かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  166

2021-11-15 19:08:02 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 

                 
166 閑散と第三セクター〈シーガイア〉ありゼネコンが儲けたところ
                 「かりん」2001年5月号

 シーガイアは宮崎市にある広大なリゾート施設だが、宮崎県や宮崎市が出資する官民一体の第三セクターが設立した。防風林として植樹されていた海岸部の松林を伐採したりして、室内プールやゴルフコース、ホテルや国際コンベンションセンター、アミューズメント施設などを作り、1994年開業。総事業費2,000億円で建設されたが、毎年200億円前後の赤字が発生、2001年2月に第三セクターとしては過去最大の負債3,261億円で会社更生法の適用を申請した。その後アメリカ資本に買収された。鳴り物入りで始まった施設も、今や訪れる人もすくなく閑散としている。第三セクターという半ば公の金を糸目も付けずつぎ込んだためゼネコンだけがしこたま儲けたことになる。(この項、Wikipediaを参照させていただいた。)
 ところでこの宮崎への旅は2001年2月12日。会社更生法申請の直後で、新聞に大きく報道されたのを読んでいたのだろう。旅の途次、渦中のシーガイアを目にしての苦々しい感想である。
 また、作者の意識にあったかどうかは定かでは無いが、第三セクターという語を使って馬場あき子が次のような面白い歌を作っている。
  天竺からみれば第三セクターのやうな大和のほとけほほゑむ
                『飛種』(1996年刊)
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清見糺の短歌鑑賞  164 165

2021-11-14 14:27:30 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 

                 
164 夜神楽も天の岩戸も牧水も売られておりぬ日向道の駅
   「かりん」2001年5月号

 鉄道のない山中の道の駅、人的資源も伝統の芸能も神話も切り売りするしかない現実の矛盾。道の駅では、それらの絵はがきやちなんだ土産物が売られていたのだろうが、山深い宿に泊まって高千穂神社境内の神楽殿で夜神楽を観たり、天岩戸神社にお参りしたりしたのだった。


165 まつろわぬ人なるわれはお祓いのなれた手つきをさめて見るのみ
        「かりん」2001年5月号

 天岩戸神社では白装束の神主がお祓いをした。ほとんどの参拝者は分からぬままの人も含め神妙に頭を垂れている。しかし作者にはうさんくさい作法としか映らない。
 この歌、発想に岡井隆の影響が見られる。その頃愛読していた『禁忌と好色』の「九州反乱説その後」である。直接的には、その一連の次のような詞書によっている。
   「まつろわぬものは球磨(くま)にも蘇(そ)にも居た」

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清見糺の短歌鑑賞  162 163

2021-11-13 15:04:13 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 


162 雪うすくかずく大阿蘇のカルデラの裾のなだりに春はひろがる
     「かりん」2001年5月号

 若山牧水の故郷を歌仲間と訪れた時の歌。大阿蘇の雄大なカルデラ型の山、その上部はまだ雪を薄く被っているが、なだらかな裾のあたりは春が広がっているという。もう緑が萌え出ているのだろうか。おおらかで気持ちの良い風景である。


163 日向なる尾鈴の尾の上やわらかにながれゆくなりきさらぎの霧
     「かりん」2001年5月号

 古典的なゆったりとした声で、の、のと尾鈴の山のようになだらかなしらべで、2月のわりに穏やかな風景を歌っている。若山牧水の故郷を訪れ、牧水が眺めて暮らした尾鈴山を見ての感慨。牧水は宮崎県東臼杵郡坪谷村(現 宮崎県日向市東郷町坪谷)に生まれた。牧水が尾鈴山を歌った次の歌は有名。
 ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り
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清見糺の短歌鑑賞 160 161

2021-11-12 18:30:36 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 

160 砲弾がうがちし穴に水たまりいもり小えびのいのちはぐくむ
        「かりん」2001年2月号

 沖縄の歌の続き。艦砲射撃の跡だという水たまりがあちこちにあった。その水たまりにいまでは小さな生き物たちが育って蠢いている。


161 大地の子イル=ド=フランスその乳房ゆたかに春のまんなかに立つ
        「かりん」2001年3月号

 岩田正を中心に西洋美術館に行ってみんなで歌を詠もうという催しがあった時に作った歌。イル=ド=フランスは、裸身の少女が胸を張って立つマイヨールのブロンズ像。題はかつて肥沃な大地だったフランス中心部(パリを含む)の呼称イル=ド=フランスによっている。自然豊かな土地(であった)イル=ド=フランスへのオマージュであり、豊かな乳房はその象徴である。少女の像だから作者清見は「大地の子」と呼び「春のまんなかに立つ」と讃えているのだ。
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清見糺の一首鑑賞  159

2021-11-11 17:30:06 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 24       かりん鎌倉なぎさの会 

159 きよらなる月夜の海にわが見しは相よるジュゴンたちのまほろば
        「かりん」2001年2月号

 ジュゴンは、西太平洋から東アフリカにかけての熱帯・亜熱帯の浅い海に分布していて、沖縄は分布域の北限にあたるそうだ。草食で海藻などを食べて生きているが、周知のように様々な開発によって、ジュゴンの生きる環境が圧迫されている。
 古事記「大和は国のまほろば」とあるように、「まほろば」は優れたよいところ。手放しの歌い方の中に、それを守りたいという切ない希求の思いがある。しかし、歌としてはあっさりしすぎていて訴える力も弱いようだ。
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