ブログ版清見糺鑑賞 24 かりん鎌倉なぎさの会
168 このあたりの落ち葉紙屑花の屑掃きいし老いをこの春は見ず
「かりん」2001年6月号
167番歌「しずかなる花のさかりを夕べより音もせでくる春のあわゆき」の花に降る雪からの連想だろうか、花の屑を掃いていた老人を思い出す。秋には落ち葉を、常は紙屑を掃いていた、つまり年中このあたり(作者の住まいの近くだろう)を掃き掃除していた老人、そういえばあの老人をこの春は見ないがどうしたのだろう。この後には、子供に引き取られたか、施設に入ったか、入院したか、はたまた亡くなったか、想像は続くのだがそれは当然言わない。そしてその老いはやがて自分の姿に重なるのだろう。
佐藤佐太郎の有名な歌の裏返しであり、返歌のようでもある。
杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時人は言ふ『星宿』
169 モノクロの虹をかつては見たような気がするかなしき人をあきらめ
「かりん」2001年9月号
失恋の思い出か。好きな人を断念して暗い心で見た虹は七色ではなくモノクロにみえたのだ。
168 このあたりの落ち葉紙屑花の屑掃きいし老いをこの春は見ず
「かりん」2001年6月号
167番歌「しずかなる花のさかりを夕べより音もせでくる春のあわゆき」の花に降る雪からの連想だろうか、花の屑を掃いていた老人を思い出す。秋には落ち葉を、常は紙屑を掃いていた、つまり年中このあたり(作者の住まいの近くだろう)を掃き掃除していた老人、そういえばあの老人をこの春は見ないがどうしたのだろう。この後には、子供に引き取られたか、施設に入ったか、入院したか、はたまた亡くなったか、想像は続くのだがそれは当然言わない。そしてその老いはやがて自分の姿に重なるのだろう。
佐藤佐太郎の有名な歌の裏返しであり、返歌のようでもある。
杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時人は言ふ『星宿』
169 モノクロの虹をかつては見たような気がするかなしき人をあきらめ
「かりん」2001年9月号
失恋の思い出か。好きな人を断念して暗い心で見た虹は七色ではなくモノクロにみえたのだ。
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