が描かれてまして、
それにはとても感心しました。
泉大津市では南海電車の高架下など、
こういう絵で盛り上げようとしている
事業があるようです。
そこには子どもの絵が描かれています。
あれ?穴の中に引き込まれている
変な絵がありますよ。
でも横から見るとこんな感じ。
笑ってしまいました。
反対側にもそんな絵が描かれています。
楽しい取り組みですねえ。
桜と絵で楽しい思いをしました。
そしてそのまま、近所の池園公園の
桜も見に行きました。
しだれ桜も
咲いています。
我が村にもこんな身近な
公園があればいいのになあ、
と町会長は思ったりするのです。
花見と言えば、桜だけではありません。
別の日に車で和泉の山手にある
桃を見に行きました。
いつもは少し桜より早く咲くのですが、
今年は同時期でしたねえ。
奈良からロングの練習でこちらに向かって
約56kmの山越えで
バビさんが走ってこられました。
桜と桃が一緒に見られて感激!
といわれてましたが、
こちらはその走りに感激です。
すごいなあ。
彼女は現役ですねえ。
そして馴染みの浜寺公園には
再度自転車で出かけました。
ここまでは気持ちいい距離感ですね。
静かな生活道路を快適に
走って出かけてゆきます。
前回とは約一週間の差ですが、
ソメイヨシノはちょうどこの時が満開。
公園内にはコロナの時とは
思えないほど、超たくさんの人々が
花見をしていました。
あ、こんなラピートも置かれていますねえ。
ここはゴーカート乗り場ですが、
なんと小学生が山のようにあふれていましたよ。
最近増えているコロナの患者ですが、
ここへ来た人、二週間後くらいが
めちゃ心配なのであります。
人ごみの間をするりとバイクで抜けつつ、
対岸にも回りました。
オオシマ桜はもう散り初めでしたねえ。
でもここでも、公園の向こう側で
超大勢の人々が花見をしてはりました。
なんか今年の桜はそんな人ごみにも
めちゃ気をつかいますねえ。
まあそんなプチっと花見も
こんな感じで終わりました。
今年2021年の春も
いつもと変わらず桜は咲いています。
自然の力に励まされながら、
今年の花見シリーズはこれで終わりです。
義理の父母の墓参りに出かけました。
墓は奈良県當麻寺の中にあります。
車で30分くらいのところにあるのですが、
なかなか出かけて行きにくい場所ではあります。
ひと月に1回くらい出かけて行くのでしょうか。
今回は墓参りも自分に関して
いろんな報告ごとがありました。
産経新聞に絵が掲載されたことも
報告しましたよ。
これはねえ義母さんが同じ趣味でしたので
大喜びだったでしょうねえ。
お墓の隅っこにいたバッタや蜘蛛が
大笑いしているようにさわいでるなあ
と思ったのは錯覚でしたかねえ。
それともう一つ報告することがあります。
それは町会長になったことです。
三重県、和歌山県と転々と
住む場所を変えてきた義父母。
最後は終の棲家として我が町のど真ん中にある
旧家に住みに来てくれました。
庭のある旧家で、楽しんで暮らしてましたねえ。
80代の後半まで頑張って暮らしてはりました。
義父がプロ並みにやっていた写真や
義母の暖かい絵は今も我が家に飾ってあります。
絵も写真もいい思い出です。
そして二人が住んでいた旧家は
今も村に住む人々の
義父母の家になっていたりします。
二人はなかなかいいすごし方をしたようで、
皆さん参考にしてはるようです。
そんな町内の会長になったといえば、
二人ともびっくりしはるでしょうねえ。
義母さんはアイドルスターのように
踊りあがっていたかもしれません。
義父さんは「がんばりや」と
言ってくれたかなあ。
お墓のすみっこにいたダンゴムシも丸くなり、
カマキリも鎌を持ち上げていたでしょう。
ひと月ぶりのお墓をタオルやブラシで磨いて、
墓参りも終了です。
ではここから花見に向かいましょう。
二人ともついてくるかなあ。
當麻寺の北側には桜並木があります。
梅雨のころにはアジサイがいっぱい咲きます。
その道の横に公園があり、
そこに桜がいっぱい咲くのです。
ここでもよく花見をします。
二年前は東京から来た義兄も
一緒にこちらで買い付けて
持って行ったお弁当で乾杯しました。
運転はミセスですのでわれらは開放的です。
そして昨年は二人でコンビニ弁当でしたね。
今年も二人ですが、
今回は柿の葉寿司を買ってゆきました。
これです。
これで二人分
色とりどりの柿の葉寿司も珍しいでしょ。
結構おなかにこたえて、
巻きずしは半分以上残しました。
食べつつ、桜を眺めつつ
のんびり座っていたら、
頭の上の桜の枝に鳥が二羽きて
えらく騒いでいましたねえ。
あれはもしかしたら義父母がやってきて、
残った巻きずしを食べさせろ
と言ってたかもしれません。
帰って絵と写真を並べて飾って、
その前に置いておくようにしました。
結局その夜にdoironが食べましたがね。
全く人のいない静かな公園でのんびりと花見。
これはきっと義父母が私らが買った墓のそばに、
そんな花見もできる場所が近くにあるよと、
僕らに残してくれたのかもしれません。