Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(番外編その2)/私と、「53番」君との、「絆」。

2011-02-27 00:00:02 | 応援団シリーズ化記事
昨年6月の「ゴールデンウィーク」の事は、この記事で紹介している。

その時もちょっと触れたけれど、ペンディングにしていた事があった。

「オフ」での「繋がり」という意味では、昨年9月にもあったのだが(この件も、記事に書くことをご了承頂いている)、時系列ではこちらが先なので、先ずは、こちらを書きたい。ちょっと「力作調」に、しかも「熱く」なるかもしれないが、ご容赦頂きたい。


この記事のカテゴリは、『その他』かもしれないし『雑感』かもしれないが、私としては『応援団シリーズ化記事』が、やはり一番合う様な気がしたので、ここにする。



昨年、nanaponさんssayさん風屋さん川島さんと、「Dancho帰省記念&棋聖戦開幕記念で、気勢を上げるオフ会」と題して会食させていただいた翌日の、6月10日の出来事である。

この日は、ほぼ20年ぶりに、「53番」君と再会する約束をして、会食した。
登場人物紹介も参照頂けると、以下の話も理解しやすいと思う。)

そもそも、私に応援団(応援指導部)への入部を決意させたのは、53番君だった。

その時の様子は、この記事(このシリーズの第5話)で紹介している。
これがなかったら、今の私は、きっとないだろうし、ブログで応援団の事を応援する…という発想も生まれなかったと思う。

そんな53番君との、久しぶりの再会は、この「ゴールデンウィーク」の「目玉」の一つであった。


そこで、色々な話をした。
時が経つことを忘れるほど、食べて、飲んで、話をした。

私と、53番君は、義務教育9年間で、中学校3年生の時の、たったの1年間だけ同じクラスになったが、これが本当に「運命の出会い」になる事は、当時は想像もできなかったけれど、素晴らしい出会いである事は間違いなく、神が存在するなら、感謝したい。


私が、これまで「知らなかった事」も、「裸」になって、53番君は会食中話をしてくれた。
だから、私も「裸」になって、話をしたつもり。


53番君が、何故、埼玉県内の当時野球の強豪校を選んだのか…。

実は、この日までずっと、「サッカーやっていたのに、高校では野球って、何故だ」と疑問に思っていた事だった。でも、この日まで、聞けずにいた。理由は分からない。


その訳を聞いて、素直に「凄い」と思った。憶えている限りを出し尽くしてみたい。


53番君は、中学校の時は、部活動でサッカーをやっていた。
高いレベルでサッカーを続けたいから、「赤き血のイレブン」のモデル校であり、当時は、まだまだ「サッカーのトップクラスの強豪」であった、さいたま市立浦和南高校への進学を考えていたそうだ。

しかし、足に大きな故障を発症して、医師から「サッカーは、もう難しい」と告げられたそうだ。
でも、53番君は、どうしてもスポーツを続けたい、しかも、「高いレベル」で…と思っていた。
そこで、診断を下した医師に、53番君自ら「サッカーの他なら、スポーツで何ができますか」と聞いた。
医師からは「野球なら、足への負担がサッカーより軽いと思うから、大丈夫だと思う」と告げられ、その時からサッカーをきっぱり諦め、野球に情熱を傾けたのだそうだ。


53番君は、本当に志が高く、野球をやるなら、県内の強豪校に進みたいと考えて、当時は県レベルの強豪校だった、市内の某高校に進学することを決意する。

しかし、53番君は冷静で、自分の現時点での学力では志望校に入学するには「やや難しい」と分析し、クラスで勉強がそこそこできる男子クラスメイトと仲良くなって、何とか勉強を教えて欲しかったのだそうだ。

そこに、私が、53番君と1学期から同じ班になり、座席も「前」と「後ろ」になったので、53番君は、何とか粘って、私と親しくなろうとして、「ちょっかい」を出し続けたのだそうだ。

その時の53番君の心境は、「Danchoにとって俺は、妙に“なれなれしい”から、“しつこい”とか、“うるさい”とか、“うっとうしい”等、良い印象を持たれてはいないだろうな」という感じだったそうだ。

しかし、当の私は、そんなにしつこいとか、なれなれしい等とは、不思議と思わなかった。
むしろ、中学1年生の時に、ちょっと「いじめ」にも遭っていたから(黒板に、私の「墓」を大きく書かれた事もあった)、53番君が、親近感を覚えて私に近づいてくる事が嬉しかった…という気持ちが強かったと記憶している。

当時私は、帰宅後、学習塾に通っていて、そこで「一生懸命に勉強」していたので、正直授業のレベルは、私には「低く」感じ、53番君の勉強を見てあげる余裕が、幸いにしてあったので、53番君に対する「当り」も、きつくなかったのだと思う。結構早い段階で打ち解けることができた。

(※以下、携帯電話による誤操作で、オリジナルを「消失」してしまい、バックアップもないので、オリジナルを思い出しながら再執筆する。)

その時に、「芋弦的」に仲良くなったのが、53番君と幼馴染の「ウメ」君で、ウメ君は元々部活動で野球をやっていて、やっぱりレベルの高い強豪校への進学を考えていた(当時は創立間もない状態だった、現在では甲子園常連校のJ高への進学も視野に入れていた様だった)。

中学3年生の時のクラスは、担任の先生が、教諭という職に就いてから、まだ間もなく、担任を受け持つのが初めてで、しかも受験も控えている生徒達の担任だから、とにかく「一生懸命」で、あまりまとまりはなかったように感じる。
でも、私は、53番君と、毎日の様にこうした「やり取り」をする事がとにかく楽しくて、学校に登校していた気がする。

ともかく、私と53番君は、席が「前」と「後ろ」の関係にあったので、私は、授業中「内職」をしながら、53番君に勉強を教えていたりしていた(「ドリル」の添削みたいな感じ。業間には、間違っているところなどを解説していたりもした。その輪の中に、ウメ君もいたので、打ち解けたといういきさつがある)。

この時、私と53番君が、見えない「親友」という絆で結ばれている事に、気付かなかったのは言うまでもなく、まさに、これが「運命」だった。
でも、神様がいるのなら、こんなに素晴らしい「運命的」出会いを授けて下さった事に、心から御礼を言いたい気持ちだ。

やがて、あっという間に時が流れ、高校受験シーズンが到来。

53番君も、自らの努力が実を結んで、志望校である、当時野球の強豪校であった市内の某高校への入学を決めた。
私も、志望校である春日部高校に、「滑り込みセーフ」で合格でき、入学することが決まった。
(自己採点の結果から、学習塾の講師に、国語の作文8点満点で、満点を取って、ギリギリ合格ラインではないだろうか…と告げられていたので、余計に嬉しかったなぁ~。)

高校に入学してすぐ、53番君は、自らの意志を通して、即で野球部に入部し、練習に励んでいた。
一方の私は、大学進学を当時から考えていたけれど、勉強一辺倒の生活はつまらないし、運動部に入るにしても、運動神経は鈍い方だったから、どこの部活動に入部するのか、迷っていた。
この時、私の中には、文化部に入るという「選択肢」が不思議となかった。だから、余計に迷ったと思う。

そこで、先の記事の通りの電話の会話に至る。

あの時、53番君が…

「俺は、野球頑張る。お前は応援団で頑張る。球場で会えたら、最高じゃないか。だから応援団に入れ。」

と、背中を押してくれなかったら、多分、今の私はないだろう。
逆に言うと、これだけで私を「決断」させてしまうのだから、それはそれで凄い力だし、私も単純な人間だ。

でも、本当に春日部高校で、応援指導部に入って、3年間続けて良かった。
現役を離れてもう24年目になるが、苦しい事も楽しい事も含めて、本当に良かったという言葉しか見当たらない程、良かった。

この電話の会話の事も、この時53番君に話したが、53番君も「そうだったかなぁ?」と謙遜していながらも何となく憶えていてくれて、

「Dancho、本当に迷っていたものな。でも、Danchoは確かに運動はダメだけど、声がデカいし、俺にはそれしか思い浮かばなかった」

と話をしてくれた。

53番君は「球場で会おう」と言ってくれている。だから、私も53番君と球場で再会できる事を夢見て、いや、再会する事を楽しみにしながら、練習に耐えた。
53番君との「約束」と決めた(こちらが勝手に…ではあるが)からには、意地でも頑張って続けようと思いながら、練習に耐えた。
(実は、もうひとつ「意地」になった理由があるのだが、それはこのシリーズの後半で書くつもりなので、ここではこの程度に留める。)

そして、球場での「再会」が実現する。
読者の皆様は、「劇的」だと思われるだろうが、本当に劇的だった。

これは、このシリーズでも後ほど書こうと思っていた事だったのだが、少しだけネタを明かすと、忘れもしない羽生市営球場での、確か秋季大会の東部地区予選の時だった。

その日は、私達春日部高校が先に試合をして、そのすぐ後に、53番君達の高校が試合をする予定だった。
後に試合をする53番君が、先に試合をしている、私達の母校を応援している光景を、この時見ていたのだ。

私が、この時で良く憶えているのが、私達が試合を終え、後片づけをして、スタンドから降りる時だった。

当然ながら、「応援指導部員」として行動している時は、他校の生徒と話をする事等許されなかったし、応援の基本である、「来た時よりも綺麗に片づける」事が規律としてあったから、53番君とすれ違っても、言葉をお互いかける事はなかった。
しかし、お互い、すれ違う時に目で会話をしていた。

私:「久しぶりだな。元気そうじゃないか。俺達の分も頑張って、そして勝てよ。」
53番君:「お前も元気そうだな。頑張っていたお前達の分も頑張るよ。負けないぜ。」

53番君は、この会話は「そうだったかな?」と謙遜していたが、この時は「そうだった」という結論になった。

しかし、その時のことを、53番君も憶えていて、「お前、顔を真っ赤にして、凄く頑張っていたものな」と、話をしてくれた。

そして、こうも続けた。

「お前と“対戦”することを楽しみに、練習してきた」

と。

私も、そうだった…。
だから、素直に嬉しかった。

本当に私と53番君は、「親友」という絆で、既に結ばれていたのだ。

もう、言葉は要らない。これで十分だった。

この時の53番君の表情は、昨年の東京六大学野球秋季リーグ戦で、50年ぶりとなる、慶應義塾大学との優勝決定戦に勝った、北海道日本ハムファイターズにドラフト1巡目指名で入団した、斎藤 祐樹 投手が、観客に向かって「(齊藤は)何か持っていると言われますが、それが何か、今、分かりました。それは、仲間」と語った時と似ていた。

仲間って、良いな…53番君の話は、私にはそう聞こえたし、本当にそう思えた瞬間だった。

「野球」と「応援」…。

競技は互いに異なるけれど、同じ様に、苦しくて辛い練習に、耐えて乗り越えて過ごした3年間で、卒業を迎えた。

この会食で、繰り返しになるが、お互いが「親友」であったと、はっきり分かった。


社会人となって、53番君も、大変で苦労した様だった。でも、「同じ失敗だけは繰り返さない様に、とにかく苦しくても頑張った」20年間だった様だ。

しかし、53番君は、こう続けた。

「あの時の練習の辛さに比べたら、今の辛さなんて、何てことない。絶対に打開できる」
「一生懸命にやっている姿は、誰かが必ず見てくれている。それを信じて、一生懸命やることが大切だよ」


と…。

改めて凄いと思ったし、私も、今のテーマが難しくて大変であっても、応援団を3年間続けた練習の辛さに比べたら、乗り越えられる…と頭を切り替えることができた。

53番君も、必死で頑張っている。

だから、頑張れる。
力が、出る。
苦しくても、踏みとどまることができる。
53番君が、苦境を必死に打開しようとしているのに、私が、そのチャレンジをしないのは、不実だ。

そう思えた。

20年もの月日が経ってしまったが、20年ぶりに再会しての、この会食の時は、単に「楽しい」という枠を超えた、素晴らしいひと時であった。充実感…という枠からも突き抜けている気が、今でもしている。

繰り返しになるが、本当に、仲間って、良いな…そう思った。

そんな「至福のひと時」から別れて、明けて11日未明に、携帯電話の私のメールに、53番君から…

「お互い、切磋琢磨して頑張ろう」

と返事があった。
この言葉を胸に、頑張っているつもりではある。


そして、今年の年賀状。

私から、「いつまでも親友でいて下さい」と書いて差し上げたが、53番君から…

「(越谷に)帰ってきたら、また飲もう。いつまでも親友だよ!」

と返事が返ってきた。

これで十分だった。嬉しくて、涙が出た。


私と、53番君は、以上の様な形で、「親友」という絆で結ばれた仲だ。
その絆は、20年という時を経ても、全く変わらないほど、堅い。それはこの先も変わらない。

私にとって53番君は、「春日部高校応援指導部」への「門」へ体当たりするために、背中を押してくれた「恩人」だ。

53番君だけは、失いたくない。
裏切ることは、決して許されない。
足を向けて寝る事もできない。


だから、どこへ行っても、寂しくはない。
いつでも、どこでも、53番君の存在を、身近に感じることができるから。
(再執筆だけれど、やっぱりグッとくるものがある。やばいなぁ…。)


※この記事は、2月末まで、拙ブログの「トップ」に行くように、日付を変えていくことにする。


追記

電話での会話の記事で、「53番さん、格好良い」と言って下さったアキさんへ。

53番君は、こんな感じの私の「親友」です。

やっぱり今でも、格好良いですか?。

私も、一人の男性という視点で見ると、格好良いと思います。



(以上まで、24日早朝に携帯電話から日付のみ更新してしまって、字数制限によりカットされてしまったので、思い出しながら書き直した部分である。携帯からの日付変更は、金輪際止める。良い記事だったのに…。二度と書けない様な内容なのに…。一番大事なところだったのに…。書き直しには、どこか迫力に欠けている感は否めない。ブロガーの皆さん、私の様にならない様、お気を付けて。)

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2 Comments

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こんにちは (浅羽由紀)
2011-02-20 10:35:35
本当にかけがえのない親友なんですね

なかなかここまでの絆のある友達ってもてないんじゃないんでしょうか

一生の宝物ですね♪
返信する
浅羽由紀様へ… (Dancho)
2011-02-21 22:29:48
浅羽さん、こんばんは。

正直、びっくりしました。

昨年の私の誕生日の時もそうですが、本当にびっくりします。

ラジオパーソナリティーであり、ピアノ弾き語りアーティストでもある、ご多忙極める浅羽さんから、短いながらも、温かいコメントを頂けるとは…。

そうなんです。

絶対に失いたくない親友です。裏切ることは、決して許されません。

先日、これを読んだ53番君から、返事がありました。

照れるけど、でもやっぱりずっと親友だ…って、言ってくれました。

それだけで、言葉は要りません。

眼と眼で会話ができるほどですから、分かるし、離れていても、すぐそばにいる事を感じることができます。

それを支えに、私は頑張っていきます。

ラジオ、拝聴しています。

これからもお忙しい日々が続くと拝察いたしますが、浅羽さんの歌で、ピアノで、皆さんの心を温かくして下さい。励まして下さい。

応援します。

いつか、山口にもライブにお出で下さい。そのあかつきには、絶対に行きます。


先ずは、コメントを頂戴した事に対し、心より、御礼まで。

誠にありがとうございました。
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