かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の歌の鑑賞 138,139

2022-10-01 11:26:20 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の18(2018年12月実施)
     Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P93~
     参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


138 生を鈍き音たてながら行く父よごんずいごんずいごんずいの花

     (当日意見)
★ごんずいの花は地味だけど、赤い実がなりますね。(慧子)
★北原白秋の歌にありましたね。(A・K)
★父親を見ている作者の目もちゃんとあって、ごつごつしながらも生きる父への情があって
 いい歌だと思います。(A・K)
★ごんずいはウツギ科の花だそうです。この歌、よくわからないけどリズムが面白くて好き
 な歌です。生を鈍き音をたてながらいくお父さんというのは象徴的で、資本主義にべった
 り組み込まれているお父さんというのとはやっぱり違う、何かそこに隙間があって、だか
 ら摩擦を起こして鈍い音を立てている。前の歌(どっぷんどっぷん自動車流るおとことし
 てのみ込めぬものばかり流るる)の流れる自動車も、同じ象徴の手法なんだろうと思いま
 す。(鹿取)


139 父の精たりし以前のわが在処 北京原人は彗星見上ぐ

       (レポート)
 わたしたちであれ、わたくしであれ、どこから来てどこにゆくのかという究極の問いがある。作者は父の精のその前のもっともっとはるかへさかのぼろうとしていよう。一時空けになて、下の句に北京原人、彗星、見上ぐとして、太古のある場をしめし、上の句の在処と関連付けて読めるだろう。それにしても作者はどこまでも楽しく素敵だ。(慧子)


       (当日意見)
★どうして北京原人が出てくるのか、よくわからないのです。(T・S)
★お父さんの精子の中に存在した自分、それをもっと遡っていったら北京原人にも行き着く
 んですね。(鹿取)
★そしたらなぜその北京原人が彗星を見上げているのかがわからない。(T・S)
★彗星って何十年に一度か地球を周回していますけど、北京原人にそんな知識はありませ
 んから、尻尾ひいて大きな光が横切っていったら、本能的に不吉な感じがして怖いのでし
 ょうね。(鹿取)
★これはすばらしいと思った。ここまで飛べない。上の句はいきものの生の根源にいた自
 分です。北京原人は彗星が走ったとき、何かが起こったと思ったわけですよ。存在の根源
 のところで何かを感じた。これが渡辺松男だと思う。(A・K)
★下の句はいえる歌人がいるかもしれないけど、上の句からつなげられる人はいないと思
 います。父の精って何か静謐で哲学的で思索的ですごいですね。(鹿取)
★母の卵、だったらいやらしくなりますけどね。(A・K)


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