かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  358

2021-11-19 15:17:51 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


358 口中に咽飴まろくとけてゆきわがうつそみはうつそみを恋う

      (レポート)
 樹々に春が来るように、作者のうつしみにも春の気分がやって来た。口の中に咽飴をころがしながら溶かし舐めていると、甘味とともに現世に生きるわが身体が異性の身体を恋いはじめた。春のめざめの一首だろう。(真帆)


     (当日意見)
★「わがうつそみはうつそみを恋う」が綺麗だと思いました。これは自分が自分を恋しているんだ
 と思います。自分で自分の中に入っていく感じがしました。(慧子)
★私は、あまり身体とか肉体を求めるという感じはしなくて、この世にある私が同じこの世にある
 別の人を思うというふうに取りました。喉飴を舐めてほっこりとした気分で、生きてる自分が他
 の生きてる温みを求めている感じ。慧子さんの言うように自分が自分を恋うということではない
 と思います。次に置かれているのは恋人を待つ歌ですし。(鹿取)
★喉飴を舐めるということは何か引っかかりがある訳ですよね、それが解消された。自分を恋うの
 か人を恋うのかは分かりません。(M・S)
★誰がとか誰をとかではなくて、現実を現実として受け入れますよということ。感覚として喉飴が
 口の中にあるということは現実をそんなふうにして味わっているわけです。だからもっと広いん
 ですよ。(鈴木)

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