しろくま

軟い雑感、とりとめなく。

宮本武蔵

2016-07-30 | 本棚
とっかかりはこれ。
日本刀。抜き身
東京新聞:陸上自衛隊の新エンブレムに刀 こわもてイメージに:政治(TOKYO Web)
我ながらよこしまだった。
武(士)道とか禅とか
ややもすれば、外国人より知らないんじゃないかと思って…

書かれた時期が戦時中(1935 - 1939)
嵐寛寿郎、片岡千恵蔵らですぐ映画化されているから(wikipediaより)
人気の程もうかがえる。

関ケ原が明け
乱世、平世、迷いも実、悟りも真 
巌流島に向かう朝は
のんべんだらりな平成人が思う以上に、
戦中・戦後の人の心をつかんだのだ。

手にしたのが
平成25年2月発行となっていた(全8巻)。

宮本武蔵(一) (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


今までなんで読んでいなかったのか、じつに悔やまれる。
古さを感じない文章運びはとにかく読みやすく、面白い。
一気呵成。

「五輪書」の前。若い頃、修業時代。
二刀流だの燕返しだの吉岡一門だの
武俠的な立ち回りに目が行きがちだが、さにあらず。

芍薬の切り口を見て、その腕に恐れ入る。
殺気、気配を察す
ゴルゴ13(さいとう・たかを)の臆病さも、それだろう。

かと思えば、うっかりもある。
刀研ぎ士の家で(佐々木小次郎が切りつけた)刃傷沙汰があったが、
その時、武蔵は中二階で観音様を一心不乱に彫っていた。
ゴルゴだとダサくてシャレにならないが、人柄的なところで武蔵は許せる。

「日本人なら一度は読みたい超骨太なエンタテイメント」とカバーにあるが
最大の魅力はハードボイルドさでなくて、むしろ修行中の武蔵の目の素朴さだ(極私感)。
武侠物ながら、サイドストーリー/本位田のバアさんの話ともども、いい具合の笑い、しみじみ。
お通、又八、沢庵、朱美、城太郎、伊織……複雑な人間模様、すれ違い、
不思議な縁(えにし)と絡み合って、途中で本を置くのが難しいほど。
読者を無念無想で誘(いざな)う筆。吉川英治の天性かもしれない。
また、先の刃傷沙汰の研ぎ士が小次郎の刀「物干し竿」を見まがうばかりに研いであったのは史実か脚色か?
人情か職人魂か? 読んでから想像を逞しくするのも楽しい。
強さだけの武術の佐々木小次郎に対し*、
武蔵は武にありながら生き方・人の道も求め、それは村の開墾などにも見て取れる

時は移り(端折ってスミマセン)
武名で藩に召し抱えられた小次郎、武蔵とどっちが強いかということになる。
慶長17年4月13日巌流島(舟島)、アントニオ猪木/モハメド・アリ戦の364年前
いよいよ、小倉藩士佐々木小次郎が待つもとに作州牢(浪)人の武蔵の小舟が近づく
……

「序」(昭和28年)にはこうある。
「古典」と言われているが、作家として心の未成熟が眼につく…中略。
ただ、時の流れと、時評の是々非々と、そして読者の需(もと)めにまかせるるのみである。
ひらたく言えば、「自分なりの志で書いたが、判断は読む人がしてください」。
武蔵同様、吉川英治も道の途中であったか!
恐れ入ったでござる。



おまけながら
さいしょのとっかかりに戻ると
たしかに武蔵の無情な切り捨てはあったが、普段は無用の諍いは避け、逃げるに如かずもあった。
活かす剣や、「斬りさえすれば偉いように思うているお侍の刀などは研げん」(とある刀研ぎ)の一言もある。
「るろ剣」にしても、やむなしで斬れば同じだろうとは言い切れないところ。
外国的なシンボルとは違う。どちらかというと日本の刀は内的な心/道。誇示し見せびらかすものでない(極私感)。

*『佐々木小次郎』(剣を挟んで武蔵と正反対)だと、
老僧日観が「もっと弱くなれ」なんて言わないだろうし
(会った途端、斬られたんじゃあるまいか)
石舟斎の芍薬だの本阿弥光悦だのまず出てこないだろう。
剣術と斬ると立身のハウツウ物の1冊になっただろうな、吉川英治さん。

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