しろくま

軟い雑感、とりとめなく。

一年のちに

2011-08-06 | 原子力/失敗学
八だからリチャード・ギア 観て
一年経った。

核の無責任、強い憤りを日本に感じるとは、思ってもみなかった。
アメリカのHiroshima 8.6.08:15, Nagasaki 8.9.11:02 は決して許されない蛮行だが
それにもまして、日本人として今、日本がなさけない。
(災害復旧・原発復旧の現場の人の尊敬とは別)

原子力行政と電力に付随すること。
技術が扱いきれていないことを嘆いているのでない。それを扱う人・組織に信用・責任を見いだせないのが情けない*。
(*海江田氏、結局は自分の言い訳/アピールするために段取りを果たしたようにしか見えないから、私は評価しない)
この期に及んでまで、責任・解決に向き合うより、ツケ先送りで済まそうとさえしている。
災害が起きるまで無関心だった私たちもバカだが、起きてからなお言いつくろいやっているのは、どんなつもりなのだろう。
歴史から、失敗から、私たちはいったい何を学んだのだろうか。学ぼうとさえしていない。
「いまなお戦争巨編作り続け、兵隊送り続けている」アメリカなんか、とても嗤えたものじゃない。

平和だのは言わない。核とか、環境とか、そんなログでもない。
sf好き/テクノロジーの点から、技術は(一般化して)使ってナンボの考えもわかる。
だけど、
発電を含む原子力への意識、ここまででたらめだったなんて、
亡くなっていった人たちに、とてもじゃないが言えない。

今日は、だまって手を合わせた。


バーチャル/アーカイブ(8/7)
グーグル、原爆ドーム内を「ストリートビュー」で紹介 - japan_internet_com
その場に行けない人の方が圧倒的に多いし、その事実さえ知らない人もあるだろう。
そういった意味で、世界中の誰もが世界中のどこからでも見る/知ることができるのは意義がある。
しかしながら、こうも思う。バーチャル・目の前の走馬灯。
もちろん、気は心。“だからこそ、この目で”という人もいるだろう。
画はグーグルでも、歴史は世界の目を待つ。