かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 130

2022-08-28 11:54:40 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


130 わずかばかりのさみしさは地へ花片散りサラリーマンは日々減塩す

     (当日意見)
★地へ花弁が散るのと、日々減塩するのと、何を言おうとしているのかな。塩が減るって自
 分の存在が減っていくことなのかな。花が散るようにサラリーマンは自分の存在が消され
 ていくというか薄くなっていく。歌意の取り方ですが、どうとったら渡辺さんの言いたい
 ことになるのかなと。(A・K)     
★普通の意味合いで、健康を保つために減塩しているんじゃないですか。「地へ花弁散り」
 は実景(まあ実景で無くても実景という設定)、そして「サラリーマンは日々減塩す」に
 繋がる。日々減塩にいそしむのは「わずかばかりのさみしさ」を伴う。桜が咲き終わって
 地に散ってゆくのもさみしいこと。「わずかばかりのさみしさは」と二句目の途中で叙述
 が一旦止まって、でも気分的には下に繋がっていくのかな。こういう叙述を一旦停止する
 言い方を松男さんはたいへんよくされます。しかもこの二句目は「さみしさは・地へ」と
 句割れになっていて、三句目「花片散り」に繋がる屈折したリズムを作っています。
  昨日、たまたま坂井修一さんの『鑑賞・現代短歌七 塚本邦雄』(本阿弥書店)を読ん
 でいたのですが、ちょっと似た造りなので挙げてみます。『日本人靈歌』のなかの「突風
 に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼」についてです。(鹿取)
   この歌は、二句切れである。二句目は、連用形で叙述未了のまま終わっているが、こ
  こで読点(とうてん)がついている。このように、活用の上では切れを作らず、読点に
  よって、あるいは意味内容をもって、切れてゆくことで、上句と下句の照応に異様なも
  のや鋭いものを持たせようとしている。(後略)
★さみしさを具象化したものが散る花弁なんでしょうね。日々減塩するのは現実的なことだ
 と思いますが、A・Kさんがおっしゃった身が削られていくような思いというのも、作者
 が意識的か無意識かわかりませんが投影されているのかもしれません。A・Kさんのはそ
 ういう意味で深い読みだと思いました。現実と心象が入り乱れているというか、並列で一
 緒に存在している。(K・O)
コメント
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