
11時過ぎ、ペンダントハットに戻る。既にI村さんは着いていおり、部屋で寝そべっていた。
ここで昼食とする。「朝食」が深夜1:30だったので、かなり空腹。
コース中で、ゼリー飲料を2回、補給したのだけれど。
トーストを自分で焼き、ソーセージ、ゆで玉子、大豆のトマト煮、
甘いコーヒーを胃袋に流し込む。

12:30、下山開始。ひたすら下り続け、16:15、PHQに無事到着。
14時間近い行動時間であった。
今日は、3272mから4095mに登り、そこから岩場を経て1825mまで
下りてきたことになる。足の裏はジンジンし、膝まわりの筋肉が痛む。
Y井氏が途中で1度バランスを崩し、左手親指を打撲した以外は
大きな怪我もなかった。
I村さんは、とうとう荷物を全部、現地ガイドに持ってもらっていたが、
彼なりに実力を出し切ったと思う。
いずれにせよ、Mr.Dash、ともちゃん以外の5名は、今回が人生における
最高所記録を更新し、初の4000mの世界を経験したことになる。
60歳を超えての挑戦だったO坂さん、一度は膝を壊し、地道なリハビリを
経てここまで復活をとげたHがしさん、結婚前に見事な冒険を果たしたY井氏、
初孫ができて間がなく、登山の準備がほとんどできなかったふみちゃん、
そして体力面の不安があったI村氏、皆それぞれに記憶に残る山行であったことだろう。
PHQまでは、2台の車に分乗した。リムさんが出迎えてくれた。
同行ガイドのClauduisとWillfredとは、PHQで写真でも撮って、
お礼を述べようと思っていたのに、車に分乗したのがアダとなって、
彼らはさっさと姿を消してしまっていた。
しかし、若いのに、こちらの疲れたメンバーを気遣い、本当によくやってくれた。
彼らは明日も、別のお客さんを連れて登るという。
向こうは日常のひとコマであり、こちらの感動とはギャップがあるのだろう。
コタキナバルへの帰路、一刻も早く風呂に入って、腹を満たして、寝たいのだが、
リムさんは厚意で土産物店などを回ってくれる。
水上デッキの、中華料理の店でマレーシア民踊を観ながら夕食となったが、
疲れすぎて皆、あまり食欲が湧かなかった。
河内音頭マニアのO坂さんが、ステージで現地の踊りの輪に参加したのは
元気としかいいようがない。
22:00頃 コタキナバルのメリティアンホテルにようやく着いた。
リムさんから預かっていた、登頂証明書と、ヴィア・フェラータの踏破証明書を
メンバーに配った。

部屋に戻り、シャワーを浴び、部屋に備え付けの高いビールをあおったら、
もう起きていられない。20時間以上起きていた、長い長い一日だった。
泥のように眠った。
5月2日(日)。
今回の旅行の最終日。夕方に迎えの車がホテルにやっているまでは自由時間だ。
両足がパンパンに張って痛いが、各自、当地のスーパーマーケットに繰り出す。
生活用品が最も楽しく、お土産にしても安いのである。

日本語パッケージの商品が意外に多い。ラーメンやコーヒー等を買い歩く。
町並みや商品が珍しく、Y井氏は、このミニ観光だけで120枚以上の写真を
撮ったそうだ。

海辺を歩いていると、傾いて沈みかけた漁船に出くわした。

魚市場を経て、ハンドクラフトの小さい店がせせこましく詰め込まれた
掘っ立て小屋に入った。ともちゃんの好きな民芸品がたくさん置いてある。
ここは風通しがなく、あまりに暑くてMr.Dashは典型的な熱射病寸前となり、
ぼーっとしながら、なんとかホテルに戻って水分を補給した。
着いてきてくれたY井氏は、ビールを本当に美味そうに飲んだ。
こちらはアルコールは逆効果なので、ジンジャーエールだ。
女性陣は、このクソ暑い中、ショッピングに夢中。
皆、両手に大きなビニール袋を提げて帰ってきた。生命力の違いを感じた。
16:30、送迎車が到着。コタキナバル空港へ。
途中、日本企業の看板も見かけた。

この会社の看板は、アフリカでも見たし、
パプアニューギニアでは食事に入った店のオーディオがこの会社の製品だった。
あとは予定通り、長いフライトである。
19:15 コタキナバル発 マレーシア航空MH-2631便でクアラルンプールへ。
23:45 クアラルンプール発のマレーシア航空MH-52便で関空へ。機中泊。
そして翌朝7:15、無事に関空に到着した。
費用削減もあり、駆け足の山旅だったが、成果は上々。
山岳部創設50周年行事の第1弾にふさわしい記念すべき山行であった。
ここで昼食とする。「朝食」が深夜1:30だったので、かなり空腹。
コース中で、ゼリー飲料を2回、補給したのだけれど。
トーストを自分で焼き、ソーセージ、ゆで玉子、大豆のトマト煮、
甘いコーヒーを胃袋に流し込む。

12:30、下山開始。ひたすら下り続け、16:15、PHQに無事到着。
14時間近い行動時間であった。
今日は、3272mから4095mに登り、そこから岩場を経て1825mまで
下りてきたことになる。足の裏はジンジンし、膝まわりの筋肉が痛む。
Y井氏が途中で1度バランスを崩し、左手親指を打撲した以外は
大きな怪我もなかった。
I村さんは、とうとう荷物を全部、現地ガイドに持ってもらっていたが、
彼なりに実力を出し切ったと思う。
いずれにせよ、Mr.Dash、ともちゃん以外の5名は、今回が人生における
最高所記録を更新し、初の4000mの世界を経験したことになる。
60歳を超えての挑戦だったO坂さん、一度は膝を壊し、地道なリハビリを
経てここまで復活をとげたHがしさん、結婚前に見事な冒険を果たしたY井氏、
初孫ができて間がなく、登山の準備がほとんどできなかったふみちゃん、
そして体力面の不安があったI村氏、皆それぞれに記憶に残る山行であったことだろう。
PHQまでは、2台の車に分乗した。リムさんが出迎えてくれた。
同行ガイドのClauduisとWillfredとは、PHQで写真でも撮って、
お礼を述べようと思っていたのに、車に分乗したのがアダとなって、
彼らはさっさと姿を消してしまっていた。
しかし、若いのに、こちらの疲れたメンバーを気遣い、本当によくやってくれた。
彼らは明日も、別のお客さんを連れて登るという。
向こうは日常のひとコマであり、こちらの感動とはギャップがあるのだろう。
コタキナバルへの帰路、一刻も早く風呂に入って、腹を満たして、寝たいのだが、
リムさんは厚意で土産物店などを回ってくれる。
水上デッキの、中華料理の店でマレーシア民踊を観ながら夕食となったが、
疲れすぎて皆、あまり食欲が湧かなかった。
河内音頭マニアのO坂さんが、ステージで現地の踊りの輪に参加したのは
元気としかいいようがない。
22:00頃 コタキナバルのメリティアンホテルにようやく着いた。
リムさんから預かっていた、登頂証明書と、ヴィア・フェラータの踏破証明書を
メンバーに配った。

部屋に戻り、シャワーを浴び、部屋に備え付けの高いビールをあおったら、
もう起きていられない。20時間以上起きていた、長い長い一日だった。
泥のように眠った。
5月2日(日)。
今回の旅行の最終日。夕方に迎えの車がホテルにやっているまでは自由時間だ。
両足がパンパンに張って痛いが、各自、当地のスーパーマーケットに繰り出す。
生活用品が最も楽しく、お土産にしても安いのである。

日本語パッケージの商品が意外に多い。ラーメンやコーヒー等を買い歩く。
町並みや商品が珍しく、Y井氏は、このミニ観光だけで120枚以上の写真を
撮ったそうだ。

海辺を歩いていると、傾いて沈みかけた漁船に出くわした。

魚市場を経て、ハンドクラフトの小さい店がせせこましく詰め込まれた
掘っ立て小屋に入った。ともちゃんの好きな民芸品がたくさん置いてある。
ここは風通しがなく、あまりに暑くてMr.Dashは典型的な熱射病寸前となり、
ぼーっとしながら、なんとかホテルに戻って水分を補給した。
着いてきてくれたY井氏は、ビールを本当に美味そうに飲んだ。
こちらはアルコールは逆効果なので、ジンジャーエールだ。
女性陣は、このクソ暑い中、ショッピングに夢中。
皆、両手に大きなビニール袋を提げて帰ってきた。生命力の違いを感じた。
16:30、送迎車が到着。コタキナバル空港へ。
途中、日本企業の看板も見かけた。

この会社の看板は、アフリカでも見たし、
パプアニューギニアでは食事に入った店のオーディオがこの会社の製品だった。
あとは予定通り、長いフライトである。
19:15 コタキナバル発 マレーシア航空MH-2631便でクアラルンプールへ。
23:45 クアラルンプール発のマレーシア航空MH-52便で関空へ。機中泊。
そして翌朝7:15、無事に関空に到着した。
費用削減もあり、駆け足の山旅だったが、成果は上々。
山岳部創設50周年行事の第1弾にふさわしい記念すべき山行であった。