かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の短歌鑑賞  170

2021-11-25 17:56:36 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 25回  罪と罰   
                 鎌倉なぎさの会   報告 鹿取 未放

170 罪と罰、嘘と真を見てあるくサンクト・ペテルブルクの日ぐれ
             「かりん」2001年10月号

 二〇〇一年の七月、 馬場あき子一行とのロシア黄金の環吟行の旅の歌。サンクト・ペテルブルクはピョートル大帝が一八世紀初めに建設した人口の街。聖書のペテロ(ロシア語はピョートル)と同名だったことを利用してサンクト・ペテルブルグ(聖ピョートルの地)と名付けられた。ところがレーニンの死後、彼の功績を讃えるためレーニンの名をとってレニングラードと改名された。しかし一九九一年のソ連崩壊後、ふたたびサンクト・ペテルブルクに戻った。帝政、革命政権……の虚々実々の歴史の舞台。
 サンクト・ペテルブルクには『罪と罰』を書いたドストエフスキーのアパートがあり、センナヤ広場など小説の舞台になった街角もいたるところに残っているし、彼が捕らえられていた要塞もある。それら人間のおぞましい跡を旅行者として見てあるくのだ。しかもここは「サンクト・ペテルブルク」である。イエスが捕らえられた後「その人を知らない」と主を三度否定したペテロにちなんだ町でもある。捕らえられたイエスの後を見え隠れするようについていきながら弟子かと尋ねられると知らないと答えざるを得なかったペテロの心中の苦悶も思われる。初句の「罪と罰」はもちろんドストエフスキーの小説の題にも掛けられているが、政治的変転を重ねた街の「嘘と真」を見て歩くと言ったところが鋭い。日ぐれも効いている。異色の旅行詠。      
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渡辺松男の一首鑑賞  363

2021-11-24 16:06:55 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


363 君の乳房やや小さきの弾むときかなたで麦の刈り取り進む

     (レポート)
 362首目(ぶな若葉風のきみどりさんさんとふいに誰かを抱きたき日照雨(そばえ))を受けての一首か。雨のぬらした君の洋服の胸元など、青春映画のようにも感じる。上の句の作者の仄かなエロスに、下の句の「麦の刈り取り」という実景を添えてリアリティのある歌。作者の視線の動きも伝わる。気をそらしたい気分か。(真帆)


      (当日意見)
★そうか、私はこれはメイクラブの場面かと読んでいましたが、なるほど、外の情景と取った
 方が良いのでしょうね。一連の歌の場の中においても、その方が自然な流れです。君が走っ
 たりすれば乳房も弾むわけだし、「麦の刈り取り」も目に見えるものとしてあるわですね。今
 までメイクラブと思って読んでいたので、自分たちは室内にいて夢中で抱き合っているが、彼方
 には「麦の刈り取り」という労働の現場があるのを頭の片隅で意識しているって思っていました。
 他の人たちはどう解釈されますか。(鹿取)
★私は泉真帆さんの感じです。ただ、「雨のぬらした君の洋服の胸元」とかは感じないですね。外
 の状況でしょう。でも、どうにでもとれますね。(鈴木)
★青春性と麦が合いすぎているような気がする。さっきのそばえはよく合っていたんだけど。
   (慧子)
★うーん、私は麦を青春性とは思わないですね。むしろ、中年男の純情。だから、恋している自分
 にはかすかに麦苅りという労働に対する引け目がある。(鹿取)
★これ、春一番から季節的には移ってきていますよね。長い間に作った歌をまとめたんでしょうか。
   (鈴木)
★麦の刈り取りは初夏ですよね。だから薄着になって今まで隠れていた胸が現れた。(M・S)
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渡辺松男の一首鑑賞  362

2021-11-23 17:06:32 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


362 ぶな若葉風のきみどりさんさんとふいに誰かを抱きたき日照雨(そばえ)

    (レポート)
 「誰か」と詠っているが、私は特定の君のような気がする。山毛欅の若葉にふりそそぐ陽光が、葉のうすみどりを透かしている。ふいの日照雨に、ある人を抱きたくなる情動が美しい。(真帆)


     (当日意見)
★誰かって特定の人ではないですね。(曽我)
★ある人って書いてあるけど、私は特定の人と思ったのです。(真帆)
★ぶな林の中にあっての思いだから、逆に決めたくはない気がします。特定の君だと言い過ぎとい
 う気がする。(鈴木)
★ここは私も気分的に不特定な誰かって考えたい。(鹿取)
★そばえがここの気分にとても合っていますね。(慧子)
★濃厚な感じじゃないですね。特定しない方が歌に広がりが出る。(鈴木)
★ぶな若葉に風が吹いてお日様がさして作者は開放的な気分を味わっていたと思うんです。そこへ
 にわか雨でしょう、ちょっと薄暗くなって少し人恋しさを感じたということかな。(M・S)
★日照雨だから、きらめきながら降っている。こそにふっと兆した人恋しさ。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  361

2021-11-22 17:31:09 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


361 槻・榎・椋の順序で芽吹けりと他愛なきこと吾はひとに告ぐ

    (レポート)
 「ケヤキ・エノキ・ムク」と指しながら、春の芽吹きの順を想う人に告げている場面だろう。山なのか林か森か、作者のよく知っている場で、人で言えば兄弟・姉妹か教え子など情の通いあう人のように樹々を観ている作者。自分の悦びは人に告げたくなるのだ。(真帆)


    (当日意見)
★「槻」はけやきの事ですけど、音数からいうとここは「ツキ」と読ませるのだと思います。
 「ツキ・エノキ」で5音ですから。(鹿取)
★ひとって誰ですか?(曽我)
★やはり君、恋人ではないでしょうか。(真帆)
★「他愛なきこと」って言っているけど、〈われ〉にとっては大切なことで、木々の芽吹きの順を
 楽しみながら観察していて、だから大事な人にそれを告げるのです。それこそ木の傍をただ通り
 すぎる人にはどうでもいいような事だけど。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  360

2021-11-21 15:09:14 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究43(2016年10月実施)  『寒気氾濫』(1997年)
    【半眼】P146~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


360 再会の山毛欅の樹幹を抱くときのその悦びのぐぐぐぐと春

     (レポート)
 渡辺松男歌の魅力は、情動を歪めず一首に気分をのせられるところだと思う。読者はそこをたのしめる。「ぐぐぐぐ」というオノマトペで、悦びがだんだんと実感として迫ってくる様が表現されている。視角的にも「ぐ」を重ねてたのしい。「再会」に心情が込められている。(真帆)


     (当日意見)
★別に山毛欅でいいけど、まあ恋人との二重写しになっているんでしょうね。作者は山毛欅だけと
 とってほしいのかしら。(鹿取)
★あくまで山毛欅に再会できた喜びじゃないですか。違う?(真帆)
★真帆さんの解釈はいいと思いますよ。(鹿取)
★一連を読んでいくと人との再会だから、ダブって読んでもいいと思います。誰かを抱きたきとか
 も出てきましたから。ただ、松男さんは木が好きだから、うまく言葉が斡旋されている。あんま
 り人を前面に出してもあれだし、批評を書くのが難しいですね。(鈴木)
★私はどちらかというと、この歌は山毛欅のことだけと採りたい気分なのですが、素肌、白蓮の下
 で待つ、うつそみを恋うの後に置かれた歌だと思うと、どうしても恋人に会えた喜びを重ねて読
 むことになってしまいます。(鹿取)
★でも、「ぐぐぐぐ」って松男さんしか使えないですね。(鈴木)
★素敵ですね、気分が出ていますよね。(鹿取)
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