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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 292 トルコ④

2024-03-11 22:02:09 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌39(11年5月)
    【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
     

292 歴史とは苦しみの嵩地下都市をくだりて深く匂ふ土あり

      (まとめ)
 紀元前400年頃の資料には既に地下都市の存在が記録されているそうだが、ここは有名なカッパドキアの地下都市であろう。4世紀初め(ディオクレティアヌス帝による大迫害は特に有名である)迫害を受けてキリスト教徒達が地下に隠れ住んだといわれている。その跡を尋ねて深く深く下っていった時に匂う土の香、そこに人間の生の実体をあざやかに感じ取っているのであろう。そこの生活は信仰の喜びだけではない、さまざまな苦を伴っていたことも感じとっているのだろう。(鹿取)

 
      (レポート)
 作者は100を超えるというこの地の地下都市の一つに踏み入り、下って行った。そこで目にした光景の中で特に土から深い匂いを嗅ぎ取っている。ここで一人一人が積み重ねていった年月に想いを重ねているのであろう。だが「深く」と詠っている。信仰心に充ちた日々の暮らしの中で深い喜びもまたあったはずである。との思いを抱いたであろう作者がこの言葉から見えてくる。(崎尾)
×××
 トルコ共和国、アナトリア半島は古来、アジアとヨーロッパが交錯する場所であった。一万年を超す歴史が謎を秘めたまま眠っている。その中央部のカッパドキアは、火山岩台地に長年の風雪による浸食作用がもたらした、見る者を驚かさずにはおかない奇観の地である。終末を予感し、この荒野に祈りの場所を求めた人々がいた。彼等は岩山を掘って洞窟修道院・聖堂を造り、信仰心に満ちた絵画を描いた。数千人の共同生活が可能な、8層に及ぶ地下都市や険しい岸壁に祈りのための洞穴を窄っている。
     (大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)

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馬場あき子の外国詠 291 トルコ④

2024-03-10 10:37:03 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌39(11年5月)
    【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
     

291 驢馬のあざみ驢馬の胡瓜みな棘ある草驢馬はかなしき棘食む馬か

      (まとめ)
 人間の食べる胡瓜にも棘はあるし、蔓には更に鋭い棘がある。あざみにだって花にも茎にも鋭い棘がある。驢馬のと形容されたこれらの植物はもっと棘が鋭いのだろうか。どのくらいの大きさなのか、ネットで調べてみるが出てこない。「驢馬」は「馬」の字を名前に持ち、馬のようにこき使われるが、馬ほどは大事にされず、棘ある草くらいしかあてがわれない。しみじみと驢馬をあわれんでいる。(鹿取)

 
        (レポート)
 驢馬があざみを食べる。あの棘の多い草を。この1首は初句から3句までが字余りである。が「驢馬」を3回、「棘」を2回用いることによってたたみこむような不思議な調べを作っている。辞書によると驢馬はウサギウマとも呼ばれ粗食に耐え、労役に耐えられるとある。結句の余韻を受け止めたい。(崎尾)


      (当日意見)
★290番歌「アヤソルクのヨハネ教会の跡に立ち驢馬の胡瓜の花咲くをみる」の次に
 置かれた歌です。空き地などいたるところに生えている雑草なのでしょうね。「烏の
 エンドウ」とか「雀のエンドウ」は大きさからくる言い回しのようですが、「驢馬
 の胡瓜」「驢馬のあざみ」と呼ばれているのは驢馬だけが食べられるということで
 しょうかね。きっと棘があって食べにくいしおいしくないのでしょう。それを、驢馬
 はあてがわれて、お腹が空いているから仕方なく食べるのです。作者はそのことに哀
 れさを感じているのでしょう。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 217

2024-03-09 11:36:36 | 短歌の鑑賞
  2024年版 渡辺松男研究26(15年4月)
     【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)89頁~
      参加者:かまくらうてな、M・K、M・S、鈴木良明、
      曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


217 沈黙を守らんとする冬の木のなかにひともと紅梅ひらく

     (レポート)
 沈黙を堅持しようとしている冬木々の中にあって、その空気を和らげるようにひと足早く、紅梅がいっぽん明るく咲き始めた。(鈴木)


    (紙上意見)
 沈黙に耐えられなくなった紅梅はいちはやく人間に迎合して、鮮やかな容姿をみせつける、冬枯れの世界で、目立ちたい紅梅はナルシストで、裏切りものだ。(S・I)


     (当日意見)
★S・Iさんのナルシストというのは唐突だなと思います。(鈴木)
★まあ、以前の歌から導き出された意見なのでしょうね。私は季節が来ればやがてみん
 な花開いていくので、先に咲いたからって人間に迎合したとかナルシストだ、裏切り
 者だとは思わないですけれど。先駆けに対する評価の違いですよね。(鹿取)

     (後日意見)
 次の218番歌(土屋文明をわれは思えり幹黒き樹は空間に融けゆかぬなり)を読むと、「目立ちたい紅梅はナルシストで、裏切りものだ」というS・Iさんの意見はあながち突飛なものでもないように思われてくる。この読みですんなりと土屋文明に繋がるのだ。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 216

2024-03-08 17:55:58 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究26(15年4月)
   【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)89頁~
    参加者:かまくらうてな、M・K、M・S、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放

 
216 冬の杜仲(とちゅう)は何耐えている太陽光ぐんぐん冷えて梢にとどく

      (レポート)
 杜仲は中国原産の落葉高木20メートルで、若葉は杜仲茶、樹皮は漢方薬に利用される。西に傾いた太陽の冷えた光をかろうじて梢に留めているだけの杜仲は、高木であるだけに余計寒々しく何かに耐えているような風情である。(鈴木)


     (紙上意見)
 杜仲は若葉は茶として利用され、樹皮は漢方薬の原料として、身のほとんどが人間のために切り刻まれる。杜仲の冬の様は、よけいに哀れだ、しかし214番歌(切株は面(つら)さむざむと冬の日に晒しているよ 動いたら負けだ)の木のように動いたら負けで、耐える他ないのだ、冬の鈍い陽光が高い梢に幽かにそそぐだけだ。(S・I)


    (当日意見)
★ふたりの意見に同感です。(全員)


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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 215

2024-03-07 12:25:11 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究26(15年4月)
   【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)89頁~
    参加者:かまくらうてな、M・K、M・S、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放

 
215 息止めていよいよ冬の木となれば頭上はるかに風花が舞う

      (レポート)
 冬の寒さから身を守るため、冬木は外との交流を断ち個を保つ。呼吸は外と内との開放的な交流だが、その「息を止める」という擬人法が、冬木の決意にも似た差し迫った実感を良く表わしている。下の句は、いよいよ冬到来を思わせるとともに、「風花」の自由な振る舞いが冬木の頑なな姿を一層際立てる。 (鈴木)


     (紙上意見)
 息を止めて、すっかり葉を落としてしまい、冬木となってしまった。そんな木に呼応し、共鳴するかのように雪が舞っている。それは空の高処から聴こえてくる音楽のように木と唱和し合うのだ。(S・I)


     (当日意見)
★冬の木がかたくなだと私も思う。そのかたくなな気持ちを風花が舞うことで和らげて
 いる。(曽我)
★すると「風花が舞う」の解釈は3通りよね、鈴木さんは「冬木の頑なな姿を一層際立
 てる」、S・I さんは「共鳴するかのように木と唱和し合う」、曽我さんは「木のか
 たくなな気持ちを和らげている」。 (鹿取)
★私は冬の木の覚悟を風花が祝っているように思いました。(慧子)
★相反する二者を一首に詠んだという感じ。はるかに舞う風花を見ながら冬の木になろ
 うと決意した。(うてな)
★ますます解釈が分かれましたね。私は厳しい外海から身を守る為に息を止めている木
 を、生の懸命さとは思いますが、頑固とは思いません。風花は冬の到来を告げている
 ので中立のように思いますが、私が読み取れない何か意味が込められているのかも知
 れません。松男さんにしては抒情的な下の句なので、ちょっと戸惑いました。
   (鹿取)
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