Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(19)/夏の甲子園埼玉大会に向けた厳しい練習

2007-10-18 01:48:48 | 応援団シリーズ化記事
第63代の幹部選挙も終わり、T先輩を団長として守り立て、伝統を良い意味で受け継いで、益々応援指導部の発展に向けた努力を積んでいかねばなりません。
そのためには、代が新しくなっても、歩みを止めるわけにはいきません。

幹部選挙が行われた翌日に『第32回 六旗の下に』を日比谷公会堂で観覧し、小生達1年生にとっては、メジャーな存在の東京六大学応援団の技量の高さをはじめ、見るもの全てに驚愕しながらも、「あそこまで極めたいな…」と、モチベーションの高さには充分繋がり、意義は大きかったように今でも感じています。

ですが、その有意義な気持ちにどっぷり浸かったままでは、先輩方が丹念に築かれた重みある伝統を守ることもできなければ、進化することもできません。

せっかく『六旗の下に』を観覧したのですから、それを何とか普段の練習に活かしたいと思いながら、月曜日から始まった練習に臨んだことを昨日のことのように思い出しています。

63代の幹部では、O先輩を中心に練習スケジュールやメニューが組まれて行われましたが、練習の厳しさは、相変わらずでした

ただ、論点は的を射抜いているので説得力はいつもあるのですが、どちらかといえば「のんびり」お話をなさるO先輩でしたから、そういった意味では、練習風景も最初はしっくり来ないですし、罵声が飛ぶというような厳しさがなかった分だけ、新幹部早々の序盤は、迫力に欠ける感があったことは、率直な感想としてありましたね…。

新幹部になっての直近の目標は、『全国高校野球選手権大会 埼玉大会』の「野球応援」です

そのため、『臙脂の集い』直前ではカットされた体力強化が目的の「ハード練習」も復活したルーチンの練習に戻り、より一層夏の暑さに負けない体力と気力を養うことを中心に、メニューが組まれたことを記憶しています。

練習の開始前と終了時の「集合」の円が、1学年5人減った分だけ小さくなり寂しくはなりましたが、2年生幹部の先輩お一人お一人の向こう1年間に賭ける思いみたいなものを、「集合時のご指導」の論調から感じ、身が引き締まった気がしたことも、鮮明に覚えています。

そして、団長に就任されたT先輩の最初の「集合の“締め”のお言葉」も、新鮮味と内に秘めた熱い思いが篭っていた内容だったように記憶しています。

小生達1年生にも、今度は4月に新1年生を迎え入れるために、ただ「がむしゃら」に食らいつくだけでなく、今度は個人ベースの技量アップも念頭におかねばなりません。

それぞれがそれぞれに目標を置かねば、「ただ練習にいるだけ…」になってしまいます。これでは、ダメですよね…。

小生には、県内の野球の強豪校へ進んだ53番と「球場で再会する」ということと、内に秘めた思いとして「やっぱり忘れられないTSさんに振り向いてもらえるように、自分を磨くんだ」という2つの目標がありましたので、これを拠り所に普段は頑張っていたと思います

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ところで、他の部活動に属するクラスメイトは、中間テストや期末テストの1週間前は「テスト勉強期間」として部活動が「休み」に入りますが、小生達の応援指導部は、『臙脂の集い』と、『夏の野球応援』がちょうどテスト前と重なっていたため、大きな行事前に練習をカットするわけには行かず、1学期は絶えず練習をしていた記憶があります。

後述しますが、その練習のあまりの厳しさに、帰宅してもくたくたで、翌日の練習に体調を整えて臨むために、勉強などそっちのけで、食事を済ませて入浴し、ただ寝るだけの生活が続きました
授業中も居眠りしてしまうこともあって、テストは散々な結果でしたね

でも、応援指導部に理解ある、現在は大学の教壇に立つ、英語担当の小野田 榮 先生(NHK教育テレビの、英語の講座の講師を担当されたこともある先生です)は、テストの成績が悪い小生に補習や追試験を課しますが、成績が悪いからといって目の敵にされることはなく、むしろ…

「俺、援部(応援指導部の略称)好きだからなぁ~…じゃあ、Dancho

といっては、質問に答えられないことが分かっていても授業中に小生を指名して答えさせるなど、決して見捨てることはなさらなかった、とても温かみのある先生でした
ある意味、応援指導部に属していたからこそ、小生は先生に目をかけられ、得をしていたかもしれません
通知表の成績も、「大目」に見てくれた評価でしたし…。
(先生とは、今でも年賀状での相互のご挨拶は卒業後欠かしたことはありませんし、いつかはグラス片手に語りたいと思っていますね。感謝しています。)

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話を元に戻しますが、新幹部になってから、他の部が「テスト休み」期間中も含めて厳しい練習を1ヶ月弱ほどこなしてから、実は引退なさった3年生が、この『夏の野球応援』と、後にお話しする、9月の他校(主に、県立の女子高)の文化祭に出演以来を受けた場合に発生する行事である『他校招待』の、2つの行事の時だけは「復帰」されます。

他の部が「テスト休み」期間が明けてすぐの「テク」の練習には、3年生も本格的に参加され、また3学年合同の「厳しい練習」が復活するのです

特に小生達1年生は、これが実質的な野球応援の「デビュー」となりますから、猛暑の中での応援でも体力負けすることがないように、「暑さ対策」として、冬場に練習で身に着ける全員おそろいの臙脂に近い赤色のトレーナーの上に、体育の武道の授業が柔道でしたので、柔道着の上着を2,3着重ね着して、球場を駆けずり回ることを想定して、絶えず腕のみは「実践隊形」で構え、足の動きと、ご来場頂いた観客に「応援指導」するために声を出すことだけは止めないという練習を行います

野球応援は、夏であっても黒の学ランを身に着けて行うわけですから、必要かつ重要な練習ですが、本当に汗だくになりながらの練習でしたから、普段以上に厳しかったですね…。
「熱中症」が問題となっている現在では、あまり考えられない様な無茶な練習内容でしたが…、今となっては良い思い出です

そして、そんな練習を乗り切って、我が春日部高校の、夏の甲子園に向けた戦いが始まるのでした…。

次回は、3年生が復帰した、昭和60年度の夏の野球応援について、思い出せる範囲で、観戦記を綴る感じでお届けしたいと思います。
あわせて、顧問のM先生の「熱血漢」ぶりや「野球応援への思い入れ」も、ちょっと紹介したいと思います。

その後は、真夏の夏合宿も含めた練習について数回に分けてご紹介していきましょう

どうぞお楽しみに

追記

途中述べた「臙脂に近い赤色の全員お揃いのトレーナー」は、『臙脂の集い』の舞台を経験した応援指導部の1年生全員に、1年生の人数分をスポーツ店に先輩が特注でオーダーし(ただし、1年生部員が実費を支払います)、胸には白文字の筆記体で「Kasukabe」と切り抜かれた大きなアップリケが貼られ、左腕には「応援指導部 “Dancho”(実際は、小生の本名の姓の部分)」と刺繍されたものを、先輩から「これからも頑張れよ」という意味で、貰い受けます
いわば、「練習用のユニフォーム」で、初めて身に着けたときは嬉しかったですね

(次回に続く)

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