第14話のKT先輩のエピソードについてエントリーして以来、ちょっと間が開きました。申し訳ありません。
本シリーズ記事を楽しみになさっている読者の皆さん…再開です!
9月8日から東京六大学秋季リーグ戦も始まりますし、ペースアップを心がけて頑張ります。
*************************************
『第25回 臙脂の集い』に向けた練習も、その当日が近づくにつれ、加速度的に厳しさが増してゆきました。
決して「一次関数」的ではなかったと思います。「正の二次関数」的だったかもしれませんね。
当日が近づくにつれ、OBとなられた先輩方も、小生達後輩のご指導のために、主に現役大学生で、まだ埼玉県内にお住まいの方や、卒業してすぐのOB1年目の先輩方を中心に、連日訪れるようになっていきました。
これが、当日から逆算すると、2週間前くらいだと記憶しています。
より一層、妥協は許されない状況となり、逃げ出したくても逃げられない…もし逃げるとすれば、それは2つの方法…すなわち
①練習をとにかく一生懸命「がむしゃら」にやって、精根尽き果てて失神してしまう
②もう、応援指導部から身を引く
しかない様な、そんな状況でした。
こうした特別な行事がない限りは、土曜日は軽く練習して、夕方4時ごろには帰宅でき、日曜日は完全に休日になるのですが…もう、問屋がそうは卸しません。
この時期になると、土曜日は当然「平日と同じ扱い」での練習になりますし、日曜日は弁当持参で1日練習ということに当然なって行きます。
特に、日曜日ですと、社会人になられたOBの先輩方もお見えになることがあり、まだまだ慣れないこと尽くしの、小生達1年生にとっては、OBの先輩方がお見えになるだけで「チキン」状態でした。
(少なくとも、小生は、そんな心境でした…。)
3年生幹部も、OBの先輩がお見えになれば、OBの先輩の「持ちテク」を直々にご指導を「お願い」する状況になって行きます。
この『第25回』の時は、いつも温厚なMY先輩が、その強靭かつ柔軟な身体能力を有していたことから、「三大テク」の一つの『勝利の拍手』を持ちテクにされていましたが、1学年上のOB1年目の先輩(先日、小生のこのブログにお出で下さった、大坂 虎達 先輩と同級生に当たるお方です)が連日お見えになり、全体練習が終わった後も熱心に(でも、決してその姿を、下級生部員に見られない場所で)ご指導なさっていたことを、鮮明に覚えています。
ちなみに、そのMY先輩の『勝利の拍手』をご指導なさった先輩は、小生達から近い代では、「最も美しい」と評された『勝利の拍手』を披露なさったことで非常に名高く、自らを追い抜いて欲しいとの「愛情」の裏返しで、MY先輩に大変厳しくご指導なさっておられたのです。
小生も、MY先輩の『勝利の拍手』を可憐に舞う後姿…惚れていました。
それは、MY先輩をご指導なさった1学年先輩のご指導の賜物なのです。
さて、そんな練習の最中です。恐らく5月27日ごろの平日の練習の時だったと思います。
実はこの日、小生は体調の不良から、練習を欠席する旨を先輩に申し出て、休養に当てていました。したがって、これからお話しする「事件」は、実際には見ていません。ですが、衝撃でした。
先にお話したように、この時期は、平日であってもOBの先輩のどなたかお一人は、必ず練習のご指導にお見えになる状況でした。
連日のようにお見えになっていた、小生達より数年先輩が、この日もお見えになっていたようです。
このお方…全学年の後輩に対し、「過ぎる」が付く位に厳しく、練習はほぼその先輩のペースで進んだと言っても過言ではない状況でした。
練習の場所は、体育館入り口階段のコンクリートが、ちょうど「メイン台」のようになっていたので、それを取り囲むように、下級生達が「メイン台」に上がる先輩を凝視する格好で、「実践体型」と呼ばれる配置に着く形で進められます。
その時に、以下にお話しする、大変残念な「大事件」が起こってしまったそうです。
練習をご覧になっていたその先輩が、「全体に気合が足りない」と思ったらしく、小生と同期の1年生(実は、Hです)の背中を、魔が差したように蹴り上げてしまたのです。
背中からですから、当然、蹴られたHは無防備。
「受け身」さえ取れないのですから、衝撃がまともに全身を襲い、そのまま痙攣を起こして倒れ、救急車を呼ばないと適切な処置が取れないほどの「重症」を負ってしまったのです。
熱意余っての指導が、負傷者を…しかも、救急車を手配を余儀なくされたものになってしまったのです。
当然、団長のSJ先輩と、顧問のM先生の「監督不行き届き」の責任を咎められても仕方ない状況にまで発展しました。
翌日、体調が回復し、練習に復帰してこのことを知った小生のショックも大きかったです。
なぜなら、同期の中でも『応援指導部員』としてのポテンシャルの高さを、遺憾なく発揮していたのも、Hだったからです。
そのHが、入院を余儀なくされるほどの重症…当然、『臙脂の集い』の舞台に立てなくなった無念を思うと、居たたまれない心境になりました。
なお、この「大事件」が起こった後でも、あくまで、毎日練習できる環境だけは整え、全ての「火の粉」をかぶり、矢面に立って小生達部員全員を守ってくださったのは、他ならぬ顧問のM先生でした。
M先生の「熱血漢」ぶりは、改めて記事をエントリーしたいと思っていますが、小生達『応援指導部員』を、そして『応援指導部』を愛して止まなかったからこそ、矢面に立って守ってくださったと思います。深謝ですね。
本当に、翌日からも、「何もなかったかの」様に、『臙脂の集い』当日まで、厳しかったけど練習に打ち込めたのですから…。
そのご苦労たるや、知る由もないのですが、恐らく想像を絶するものがあったことでしょう。
残念な形でHがこの『第25回 臙脂の集い』の舞台からリタイヤせざるを得なくなりましたが、同期として、Hの分まで精一杯練習して、Hとこのステージで引退なさる3年生幹部のためにも、絶対にこの『臙脂の集い』を成功させよう…。
1年生同士のモチベーションが、これをきっかけに高まりました。
より一層、練習の厳しさに拍車がかかり、いよいよ『春高祭』まで1週間を切りました。
次回は、この1週間の出来事をお話し、その次の第17話で、いよいよ『第25回 臙脂の集い』の当日の「感動」をお届けしたいと思います。
どうぞお楽しみに。
(次回に続く。)
本シリーズ記事を楽しみになさっている読者の皆さん…再開です!
9月8日から東京六大学秋季リーグ戦も始まりますし、ペースアップを心がけて頑張ります。
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『第25回 臙脂の集い』に向けた練習も、その当日が近づくにつれ、加速度的に厳しさが増してゆきました。
決して「一次関数」的ではなかったと思います。「正の二次関数」的だったかもしれませんね。
当日が近づくにつれ、OBとなられた先輩方も、小生達後輩のご指導のために、主に現役大学生で、まだ埼玉県内にお住まいの方や、卒業してすぐのOB1年目の先輩方を中心に、連日訪れるようになっていきました。
これが、当日から逆算すると、2週間前くらいだと記憶しています。
より一層、妥協は許されない状況となり、逃げ出したくても逃げられない…もし逃げるとすれば、それは2つの方法…すなわち
①練習をとにかく一生懸命「がむしゃら」にやって、精根尽き果てて失神してしまう
②もう、応援指導部から身を引く
しかない様な、そんな状況でした。
こうした特別な行事がない限りは、土曜日は軽く練習して、夕方4時ごろには帰宅でき、日曜日は完全に休日になるのですが…もう、問屋がそうは卸しません。
この時期になると、土曜日は当然「平日と同じ扱い」での練習になりますし、日曜日は弁当持参で1日練習ということに当然なって行きます。
特に、日曜日ですと、社会人になられたOBの先輩方もお見えになることがあり、まだまだ慣れないこと尽くしの、小生達1年生にとっては、OBの先輩方がお見えになるだけで「チキン」状態でした。
(少なくとも、小生は、そんな心境でした…。)
3年生幹部も、OBの先輩がお見えになれば、OBの先輩の「持ちテク」を直々にご指導を「お願い」する状況になって行きます。
この『第25回』の時は、いつも温厚なMY先輩が、その強靭かつ柔軟な身体能力を有していたことから、「三大テク」の一つの『勝利の拍手』を持ちテクにされていましたが、1学年上のOB1年目の先輩(先日、小生のこのブログにお出で下さった、大坂 虎達 先輩と同級生に当たるお方です)が連日お見えになり、全体練習が終わった後も熱心に(でも、決してその姿を、下級生部員に見られない場所で)ご指導なさっていたことを、鮮明に覚えています。
ちなみに、そのMY先輩の『勝利の拍手』をご指導なさった先輩は、小生達から近い代では、「最も美しい」と評された『勝利の拍手』を披露なさったことで非常に名高く、自らを追い抜いて欲しいとの「愛情」の裏返しで、MY先輩に大変厳しくご指導なさっておられたのです。
小生も、MY先輩の『勝利の拍手』を可憐に舞う後姿…惚れていました。
それは、MY先輩をご指導なさった1学年先輩のご指導の賜物なのです。
さて、そんな練習の最中です。恐らく5月27日ごろの平日の練習の時だったと思います。
実はこの日、小生は体調の不良から、練習を欠席する旨を先輩に申し出て、休養に当てていました。したがって、これからお話しする「事件」は、実際には見ていません。ですが、衝撃でした。
先にお話したように、この時期は、平日であってもOBの先輩のどなたかお一人は、必ず練習のご指導にお見えになる状況でした。
連日のようにお見えになっていた、小生達より数年先輩が、この日もお見えになっていたようです。
このお方…全学年の後輩に対し、「過ぎる」が付く位に厳しく、練習はほぼその先輩のペースで進んだと言っても過言ではない状況でした。
練習の場所は、体育館入り口階段のコンクリートが、ちょうど「メイン台」のようになっていたので、それを取り囲むように、下級生達が「メイン台」に上がる先輩を凝視する格好で、「実践体型」と呼ばれる配置に着く形で進められます。
その時に、以下にお話しする、大変残念な「大事件」が起こってしまったそうです。
練習をご覧になっていたその先輩が、「全体に気合が足りない」と思ったらしく、小生と同期の1年生(実は、Hです)の背中を、魔が差したように蹴り上げてしまたのです。
背中からですから、当然、蹴られたHは無防備。
「受け身」さえ取れないのですから、衝撃がまともに全身を襲い、そのまま痙攣を起こして倒れ、救急車を呼ばないと適切な処置が取れないほどの「重症」を負ってしまったのです。
熱意余っての指導が、負傷者を…しかも、救急車を手配を余儀なくされたものになってしまったのです。
当然、団長のSJ先輩と、顧問のM先生の「監督不行き届き」の責任を咎められても仕方ない状況にまで発展しました。
翌日、体調が回復し、練習に復帰してこのことを知った小生のショックも大きかったです。
なぜなら、同期の中でも『応援指導部員』としてのポテンシャルの高さを、遺憾なく発揮していたのも、Hだったからです。
そのHが、入院を余儀なくされるほどの重症…当然、『臙脂の集い』の舞台に立てなくなった無念を思うと、居たたまれない心境になりました。
なお、この「大事件」が起こった後でも、あくまで、毎日練習できる環境だけは整え、全ての「火の粉」をかぶり、矢面に立って小生達部員全員を守ってくださったのは、他ならぬ顧問のM先生でした。
M先生の「熱血漢」ぶりは、改めて記事をエントリーしたいと思っていますが、小生達『応援指導部員』を、そして『応援指導部』を愛して止まなかったからこそ、矢面に立って守ってくださったと思います。深謝ですね。
本当に、翌日からも、「何もなかったかの」様に、『臙脂の集い』当日まで、厳しかったけど練習に打ち込めたのですから…。
そのご苦労たるや、知る由もないのですが、恐らく想像を絶するものがあったことでしょう。
残念な形でHがこの『第25回 臙脂の集い』の舞台からリタイヤせざるを得なくなりましたが、同期として、Hの分まで精一杯練習して、Hとこのステージで引退なさる3年生幹部のためにも、絶対にこの『臙脂の集い』を成功させよう…。
1年生同士のモチベーションが、これをきっかけに高まりました。
より一層、練習の厳しさに拍車がかかり、いよいよ『春高祭』まで1週間を切りました。
次回は、この1週間の出来事をお話し、その次の第17話で、いよいよ『第25回 臙脂の集い』の当日の「感動」をお届けしたいと思います。
どうぞお楽しみに。
(次回に続く。)
部に所属していた男子学生が自殺していたことが14
日、分かった。
休学中の自殺で、部内でのいじめを示唆した遺書が
残され、親族が「部内での人間関係を苦にしていた
のではないか」などと大学側に届け出たという。
大学では、学内に調査委員会を設置し、リーダー部の活動を当面休止。応援団の活動 と自殺との因果関係
などについて調査に乗り出した。
明大の複数の関係者によると、自殺したのは理工学部
2年の男子学生。男子学生は今年初め、リーダー部を
退団し、大学も休学。実家に戻っていた7月下旬に
自宅で首をつり、病院に運ばれたが死亡したとう。
部内でいじめがあったことをほのめかした遺書が残さ
れていたことから、親族が大学に連絡。大学は自殺の
背景などを調べるため、調査委員会を設けた。
リーダー部では、ほかにも体調を崩すなどして退団や休団する学生がいたという。上下関係も厳しいとされることから、
調査委は、リーダー部の活動に問題はなかったかについても調査するとみられる。今月中にも結論を出す方針という。
ホームページなどによると、明大応援団には男子学生からなるリーダー部、バトン・チアリーディング部、吹奏楽部の3つがあり、六大学野球など体育会活動の応援指導を行っている。リーダー部は大正11年の創部で伝統がある。
産経新聞の取材に、納谷廣美学長は「自殺したという報告は受けている。現在、調査委員会を設置して調べている。
自殺があったのは事実だから、きちんと調査するよう指示した」と話している。
(2007/08/14 23:14)
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070814/jkn070814014.htm
コメントありがとうございます。
特に、紫紺の八木崎健児先輩…補足頂き誠にありがとうございました。
小生は、先輩のお言葉をお借りすれば「因習」に値する部分が具体的にどんなことなのか…全く分かりません。
報道記事は、事実を語っているのかもしれませんが、わらさんの先日のコメントではないですが、記事を鵜呑みにして想像力ばかりを豊かにさせてしまい、その憶測のまま記事にすると、それが一人歩きした場合に、応援団を愛して止まない読者の皆様にもご迷惑が及ぶと思っています。
(報道記事も、八巻先輩がお心を痛めて懸念なさっている、いかにも『応援団=暴力団』のようなイメージを掻き立てるような捉え方もできるような内容ですので…。)
小生は、調査結果をとにかく冷静に待ち、それを良く反芻した上で、改めて記事を起こそうと考えています。
ですが、産経グループの記事を拝読し、先輩が17日の記事のコメント欄でおっしゃっていたことがこのことと知った時は、ただただ残念で残念でなりませんでした。
とにかく、正式な調査結果を待って、良く理解してから、わらさんがおっしゃるように、何らかの態度を示そうと考えています。
ですが、基本的に結果がどうあれ、小生は小生なりの表現で、「応援指導部を3年間続けて良かった」ということを伝えていく姿勢だけは変えません。
本当に、毎度毎度、補足していただき、深謝です。
ところで先輩…わらさんのコメントって、素晴らしいですよね。
立派な「応援団のお心」をお持ちですよね。
小生は、わらさんのコメントによって、何度も救われていますし、大変勉強になっています。
わらさんのようなお方がお一人でもいる限り、小生のこのブログの存在意義って、ちっぽけかもしれないけれどある気がしています。
その分、責任…大きいですね。