かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 101

2023-08-24 14:08:55 | 短歌の鑑賞
 2023年版渡辺松男研究⑫ 【愁嘆声】(14年2月)まとめ
      『寒気氾濫』(1997年)44頁~
     参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

101 引き抜けば天に草根ひかりたり登校拒否児笑みしならずや

   (レポート)
 しっかりと根を張っている草を抜いた。力を入れていたであろうから、抜けるはずみに尻餅をついたと想像する。その様子を「登校拒否児」は笑ったではないかとの歌意。「草根ひかりたり」と「登校拒否児笑みしならずや」が「天」のもとのこととして包み込まれている。平素見えていないもの「草根」と精神的に躓いて弱者に見えるかも知れない「登校拒否児」そういう2つがひびきあう。(慧子)

      (意見)
 雑草は地中に根を下ろして収まるべきところに収まり、成長していくのである。ところが、たまたま抜いた草の根が空をバックに光り輝いて、それは、まるで登校拒否児が学校の教室のしがらみから解放された一瞬の笑みのように、作者には思えて、下句が生まれたのだ。義務教育として初めて経験する集団生活、その枠組みになじめない感覚は、登校拒否児に限らず、多かれ少なかれ感じるものである。それは作者の実感でもあるだろう。(鈴木)

     (当日意見)
★私の意見は草を抜いている所へ登校拒否児が来合わせた者として考えているが鈴木さ
 んは違う。鈴木さんの解釈だと登校拒否児は、この場面にはいないのね。(慧子)
★そうですね。鈴木さんの意見は、光る草の根から登校拒否児を連想している訳ですよ
 ね。でも気分的には慧子さんと同じところに落ち着いていますよね。私もその点には
 同感です。ただ場面としては〈われ〉と登校拒否児は一緒にいて草を抜いていた、た
 またま引きにくい草を引いたときひっくり返るか何かして根っこが天を向いた、それ
 を見て日頃学校を嫌がって鬱々としている登校拒否児が面白がってきゃっきゃと笑っ
 た。慧子さんはたまたま登校拒否児が来合わせたとおっしゃったけど、私は登校拒否
 児しばしば出てくるので〈われ〉の子供と考えてよいと思います。もちろん、歌の上
 での設定ということで、事実関係は問題ではないです。日頃その子のことを心配して
 いて、だからこの場面で笑ったことにほっとしたんだろうと。草の根が天に向かって
 光っているという情景に明るい気分が投影されていると思います。(鹿取)

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