かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 270、271 韓国②

2024-06-18 13:33:17 | 短歌の鑑賞
 ※今日の2つめの投稿です。

 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
    【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
        藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
                  

270 韓(から)にして日本はにがきにがき国帰り来ていかに何を語らむ

    (レポート)
 大意としては、「韓国にとっては日本はあるいは日本人としては(罪悪感で)日本は不愉快な国と思った。その思いはあまりに複雑なので土産話に困る」というあたりであろう。「韓にとっては」と解すべきではあるが「帰り来て」という句があるために「韓にいたときに」とも読める。「いかに」「何を」という疑問詞をふたつかさねているが、これは何かを話したいが何から話していいか分からないもどかしさを伝えている。その内容は曰く言い難い「にがきにがき」と書かざるを得ないような感情である。
   (実之)


     (当日発言)
★一つ前の269番歌(白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ)に書い
 た『南島』あとがきに尽きています。特に最後の「妖しいまでの淡彩の優美な景の川
 に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみを感じていた」と。
 佐々木さんはそれを曰く言い難いと表現されましたが。だから、自分が味わっていた
 苦い感情を、心用意のない人に向けてはとても語ることができなかったのでしょう。
    (鹿取)
 

271 くねりつつテレビにうたふものはゐてわが帰り来し日本文化圏

     (レポート)
 現在、韓国のアイドルグループである「KARA」や「少女時代」などは日本の歌手よりもくねっているが、この時代に韓国であまりくねっていなかったのであろう。「にがき国」ではテレビでくねりながら歌っているのである。その場所を「日本文化圏」と呼ぶことで、諸々の両国の文化の差を想起させることに成功している。(実之)


    (当日発言)
★馬場あき子の韓国の旅は、1987年11月です。ほぼ四半世紀前ですね。(鹿取)
※この発言をしているのは2011年1月のことなので四半世紀と言っているが、現在
 からすると37年前になる。                                   
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馬場あき子の外国詠 269追加版 韓国②

2024-06-18 13:04:36 | 短歌の鑑賞
 ※昨日の投稿の追加版です。後ほど、今日の分をアップします。

追加版 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
    【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
        藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
                  
                                   
269 白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ

      (レポート)
 普通「美しい」ものを「美し」と詠んでは、おもしろくない。この一連は白村江の戦を詠んでいる。そして「我」が白村江古戦場に旅したという設定である。しかしながら白馬江は白村江の戦以前から流れていて、その戦の後も今にいたり美しく流れている。白村江も日清戦争以来の日本の諸々も朝鮮戦争をも放下して「うたた」と呼び、大自然の美しさを、「美しすぎて」といいきってしまっているところが潔く心地いい。
    (実之)


      (当日発言)
★「うたた」は「程度がはなはだしくなる様。ますます。いよいよ。」の意味。人間の
 誕生以前から在り、国家間の戦争や憎しみなどを超えたところで悠然と美しく流れて
 いる白馬江を「うたた」やさしむのである。「やさし」の原義は「こちらの身が痩せ
 細るような思いだ、恥ずかしい」なのだが、この「やさしむ」をどう解釈したらよい
 のかむずかしい。やはり悠久の白馬江の美しさを褒め称えているのであろう。
   (鹿取)
 

       (後日意見)
 『南島』あとがきにこんな一節があります。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみを感じていた」(鹿取)
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