かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 111

2022-08-09 11:37:03 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の15(2018年9月実施)
    【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


111 ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん試験管立てに試験管がない

      (レポート)
 不妊治療のための試みが失敗したらしい。もう居ないものの声によって非在を確認している。その時の「ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん」というこの世への執着をまだ持たないであろうものの幼いけれど実に涼しい物言いが不思議で哀切で宇宙的な感じさえする。歌に限らず文学の中に非在者のような胸を打つ物言いをほかにしらない。(慧子)


       (当日意見)
★試験管ベイビーのことかなあ?この一連読んで思ったんだけど、子どもの視線で歌うのが
 こういう一連を歌いやすかったんだろうなって。これはわれの不在なのか非在なのか?非
 在なんだと思ったの。不在は社会的だけど非在はもっと根源的なもの。詠みたい非在とい
 うものが子どもの視点でスーと出たのかなあと。試験管立てに試験管がないというのは
 〈われ〉の非在を詠っている
 ので、それはものすごいこと。最初から存在しないものだということを言っているのかし
 ら。(A・K)
★少し飛躍しますが、芥川龍之介の小説に、生まれるかどうか選択できる話があってお父さ
 んがお腹の中の子どもに「おーい、生まれたいか?」って聞くんです、確か。胎児が自分
 で生まれる、生まれないを選択出来るんですよ。小学生の時読んで、ものすごく怖かっ
 た。もし、生まれないって選択したら、その時お父さんに「生まれたくない」って応えた
 胎児の一瞬というのは命なんだろうか、その命の記憶はどこにいくんだろうって。もち
 ん、その時は子どもだから言語化できなかったんだけど、永遠に非在のものの一瞬の記憶
 ってどうなるんだろうって。松男さんのこの歌読んで、何か共通性を感じました。
   (鹿取)
★この歌の「ぼく」は試験管の中にかつてあった受精卵だと思うんだけど、不妊治療に失敗
 したらその「ぼく」でさえ存在できないので、他の子が生まれたんでもう不要になった受
 精卵かもしれない。もともとぼくはまだ生まれていないわけで、命ではなかったし、もち
 ろん科学的には意識もありえないんだけど、ぼくが居なくなったことを意識だけが残って
 意識している、という設定。(鹿取)
★はい、かつてものすごく小さなものとして試験管立てにあったものは捨てられてしまっ
 た。命ともいえないあったものが記憶力をもって言っている感じですよね。渡辺松男とい
 う人は必ず何かメッセージを込めているんでしょうか?(A・K)
★誰でもそうだけど、一首作るときに何かは言いたいんでしょうね、ただ、こうこうこうい
 うメッセージと作者にも明確には意識できないこともあるのでしょうね。これも誰でもそ
 うだけど。でも説明しろって言われたら作者にだってできない場合はけっこうあると思
 います。(鹿取)
★体は無いんだけど魂としてのぼくは存在している。受精はしたけど生まれなかったものの
 悲哀かなあと。「試験管立てに試験管がない」って言っただけで命が生まれずに捨てられ
 るって分かるし、巧みだなあと思います。ダイアルを回して丁度のところに年齢を設定し
 ている。あざといのではないけど巧み。(真帆)
★メッセージについてですけど、あまり明確ではつまらないですよね。例えばこの歌だと生
 まれる前の受精卵にも魂はあるんだよって言いたいというと社会的な狭い主張になってて
 つまらないですよね。もっともやもやがある。亡くなった人の魂を身近に感じることはあ
 るけど、生まれる前の魂というか言葉をこんなにリアルな手触りでなまなまと伝えた歌っ
 て松男さん以外にはないんじゃないかなって思います。(鹿取)
★ぼくはもう少しで生まれそうだったけど捨てられて、でもずーとお母さんの子どもとして
 あるということですかね。(真帆)
★わざわざお母さんと呼びかけているからには、そこに何らかの情を生まれさせているので
 しょうね。一方にはこの作者の追求癖があるんじゃないですか、この歌も生まれる前の命
 を遡っている。お母さんの亡くなった歌でもどこまでがお母さんか、命かって執拗に追求
 した歌群がありましたよね。耳として木に生えたり、浮遊細菌として空気中を漂っていた
 り。あまり事実関係で歌を読みたくないのですが、松男さんは若いときにお母さんを亡く
 されているので、リアルタイムでの挽歌はありません。だからお母さんを諦めきれない思
 いももちろんあるんでしょうけど、とても観念的な追求癖を感じます。宮沢賢治の妹が亡
 くなったときの挽歌群にも似たような追求癖を感じましたが。(鹿取)
★命って数学の答えのように明確なものではなくて、もっとあいまいなものだよって。いく
 ら追求しても混沌としているって。上句は茫漠とした宇宙みたいで、下句は「試験管立て
 に試験管がない」って理科の実験室のようだけど、その落差が凄い。突き詰めていく作家
 姿勢でいっても明確な答えは無いって事ですか。(A・K)
★答えをみつけようとも思っていないんじゃないかなあ。(鹿取)
★最初はレポーターの哀切というのに共感していたのですが、今皆さんのおっしゃっている
 のを聞いていて、もっと複雑な思いなんだなあと分かりました。(岡東)


コメント
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