かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  359

2021-11-20 21:08:43 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


359 白蓮(はくれん)の花咲くしたで待つこころ行き違いさえみずみずとして

      (レポート)
 ハクモクレンの花は、葉の出る前に花だけが咲く。曇り日であれば幻想的だし、青空の日なら白い鳥か蝶がいっぱいとまっているような楽しさがあるだろう。前の歌でうつし身の春のめざめを詠んだが、心の方は体と違い恋人との行き違いでさえ瑞々しく感じているというのだ。(真帆)


      (当日意見)
★「行き違いさえみずみずとして」という言い方が魅力的だと思います。普通は行き違いには何だ
 と嫌になるけど、春だからそれさえみずみずとしている、美しい白蓮の下の春の気分がよく出て
 いると思います。(鈴木)
★清らかな白蓮の下で恋人を待つだけだと、甘い歌謡のようになりますが、「行き違い」を入れた
 ことで甘さが抑えられて、歌に奥行きが出たように思います。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  358

2021-11-19 15:17:51 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


358 口中に咽飴まろくとけてゆきわがうつそみはうつそみを恋う

      (レポート)
 樹々に春が来るように、作者のうつしみにも春の気分がやって来た。口の中に咽飴をころがしながら溶かし舐めていると、甘味とともに現世に生きるわが身体が異性の身体を恋いはじめた。春のめざめの一首だろう。(真帆)


     (当日意見)
★「わがうつそみはうつそみを恋う」が綺麗だと思いました。これは自分が自分を恋しているんだ
 と思います。自分で自分の中に入っていく感じがしました。(慧子)
★私は、あまり身体とか肉体を求めるという感じはしなくて、この世にある私が同じこの世にある
 別の人を思うというふうに取りました。喉飴を舐めてほっこりとした気分で、生きてる自分が他
 の生きてる温みを求めている感じ。慧子さんの言うように自分が自分を恋うということではない
 と思います。次に置かれているのは恋人を待つ歌ですし。(鹿取)
★喉飴を舐めるということは何か引っかかりがある訳ですよね、それが解消された。自分を恋うの
 か人を恋うのかは分かりません。(M・S)
★誰がとか誰をとかではなくて、現実を現実として受け入れますよということ。感覚として喉飴が
 口の中にあるということは現実をそんなふうにして味わっているわけです。だからもっと広いん
 ですよ。(鈴木)
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渡辺松男の一首鑑賞  357

2021-11-18 17:08:59 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


357 春一番に揉まれ揉まれてきらめけり樹々には素肌あるものなれば

      (レポート)
 梅の花の香りとともに空気も緩んでくるころ、南からの強い風が吹く。冬の間厳しい姿をしていた樹々も樹皮の下には生木がある。春一番にもまれ生気を吹きかえすようにきらめいている。そんな歓びをうたったのだろう。(真帆)


      (当日意見)
★春一番の頃って木がよく乾いていて光るんです。(慧子)
★「樹皮の下には生木がある」とレポートにはあるけど、これは樹皮のことを言っているんでしょ
  う。皮を剥いて現れるんではなくて、皮の表面がすべすべしている。(鈴木)
★素肌ってどの部分を指しているんでしょうね。前の月、その前の月にも松男さんのエッセーを引
 用したのですが、351番歌「行く雲の高さへ欅芽吹かんと一所不動の地力をしぼる」にも
 書いたのですが、そのエッセーでは、木の大部分は死んでいて、木の表面にほんのうっすらと生
 の部分があるっていうようなことを言っています。そこから考えると一皮剥いた部分が煌めいて
 いるとは考えにくいのですが、表面はごつごつしていて素肌っていう感じではないし困るのです
 が、どこかで私の認識が間違っているのでしょうか。(鹿取)
★若木と老いた木は違います。また、確かに年輪があって木の内側ほど古いんだけどそこを死ん
 でいるとは言えないんじゃない。古くなって分厚くなっている。木の表面はごつごつしているか
 もしれないけど新しいわけです。一皮剥くとか剥かないとかは関係ない。また、あんまり細かく
 分析していっても仕方がない。全体としてみてゆけばいい。(鈴木)
★ごつごつしていようが、そのゴツゴツごと、生命感に満ちあふれている、と言うことでしょうかね。
(鹿取)

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清見糺の短歌鑑賞  168 169

2021-11-17 16:33:17 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 

168 このあたりの落ち葉紙屑花の屑掃きいし老いをこの春は見ず
            「かりん」2001年6月号

 167番歌「しずかなる花のさかりを夕べより音もせでくる春のあわゆき」の花に降る雪からの連想だろうか、花の屑を掃いていた老人を思い出す。秋には落ち葉を、常は紙屑を掃いていた、つまり年中このあたり(作者の住まいの近くだろう)を掃き掃除していた老人、そういえばあの老人をこの春は見ないがどうしたのだろう。この後には、子供に引き取られたか、施設に入ったか、入院したか、はたまた亡くなったか、想像は続くのだがそれは当然言わない。そしてその老いはやがて自分の姿に重なるのだろう。
 佐藤佐太郎の有名な歌の裏返しであり、返歌のようでもある。
   杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時人は言ふ『星宿』


169 モノクロの虹をかつては見たような気がするかなしき人をあきらめ
               「かりん」2001年9月号

 失恋の思い出か。好きな人を断念して暗い心で見た虹は七色ではなくモノクロにみえたのだ。
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清見糺の一首鑑賞  167

2021-11-16 17:23:40 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 

167 しずかなる花のさかりを夕べより音もせでくる春のあわゆき
            「かりん」2001年6月号

 桜が今を盛りと咲いているのに、夕方から急に雪が降り始めた。それも音も立てない春の淡雪であるからすぐ消えるのだろう。やわらかく情趣たっぷりのしっとりした歌である。
 「音もせでくる」は、古歌にたくさんあるバリエーションで、本庄小唄の「春の雪音もせで降る」などの一節もある。しかし掲出歌の下敷きは、民謡「さんさ時雨」がより有力のように思われる。「さんさ時雨」は仙台藩に古くから伝わる民謡で全国的にもよく知られている。作者の母方の実家が仙台で、子供時代何年か疎開もしているので「さんさ時雨」は身近な歌だったと思われる。その一番にいう。
 〈さんさ時雨か萱野の雨か  音もせで来て濡れかかる  ショウガイナ〉
                 
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