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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 26 アフリカ②

2025-06-06 12:33:31 | 短歌の鑑賞

  馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:藤本満須子          司会とまとめ:鹿取未放

 
 26 日本人の味がする手を舐めてゐし山羊を叱れり遊牧少年

            (まとめ)
 「日本人の味がする手」には意表をつかれる。山羊は現地人だ日本人だ西洋人だと、かぎ分けて舐めているのではないだろうが、確かにそれぞれ味は違うだろう。食べ物によっても労働の種類によっても手の味は違ってくるであろうが、「日本人の味がする手」と言われると何か秘密を覗いたような気もする。山羊を叱った遊牧少年も、そんな秘密の臭いを感じ取ったのだろうか。レポーターがいうように「埋めがたい距離」がどうしようもなく存在する。そんな言い難い感じを、下の句では事実だけを描写して読者に伝えようとしている。(鹿取)

          
           (レポート)
 16番歌(ベルベル族の少年は砂漠に手を広げ友よと言ひてなよるならずや)で少年を詠んでいるが、この歌では山羊がいて、少年がいる。上の句では作者が山羊に近寄り手を山羊になめさせている。その山羊を少年が叱ったというのである。手を介在しながら作者と少年の距離、日本人(東洋人)とサハラの先住民であるベルベル族の少年、その埋めがたい距離をかいまみたのであろうか。結句の「遊牧少年」と名詞止めでうたったところにこの歌の眼目があり、山羊を通して、その少年をじっと見つめている、よく見ている作者がいる。(藤本)

 


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