Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

気になる『2つのことば』

2007-10-19 00:00:00 | その他の応援団関連
今日はちょっと『入魂』の記事をエントリーしたいと思います。

8月31日に、明治大学応援團に関する『暗い影』という記事をエントリーしました。

その後、現在までに、調査結果がほぼまとまりつつあり、紫紺の八木崎健児先輩のご尽力と、拙ブログのコメント欄に、先輩が2度にわたりお寄せ下さった『調査報告』により、進展している状況にあります。明治大学応援團のホームページでも、「詳細については追って御連絡致します。」とコメントが掲載されるまでに、徐々にですが、状況は良い方向に向かっていっているように思います。

なので、それを信じて待ち、もう暫くお時間を頂戴し、先輩のこれまでの調査結果報告(最終報告もあるかもしれませんが…)をじっくり拝読し、反芻してから改めて本件は小生なりの思いを記事にするつもりでいます。
その参考となる、大変貴重なコメントを頂戴した、紫紺の某OBさん、現役の慶應義塾大学應援指導部リーダー部員である黒太郎さんにも、改めて感謝を申し上げたいと思います

そんな中、『暗い影』の記事のコメント欄に、明治大学ではありませんが、東京六大学に属する、某大学の応援団に所属しながら途中退部されたごんぞーさんから、胸が一杯になるコメントを頂戴しました。

それを先ずは全文を引用して、改めて紹介させていただきます。

*************************************

はじめまして。私は学生時代に六大学のひとつ某大応援部(明治ではありません)を途中退部した者です。
私はもともといわゆる応援団らしい(と思われている)タイプの男ではなく、体力もなくどちらかというと軟弱でおとなしいタイプの人間でした。しかし、入学後ぶらぶらしていたときにたまたま見た「六旗の下に」でしびれるほど感動し、自分もやってみたいと思い、でもこんな自分でも大丈夫だろうかと恐る恐るながらも自ら応援団の扉を叩いた変わり者(?)です。(当時は軟派なテニス・スキーサークルが雨後の筍のように現れていた時代でした)
にもかかわらず私が結果的に途中退部したのは、リーダーとして厳しい練習を続けてきたにもかかわらず、体力的にも精神的にもどうしても他の同級の仲間とは見劣りするような感じが自分でぬぐえず、このままでは上級生として下級生の指導をする自信が持てない、上級生になる資格がないと思ったからでした。当時退部の際には他の部員の仲間が何度も説得にかけつけてくれましたが、それはいやがる部員を強引に引き止めるというものでは決してなく、厳しくも楽しく貴重な経験を一緒に積んできた仲間としての友情がひしひしと伝わるもので、辞めると決めた私も涙が出てくるほどでした。
このような経験を有する者からみると、今回の明治の事件での部内の「いじめを苦に」といったような報道には違和感を覚えます。ただ、辞めると決意した者を強引にいつまでも縛り付けるような制度や因習がもしあったのであれば、それは重大な決心をして辞めていく者にとっては本当に重しとなるのでただちに撤廃すべきだと思います。
ちなみに、私は退部した後しばらくぽっかり心に穴が開いたようで、続けていればよかったと思うことも何度もありました。残った同期の仲間が立派な幹部になった姿をみると、自分ももう少しがんばればこんな風になれたのかもしれないと思うときもありました。今でも少し後悔しています。それくらい応援団は魅力的なのです。私は途中で辞めてしまいましたが、それでも他の学生には決して味わえない貴重なすばらしい経験をさせてもらったと思っています。
神宮に六旗が並び立たないのはあまりにも寂しい。詳しいことは承知しませんが、明治応援団内部の人間関係や慣習にもし問題があったのならきちんと自己反省し、自浄作用で立ち直ってほしいと思います。
以上、元落ちこぼれ団員の拙文、失礼しました。

*************************************

ごんぞーさんのこのコメントを改めて拝読し、気になる『2つのことば』があります。
それは、『落ちこぼれ』『品格』の2つです。

本題に入る前に紹介したいコメントがいくつかありますが、先ずは、このごんぞーさんのコメントに対し、紫紺の八木崎健児先輩も、以下のような激励のメッセージをコメント欄に残して下さっています。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ごんぞ-さんこんにちは.あなたはここまでのことをこのブログで告白できる以上決して落ちこぼれではありません.
 私自身社会に出てから応援団出身であったことを過信して世間はずれなことをしたし,そのため多くの人たちに迷惑をかけてきました.応援団幹部を務めても平気で他人を裏切ったり,だましたりする人間もいます.人生は人から応援されたり,人を応援したり人生すべてが応援団.第二の応援団で,お互い頑張ろう!

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

そして、応援団に魅せられたわらさんも、同様に素晴らしいコメントを残されています。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ごんぞーさん こんにちは

あなたは、不安を抱きながらも、恐る恐るながらも応援団の扉を叩かれ、応援団の世界に飛び込まれたのですから、扉を叩くことさえしなかった、ましてや扉を開くことさえしなかった私から見れば素晴らしく、また羨ましく思います。
 やめられた理由も、辛いから、きついから、遊ぶ時間が無くなったからなどというのではなく、純粋に思い悩まれての決断だったのだと推察します。また、説得に駆けつけた部員の方の気持ちを考えても胸につまるものがあります。
 ただ一つ言わせて頂ければ、当時の先輩や同級生の仲間たちも、皆、下級生を指導するのに不安が無かったということはないでしょう。自分自身にあまりにも自信がある人は、後で大きな落とし穴に落ちる危険性があるのではないでしょうか。自信がないから、不安だから努力するものだと思っています。
 途中で退部されたのは残念なことでしたが、あなたはご自分でも仰るとおり貴重な素晴らしい体験をされたのですから、応援団の心を持って退部されたのでしょう。
 最初にも書きましたが、応援団の経験がない私から見れば羨ましい。

 素晴らしいコメントを寄せられたごんぞーさんと、この場を提供されているDanchoさんに感謝します。

 相変わらずの駄文 ご容赦を
 では

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さらに、先にご紹介した慶應義塾大学應援指導部リーダー部員の黒太郎さんからは、以下のコメントを頂戴しています。
身が引き締まる思いですよね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

こんにちは。私は慶應義塾大学應援指導部リーダー部の二年で現役部員を務めております、黒太郎と申します。宜しくお願いします。こちらのページは部員としては非常に参考になるヒントに満ちており、しばしば閲覧させて頂いております。
 所で…私が情報提供するのはやや僭越ではございますが、先週の明東戦のエール交換について東京大学運動会応援部の同期から聞いた事をお話し致します。まず明治大学応援團の吹奏楽部責任者が登壇され「(天下に冠たる)明治大学校歌」と口上を言い校歌の最中は壇上で腕を振り、エールはやはりテクを振らず口上だけを切っていらっしゃいました。もちろん團旗も揚がっておりません。ただこの厳しい現状の中で、明治大学なりのリーダーの重みを守りつつも、神宮でのエール交換を行い抜いた事に、応援團としての心意気を私は感じております。六大学で一二を争ってきた学生動員数も、今シーズンは大きく落ちているとも聞きますが、90年近く脈々と続く威厳を感じつつ今週末の慶明戦に備えて参ります。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて本題に入りたいと思います。

以上のコメントを拝読して、改めて『落ちこぼれ』ということばと、『品格』ということばの持つ意味を再考させられます。

そこで、この2つのことばを辞書で調べると、以下のように載っています。

『落ちこぼれ』
①落ちて散らばっているもの。
②残りもの。あまりもの。
③教科の進度についていけない児童・生徒。

『品格』
①その物から感じられるおごそかさ。品位。

そこでコメントから深く考え、辞書の内容も照らし合わせてみても、紫紺の八木崎先輩や、わらさんのおっしゃるように、ごんぞーさんは、ご自身と真摯に対峙した結果として、『応援団リーダー部』が自然と醸し出している『品格』が備わっていないと判断されての決断の末に、退部という道を選択されただけだけのことであり、ご自身で、③の『落ちこぼれ』イメージを膨らませすぎただけのことではないかと、小生は考えます。
実は、ごんぞーさんの周りの仲間は、そんな風には思っていなかった可能性だってあるわけです。

したがって、ごんぞーさんは小生にも決して『落ちこぼれ』ではない様に思えてなりません。

では、日本相撲協会や横綱力士に対しても「求められる」とされる『品格』ですが、これについては、nanaponさん『横綱の品格』という記事で、しっかり触れられていますね。
拝読しましたが、興味深い内容のエントリー記事だと思います。

こと応援団における『品格』がどうか…といえば、これも、実は現役リーダー部員達は無意識に自分自身の中に作った「イメージ」に植え付けてしまうか、『応援団リーダー部』の世間一般的に作られたイメージによって植えつけられてしまい、いつしかその「根」が深くなっていくようなことばのような気がします。

もっと申し上げれば、自身では気付かないところで、実は徐々ではあるけれど、自然に備わってくるものではないかと思います。
「求める」とか「求められる」という次元のものではないような気がします。
自然と『品格』が備わると、黒太郎さんのようなコメントを残すことができるようになる…と、小生は思うのです。

応援団における『品格』とは、上手にいえませんが、そういうものではないでしょうか

明治大学で大團長を歴任なさった紫紺の八木崎健児先輩も、ご自身の振る舞いを省みて、自戒を込めて赤裸々に…

「私自身社会に出てから応援団出身であったことを過信して世間はずれなことをしたし,そのため多くの人たちに迷惑をかけてきました」

と語っておられます。

小生も先輩と同じです。

わらさんの…

「ただ一つ言わせて頂ければ、当時の先輩や同級生の仲間たちも、皆、下級生を指導するのに不安が無かったということはないでしょう」

というご指摘は、実は鋭く、小生の図星を突いています。

『応援団に捧げた青春』シリーズでも、ずっと後なって明らかにしますが、小生自身も2年生の時は、3年生幹部に迷惑ばかりかけた「悩ましい人材」となってしまいました…。

こんな2年生が後輩達を指導できるのか…応援指導部にとって「お荷物」なのではないか…とさえ思ったことも、実はあります。

あの当時の小生は、自身に負けてしまっていたのです。

ただ、愚直に53番との約束を守ることや、TSさんに寄せる想いを叶えるために、「意地」で応援指導部にしがみついていたように思います。

良い思い出も、苦い経験も、苦しかった胸の内もあったからこそ、それを是非整理するべきではないかと考え、『応援団に捧げた青春』シリーズを始めてみたのです。

いざ始めてみると、何人かの読者の方が楽しみにして下さっていることがわかり、それが今の励みにもなっています
したがって、その時感じたことをさらけ出すことが、このシリーズを楽しみになさっている読者の皆さんへの誠意ではないかと思っています。

そして、紫紺の八木崎健児先輩のおっしゃる…

「人生は人から応援されたり、人を応援したり人生すべてが応援団」

これが本質を突く、『全て』ではないでしょうか

そして、わらさんのコメントにある…

「あなたはご自分でも仰るとおり貴重な素晴らしい体験をされたのですから、応援団の心を持って退部されたのでしょう」

の部分には、小生も全く同感ですね。

でなければ、拙ブログ(ごんぞーさんから見た場合は、他人のブログ)のコメント欄に、ご自身のことを赤裸々には語れません。小生なら…まずできないですね

実際、ネットの世界では、これ良しとばかりに酷い人もいて、ひょっとしたら、ごんぞーさんのコメントを読んで、言葉尻だけを捕まえて人格批判してしまう心貧しいコメンテーターは、残念ながらごまんといます。
小生も、ある有名人のブログのコメント欄を通じて、その点は苦い思いをしました。
寂しいことですが、実際に批判しかできない「かわいそう」な人がいるのも事実なのです。

ssayさんがかつて…

「意見に対する反論はあってしかるべきだけど、コメント内容から人格批判につながってしまうことはあってはならない」

と語っていますが、小生もその通りだと思うのです。

そういう心貧しいコメンテーターの人格批判を浴びるかもしれない内容を、勇気を振り絞ってコメント欄に残すことができるだけで、『落ちこぼれ』では繰り返しになりますがないですし、応援団としての『品格』がないだなんて、小生からは、口が裂けても申し上げることはできませんね。

応援団を最後まで続けたから『品格』が備わるものでもなければ、途中退部の道を選択されたから『落ちこぼれ』では、決してないのです!。

もし、『品格』がないのであれば、2年生部員だった当時の小生の方です。
自身との闘いに負けて、「悩ましい人材」へ転落したのですから…

でも、それでも、現在OBとなって、慕ってくれる後輩達や、紫紺の八木崎健児先輩や、小生を可愛いと思ってくださるKT先輩と、OB会の席で酒を酌み交わし、お話できる機会に恵まれたことに対して、本当に感謝で一杯です

また、拙ブログを通じて、ごんぞーさん素晴らしいコメントを端に発し、コメント欄を通じて、紫紺の八木崎健児先輩とわらさんも加わって、「会話」がなされているような錯覚を、コメントを拝読していているうちに小生は感じました。
嬉しいですね。管理人冥利に尽きます

わらさんは、拙ブログへコメントを寄せるたびに…

「この場を提供されているDanchoさんに感謝します」

と結ばれますが、感謝を申し上げるのは、むしろ小生の方です
コメント欄は、本来こうありたい…という管理人の望み通りの展開にお導き下さっています。頭が上がりませんね。

ちょっと熱くなってしまい、まとまりもなく、読者の皆さんには恐縮ですが、応援団における『気になる2つのことば』を再考することによって、『応援団の魅力』を掘り起こすきっかけになった気がしています。

最後になりますが、黒太郎さんと、同じ慶應義塾大学應援指導部の“現役部員”様から、貴重なコメントを頂戴していますので、改めて、掘り起こされた応援団の魅力みたいなものについて、小生の感じるまま、近々綴ってみたいと思っている次第です。

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16 Comments

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因習1 なぜ日本一なのか? (紫紺の八木崎健児)
2007-10-19 18:09:57
Dancho後輩君、こんばんわ。早速応援団のレゾンデ-トルに関連する記事をありがとう。実は応援団は世間一般から見てウラオモテある諸刃の剣であることを指摘しておきたいと思います。ある人は応援団不要論を説きまた別な人は応援団必要論を説きます。野球部やラグビ-部については必要不必要の議論は起きません。ある人は応援団を古き良き伝統を守り愛校心の象徴のように言いますが、また別な人は右翼的暴力的で他校に対して排斥的に捉える人もいます。
 このことは「伝統」と「因習」にも言えます。伝統がいつの間にか因習に変わる。するとそかのトバッチリを真っ先に受けるのが下級生です。そのことをコメントしてみたいと思います。
 先日私はひとつ上の中央大学応援団親衛隊長を務められた先輩と29年ぶりにお会いしたことをこのコメント欄に記しました。「明治大学応援団は今活動停止中である」ことを伝えると、先輩は「日本一の応援団がどうしたんだ」と開口一番。決して皮肉ではなく、本心からそう言ってくださったのです。なぜならば、その先輩は直接みていらっしゃらないが、その先輩の団長は明治大学応援団が日本一であるところに直接遭遇され、そのことを中央の団員に常に語っていたからだそうです。たぶんその中央の一つ上の団長は叔父である元中央の団長に連れられ、当時中央の一年団員の彼は明治大学応援団の真髄に触れてしまうのです。それは、春夏の合宿の際夜間行われる「校歌応援歌指導」と呼ばれるものです。実はかつて「伝統」であったものが「因習」となってしまった典型的な例で、「伝統」なればこそ「日本一」の根本となるべきものでした。ところが、今や因習以外なにものでもありません。このことをご紹介したいのですが、本日所用があるため、続きは明日にしていただきます。ご容赦ください。
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恐縮&感謝 (ごんぞー)
2007-10-20 00:44:52
こんにちは、ごんぞーです。
私の以前のコメント投稿に対して思いもよらず皆さんの心温まるコメントを頂戴しており、たいへん感激しています。Danchoさんには私のコメントを再アップまでして熱い思いを記事にしていただき、恐縮しております(半分面映いです^^)。
「品格」というものは普通の人間には一朝一夕に身につくものではありませんよね。当時を振り返ってみると、仲間と自分を比べて焦りすぎ考えすぎていたのかもしれません。なにしろ、同期の仲間でもすでに心技体ともに風格を感じるやつもいましたから。とてもこいつには勝てないや、このままじゃ俺なんか下級生に笑われるかもしれないなと思いながら練習してました。
結局私は挫折してしまったわけですが、チャレンジングな物事を成し遂げたことから生まれる力強い自信の代わりに、失敗したりうまくいかなかったり挫折したりする人への共感・思いやりが持てるようになったのも逆に一つの財産かもしれないなと思っています。
八木崎さんからいただいた「人生は人から応援されたり、人を応援したり人生すべてが応援団」という言葉、まさにそのとおりで涙の出るようないい言葉だと思います。
それに、応援団って、私のようになよっちくて運動神経なくても補欠なんかないですからね。みんな大切なレギュラーだから・・・すばらしいですよね。若いときにあり余るエネルギーをぶつけるにはとてもいい活動だと思います。
慶應黒太郎さん、ぜひがんばって立派な幹部になってください。
それから、明治応援団リーダー部の健全で明るい再出発を祈っています。





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ごんぞーさんへ (Dancho)
2007-10-20 08:42:01
おはようございます。

多忙モードに入りましたので、レスがワンテンポ遅れる雲行きですが、これだけは…と思い、緊急レスです。

コメント、拝読しました。またまた感動的です。

この記事の続編として、第2弾の入魂記事…立ち上げる予定です。

それが、ごんぞーさんへのレスになるのではないかと思っています。

今しばらく猶予いただけましたら、幸甚に存じます。

乱文、ご容赦下さい。
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続因習1 校歌応援歌指導1 (紫紺の八木崎健児)
2007-10-20 12:19:37
 昨日は所用のため失礼しました。続けます。
 明治大学応援団では二年生になるとリ-ダ-を務める機会があります。そのため第一応援歌紫紺の歌から第四応援歌勇者明治の歌まで、応援歌仰げ栄冠、神宮勝歌のリ-ダ-テクを完璧にできなくてはなりません。このリ-ダ-テクの指導を直接リ-ダ-長から受ける場が春夏の合宿の際の校歌応援歌指導なのです。ちなみに明治大学応援団の合宿は三部合同、春七日間夏十四日間あります。その間校歌応援歌指導はほとんど毎日行われます。
 他校の応援団では朝の練習から始まり、昼の練習が終り、食事、入浴、ミ-ティングという日程でしょうが、明治は夕食後7時から校歌応援歌指導の緊張の極致の時間が始まります。
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続因習1 校歌応援歌指導2 (紫紺の八木崎健児)
2007-10-20 13:20:31
 場所は宿泊旅館の大広間を使います。窓も障子も襖も閉め、まさに密室の中で行われます。
 主宰者である団長を上座真ん中に、リ-ダ-長は全て見渡せる場所に、団長の左となりが副団長、右となりが合宿を取り仕切る総務、以下渉外、旗手長、連盟代表と幹部の序列に従い座ります。下級生は畳に直に正座、裸足、幹部も含め応援団の正装たる学生服を着用です。部屋を閉めっぱなしですから、夏の暑さたるや半端ではありません。下級生は正座のまま団長の目を見つめます。指名されて幹部の前に出る以外は正座のまま身動きできません。言葉も返事以外発せません。総務から正座から胡座への指示が出て崩せても上級生が間違えて怒られると下級生は再び正座に戻らなくてはなりません。応援歌の指導はリ-ダ-長のみが直接行います。その他の幹部は団長が認めたときのみ発言ができます。団長の号令で校歌一番を歌い指導は始まります。        つづく
 
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続因習1 校歌応援歌指導3 (紫紺の八木崎健児)
2007-10-20 13:37:04
 幹部を広間の上座に、三年二年一年の順に正座し、素足のまま畳に下級生は座ります。そして、団長に呼び出されて幹部の前に出てきてサブやリ-ダ-を行います。
 三年生はサブはしませんが、音程をはずして歌うことは許されません。昔は吹奏楽部の幹部が臨席しメトロノ-ムで計測していたと言います。三年生がリ-ダ-を務めるときは二年生がサブを、二年生がリ-ダ-を務めるときは一年生がサブを行います。サブは足をかかとをつけて気をつけの姿勢、両腕は肩から下げることなく思いっきり顔の前で大きな音で拍手、手が割れ血まみれになることしばしばです。学生服の下のワイシャツに血しぶきがつくほどです。歌う声はあらん限りの大声で、声は一日でつぶれます。歌も普段の応援のときは一番だけですが、このときは3番4番のフルコ-ラスです。それだけにリ-ダ-を間違えることもあるし、歌を忘れることもあります。しかも極度の緊張と正座で足はしびれているし、部屋のなかは暑いし体力も気力も極限状態です。
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続因習1 校歌応援歌指導4 (紫紺の八木崎健児)
2007-10-20 13:54:36
 普段できても、昼の練習でヘトヘトな上に極度の緊張ですから間違える下級生も当然でてきます。そんなときは幹部のひとりが助け船。「三年、外へ出てそいつを指導してこい」。「下級生を指導してまいります」と団長に断って外へ。三年は幹部に聞こえないところで「落ち着け、深呼吸して、しっかりしろ」と激励します。正座でしびれた足をもんでやったりします。落ち着いたところで、再びリ-ダ-とサブに立ちます。このときは不思議と無事にできたりします。
 ある三年が間違えます。何回も何回も失敗します。ついに我慢できずを副団長が団長に発言を求めます。「おまえの実力はそんなものか。俺はおまえがちゃんとできると信じている。だからおまえが間違えている間じゅうずっと正座してきた。おまえに魂を注入する。思いっきり殴る。おまえに期待し信頼しているからこそ殴る」。畳に倒れる三年。再び起きあがりリ-ダ-を務める。サブの二年生をしっかりリ-ドし完璧なテク見せる。ここに幹部四年生も下級生も不思議な神秘的な力の存在を知る。一応援団員に「日本一の団員としての魂」が宿った瞬間である。
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続因習1 校歌応援歌指導5 (紫紺の八木崎健児)
2007-10-20 14:27:08
 校歌応援歌指導はほぼ連日夜間3時間ほど緊張のなかで行われます。その最終日は最も難しいリ-ダ-テクであり、しかも東京六大学野球で優勝した時のみ演ずる「神宮勝歌」です。しかも3番で歌詞も長い。間違う者続出。リ-ダ-長の容赦ないビンタが続きます。しかし、仕舞いには下級生全員に「日本一」の魂が宿り、応援歌は完成します。最後は、いままで一人一人前に出てきた下級生が三年生全員、二年生全員、一年生全員の順で幹部の前に出で戦前からの応援歌「若人明治」を歌います。魂が宿った団員皆堂々としています。自信が感じられます。リ-ダ-長が一人一人に言葉をかけます。リ-ダ-長も下級生も涙をためています。そして最後に団長の恒例の一言で締めます。
 「明治大学応援団いまだ健在なり」
 これまで述べてきたことは「伝統の校歌応援歌指導」です。これを経験したものだけに「日本一の魂」が受け継がれるのです。
 ところが、今この校歌応援歌指導は下級生ができるまでやる、外に出したりして励ましたりすることもなく延々と夜中の2時過ぎまでやっていると聞きます。こうなると「指導」ではなく「密室のシゴキ」でしかありません。「伝統の校歌応援歌指導」が「因習の校歌応援歌指導」に変わったことになります。
 私たちの頃はたまには校歌応援歌指導に代わって吹奏バトンと一緒に菓子やジュ-スを供しながら弁論大会や演劇大会など息抜きをしたものです。今は残念ながらこうした遊びの部分もないようです。これでは下級生は持ちません。合宿は収容所ではありません。
 伝統の校歌応援歌指導を経験しての「日本一の応援団員の魂」、これが「因習の校歌応援歌指導」を経ての「日本一という幻想をもったうぬぼれた応援団員」をつくっていないか心配です。
 こうした因習も伝統に戻して行こうと決意してます。                 以上
返信する
ついつい熱くなりました (紫紺の八木崎健児)
2007-10-20 15:27:57
 Dancho後輩君、ごんぞーさんこんにちは。お二人の記事とコメントに熱くなり、そろそろ私も明治大学応援団の因習について触れなくてはと思い、紹介と意見を述べてみました。折に触れてまたご紹介したいと思いますのでご感想宜しく!
返信する
素晴らしい内容です。 (Dancho)
2007-10-20 16:30:38
紫紺の八木崎健児先輩、こんにちは。

今日の英語との格闘(今日はここまで!と決めて挑んでいます。集中力はそうは長くは続きませんから)を終えて、じっくり拝読させていただきました。

本エントリーの続編をやることは、今朝、ごんぞーさんのコメントを拝読して心に決めています。
今しばらく猶予いただけましたら助かります。

ところで、感動的な5分割コメント、誠にありがとうございました。

これは、このコメント欄が5,000字以内という制限があるために、5分割が必然となったことは、充分理解できます。逆に、結ぶ前の4つがなければ、意味がないと感じており、この部分は必須と理解しています。

何故なら、これは、応援団に籍を置いたものでなければ、最後の結末が読めないからです。
逆に、応援団に籍を置いた者であれば、途中で最後の結末が見えて来るはずの内容と感じます。

また、5番目の結論だけでも、「因習」の実態は見えないと思います。

小生は、途中(3番目の途中くらいからでしょうか…)で先輩のおっしゃる「因習」の姿がおぼろげながら見え始め、4番目でそれが鮮明となりました。
実際に5番目を拝読して、鮮明に見えた答えが正解だったことに安堵感を覚えたほどです。

そうなんですよね…。

先輩がご紹介下さった『伝統の校歌応援歌指導』中の4年生幹部や3年生以下の下級生の心をありようを真に理解し、これを後世に伝えていかなければ、『伝統』とは決してならないのですよね。
そこには『愛』が存在するのに、それが抜けた格好で後世に伝われば、まさに意味の履き違え…すなわち『因習』と化すのは必然です。

応援団リーダー部員の減少化は、恐らく、この「意味の履き違え」によるところが大きそうだな…と個人的には感じました。

先輩がご紹介下さった『愛』の部分が、今後は真に後世に伝われば、きっとかつてのような活気が戻るはずです。
その時、『伝統』も蘇ると信じて止みません。

その『愛』の部分を伝えることに、小生のこのブログの存在意義があるのだとしたら…光栄ですし、たたむことはできませんね。
たたむ時は、それこそ「炎上」したときか、小生に万一のことがあった時でしょう。

ですが、拙ブログのそもそもの存在目的の一つには、高校3年間の経験を活かして、応援団の魅力を小生なりの切り口で読者の皆様にお伝えすることにあるわけですから、これからも「ゆるゆる」…先輩のお言葉を拝借すると「ムーラムーラ」で、伝え続けたいと存じます。

幸いにして、拙ブログは慶應義塾大学應援指導部の現役リーダー部員の目に留まり、その存在が認知されました。

これに端を発して、各大学・高校の現リーダー幹部の目に留まり、応援団がまさに「永久に不滅」となれば、この上ない喜びに存じます。

入魂記事を立ち上げる際は、「永久不滅にする」位の気概を持って、エントリーしていきたいと決意を新たにした次第です。

駄文ですが、感想になっていますでしょうか。
でも、これでも舌足らずです。
その舌足らずさを克服するべく、ブログをやっているのですが…ダメですね…。

先ずは、コメントを頂戴したことに、心よりお礼まで。

今後とも、ご指導・ご鞭撻・ご支援の程、宜しくお願い申し上げます。
返信する

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